七語り、星語りのダーシュ

〈星語りのダーシュ〉1

 その作家の、数多あまたある作品の中で、父は『セロ弾きのゴーシュ』が一番好きだと言っていた。

 あらすじはざっとこうだ。


 ──ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係だが、仲間の中では一番下手で叱られてばかりいた。

 毎日、セロを持ち帰り、遅くまで練習している。するとそこへ猫、鳥、狸、鼠、と様々な動物が夜毎やってくる。

 動物たちにねだられてしぶしぶ演奏するが、ひどい演奏をして追い払ったり、難癖をつけられて癇癪を起したり。だが、そのやりとりの中で上達していくのか、音楽会は成功を収め、さらにアンコールではソロを指名され、仲間から褒め称えられる。ゴーシュ自身は「こんやは変な晩だなあ」と思って──


「病気の子を連れた野ねずみのおっかさんが言うんだ。ゴーシュのセロは動物たちの病気をなおす、血のまわりがよくなると。兎も狸もみみずくも、みんなみんな療してもらったって。ゴーシュはまるでそんなつもりなかったのに」


 作り話に過ぎないのに、父はすごいなあ、と心底感心した口調だった。


「俺は口が悪けりゃ、顔も怖いし、若いやつらにゃ煙たがられる。猟師なんて残酷だ、かわいそうだ、と下手すりゃ後ろ指さされる。生きていて誰ぞの役に立つどころか、その逆、不快な気持ちにさせちまう。だからかかあにも逃げられた。それに比べてゴーシュは演奏だけでも偉いのに、演奏以外の役にも立つなんて、本当に偉い」


 そして父は、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、ミンナニデクノボートヨバレ、ソウイフモノニ、ワタシハナリタイ──、『セロ弾きのゴーシュ』の次に好きだという詩をはしょって吟じ、クソジジーとなら呼ばれてんだけどな、と笑う。

 怒りと不甲斐なさ、そして激しい嫉妬を感じた。

 私は才能無く、猟師である父の跡を継げない。父から手ほどきを受けるという僥倖に浴しながら、不満を漏らす同年代の父の生徒たちが妬ましかった。

 いや、違う──私が本当に心底嫉妬しているのは、生徒たちを透かしたその奥にいる。

 父が喪った永遠の息子。私の兄──サン。



 タンタンタンタン、タンタンタアーン


 私が放った銃弾は魔女に当たったかどうかわからなかった。代わりに、割って現れた虹色の少女に当たり、妖精じみた姿が歪む。驚くべきことではない。あれはおそらくホログラム、光の波が乱されただけのこと。


 タンタンタンタン、タンタンタアーン


 ほとんど滅茶苦茶に撃ちまくり、貯留穴ピットの壁に痕を残す。

 狙いをつけようにも、四、五人の少女が立ち塞がり、魔女の姿を覆い隠してしまう。


「やめろ、どうしてそんなむごいこと!」


 タンタンタンタン、タンタンタアーン


 背後から博士に羽交い締めにされ、狙いがぶれたまま引き金をひいてしまう。舌打ちをしたその時、投入口から、何かが降ってきた。

 真っ黒な花──サキノハカという黒い花。やってしまへやってしまへとこだまする。

 いや、違う。それは真っ青な杯型の花──リンドウ。魔女が抱えていたものだろう、ばらばらと数本落ちてくる。不毛の惑星となったはずの地表に咲いていたという、その花。

 だが、魔女までは落ちてこない。私は一つ舌打ちをして、コートの襟の辺りを軽く叩く。


「……そろそろ起きてくれよ」


 相棒はひどい寝ぼすけだ。だが、そろそろ仕事をしてもらわねば困る。

 少し経つと、コートの袖口から金緑色の糸が伸びてきた。糸は貯留穴の壁を這い、投入口のその先へと伸びゆく。私は糸を腕に巻き付け、二三度引く。引いても落ちてこないことを確認し、銃を肩に背負い、ロープを伝って崖をのぼる要領で貯留穴の壁を登り始めた。

 待て、と。壁の真ん中あたりに差し掛かったところで静止が飛んでくる。

 少しずれたタイミングに思われた。多分、見ている諸々の処理が追い付かず、フリーズしていたのだろうが。

 肩越しに振り返れば、博士はびくりと巨躯を震わせた。

 今の私は眼鏡を外して、裸眼を晒している。おそらくは紅く光る目を。

 それでも博士は、きみは、きみは、とうわずった声を繰り返しながら、真下までやってくる。


「サン、いやダーシュか、どっちでもいい! 君は病んでいるのだろう、適切な治療を、一刻も早く入院をすべきだ。こんな辺境で人生を磨り潰している場合じゃ――」

「ついでだったんです。仕事の。だから全然いいんです」


 は、と気抜けた音が漏れる。


「私の〈缶詰〉は、他のと一緒に廃棄しておいてください」


 一方的に言い放つ。

 山なす缶詰には、連邦政府や地球の要人に宛てた〈缶詰〉も多い。藁をも掴む思いで流されたであろう〈缶詰〉は廃棄される。なぜなら、存在したら都合が悪いから。人は身勝手だ。

 貯留穴ピットの投入口に辿り着き、もう一度博士を振り返る。こちらを追い掛けるためか、缶詰階段に再チャレンジしているようで、缶詰を並べ始めていた。

 彼は己の恋情と自己防衛本能から〈銀河の最果て〉に閉じ込められた。己の頭の大きさにより住処から出られなくなったオオサンショウウオのようなもの。


「今でも別に博士──いえ、エリオのことを怒ってはいないんです」


 呆気にとられた次に、今にも泣きそうなのを堪えたへの字口の初老男を見下ろし、苦笑した。


 ──そう、エリオのことは、別に。


 金緑の糸が空気に溶け消え、投入口に背を向けると、床面に黒い染みが点々と落ちているのに気付く。コンベアは止まっており、魔女の跡を追うのは難しくはなさそうだった。

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