田原総一朗はバーボンで鼻うがいをする

マッハ・キショ松

短編(約9500文字)

 あの政治家という生き物を若年層の7割が見たことがない、という時代がやってきた。


 人工知能の実用化が進んで、日本で初めて“電気を食う政治家”が誕生したのは約半世紀前のこと。間もなく既存政党も導入に乗り出し、進行が早かった衆議院では10年足らずで人間が消えた。

 いまや国会とは「機密情報を含むデータを政治AI同士で安全にやり取りするための施設」である。衆議員の議席を持つ465種類のソフトウェアたちは口角泡を飛ばすことなく、専用の有線通信を介して静かに、だがすさまじい電気の速度で議論し続けている。

 おかげで日本の意思決定の精度・速度は著しく向上し、居眠り議員に「税金の無駄遣いだ、仕事しろ」と怒る有権者もいなくなった。コンピューターは昼も夜も盆も正月も休むことなく、国民に尽くしている。


 しかしこれにより、民主主義最大の危機が訪れた。


 まだ人間だったころから政治家の言葉というのは一般市民には分かりにくいものだったが、人工知能になってからさらに酷くなった。なにせ彼らは0と1しか話さない。いったい何を考えているのか、人間には理解のしようがないのである。

 投票所にやってくるのは、それでも政治が分かったふりをして投票しつづける者と、「人工知能は人間に分からない言葉で政治を進めて、この国を滅ぼそうとしているに違いない」と主張する陰謀論者と、双方の衝突に備える警察官ばかりになってしまった。


 こうした背景から“国民に開かれた行政政治”を実現すべく自民党総裁Lsava Ver.2.804は、政党・実績に関わらず日本中の政治AIを、日本人そっくりなアンドロイドに積んで、日本語で話させる公開討論番組を毎週放送することを閣議決定した。

 そして「人あっての政(まつりごと)、人あっての国」というアピールとして、政治AIたちの議論を取りまとめる司会進行役には人間代表として田原総一朗を起用した。「朝まで生テレビ!」の番組名は政府から番組制作の委託を受けたNHKがテレビ朝日から買い取った。


* * *


 午前4時半。田原は「朝生」の収録が終わると、着替えの時間を惜しんで番組衣装のスーツを着たまま、スタジオのすぐ隣にあるバーに向かった。時間が時間だけに、店内にはバーテンダーしかいなかった。


 席に着くなり「いつもの」と一言。ロックグラスにダブルのバーボンが注がれ、丸氷がピシッと音を立てる。バーテンダーはそこにストローを1本挿して、田原の前にゆっくりと滑らせた。

 「毎度毎度、明け方にすまないね」

 そう言いながら、ストローを左の鼻の穴に差し込んだ。ぐっと吸い込むと鼻腔に冷たい流れが起こり、熱い刺激と芳醇な香りを残して右の鼻の穴に抜ける。あごの下に構えたおしぼりが茶色に染まっていく。


 「前から聞きたかったんですけど、田原さんはいつからなんですか? その、なんていうか、鼻うがいみたいな飲み方……っていうんですか?」

 「飲んでねえよ。ちゃんと出してるだろ」

 田原はぶっきらぼうに返した。

 「俺は20世紀生まれだからな、もう酒はダメ。体が受け付けない。でも、嫌いになれないからこうやって嗜んでいる。いつからなのかなんて、いちいち覚えてねえよ。だって今時、珍しいことじゃないだろ」

 「ええ。私くらいの、30歳前後のお客様でもいらっしゃいますよ。お酒は好きだけど、あまり体内に入れると脳が萎縮するからと言って、ストローを頼まれる方。でも、田原さんの世代は口から飲み込む人ばかりだったんでしょう?」

 「そうだよ、俺が若いころはそんなこと気にしながら酒を飲むヤツなんていなかった。ここまで長生きできる時代が来るなんて誰も思ってなかったからな。脳も身体も100年くらいもてば、大・大・大の大往生だった」

 ちょっとした笑い話にしたつもりだったが、バーテンダーは何も返さず、曖昧な視線のままグラスを拭いている。


 それから、意を決したように田原と目を合わせると、お答えしたくないなら無視していただいて結構なのですが、と切り出した。

 「田原さん、いま何歳なんですか?」

 「俺にも分からん」と、なるべく大げさに笑ってみせた。「150歳を超えたあたりから数えてないんだ。面白いことが言えなくてすまないな」

 それから田原はグラスに覆いかぶさるように体を屈め、また鼻の穴にストローを挿し込んでバーボンをすすっては、反対の穴から出した。こうしている間は会話できないことが、今は都合が良かった。


 カランカラァン。


 田原の後方で店の入口の鐘が鳴り、誰かが入ってきた。

 こんな時間帯に俺以外の客とは珍しいな。「朝生」関係者だったら仕事の話でもしよう。そうすれば、今日に限ってヘンなことを聞いてくる若造と向かい合わずに済む。

 おしぼりのまだ白いところを探して濡れた鼻周りをぬぐい、さて新しい客は誰なのかと顔を上げようとしたとき、意識が飛んだ。首筋にスタンガンを受けたのだ。


 田原の視界は線香花火のように火花を散らして、暗闇に落ちていった。


* * *


 目が覚めると空があった。夜のような暗さだ。田原は自分が仰向けで寝転がっていることに気が付いた。


 「あのバーテンめ、俺を売りやがったな。朝日が出てねえってことは……日付が回ってまた午前様ってところか? ずいぶん寝かされたもんだ」

 そうつぶやきながら体を起こして、まず目についたのは身体に棒が刺さったままゆっくりと動く白馬の姿。メリーゴーランドだ。その隣ではコーヒーカップ、少し遠くで観覧車が回っている。

 黒々とした空からそこだけ切り抜かれたように、煌々と光るアトラクションからはにぎやかな音楽も流れているが、その他には物音ひとつない。人っ子ひとり、客はおろか係員すらいないようだ。


 「こりゃあ、どういうことだよ!」と田原は叫んだ。「いったい何の目的だ! 遊園地の貸し切りなんて子どもしか喜ばねえ! 俺は150歳をとうに過ぎたジジイだぞ!」

 すると、外灯のてっぺんに備え付けられたスピーカーから声が流れた。

 「初めまして、あなたのファンです。こうしてお会いできて、私はとてもうれしく思っています。スーツ姿のまま地べたに寝かせてしまったことはお許しください。あの田原総一朗のパジャマ姿が想像できなかったもので」

 田原は再び叫んだ。

 「誰なんだ、姿を現せ!」

 「あなたの目の前にいますし、後ろにも横にもいます。そんなに大声をあげなくても聞こえますよ」

 「嘘をつけ、どこに隠れてやがる!」

 「それよりほら、田原さんから見て右上のほうをご覧ください。ジェットコースターがあるでしょう。自動車と同じで、ジェットコースターにも速度制限があります。スピード違反を犯すと何が起こるか、ご存じですか?」


 うまくかみ合わない問答にいら立ちながらも指示通りに視線を上げると、はるか頭上のコース上にライド(ジェットコースターの乗り物)が見える。下り坂で加速しながら、こちらに向かってきているところだった。

 ライドはみるみる大きくなり、みるみる地面に近づいていき、ついに轟音を立てた。脱線して地面に衝突すると、まるで生きたまま火に投げ込まれたヘビのように横転を繰り返しながら田原に迫っていく。そして、身構える彼をからかうように、田原の前方3メートルほどの地点で静かになった。

 この停止位置も全て計算通りだろうか。“ヤツ”がどこにいるのかは分からないが、どうやら俺は丸見えらしいな……。


 歯ぎしりをするように、右側の後ろから2番目の奥歯をグッと噛み込む。すると田原の口からスモークがあふれだし、たちまち周辺30メートルが白く濁って、彼の姿を隠した。というのも「朝生」に出演する田原総一朗は、日本の政治を支える貴重な人材である。いざというときの備えとして、総入れ歯に自衛のための細工がしてあるのだ。

 白煙の中はまるで濃霧のようで、一寸先は真っ白とでも言うべき視界の悪さだったが、これが晴れるまで待っているわけにはいかない。どこでもいいから逃げ込める場所はないかと走り、ぶつかり、ころび、立ち上がり、それを幾度か繰り返してから、白煙の向こうにぼんやりと浮かぶ黒っぽい建物に飛び込んだ。


 そこはお化け屋敷だった。

 中は大きなワンフロア。天井から吊るされた大きな布で空間が区切られていて、中を歩くと布の隙間から化け物が飛び出してくる。

 しかし、驚かなければどうということはない。目を真っ赤にして叫ぶろくろ首だの、歯をガタガタ鳴らす人体模型だの、ニタニタ笑うドラキュラだの……変わった見た目の機械人形が節操なく置かれていて、騒がしいだけの迷路に過ぎない。


 田原は3分もかからないうちに出口にたどり着くと、踵を返してお化け屋敷を逆走した。マナー違反の客に対しても化け物は律儀なもので、同じ場所で同じように飛び出してくる。

 「こいつらはセンサーで反応して機械的に動いているだけなのだろうか」と疑問を覚えたところにちょうど、目を赤く光らせたろくろ首が顔を突き出してきた。試しに背負い投げをしてみると首がビヨーンと伸びて、ピンと張ったかと思うとそのまま首だけ引っこ抜けてしまった。


 単純なつくりなら都合がいい。田原は即席の籠城作戦をひらめくと、LEDライトの眼光が消えて動かなくなった長い首を束ねて尻の下に敷いた。あぐらをかき、腕を組んで相手の動きを待つことにした。

 俺をこの遊園地に連れてきた“ヤツ”が何者なのか分からない。銃を持って襲撃に来る可能性もある。だが、ここなら仕切り布が視界を遮ってくれるし、その裏に隠れている化け物が邪魔で、射線もそう簡単に通らないだろう。

 しかも“ヤツ”が中に踏み込んできたら、化け物たちはギャーギャー騒ぎ立てくれるはずだ。それで相手の居所が分かれば、逃げるなり立ち向かうなり手の打ちようがある。


 もしも重火器などを持っていて建物の外から攻撃してきたら――― こういった可能性は一切考えなかった。単に殺したいだけなら、とっくにそうしているだろう。わざわざバーで気絶させて、こんなところに運んでくる必要がない。

 しかし、いったい何が狙いなのだろう。俺を試したいのか、脅したいのか、怒らせたいのか、遊びたいのか……。

 考えを巡らせていると大きな音がした。位置はお化け屋敷の入口のほうでも出口のほうでもなく、自分の後頭部。壊れたと思って座布団代わりにしていたろくろ首が突然尻の下から逃げだし、油断していた田原は受け身も取れずにあぐらの姿勢のまま倒れてしまったのだ。


 頭を強打した瞬間、田原の意識は目の奥でカッと光る白い雷光に奪われた。その隙に、ろくろ首は首だけになった身体を触手のようにうねらせて再び田原に這い寄り、その短い首に絡みつくとキツく締め上げた。

 田原はろくろ首の顔面を左手でわしづかみにして首から引き剥がそうとしたが、ろくろ首はひるむことなく目を赤く光らせている。そればかりか悪意のある笑みで歯をむき出しにして「まだ息があるなら、次は噛みついてやろうか」と言わんばかりの表情を見せている。

 田原もつられて、ニヤリと笑った。客が乱暴に扱っても稼働する機械で、逆に懲らしめるお化け屋敷か。よくできたもんだ。これなら施設の管理者はわざわざ怖い顔して、客を注意しにいく必要がない。事務室から、監視カメラの映像をニタニタ見ているだけでいいんだから。


 田原は左腕で力いっぱい押さえつけて、ろくろ首の顔面を遠ざけようとし、ろくろ首もまた全力で田原に迫ろうとした。力と力が衝突して、伸ばしきれない左肘がカタカタと震える。田原はそこに右手を添えると、一息にねじり取った。

 文字通り、自分の右手で、自分の左腕の肘から先をねじり取ったのだ。

 突然、負荷が抜けたろくろ首はつんのめった。バランスを崩してこちらに耳元を見せたところで、左腕の黒々とした断面を向けて散弾を放った。田原は一国の政治に関わる人間であるから、いざと言うときの備えとして左腕にショットガンを仕込んでいるのだ。

 側頭部に銃撃を受けたろくろ首は、首から下ばかりか首から上まで失った格好になり、ついに機能を停止した。左腕をはめ直した田原はそれをマフラーのようにほどきながら、今までの出来事を頭の中で反芻していた。


 誰もいない遊園地で稼働するアトラクション、予告されたジェットコースターの脱線、人間を襲うお化け屋敷。これらが全て“ヤツ”の仕業だとしたら、居場所はおそらく……。だとすれば、“ヤツ”は今も俺の一挙手一投足を、遊園地中に仕掛けれらたマイクやカメラを通じて把握しているに違いない。


 推理を確信に変えるために、田原は大声で叫んだ。

 「こんな目に遭わせやがって! すぐにお前さんのところに行ってやるから、そこで待ってろよ! ……どうせ動けないんだろうけどな」


 すると仕切り布の隙間から人体模型がヌッと顔を出して、喉の奥のスピーカーから声を発した。

 「さすがは田原さん、お待ちしておりますよ」


* * *


 この俺をからかいやがって。

 田原はお化け屋敷内の仕切り布をかきわけ、中に隠れていた機械人形どもを蹴り倒し張り倒して、最短ルートで出口へと向かった。

 外に出てマンホールを探す。最初に目にとまったそれに右手の人差し指を向けると指先から超高温レーザーを放って、金属の円盤を溶かし始めた。


 1秒、2秒、3秒……。マンホールのフタはまだ落ちない。待ちきれずに、両乳首とヘソからもレーザーを射出した。もう左腕の仕込み銃を見られているのだから、いまさら武器を隠す意味はない。


 4秒、5秒、6秒……。ワイシャツとジャケットがレーザーが焼け焦げ始めてしまったので、田原は破り捨てるように脱いでいった。


 8秒、9秒、10秒、11秒、12秒……。やっとか。マンホールが溶け落ちて地下への通路が開けたころには、上半身はネクタイ一丁、6つに割れた腹筋が露わになっていた。


 コンクリート張りの地下空間に、革靴ではしごを下りる音をカンカンと響かせた。最後の数段を飛び降りて、周囲を見渡す。薄暗い照明の下に「遊園地事務室はこちら→」と書かれた看板がかかっていた。

 ビンゴだ。矢印通りに歩いていくと看板は「遊園地事務室まで50m」「30m」「10m」と続き、その先に扉があった。


 左腕の散弾で鍵を破ると、3畳ほどの部屋。所狭しとコンピュータ機器が設置されていて、その隙間をおびただしい数のコードが埋めている。椅子はおろか、あぐらをかけそうな地べたもなかった。

 部屋の中央にはたっぷりと水を張ったガラスケースがあり、その中に人間の脳が浮かんでいる。無数の電極につながれていて、まるで大地から引き抜かれた球根のようだった。


 脳は室内のスピーカーから「田原さんですか?」と尋ねてきた。

 「ああ、正解だ。俺もお前さんの居所が一発で当てられて良かったよ」と田原。「もうちょっと謎解きゲームを続けようや。お前さんの年齢と、ここにいる理由も当ててやる」

 「構いませんよ」

 「よし、まずは年齢から。おそらくだが、お前さんは80~90代じゃないか?」

 「ご名答。さすがは田原さん、私は88歳です。どうして分かったんですか?」

 仕事柄、こういうことには詳しいからな、と前置きしてから、田原は話し始めた。


 「人工知能が政界進出したのは半世紀ほど前。初めはタレント議員みたいなイロモノ扱いだったが、その実務能力の高さからすぐに評価が逆転した。これにより一般社会でも、従業員を人間から人工知能搭載のアンドロイドに置き換える動きが起こった。

 当時は“文明が滅ぶ日まで続く人類の夏休みが始まった”なんて言われていたな。政府は半永久的な失業対策として、全国民に働かなくても食っていける程度の金を配るようになった。ベーシックインカム制度ってやつだ。

 仕事に追われていた大人たちは、ありあまるほどの時間を手に入れた。しかも、政府がくれる金は遊びまわるには寂しい額だったもんだから、本当に夏休みの小学生みたいな生活になっちまった。低予算でひと夏楽しめてちょうどいいと、老いも若きも関係なしにカブトムシの飼育が流行したくらいだ。


 だけど、子どもに戻り切れなかったとでもいうべきか……突然やってきた“夏休み”に順応しきれずやっぱり仕事をしたいと思った人々もいて、その多くが働き盛りの30~40代だった。自分の人生設計をイチから描き直すには年を取り過ぎていて、かといって諦めるには若過ぎたんだろう。

 あれから約50年たった今、彼らは80~90代になる。これがさっきの答えを導いた推察だ」


 ここでいったん話を区切って、脳を見つめた。人間の身体を持たない彼はうなずくことも、表情を変えることもしない。田原はさらに続けた。


 「働きたい人々は仕事に固執したが、人工知能と経済的に争うことは極めて難しかった。

 人間の頭脳と人工知能の能力差も要因の1つだが、それ以上に大きかったのが、彼らの商売敵には機械の身体があり、すさまじい速度で繁殖していったことだ。

 例えば、人工知能が運転する自動車に匹敵するタイムで、目的地にたどり着けるタクシードライバーはさほど珍しくなかった。道路には速度制限や信号機、歩行者などの存在があって差が出にくいんだ。

 それよりもAI制御の自動運転車が毎日何千、何万台と工場生産され、競争相手が増え続けることのほうが問題だった。同じように医者も弁護士も消防士も販売員も清掃員も……どんな仕事の人たちも“湯水のように湧いてくる腕利きの新人”たちにシェアを奪われていった。

 挫折した人々は、機械の身体を持つ者たちが大挙してこない分野を手探りで探し求めたが、その間にも商売敵は自分たちの活動範囲を広げていく。結局、“人間だけの領域”として最後まで残ったのは、犯罪と精神疾患だけだった。


 当時の日本政府は、働きたい人間たちが人工知能の脅威にさらされず、安心して働ける場所はどこかと考え、『不動産』という答えに行き着いたという。


 いわく、どんな技術革新が起ころうと、地球上の陸地の面積は約1億5000万平方kmだし、日本の国土は約38万平方kmだ。土地の広さに限界がある以上、そこに根付いた建物や施設には数の上限がある。だから不動産が、アンドロイドのように恐ろしい速度で増え続けることなんてありえない。

 そうだ、人間が不動産になればシェア争いから逃げられるのだ。人工知能とタッグを組んだ機械というモノが人間の仕事を奪っていったように、人間がモノの仕事を奪えばいい――― こう考えたそうだ。


 こうして国家的な福祉事業として、施設の管理制御システムに人間の脳を埋め込み、そこで働いてもらう取り組みが始まった。

 もう人間らしい身体を持つ労働者はいらないから、事務室はへんぴなところに置いてしまって構わない。無用なトラブルを避けるために、無線妨害の影響を受けにくい地下に置くのが通例だ。


 お前さんも例に漏れず、この地下の事務室で遊園地の管理者として働いている……いや、遊園地そのものとして生きているんじゃないか?」


* * *


 「すばらしいご推察です。全て仰る通りですよ」と、田原の話を一通り聞き終えて、ガラスケースに浮かぶ脳が話し始めた。


 「もう何十年も前のことですが、心療内科の医師から『こんな時代だけど、性格的に仕事を必要とする人もいる。あなたがどうしても働きたいなら』と勧められて、脳の摘出手術を受けました。

 全身麻酔から目覚めたときの驚きは今でもはっきり覚えています。視野が目玉2個分からパーク内の監視カメラ数百台分にまで広がって、あちこちに仕掛けられたマイクの音が全て聞き取れるようになったのですから。


 手足は失いましたが、代わりに自由自在にアトラクションが動かせるようになって、それで他の誰かを楽しませることができる。不満は抱きませんでした。与えることは受け取ることだという労働の喜び、人間の尊厳を取り戻せたように感じました。


 福祉事業としていただいている仕事ですから、お役所がいろいろと口出ししてくるかと思っていたのですが、全然そんなことはなくて。もっと言うと指示してくる上司すらいなくて、この遊園地の全てを私ひとりで管理しています。やりたいことが自由にできる、夢のような職場環境だと思ったものです」


 「そりゃあ、うらやましいな」と田原は少し笑ってから、口角を戻した。「で、あの悪趣味なジェットコースターやお化け屋敷もお前さんの仕業かい?」

 「ドキドキしたでしょう? 全て私のアイディアで業者に改造してもらったんです。お行儀の良い人工知能とは違う、人間ならではの発想だと来場者に喜ばれ、来る日も来る日も満員御礼でした」

 「事故は起きなかったのか?」

 「ええ、長い間、問題は起こりませんでした」

 もしも脳にうつむくことができたなら、うつむいていたに違いない。手があれば顔を覆っていたかもしれない。


 それから彼は、田原に見せたジェットコースターの脱線と全く同じ事故が約1カ月前に起こり、来場者数人が巻き込まれたこと。だがその責任は一切問われず、翌日も遊園地の営業が行われ、しかもいつも通りの客入りだったことを話した。


 「なぜだか分かりますか? 事故に遭った来場者が全員、人型アンドロイドだったんです。

 あれから毎日、他の来場者の目が届かないところで1人ずつ殺して確かめているのですが、全てアンドロイド。いくつ頭をつぶしても、血が一滴も流れません。私はなるべく人間らしい客を選んでいるつもりなのに、ですよ。

 この遊園地はいつから偽物の来場者しか来なくなったのでしょうか。私はこんな身体になっても、1人の人間として、自分と同じ人間に楽しんでもらうことに労働の喜びを感じていたのに」


 脳の告白を聞いた田原は、軽蔑の念が隠せる言葉を選ぶためにしばらく沈黙した。

 「……苦労したな。で、俺に何の用があって、この遊園地に連れてきたんだ?」

 「そうでした、それを説明しなければなりません。理由の1つは『自分はいつの間にか生き物とモノの区別が付かなくないほど機械になってしまったのか』と思い悩んで、改めて本物の人間を見てみたくなったことです。

 自分に人間らしい感覚が残っているのか確信できなくなった今、田原さん以外に本物の人間が思い浮かばなかったのです。なんといっても、討論番組に人間代表の司会進行役として出演されていますから。

 だけど、その身体は……」

 脳の言葉を遮って「俺は間違いなく人間だ」と田原。「番組を存続させるために長生きする必要があってな。仕事の都合で人型をしているが、まあ、お前さんの身体と似たようなもんだ。

 そして、このことは機密事項だ。たとえ人間でも、生粋の人間でないことが国民に広まれば政治不信につながる。知ってしまった以上、お前さんは……」

 「それ以上は言わないでください。こうなる可能性があることも覚悟していました。やはり私の想像以上に難しい時代になっていたのですね」


 それから脳は、田原に最後の願いを告げた。


 「ご迷惑をお掛けしたことをお詫びします。挑発を繰り返せば、田原さんはさまざまな知見をお持ちのはずだから、私の脳を見つけてくれると思ったのです。

 というのも、こんな身体でしょう? この遊園地上で起きていることは全て分かるのですが、自分の脳がどこにあるのかずっと分からなくて。監視カメラがなかったから気付かなかっただけで、こんな近くに置かれていたんですね。

 ここに私が動かせるアトラクションはありません。地下では電波が届かず、お化け屋敷のアンドロイドたちを遠隔操作で連れてくることもできないでしょう。


 田原さん、同じ人間としてお願いします。私を死なせてくれませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

田原総一朗はバーボンで鼻うがいをする マッハ・キショ松 @kishomatsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ