第275話 不遜可愛い? いいえ、事実です

 1週間後、ディオニシウス帝国の帝都ディオスにて、平和条約が結ばれることになった。


 ムラサメ公国がアルケス共和国に対して有利な条約を結ぶのもそうだが、この機にアルケス共和国がこれから先に余計なことをしでかさぬようにディオニシウス帝国とムラサメ公国、スロネ王国、アルケス共和国の4ヶ国が集まって条約を結ぶのだ。


 ディオニシウス帝国からは皇帝アルケイデス、ムラサメ公国から公王シルバ、スロネ王国から国王パーシー、アルケス共和国から議長マリクがディオスの城の会議室に集合している。


 エリュシカは1つの大陸からなる世界とされており、トスハリ教国が消滅した今となっては上記4ヶ国だけしか存在しない。


 国土の面積は広い順からディオニシウス帝国>ムラサメ公国>トスハリ教国>スロネ王国=アルケス共和国だったが、トスハリ教国が消滅したせいでその順位も変動することになる。


 (共和国の議長はさっきから全然俺と目を合わせないな)


 シルバはアルケイデスとパーシーとは普通に挨拶したのだが、アルケス共和国の議長マリクだけ挨拶できていない。


 というのも、アルケス共和国はトスハリ教国が消滅した今、唯一の敗戦国になってしまったから非常に肩身が狭いのだ。


 それゆえ、マリクはシルバだけではなく、アルケイデスやパーシーともまともに言葉を交わしていない。


 アルケイデスやパーシーとも言葉を交わさない理由だが、それはアルケイデスの妻であるユリを襲撃した件が影響している。


 共和国の四剣を派遣してユリを殺そうとした過去があるのだから、マリクはこの場に誰も味方がいないのだ。


 味方になるはずだったトスハリ教国がいないので、マリクは心の中でトスハリ教国にこれでもかと呪詛を吐いていたりする。


「さて、定刻になったから条約の締結を始めよう」


 約束の時刻が到来したため、アルケイデスが口火を切った。


 表向きにはムラサメ公国がアルケス共和国の全面降伏を受け入れ、戦争に関与していないディオニシウス帝国が間を取り持つように振舞っているが、実際はアルケス共和国だけが敵対している。


「まずは確認だが、議長マリクよ、アルケス共和国はムラサメ公国に対して全面降伏をした。間違いないな」


「そ、そうです」


 マリクの声は掠れていて聞こえにくかった。


 それがディオニシウス帝国に来てからほとんど喋っていない弊害なのか、それとも言質を取らせないという悪足搔きなのかわからなかったため、アルケイデスは念押しする。


「はっきりと聞こえるように言え。全面降伏したんだな?」


「全面降伏しました」


 アルケイデスにすごまれ、マリクは今度こそはっきりと宣言した。


 アルケイデスはモンスターと戦ったこともある軍人だったのに対し、マリクは戦いのたの字も知らないような痩身の男性だ。


 そうであるならば、アルケイデスに睨まれてマリクが怯えるのも当然である。


「よろしい。では、これより我が国にて作成した条約の案を発表する。問題がなければこの場にて調印してもらうからそのつもりでいてほしい」


 その言葉にマリクの顔が青くなった。


 ディオニシウス帝国が作成したとアルケイデスは言ったが、実際のところはロザリーとアリエルが共同で作成した草案に対し、シルバやエイル、アルケイデス、ユリの意見が加わったものだ。


 パーシーの意見が入っていない理由だが、この条約を締結するにあたってほとんど汗をかいていないので、自分達はテーブルに出て来た案に賛同すると申し出たからである。


 さて、ロイヤルファミリーの中でも特に腹黒い2人がメインで作った条約を見てみよう。


 一つ、ディオニシウス帝国とムラサメ公国、スロネ王国、アルケス共和国は正当性のない国家間の争い、あるいは非人道的手段の実行を禁ずる。


 一つ、敗戦したアルケス共和国はムラサメ公国に対し賠償金として大金貨800枚(800億エリカ)を支払う。


 一つ、敗戦したアルケス共和国は国民と街が消えたトスハリ教国に関する一切の権利を放棄する。


 一つ、トスハリ教国の領土は9割をムラサメ公国のものとし、残り1割をスロネ王国のものとする。


 一つ、この条約を破った国に正当性が見受けられない場合、残りの国が協力して事態の解決に当たる。


 一つ、この条約は4ヶ国の調印された時から効力が発生する。


 六ヶ条によって構成される平和条約には大陸の名前を取り、エリュシカ平和条約という名前が付いた。


 ここでトスハリ教国の領土の1割がスロネ王国に割譲されることを補足しよう。


 歴史を振り返ってみると、トスハリ教国は過去に聖戦だと口にしてスロネ王国の領土に侵略してその土地を無理やり奪ったことがあった。


 その歴史はシルバもディオニシウス帝国の軍学校にいた時に習っていたため、その部分だけスロネ王国に返還することにしたのだ。


 無論、戦争において何もしていないスロネ王国がただで土地を返してもらうのは都合が良過ぎるため、エリュシカ平和条約を作成する裏で少なくない大金貨がムラサメ公国に動いているのだが、今は置いておこう。


 残った9割の領土だが、この部分は元のムラサメ公国の領土の3分の1程度だ。


 手に入れた領土については、どのように使うのかこの集まりで話す必要はないので、シルバは明言するつもりがない。


 シルバ達4人が調印したことで、国土の面積は広い順からディオニシウス帝国>ムラサメ公国>スロネ王国>アルケス共和国へと変わった。


 アルケス共和国は自国の領土を割譲することなく、ムラサメ公国に対する賠償金だけで済んだのだからまだマシな決着と言える。


 当初の案ではロザリーとアリエルがアルケス共和国に領土を割譲させようとしていたが、2つの理由からシルバとアルケイデスが反対して今回の形に修正された。


 まず、ムラサメ公国がこれ以上領土を貰ったところで持て余すのだ。


 トスハリ教国の領土は今、何もないがゆえにこれから新しく何かを建てることも容易い。


 しかし、アルケス共和国の場合は街が残っていて住んでいる人もいる。


 ムラサメ公国民になりたくない者は街を出ていけば良いが、ムラサメ公国に怯えて暮らすよりもムラサメ公国民になった方が良いと考える者の方が多いだろうから、手に入れた街にテコ入れする際に現地に住む者達の感情を考慮しなければならない。


 それが面倒に感じるのは言うまでもない。


 次に、アルケス共和国を追い込み過ぎてしまった際、この国が勝率を度外視して戦争を仕掛けて来る恐れがあるからだ。


 さっさと割災対策に専念したい今、無駄な戦争をこれ以上続けるのは悪手と言えよう。


 何はともあれ、エリュシカ平和条約の調印は無事に終わった。


 マリクは少しでも国を空けていたくないらしく、調印が終わり次第すぐに城を発った。


 この場に残っていても周りに味方はおらず、エリュシカ平和条約の調印の隙にアルケス共和国で何かが起きていたら困るから飛んで帰ったのだ。


 パーシーはユリと久し振りにゆっくり喋りたかったため、会議室を出ていった。


 会議室に残ったのはシルバとアルケイデスだけだが、用事が済んだことを察して外で待機していたレイが部屋の中に入って来た。


『ご主人、お話終わったよね?』


「終わったぞ。待たせて悪かったな」


『ご主人のお義姉ちゃんと遊んでたから退屈しなかったよ』


「トーラスとは遊ばなかったのか?」


 ユリと遊んでいたと言うレイに対し、従魔同士でトーラスとは遊ばなかったのかとシルバは訊ねた。


『トーラスはずっとブルブル揺れてて遊べなかったの。声をかけてもリアクションが変わらなかったから、ユリと遊んでたよ』


「それってトーラスに怖がられてないか?」


『やっぱり? レイが強くなり過ぎちゃったんだね』


 (不遜可愛い? いいえ、事実です)


 シルバはレイの発言を聞いて自信あり過ぎじゃないかと思ったけれど、すぐに事実だったと思い直した。


 マジフォンのモンスター図鑑機能でこっそり確かめたところ、トーラスは辛うじてシルバー級モンスターの領域に足を踏み入れた段階で、レイはほとんどレインボー級に近い実力がある。


 これではトーラスがレイに怯えるのも仕方のないことだろう。


 シルバはそれから少しアルケイデスと雑談した後、J&S商会で手配して貰っていたお土産を受け取ってからムラサメ公国へと帰国した。

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