第2話 逆光源氏計画、あると思います

 マリアが銀髪赤眼の子供を拾ってから1年が経過した。


 子供の名前はシルバ。


 苗字はないただのシルバだ。


 エリュシカにおいて苗字を持つ者は基準を満たした軍事階級の者だけであり、シルバはそれに該当しない貧民街スラムの孤児院出身の7歳の子供だった。


 マリアは転移したての頃は平民だったが、圧倒的な戦果を認められて軍に加入することになったのだ。


「シルバ、昨日の復習を始めるわよ。私とシルバがいた帝国の軍の階級を下から順番に言ってご覧なさい」


天使級エンジェル大天使級アークエンジェル権天使級プリンシパリティ能天使級パワー力天使級ヴァーチャー主天使級ドミニオン座天使級ソロネ智天使級ケルブ熾天使級セラフ


「その通り。で、その上にいるのが皇帝陛下ね。ちゃんと覚えてて偉いじゃない」


「えっへん」


 シルバはマリアから一般常識について教わっていた。


 これはマリアが地球から転移した国とシルバが異界に飛ばされる前にいた国が同じだったからである。


 異界に来て88年が経過しているので、若干古い知識になっているかもしれないが何も知らないよりは良いだろうと判断してのことだ。


「じゃあ、異界に来る前の私はどの階級だったか覚えてる?」


智天使級ケルブ


「正解。シルバは本当に物覚えが良いわね」


「こっちに来るまで勉強なんてできなかった。勉強、楽しい」


「勉強が楽しいなんて眩しい・・・」


 マリアは転移前の学生時代、勉強を楽しいと思ったことはなかった。


 授業は退屈でテストは大嫌いであり、休み時間や昼休みに友達と駄弁るのが楽しいぐらいだった。


 マリアの実家はとある流派の道場だったため、その手伝いがあるから部活に入っておらず、放課後はほとんど寄り道せずに帰っていた。


 道場で鍛えられたことで運動神経だけは良く、道場の定休日に助っ人として呼ばれることもあったがそれはまあ置いておこう。


 とりあえず、マリアは高校時代に勉強を楽しいと思っていなかったことが肝心なのだ。


 エリュシカの文化水準は中世ヨーロッパぐらいであり、どの国も文字の読み書きができるのもそれを勉強する機会があったのも軍人や商人だけだった。


 シルバはその機会に恵まれなかったので、今マリアから教わって知らないことを知っていく楽しみを味わっている訳だ。


「じゃあ今日の座学は計算の勉強よ。四則計算はできて損がないわ。四則演算が何を指してるか覚えてる?」


「足し算引き算掛け算割り算」


「よろしい。今日はお金を使って考えてみましょう」


 マリアは革袋の中から硬貨を取り出して机の上に並べた。


 エリュシカの硬貨は9種類ある。


 金銀銅でそれぞれ3種類ずつだ。


 下から順番に半銅貨、銅貨、大銅貨、半銀貨、銀貨、大銀貨、半金貨、金貨、大金貨。


 通貨の単位はエリカであり、それぞれの硬貨と以下のように対応している。



 半銅貨=1エリカ

 銅貨 =10エリカ

 大銅貨=100エリカ

 半銀貨=1,000エリカ

 銀貨 =1万エリカ

 大銀貨=10万エリカ

 半金貨=100万エリカ

 金貨 =1,000万エリカ

 大金貨=1億エリカ



 貧民街スラムで暮らすならば一番大きくとも大銅貨までだ。


 平民だと半銅貨~銀貨を使い、軍人や商人になるとそこに大銀貨と半金貨が加わる。


 金貨や大金貨は智天使級ケルブ以上の軍人や財務を任された官僚、豪商でないとお目にかかれない代物だと言える。


「すごい。俺、半銀貨以上のお金を見るのって生れて初めてだ」


「そうでしょう、そうでしょう。伊達に智天使級ケルブまで出世してないのよ」


 シルバが目を輝かせると、マリアは今こそドヤ顔を披露する時だと渾身のドヤ顔を見せた。


 ドヤ顔や地球発祥のネタについても、マリアは少しずつシルバに教えているけどこちらはまだまだ覚えるのに時間がかかっているらしい。


 それから計算問題でシルバが10問中9問正解という結果を出した。


 間違えてしまったのは、足し算引き算に掛け算割り算が同一の式に入る応用問題だった。


 足し引きする前に掛けたり割ったりするのを忘れており、シルバはその問題だけ間違ってしまった。


 とはいえ、7歳で九九を暗唱できて基本的な四則演算もわかっているのだからエリュシカの同年代と比べてシルバは優秀である。


「はい。座学はここまでよ。次は実技だから外に出るわよ」


「うん」


 シルバはマリアに連れられて家の外に出た。


「さて、今日もリングの周りを10周走るところからスタートよ。異界で生き残るには体力が必須だからね」


「わかった」


 マリアとシルバの家の前には広い庭がある。


 というよりも、何も飾り気がないから余計に広く感じるのだが。


 庭にあるものと言えば、マリアが自作した1辺50mの正方形のリングだけだ。


 4つの頂点に杭を打ち込んで蔓を結んだリングである。


 このリングでは、10周走ってストレッチした後にシルバがマリアに異界で生き残る術を学んでいる。


 マリアは拳者と称えられていたように、徒手空拳を武器とする戦闘スタイルだ。


 転移前の実家の道場で棒術や槍術も習っていたが、マリアが特に得意だったのが格闘術だった。


 棒術と槍術も一般人よりはできる自負はあるけれど、得物がなければ戦えないと諦めるのを良しとしないマリアは格闘術からシルバに叩き込むことにした。


 出会った当初はガリガリだったシルバは、マリアとの特訓とモンスターの食材がメインの料理を食べて体作りに励んだ結果、7歳とは思えないぐらいには筋肉が付いた。


 ストレッチで接触して分かる成長度合いから、マリアはほくそ笑んでいた。


「逆光源氏計画、あると思います」


「マリア、何言ってんの? ぎゃく?」


「ん~? なんでもないわよ~」


 毎日の座学で賢くなったシルバでも、逆光源氏計画の意味がわかるはずない。


 聞き慣れない言葉に首を傾げるが、マリアになんでもないと言われればすぐに気にすることもなくなった。


 ストレッチが終わるとマリアが基本の型をやって見せて、それを何度もシルバに反復させる。


「基礎の基礎が大事だと何度でも言っておくわ」


「はーい」


 ボケ半分真面目半分なコメントは流されるが、マリアは決してめげたりしない。


 基本の型の反復練習が終わると、水分補給をしてから魔力操作の訓練に移る。


 エリュシカの住民は皆、魔力が体に宿っている。


 魔力は地球にない概念だったから、転移した当初にマリアは自分の中に目覚めた魔力に違和感を覚えた。


 しかし、その使い方を覚えたら格闘術との親和性が高いとわかり、密度の濃い特訓によって短期間で魔力操作を習得した。


 シルバにも魔力操作を身に着けてもらうため、マリアが選んだ方法とはシルバと手を繋いで魔力を循環させることだった。


 7歳のシルバに自力で体内に宿る魔力に気づけと言うのは酷なので、マリアが魔力を感じ取る手助けをする訳だ。


「シルバ、どう? 魔力は感じ取れた?」


「なんか温かい感じが体を巡ってる」


「そこまで感じ取れてるなら順調ね。理想は私の補助なく魔力を体内で循環できるとかしら」


「頑張る」


「む、無理しなくて良いのよ。焦って魔力を暴走させたら大変だし」


「わかった」


 シルバを心配する気持ちは勿論ある。


 だが、マリアにはシルバと堂々と手を繋ぐ時間がもう少し長くても良いじゃないかと思う気持ちもあった。


 本気で逆光源氏計画を進めるつもりなのかもしれない。


 魔力操作の訓練が終わると、一旦昼食を取ってから午後は外へと出かける。


 外に出かける目的は、マリアとシルバが食べる物を調達することだ。


 そのついでに現れたモンスターとマリアが戦ってシルバに戦闘を学ばせる。


 一石二鳥のプランだと言えよう。


「シルバ、よく見ててね。今からあそこにいるアローボアを倒すから」


「うん」


 マリアは素早くアローボアの背後から接近し、側面に拳を当てて瞬殺した。


 アローボアを持ち上げて帰って来ると、マリアはシルバに声をかける。


「シルバ、ちゃんと見てた?」


「速過ぎて目が追い付かなかった」


「あちゃぁ・・・。こればっかりは慣れてもらうしかないわね」


「頑張る」


「そうね。地道に頑張りましょう。さあ、血抜き作業をするから手伝ってちょうだい」


「わかった」


 血抜き作業中、その臭いに誘われて他の肉食系モンスターがやって来たが、マリアがそれを返り討ちにして食料が増えた。


 シルバはまだモンスターと戦う実力がないので、マリアが食べられると教えた木の実や野草、茸の採集を行って自分はただ飯喰らいではないとアピールした。


 そんなシルバを愛らしく思い、マリアがベタベタするのは仕方ないのかもしれない。

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