9.愛は幽霊を救うか?

「部屋にゆ~れいが出たあ!?」

「ちょっ、奈子、静かに!」


 美鈴は思わず周囲を見回した。


 大学の学食は朝の十時から夜七時まで開いていて、学生たちはそれぞれの時間割に合わせて空き時間に利用できるが、人が集中するのはやはり二限目と三限目の間に一時間空いた昼休みだった。ほかの時間帯なら簡単に座れて長時間利用もできる広い食堂も、昼時ばかりはふたりで使える席を確保するのさえ困難になる。

 今も、美鈴と奈子は二人席ではなく大きなテーブルの二席を並んで使っていて、隣や前に座っていた学生がいぶかし気な目を向けてきたのを美鈴は見た。


「ごめん、びっくりして」

「まあ驚くよね」


 美鈴が非現実的なことを言っても、奈子は声を上げて驚きこそすれ、馬鹿にするような顔はしなかった。目を丸くし、美鈴をじーっと見ている。


「えっ、なに?」

「美鈴にとりついてるんだったら、見えるのかなって」

「ついてない、ついてない。……ないよね?」

「見えないしわからない。なに、肩が重いとかあるの?」

「違うけど……」


 寝不足であること以外は、健康だ。

 美鈴は自分に引っ張られてドアの向こうから戻ってきた幽霊のことを思い返していた。ああいう現象は、憑りつかれている、とも言えるような気がする。だが、幽霊は朝になったら消えていて、夜にすうっと現れるのだ。美鈴に憑りついているというのも、どうにも納得いかない。


「幽霊に憑りつかれてると、どうなるんだろ」

「さあ……頭痛とか肩こりとか、事故に遭いかけたり体乗っ取られたり」


 奈子がつらつら並べる事象は、後半にいくにつれ洒落にならなくなってきた。

 あの幽霊を知っている美鈴は、彼が恐ろしいことをするとは思えないけれど、大丈夫よね、と内心で自分に言い聞かせている美鈴に、奈子は容赦ない追撃をした。


「あと、道連れにしたり」

「ひぇ」


 それは、ありうる、気がした。


 うやむやにしたが、あの幽霊はおそらく生前から美鈴を知っていて、美鈴に何らか思うところがあるようなのだ。それも悪い感情ではなさそうだから、道連れは信憑性があった。本人にはその気がなくとも、幽霊の人知を越えたパワーで、こう……。


「こっわ」

「え、今? 美鈴、怖がるの遅くない?」

「いや、だって、出たのはべつにグロくもない、透けてなければふつうの人間みたいなのだったんだよ。害もなさそうで」

「でも慌てて電話してきたんでしょ?」

「最初はびっくりしたんだよ、さすがに」


 言いながら、美鈴はスマホを取り出して、幽霊に何ができるか調べることにした。


「ラップ音、悪夢、金縛り、ポルターガイスト……あれ、案外たいしたことないのか」

「いやいや、呪い殺す、異界に連れて行く、などなどあるじゃん」


 同じくスマホをすいすいと操作していた奈子が、やっぱり怖いことを言った。


「こっわ」

「だから今? あ、美鈴、スマホのストラップ割れてるよ」

「え? ……あー、ホントだ。さっき落としたときかなあ」

「呪いの身代わりになったのかもよ? お守りみたいなやつだったじゃない?」

「違うよ、それっぽいけどどっかのお店でたまたま買ったやつ」


 美鈴は、ちょうど半分くらいの位置ですっぱり割れているストラップの紐を持って揺らした。プラスチックの鳥の根付だったが、割れた下半分がどこかに行ってしまっている。

 そこまで思い入れのあるものでもなかったのに、こうして割れてしまうと妙に名残惜しい。もともとこのストラップひとつきりでごくシンプルだった美鈴のスマホは、半欠けのストラップをぶら下げて寂しげだった。

 そこから、美鈴は奈子の手にあるスマホへと目を移す。


「お守りっていうなら、奈子のスマホのそれ、すごそう」

「ん~? まあ、推しに護られてるかも? でもどうなんだろ、この人らわたしなんか眼中にないかも」

「ほら、人形も大事にしたら、とかそういう」

「ただのラバストだよ。けど、これのどれかがそういうふうに千切れちゃったら悲しい」


 奈子のスマホには、素っ気ない美鈴のものと対照的に、五つくらいストラップがぶら下がっている。スマホを扱うにも、鞄やポケットに仕舞うにも明らかに邪魔そうなそれらは、奈子の『推し』だ。


「重くないの、それ?」

「まあ重いけど、愛の重さだねぇ」


 奈子は、髪を明るい色に染め、それにかわいらしいウェーブのパーマをかけ、パステルカラーのフリル襟のトップスに、透け感のある花柄フレアスカート、足下は高い太めのヒールのパンプスなんて雑誌に載りそうな華やかな女子大生そのものの見た目をしていながら、本人の自称で重度のオタクだった。

 美鈴だって、今どきオタクが野暮ったい格好をしているわけではないとわかっているけれど、インスタでみずみずしいデザートとのツーショットをアップしていそうな彼女が、ツイッターのメディア欄を『戦利品』で埋め尽くしているのにはどうしてもギャップを感じてしまう。

 多方面に失礼だと自覚しつつ、美鈴は彼女を、人は見た目によらないのお手本だと思っていた。


 そんな奈子の、いろんなキャラクターのデフォルメやイメージアイテムを模したストラップたちの中に、ひとつ場違いのように紛れ込んでいるピンクのイルカがいる。キャラクターのストラップたちは美鈴には評価しづらいが、そのイルカは、率直にはちょっとダサいと思ってしまうちゃちな代物で、実際、水族館の量産型お土産品だ。

 片割れの青いイルカが、奈子の彼氏のスマホにぶら下がっている。『推し』も彼氏とのペアのストラップもごちゃ混ぜにして楽しそうに使っているのが、奈子のいいところのひとつだな、と思う。


「愛、重そうだね……」

「愛ってそんなものでしょ」


 けろっと言って笑う奈子は、ストラップを揃えてテーブルに置き、「軽い愛なんてそんなにないよ」と続けた。


「ちょっと好きになる、とかないの?」

「そりゃあるよ。でも、ちょっと好きかも~くらいじゃ食費を犠牲にしてバイト代を注ぎ込んだりしない。食費犠牲にし始めたら愛でしょ」

「食費を犠牲にする手前の愛はないの?」


 奈子はさらりと食費を削ると言うが、美鈴としてはそこまでいかなくても何かを愛している人はいると思う。食費を犠牲にするほどでなければ愛じゃないと言われてしまったら、美鈴は何も愛せない人間かもしれない。


「あるけどさ」


 肯定しつつも、奈子は難しい顔をしていた。


「食費に食い込まないくらいの、無理しない範囲で好きでいようって思っても、難しいんだよね。気づいたらどこなら節約できるか考えちゃう」

「なるほどね……」


 美鈴は奈子の手元に目をやりながらうなずいた。

 大学生協様々の格安日替わり定食を食べる美鈴の隣で、奈子が手にしているのはひとつ百円(税抜)のメロンパンだ。

 大きなメロンパンが百円なのも十分安いのだろうが、問題なのはその安いメロンパンひとつきりで昼食を済まそうとしている奈子である。

 奈子は家庭教師のバイトをしていて、社員食堂のホールスタッフをしている美鈴よりずっと実入りが良い。美鈴はいまいち人付き合いが苦手だから、奈子に誘われたときに断ったものの、丸三日悩んだ程度には時給は魅力的だった。

 その奈子が、美鈴よりもわびしい昼食をとる羽目になった原因こそ、彼女の『推し』なのだ。そもそも、家庭教師のバイトをしている理由も、効率的にお金を稼いで金と時間を推しに使うためだという。


「だからそう簡単に意思で抑えられるものでもないのよ。気づいたら自分の何かを犠牲にしちゃってる。そういうのがわたしにとっての愛で、だから、ま、重いよね」

「たしかに……」


 奈子の言うとおり、何かを犠牲にしている感情や行動を軽いとは、美鈴にはとても思えない。


「けど、このあいだみたいにパンの耳だけっていうのは、ちょっと心配だなあ」

「このあいだのはさすがにたまたま! グッズの発表が被っちゃったんだもん、仕方なかったの」


 奈子は身を乗り出し気味に言って、メロンパンの最後のひとかけらを口に押し込んだ。美鈴の白身魚のフライ定食はまだ半分ほど残っているが、いつもパンひとつやそこらで昼食を済ませる奈子と、週の半分は定食を利用する美鈴で食事の早さが揃わないのはいつものことである。

 奈子も美鈴も、今さらそこを気にすることはなく、同じ調子で話を続けた。


「それにしても幽霊かあ。ミカミくんみたいな人がいたらいいのにねえ」

「誰?」

「○※◇×♪■▽◎! の主人公。霊媒師なの」

「……へえ。霊を祓ってくれるの?」


 奈子の口にした前半がうまく聞き取れなくてもたいして問題はない。何かのアニメか漫画かゲームか小説のタイトルだ。美鈴もそこそこ有名なものだったらわかるが、奈子の守備範囲は広大で、その領域に至るには数年の修業が要りそうだ、と前々から思っている。


「ううん。ミカミくんは祓うんじゃないの。話をして、願いを叶えてあげて、成仏に導くんだよ」

「…………。へえ」


 私、ミカミくんになるかもしれない。


 そんなことを言えば話がややこしくなるから、美鈴は黙っていた。


「ねえ、美鈴の幽霊はどんなふうなの?」

「私のモノみたいな言い方やめてよ。どんなふうって?」

「見た目とか、声とか」


 奈子は目をぱっちり見開いて、興味津々に聞いてくる。頭の中で何かのストーリーが始まろうとしているんだろうな、と思いながら答える。


「うーん……。幽霊としては変、人としては普通」


 自分でもおかしな表現だと思った。奈子はもっとわけがわからなかったろう。メロンパンの包みを両手で丸めながら首をかしげていた。


「どういうこと?」

「全然幽霊っぽくないの。透けてるだけの、そのへんにいる男の子って感じ。同い年くらいで、髪にくしゃくしゃの寝ぐせがついてて、ゆるーいスウェット着てる」

「それだけ?」

「うん」

「血が出てるとか、何かはみ出してるとか、げっそり痩けてるとか、逆に目が爛々としてるとか、ないの?」

「ない。何なら普通に歩くし、転んでたよ」

「転んだぁ? 幽霊って転ぶの? 階段を蜘蛛みたいなヘンな動きで降りてくるのは、映画で見たことあるけど」

「そういう不気味な感じは全然ない」


 奈子の言っているヘンな動きがどんなものか、美鈴もぼんやり思い当たるものがある。この国のホラー映画の代表的な作品だろう。

 美鈴の幽霊は、あの女性やその子どもとはほど遠い。


「じゃ、ホントに怖くないんだ?」

「うん。怖くはないな」

「のわりに浮かない顔だね」

「んー……。まあ、金曜の夜に出てから、夜な夜な……あ、土曜日は昼にも出てきたな。そんな感じで出没するものだから、どうしたらいいかわからなくって」


 幽霊の未練の件はぼかして答える。美鈴が本気で悩んでいることなら奈子も真剣に相談に乗ってくれるだろう。けれど今はまだ、美鈴自身どう受け止めたらいいかわからない幽霊の気持ちを、奈子に筒抜けにするのはさすがに幽霊に悪いような気がした。


「塩とか、ファブリーズとか、効かないの?」

「塩は効かないっぽかったな。ファブリーズ?」

「除霊に効くってうわさ」

「へえ。幽霊と菌って同じようなものなのかな」

「ケガレって意味では同類なんじゃない?」

「……そっかあ」


 美鈴は幽霊の姿を思い浮かべて、納得はしないもののとりあえずうなずいた。ケガレ、という表現にひっかかりを覚えたのだ。


 美鈴の部屋に出るあの幽霊は、ケガレっぽくない。幽霊という時点でアレなのは確かだが、でも、どこにでもいそうで、ちょっと気弱そうな男の子を、ケガレと呼ぶのには抵抗がある。もし、あの幽霊が出没するのが美鈴の部屋ではなく、近所の公園あたりだったら、少しも困ることもなかったろう。


 悪いモノじゃないんだよね。たぶん。


 奈子にケガレと称されたことで、うっかり庇う気持ちが芽生えてしまった。そう悪くもなさそうなものを、ケガレと呼んではばからない人間ではありたくない気持ちがある。


「でも、悪霊とか怨霊とか、そういうタイプじゃなさそうだから、もしかして除霊もしにくいのかも。悪いものを祓うって感じではないし」

「化けて出てるって時点で、なにかしらあるんじゃないの?」

「ううん。それがね、本人は何にも憶えていないって言うのよ」

「ハァ? 本人って、会話したの、その幽霊と?」

「うん。だって、あっちが普通に喋るし」


 ぎょっと目を剥いた奈子の反応を見て、美鈴はうかつだったかな、と今さらながらに思った。得体の知れないものの声に応えていけないのは、ホラーの定番だ。


「まあ、美鈴って話しかけられるのを無視できないタイプだもんね」


 でも美鈴のうっかりを、奈子は仕方がなさそうに笑っていた。美鈴は街中で声をかけられて、立ち止まると面倒なことになるとわかっているのに、無視をして歩き続けるのも苦痛に感じてしまうたちだった。かまわず歩いていく周りの人たちみたいに、美鈴もうまくやりすごせるようになりたいのだけれど、なかなか平気になれない。自分がとんでもなく悪人になったように感じてしまう。


「もう話しかけられても応えないほうがいいかなあ」

「今さらじゃない? それより、話の中から何かヒントを拾ってみるとか? 成仏の。それこそミカミくんみたいに」

「本人、何も憶えてないらしいけど」

「でも習慣だったり癖だったり、ぽろっと出るものじゃないかな? 些細なことからでも、むしろそれこそが糸口だったりするよ。子どもの勉強もそう。性格も得意不得意も原因もひとりひとり違うから、勉強を教えるって前に、それぞれの子のことを知るのが大事なのよね。学校に比べたら、それがじっくりできるのが家庭教師だし」


 奈子はメロンパンの袋の端をいじりながらさらりと言うけれど、美鈴にはそれが難しいのだ。


 相手を知るには、相手に踏み込む必要がある。でも、相手の領域にどこから入ってゆけばいいのかわからない。玄関を見つけられずに、塀の周りをぐるぐる回って様子をうかがうだけで疲れてしまう。


「えらいなあ、奈子。金と効率なんて言いながら、すごくちゃんとやってるよね」

「子どもたちにとって、家とか、部屋に上がり込んでくる他人なんだもん。一対一で信頼できないと、勉強どころか一緒にいるだけでしんどいじゃん」

「それはそうだろうけど……奈子は、仕事だからってだけじゃないなって思うよ」

「逆だよ、逆。ちゃんとやらなきゃ、なんにも始まらないの。もちろん、それが嫌じゃないっていうか、むしろ好きだからこのバイトやっていられるんだけど」


 少し気恥ずかしそうにしつつも、奈子は真面目な口ぶりだった。バイトや子どもたちのことは推しのような熱量で語ったりしないのだけれど、ときどきこぼれる話には、いつも奈子の温かさが滲む。


「奈子は、将来は学校の先生になるの?」

「教職課程取ってるけど、決めてはないなあ。学校の先生より家庭教師のほうが好きかもしれないって思う。でも、教育実習に行ったりなんかしたら、また変わるかも。けど、一般企業就職も考えることあるし、今はまだわかんないな」

「就活、来年じゃん」

「そうだけど、専攻も始まってない、教職課程もまだこんな中途半端で、何か判断できないよ。早すぎるのよね、就活。ってか、大学生活」

「あ、おんなじこと思ってる」

「だよね~」


 笑い声のあいまに、美鈴は冷えてきたご飯を口に運んだ。きのう一昨日とひとりで食べたカレーは、冷める間もなく食べきった。奈子と一緒だから多少冷めたご飯も気にならないけれど、もしひとりだったらもっと冷たく感じる気がした。

 来年には就活が始まって、卒業して就職して、ひとりで暮らしながら社会人になる自分を想像してみる。

 会社では、大学よりももっと、人と仲良くなれないかもしれない。

 間違っても同僚や先輩と仲違いなんてできない。だけど、誰の機嫌も損ねずにうまくやっていくことが、果たして自分にできるんだろうか。


 なんとかできたとして、いつまでそんな氷の上を渡るみたいな過ごし方をしないといけないんだろう。


「美鈴? どうしたの?」

「あ、……ちょっと、考え事」

「幽霊のこと?」


 奈子が心配そうに美鈴の顔をじっと見てくる。不躾なほどの視線は、奈子の本気の気遣いのあかしでもあった。

 人によっては不快に思われかねないリスクを負って、奈子は美鈴に踏み込んでくれる。


 奈子みたいにできたらな、と思うこともある。


「ううん。就活とかのこと。憂うつだなあって思ってたの」

「気持ちはわかるけど、今から憂うつなのは気が早すぎるって。それより、目の前の幽霊のことを考えなよ」

「うーん、それは現実逃避したい気分」

「逃げてても宿題は片付かないんだぞ~」


 先生の口調で奈子が言って、笑う。

 奈子みたいに、と思うたび、本当に美鈴が奈子と同じような人間だったら、こんなふうに仲良くなっていないだろうな、とも思う。同族嫌悪とは言わないまでも、なんとなく、自分と奈子に違いがあるから、一緒にいてこんなに楽しいんだと思える。奈子と美鈴で考えることが違うからこそ、あちらこちらへ寄り道しながらたくさんの話ができる。

 奈子の言動を嫌に思う子も世の中にはいるだろう。でも、美鈴は、ときどきイラっとすることはあっても、奈子が好きだ。


「大丈夫だって。美鈴はやればできる子だから」

「やれば、かあ。やるのが難しいんだけど……」

「ひとつずつ考えていったらいいのよ。とりあえず、幽霊ともっと話してみて、何かきっかけを掴む」

「怒らせたらどうするの?」

「こっちに非があると思えば素直に謝る。誤解されてるなって思ったらわかってもらえるように口説く」

「口説くって」


「愛をもって接するのよ」


「愛かあ」


 愛よ、と繰り返す奈子は、やはり推しについて話しているときより穏やかで、けれど浅はかではなく、陽だまりのようだった。

 奈子のように愛することが、自分にできるだろうか。


「私、苦手かも。何かを愛するって」


 美鈴なりに大事にしていたつもりでも、彼氏は美鈴と付き合っていてもつまらないと言った。言われてみれば、美鈴もまた、奈子から感じる温かさや、あるいは熱量を、彼氏に向けていたとは思えない。


 きっと、何かを愛するのが苦手な人間なのだ。


 美鈴が自分についてそう結論づけたとき、まるで美鈴の内心を読んだかのようなタイミングで、奈子が言った。


「そんなことないでしょ、美鈴は。わたしより愛が深い人間だよ」

「奈子より、はないよ」

「あるって。美鈴はわたしの愛の一端しか知らない。でも、わたしはわたしの愛の全容を知っているのだよ。そのわたしが言うんだから、間違いない」

「お……おお……」


 奈子に語られると、どうにもそれっぽく聞こえてしまう。

 美鈴の胸のあたりを指さすジェスチャーまで加えて、芝居がかった振る舞いにも見えるけれど、本人はべつに演劇部だったりする経験はないらしい。


「美鈴なら、そう身構えず、話を聞いてあげたらいいと思うよ。あ、変に遠慮しないってのは、美鈴には必要かも」

「変かそうじゃないかがわかんない」

「人間、そういうもんだって。わたしだって傍からみたらだいぶ変でしょ」

「奈子は開き直ってるんでしょ」

「ああ、そうそう。開き直りもときには大事だよ。好きなものは好き、どうにもならないんだからさあ」

「そうやって食費が削られるわけね」


 話がズレた。


「開き直り、か。まあたしかに、あの幽霊相手に遠慮してても仕方ないのか」

「いきなり自分ちに出てきた幽霊相手に遠慮するほうが変でしょ」


 話をずらしたかと思えば、急にまともなことを言う。美鈴は、「まあ、そう」となんとなくうなずかざるをえなかった。


「遠慮せずに、成仏を目標にして……あー、どうにも本人にやる気が感じられない」

「そこを愛で何とかするのよ」

「簡単に言うなあ。宿題をやらない子どもとは違うんだよ」

「モチベーションを引き出すってとこは一緒でしょ」


 美鈴は、いっそ奈子を引っ張ってきて幽霊と対面させたらうまくいくんじゃないかと思った。もちろん、まだ美鈴自身もそこまで頑張っていない状況で、奈子にそんな迷惑はかけられないし、あの幽霊が奈子に懐くところを想像したら、それはそれで複雑な気分になってしまった。


「……まあ、なんとかやるしかないか」

「頑張ってね、美鈴。でも、頑張りすぎないで、困ったらいつでも頼ってね。お祓いとか、専門家に頼ることもできるし」


 ところどころふざけながらたどり着いた結論なのに、ちゃんと真面目に気遣ってくれるのも、奈子のいいところだ。


「それ、ネットで検索したらなんかうさん臭くて、不信感ある」


 美鈴がため息をつくと、奈子は可笑しそうに声を上げて笑い、


「そういう人たちと幽霊、どっちがうさん臭いのかね」


 と言った。

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