7 新たなステージへ

 新しいオモチャにウキウキのロッサ・ウォーガード視点


 新たに一つの機体となったドーサン・デルタは高度を落とさずに飛び続ける。

 ドーサンの推進剤には限りがある。無制限にこのまま飛び続ける訳には行かないが、まだ打ち上げ式タンクのロケットには点火していない。それというのも。


「シグレ、タンクのロケットの出力調整がおかしいんだが」

「残念、それはデフォルトでその状態。無人のタンクを軌道上に適当に送り込むためのロケットだから、弱・中・強の三段階しかない」

「細かな制御は効かないのか」


 仕方ない。基本的には弱で運用かな。

 僕は膝の上の華奢すぎる肉体を思う。無人機の強の噴射に耐えるの不可能だろう。


 機体を旋回させる。ブラウの自転方向に沿った進路をとる。

 大気圏離脱はどの方向へでも可能だが、他の天体と軌道の方向を合わせておかなければ後で面倒なことになる。


 ?


 何かカンが働いた。何かがおかしい。

 機体をチェック。異常なし。

 外部環境をチエック。異常なし。

 レーダーとその他の観測機器をチェック。接近中の物体あり。


「どうしたの?」

「衛星軌道上からこちらへ近づいてくる物体がある」

「なんですって?」


 僕よりもシグレの方が機体とダイレクトに繋がっている分、情報を得るのが早い。


「数は1ね。かなり小型。宇宙機というよりもミサイルの弾頭ぐらい。……訂正するわ。数は10。ここだけではなくかなり広い範囲に満遍なく降ってくる」

「レーダーでロックオンしていた奴か。こちらを見失ったので観測用のドローンを降下させるのだろう。ひょっとすると核ミサイルの絨毯爆撃でこちらを燻り出すつもりかも知れないが」

「核はないでしょう。ガスフライヤーがバラバラに分解して爆発したのなら、最初に心配するのは生存者の有無。いきなり攻撃はしないはず。ヴァントラルがとどめを刺しに来たのなら分からないけど」

「ヴァントラルならば犯行声明を出して終わりじゃないかな。最初からアキツの破壊のみが目的だったような顔をして作戦成功の声明を出すのがテロリストとして正しい姿だと思う」


 攻撃である可能性は低い、か。

 ならばどうするか?

 選択肢は2つ。

 見つからないことを祈ってこのまま飛び続けるか、打ち上げ式のタンクに点火して軌道上に上がるか、だ。


 飛び続けるのは、無いな。


 それで発見されない保証はない。動力を切って滑空するとか、墜落していく破片を装うとかの方法もあるが、どれも確実性に欠ける。時間が経って相手が諦めてくれるなら良いが、有人の宇宙機や観測網がこの辺に集まってきて詰みになる可能性もある。


 それに、ドーサンの推進剤はこれ以上浪費したくないし、高度も下げたくない。


 推進剤はタンクの中に売るほどあるが、大気圏内を飛行中ではそれをドーサンに移す方法がない。

 ドーサンのコクピットはシグレによればメーカー品で信頼がおけるそうだが、外部の気圧がこれ以上高くなるとどうなるか。気密性が高いと言っても、通常の宇宙空間とは気圧がかかる方向が逆だ。どんなに良心的なメーカーでも外部から10気圧・20気圧がかかるようなテストはしていないだろう。


「発見されるのを承知で飛び出すしかない。覚悟は良いか?」

「私も下手に逃げ隠れするよりもその方がいいと思う」


 シグレの物言いは僕の思考とはずれている気がする。

 僕はドーサン・デルタを操ろうとした手を止めた。


「どういう意味?」

「失礼なことを尋ねるけど良い?」


 僕の顔を斜め下から見上げてくる。膝の上に乗ってなお、彼女の目線は僕よりもかなり下にある。


「言ってくれ」

「ロッサって10歳かそこらなのよね」

「そうだが、ホルモンのバランスや神経系の成熟度は成人のものだ。子供らしい落ち着きのなさとは無縁だ」

「それは事実なのでしょうけど、それでも生きてきた時間の長さは経験の無さに直結している。私だって子供の頃にカプセルに入れられて、まともに人生経験を積んでいるとは言えないけど、全くのゼロよりはマシ」


 確かに耳に痛い発言だ。

 僕には欠けている部分がある。それは事実だろう。


「それで、僕にはない経験は何を教えてくれるんだ?」

「人間の社会を、かな」

「確かに分からないな」


 僕には彼女が何を言おうとしているのか見当がつかない。


「今のロッサは昔私が罪を犯した時と同じだと思う。自分の専門分野には詳しくても、それ以外の部分は見えていない」

「続けて」

「ロッサはこれからどうするつもり? 墜落するアキツからの脱出には成功した。惑星ブラウからの離脱の準備はできた。その先は?」


 答えようとして、僕は言葉に詰まった。確かにその先は白紙の地図だ。宇宙に敵が居れば叩き潰す。居なければ生存のための物資を求めて移動する。その程度だ。

 確かに、僕はどうすれば良いのだろう?

 立ちはだかる者を全て打ち果たし、略奪者として宇宙海賊として生きる?

 それが非現実的なのは僕にだって分かる。


 僕は首を横に振った。


「そこから先はノープランだな。いや、一つだけ物資の補給先に心当たりがある。頼んで良いか?」

「何を?」

「このドーサンの出発宙域の探索だ。これから何をするにせよ、ヴァントラルが僕の敵になるのは間違いない。こちらから襲撃をかけて、ついでに必要な物資を奪い取る」

「うわぁ。私が想像していたよりも少しだけマシで、10倍物騒だった」


 どっちだよ。


「分かった分かった、そっちも調べてみる。でも、これから先、一番問題なのはヴァントラルじゃない。人類連合の宇宙軍とブラウ保安局。そしてそれらを支える人間社会そのものね」

「ん?」

「テロリストとして造られた人にはピンと来ない? あなたの製造元であるヴァントラルがゲリラ戦を挑んでいる相手が人間社会だと言えば、その強大さが理解できるかしら」

「なるほど、ヴァントラルよりも数倍デカい相手なのは理解した」

「大きさで言うなら一万倍でも控えめすぎるぐらいだけどね。その圧倒的に大きな物のバックアップを受けている武装組織が宇宙軍と保安局な訳。ちなみに他星系にまで広がる大規模組織が宇宙軍でブラウ惑星系のみを対象にするのが保安局ね。職務が被っているせいで喧嘩したり協力したりイロイロやっているみたい」

「ほぼ無制限な補給と支援を受けられる武装組織が二つあると言いたい訳だな。こちらの補給が不安な状況で万全な補給が受けられる相手との戦闘は確かに避けたい」

「……大体そんな感じ」


 観測用ドローン(仮)を投下してきた組織がそのどちらかだとすると、戦闘よりも逃走を主体に考えるべきか。

 などと思っているとシグレがため息をついた。


「言っておくけど、人間社会とはそもそも敵対した時点で駄目だからね。保安局に目をつけられたらどこのステーションにも立ち寄れなくなるし、真っ当な手段では補給を受けられなくなる。戦わずに逃げたってそれは同じ」

「では、どうするのだ?」


 逃げてはダメ、戦ってもダメ。

 ならばあとは見つからないように隠れるぐらいか? それが正解ならば今宇宙へ飛び出すのは避けたほうが得策だが。


「ロッサって本当に、戦うことにしか頭が働かないのね。普通の人間は戦ってはいけないと言われたら、まず話し合いを考えるものよ」

「交渉するにせよ、力の背景は必要だろう。十分な力なしで交渉に入っても無条件降伏にしかならない」

「それもまた事実かもしれないけど、最初から力で威圧するのは絶対にダメ。まずは話し合いから入ってただの無法者じゃない事を見せないと」

「ふむ」

「納得がいかないかも知れないけど、ヴァントラル以外の組織が相手だったらこちらから攻撃するのは絶対に禁止。まずは私が交渉するわ。良い?」


 よく分からないが、彼女がこの件に関しては僕を全く信用していないのは理解した。

 確かに直接戦闘以外の事柄では僕は経験どころか学習にすら乏しい。僕自身でも自分を信用できない分野だ。


「わかった、お手並拝見といこう」


 相手が敵対の意思を見せたら遠慮なく叩き潰せばよい。


「本当にわかってる? そこはかとなく不安なのだけど」


 そこが不安なのは仕方がない。僕だって彼女のことを完全に信頼しているわけじゃない。彼女に交渉の全てを任せたら、僕を引き渡すことで自分の安全を買うかも知れない。僕らがお互いを必要とするのはこの星から脱出するまでだから。


「そんな事より、落ちてくる物体が大気圏突入を始めた。相手が赤熱している間にこちらは離脱するぞ。向こうのセンサーの能力が制限されている瞬間を逃す必要はない」

「それは同意するわ」

「現時点での目的地は衛星軌道とのみ設定。ドーサン・デルタの質量も総推力も曖昧だ。適当にフィーリングで操作する」

「真っ当な宇宙旅行じゃないわね。それより、大丈夫かしら。ブースター代わりのタンクに点火したら機首が下に向かない? タンクは機体の上側にあるわけだから」

「ニュートン力学だとそうなるけど、流体力学まで考えるとどうかな? 翼の上に大きな空気抵抗になる物体が乗っているわけだから、逆に機首が上に向きそうだ。というか、今現在すでにそういう力がかかっている」


 ドーサンの主翼で押さえつけているだけだ。


「細かい調整はタンクの向きを変えてどうにかする。多腕式の腕で掴んでいるだけだから自由度は高い。……もう時間がない。カウントダウンは省略。点火するぞ」

「ん!」


 シグレは悲鳴を上げようとして、その声をGに殺された。打ち上げ式タンクを最小パワーで動かした影響だ。

 と言ってもそんなに強いGではない。3Gぐらいだろうか。僕にとってはシグレの体重分も含めて負荷がかかってきても何の悪影響もない、そんなレベル。

 しかし、液体に満たされたケースの中に浮かんでいたシグレにとってはこの程度でも相当に辛いようだった。


 ドーサン・デルタは突進した。

 最初は機首が下がりそうになり、速度が上がってくると今度は上昇に転じる。

 タンクを保持するアームの向きを操作してひっくり返るのを防止する。


 前方は宇宙だ。

 水素とヘリウムの大気の透明度は高い。地球何個分にも及ぶ厚みがあれば不透明にもなるが、通常ガスフライヤーが飛行する程度の高度では宇宙まで素通しで見通せる。

 また、ガス惑星の空は暗い。主星からの距離が離れているので昼の側でも地球の月夜と大差ない。この星では夜空だけで青空はないのだ。


 遠い空で、赤熱した輝きが落下してくる。

 観測ドローンかミサイルか。

 どちらであってもこの距離なら問題ないはず。たとえ核弾頭でもこれだけ離れていれば効果はない。反物質弾頭ならば別かもしれないが、僕らを殺すためだけで惑星ブラウの環境を大きく掻き乱すような攻撃はしないだろう。


 赤い輝きとドーサン・デルタは大気圏で入れ違いになる。


 もう大気が薄い。

 空力はほぼ意味をなさなくなる。真っ直ぐ進むためにタンクが底面装甲を前にささげ持つような姿勢になる。空気抵抗さえなければこの姿が一番合理的だ。


 そろそろ衛星軌道に乗る。

 しばらくは慣性飛行にしても大丈夫だ。僕はタンクのロケットを止める。

 シグレの顔を覗き込む。

 顔色は悪い。

 たかが3G程度に耐えられなかった?


「体調は?」

「ダメみたい。体が動かない。力が入らないわ」

「どこか折れたりは?」

「それは大丈夫だと思うけど」


 シグレのどこが悪いのか考えてみる。

 僕は医学とは無縁だ。僕らタイプオーガと医学とは縁があるはずがない。大抵の異常は放っておけば治る。それで治らない異常なら普通は間違いなく死んでいる。


 でも、よく考えてみると、シグレの症状にはとっても当たり前な理由が当てはまるかも知れない。


「念のために聞くけど、シグレはあのケースにずっと閉じ込められていたんだよね」

「そうよ」

「その間、栄養は血管に直接流し込まれていた」

「そうね」

「ならば消化器の中は空のはずだ。胃にも腸にも何も入っていない」

「私はお腹が空いているの? これが空腹なの?」

「飢餓と呼んだ方が近いかも」


 僕は水とカロリーバーを取り出した。

 彼女は水は飲めたが固形物はダメなようだった。


 僕は少しだけ悩んだ。ミキサーとかジューサーとか、その手のものはここにはない。

 僕はカロリーバーを噛み砕き、咀嚼した。

 そしてシグレと唇を合わせる。

 彼女は最初だけ抵抗したがすぐにおとなしくなった。僕が咀嚼したものを素直に少しずつ飲み込む。


 どれだけの時間そうしていただろう?

 ただの食事にそう長時間かけたはずは無いのだけれど。


 僕とシグレはほぼ同時に身を強ばらせた。

 指向性の強いレーダー波がドーサン・デルタを襲う。新たなロックオンだ。


 レーダーの来る方向を探る。

 比較的近い。一万キロかそこらだ。

 葉巻型の胴体を5本束ねたような構造の宇宙機がそこにいた。ミサイルランチャーやレールガンがあちこちからこれ見よがしに突き出ている。ドーサンとは違って大気圏突入は考えていないスタイル。そして間違いなく戦闘用の宇宙機だ。


「ガスフライヤーの修理補給基地に所属している機体。それも宇宙軍の駐在武官用の機体よ」

「そう、だな」


 作戦開始前に僕も見せられた。ガスフライヤーを補給基地に突っ込ませる時に最大の障害になり得る機体だと。なるべくこいつに邪魔されないように動け、と指示が出ていた。


 空間制圧宇宙機アラクネー。

 それがこいつの名だ。


 火力はこちらの数倍。戦闘訓練を積んだ正規の軍人が乗っているだけでなく、その軍人も最低でも宇宙用強化人間タイプホビット。僕と同じタイプオーガである可能性も高い。


 強敵だ。

 僕の手が無意識のうちにドーサンの操縦桿にかかる。その手をシグレの小さな手がそっと抑えた。


 そうだった、ここは彼女に任せる約束だった。

 とりあえず手を引こう。


 そう思った時、ゾクっとした。

 新たなロックオン。それも複数。多方向から。


「アラクネー型の宇宙機、新たに三機を確認。合計四機に取り囲まれているわ。あれは補給基地の駐在武官の機体。そして補給基地は6つあるの。全機が出撃したとは限らないけど」


 なるほど、これが人間社会を敵に回すということか。

 一対一でもキツい相手が複数で襲いかかってくる。そしてここを切り抜けたとしてもおかわりはまだまだ沢山あるんだな。


 僕は、微笑みを浮かべていた。

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