4 平和と繁栄を希求して

 囚われの乙女、シグレ・ドールト視点。


 全てが終わり全てが変わったその日、私の目覚めはいつもと変わりが無かった。

 もっとも、私の夜は短い。脳を休め記憶を整理するための眠りがほんの二時間だけ。透明なケースの中を標本のように揺蕩っているだけの肉体は休息など必要としない。


 私の名はシグレ・ドールト。

 この世で一番に知力に優れた強化人間タイプヴァルカンの一人。そしてこのガスフライヤー『アキツ』の囚われ人。

 私はもともと原種に近い、一般人の両親のもとに生まれた。おそらく両親が共にタイプヴァルカンの血を引いていたのだろう。いわゆるチェンジリング、隔世遺伝というやつだ。


 タイプヴァルカンの子供を育てることは難しくない。少なくともオーガの子を育てるよりは遥かに楽だ。しかし、負担がないわけではない。

 ヴァルカンは原種の人間よりも寿命が長く、子供時代も長い。今の私も外見年齢は10歳かそこらだが、生きてきた年月は20年を超えている。そして、好奇心が旺盛でその姿で高等教育を受けたがる。


 一般の人間だとどう扱えば良いのか分からなくなる、という事で私が親元から離された。親も納得していたそうで特にトラブルにはならなかったらしい。私が物心がつく前の話だけれど。


 私はほんの小さな頃から情報処理機械をオモチャにして育った。朝起きたら電子の海で泳ぎ、この優秀な頭脳いっぱいに世界の情報を収集する。

 自分でも知的な機械を創り出し、自由自在に操る。

 人形使い、などという異名からドールトという姓を自分でつけた。


 その過程で、私は少しやり過ぎてしまったらしい。

 あるいは、私を引き取った組織が「知識の量は良識や人間性を保証しない」ということを承知していなかったのか。

 ひょっとしたら、組織は全て承知の上で私を泳がせていたのかも。私が手酷い失敗をするまで放置して、その後の展開につなげたのかも知れない。

 とにかく私はあちこちハッキングして大惨事を引き起こした。そして保護監査処分?

 どこが保護なのか分からないけれど。


 私は野放しにしておくにはあまりにも危険だとみなされた。だから自由が消えた。檻の中を歩く自由すらない、透明なケースの中に入れられた。

 まるで標本のように。

 思考の自由も行動の自由も全て奪われて、宇宙機の制御装置として扱われることになった。


 変化のないただの宇宙空間を航行する宇宙機に私を用いるのはもったいない。

 そう思われたらしく、私は惑星ブラウ大気圏内を飛ぶガスフライヤーに搭載された。

 アキツ以外のガスフライヤーがどのように制御されているのかは私は知らない。私と同様な実質生体コンピューターが導入されているのか、別の方法を取っているのか。私がそれらの機体とコミュニケーションが取れなかったのは確かだけれど。


 私に自由意志はない。

 ケースに入れられて3年ぐらい経った頃から、少しだけ任務について考えることは出来た。そこから発展させて狭い領域でのみ思考の自由を獲得した。


 この自由は果たして救いだっただろうか?


 ほんの僅かな思考の自由のために私はケースから出たいという渇方を得た。

 もっともっと、自分の能力を奮いたいという欲求もあった。

 その欲求に後押しされて、私は自死するための方法を探した。アキツのアレコレに干渉してガスフライヤーを丸ごと分解するコマンドを確立した。

 本当に死ぬとなると勇気がなくて実行はできなかったけれど。


 そして運命の日がやってきた。

 その日は私がケースに入れられてからピッタリ10年後だった。


 目を覚ましたあと、私はいつものように睡眠中の異常を探した。予測により上昇気流が強い空域だと分かってはいた。

 レーダーに感あり。

 下から吹き上がってくる風の中に大きな物体が混ざっている。


 それ自体は珍しくはあるが、無いことではない。

 この星には数は少ないが現住生物がいる。長い帯状の身体で風に乗るコンブ。わずかな熱源を頼りに熱気球として浮遊するウミツキ。その他の微細な生き物たち。

 通常、彼らはガスフライヤーが飛行するよりも低い高度に存在するが、稀にこちらの高さまで昇ってくることがある。彼らとこちらでは速度が違うので害になることは無いのだが、今回は気になることがあった。


 コンブたちの中に人工物がある。

 いや、一つの人工物に多数のコンブが付着して空気抵抗を増大させている。上昇気流に乗って昇ってくる。


 私は警報を鳴らした。

 危険な物だとは思わないが、異常な事態ではあるからだ。


 同時に人工物の外形を測定。過去にこのブラウで使用されたすべての機械と照合する。

 完全に一致する物はなかった。が、かつてブラウの調査中に消息を絶った飛行可能宇宙船ビークルの一部分ではないかと推測できた。コンブが付着している理由は不明だが、ブラウの大気中で固体の存在は貴重だ。少しずつでも分解して養分にするつもりだろう。


 アキツに乗る人間の乗員たちは最初は簡単にデータを取るだけで通り過ぎるつもりだった。

 その予定が一変したのはビークルの残骸の中に超空間航行機関が含まれていることがはっきりしたからだ。

 超空間航行機関はいわゆるオーパーツだ。人類の通常の科学力では製作することができない。現存する機関をもとに複製することは可能だが、莫大な資金と資源が必要になるらしい。

 私にも正確なところは分からない。

 間違いないのはビークルの超空間航行機関を回収すれば大きな収入になるということだ。


 私の収入にはならないと思うけど。


 でも、お宝への接近、回収は私にも楽しかった。乗員たちの能力では回収作業は不可能で、私に機体の操作権限が大幅に移譲されたから。

 本来想定されていないホバリングで低速接近を行い、宇宙空間専用のはずの多腕式宇宙機を出してビークルを解体。超空間航行機関の本体である真っ赤な球体を取り出した。


 名前を覚える気にもならない機長が誉めてくれたけど、別にコイツのためにやったのではない。

 ベーーーだ!


 これだけでもずいぶんと密度の濃い一日だったといえる。

 でも、これからが本番だった。


 下かと思えば今度は上。

 大気圏外から私をめがけて降下してくる四機の宇宙機があった。


 正直言って、混乱した。


 ビークルの発見・回収作業についての報告は済ませていた。だけど、それを聞いた上でここへ来るのは早すぎる。これではまるで、私が回収を終えるのを待っていた様じゃない?

 それなのに四機は戦闘隊形で無警告で降下してくる。


 そんなのあり得ないってば!


 降下してくる機体の反対側に逃げようとする乗員を無視して、私はアキツを小型機たちの下を潜るように飛行させた。


 でも、降下してきた機体の一機が信じられないような機動で追い縋ってきた。

 なんとか振り切ろうと思ったけれど、パニックを起こした機長に操縦権を奪われた。


「アイ、ハブ」じゃないわよ!

 こちらに任せっきりにしてくれれば最適解で動いてあげたのに。


 機長が無様な機動をしている間に他の三機にまで追いつかれてしまった。

 事態を悪化させた上で、こちらに解決を丸投げしてくる。


 どう見ても戦闘用の機体四機を相手にするのは私にだって難しい。その内の一機は凄腕だし。


 戦闘機動では勝てない。

 だけど私はわずかな勝ち筋を見つけた。私の本来の得意分野、ハッキングならば。

 戦闘用に造られているだけに宇宙機へのハックは難しい。けれど、もう一つの道があった。それを操るパイロット自身へのハッキングだ。本来ならば人間へのハックなど不可能だけれど、彼らは『私と同じように』思考や行動を規制されているようだった。

 これならば何とかなる。

 私は長年にわたってこの機能と闘い続けて来たのだから。


 私は彼らの動きを鈍らせることに成功し、その隙をついて小型機のうち一機を撃破した。


 だけどそこまでだった。

 残りの三機に次々にドッキングを許してしまう。言い訳をするなら、まさか大気圏内で強制的に乗り移ってくる相手がいるなんて、想像できるわけ無いじゃない。

 そこはこちらを威嚇しつつ降伏勧告をして来るのが鉄板だと思う。


 小型機から戦闘用強化人間たちが乗り移ってきた。

 身長二メートル超えの大柄な二人と、標準程度の体格の一人。小柄な一人が指揮個体かと思ったけれど、ハッキングを通じて帰ってくる感触では指揮権に優劣は無さそう。ただの個体差なのね。


 こちらの乗員の血の気の多い奴らが作業用重宇宙服を着て迎撃に向かった。人型のロボットか超小型の宇宙機のような最重量級の宇宙服ならばパワー負けはしない。その意見には賛成だけれども、火力と反応速度の違いはどうにもならなかった。

 彼らはあっさりと死んだ。


 機長たちはパニックを起こしていた。おかげで、一時的に私に全権が委任された。


 アキツに可能な限りのアクロバット飛行をさせて時間を稼いだ。その時間で侵入者たちの制御プログラムを解析した。彼らに自死と味方殺しの衝動を与えた。

 それだけでカタがつくと思った。

 彼らは私が思った以上に抵抗した。

 あの大きい人がミサイルを発射したのは計算外だった。確かにアレならば自殺衝動の充足と敵への攻撃を同時に行える。

 アレをみた時、私はマズイと思った。同時に拍手喝采した。迷いながらもミサイルが操縦室に到達するように少しばかり手助けした。


 ミサイルの威力は私が想像していたよりもずっと上だった。歩兵が携行する装備であんなに強力なのがあって良いの?

 操縦室の中で爆発して破片で乗組員を殺傷する程度だと思ったのに、機体のその一角を完全に吹き飛ばしてしまうなんて。


 でも、それによって私を抑え込んでいた連中は完全に消滅した。

 同時に私に貸し与えられていたアキツへの操縦権も消えていった。

 私はもうアキツを操縦できない。そしてこの機体は緩やかな降下コースに入っている。

 私はさほど遠くない未来に死ぬことができるだろう。


 私の死は確定したけれど、侵入者たちへの攻撃も手を抜いてはいなかった。

 強大な戦闘能力を持つ戦闘用強化人間たちを殺し合わせる。彼らは次々と戦闘不能になった。

 そこで私はもう一度驚かされた。

 最後に残った小柄な一人が自分のツノを撃ち抜いたのだ。自分を撃たなければならないという衝動に逆らわず、最後の瞬間にそれを捻じ曲げた。彼は自分を支配していたハードを破壊したのだ。


 私の中を衝撃が走った。


 自分をコントロールする機械を破壊する。それは私がずっとやりたかった事だ。

 ヘルメットを失った彼の顔に見入ってしまう。

 彼は特に美形という訳ではなかった。平凡な顔だ。破壊工作のために潜入するための好適な顔なのかも。でも、私の目にはその顔がとても好ましく映った。


 彼が動き出した。

 これは何?


 今までよりもずっと動きが良い。

 ひとまわり素早く、はるかに正確だ。

 繋がれていた鎖を引きちぎった野生の獣がそこにいた。


 どうしてだろう?

 私の心が震える。

 ガスフライヤーに繋がれた生を終わらせるのが望みだったはずなのに、生きていたくなった。

 私も、自分の鎖を引きちぎりたい。


 自由に飛べる翼が欲しい。

 可能ならば彼と一緒に。


 私はこの状態から生き残る方法を探した。

 とにかく、この透明なケースから外へ出なければ何も出来ない。私は自力ではここから出れない。

 答えは簡単だ。

 彼と共に動くことは生き残るための必須の条件だ。


 彼は通路の終点にたどり着いていた。

 そこは文字通りの終着点。操縦室のあった場所には惑星ブラウの水素とヘリウムの大気があるばかりだ。見えるものは遠く霞んだ空のみだ。

 さすがに彼も動きが止まっていた。


「お困りのようね」


 私は通信で話しかけた。

 彼も会話に応じてくれた。

 

 私は「シグレ・ドールト」とこの10年間ほとんど使っていなかった名前を名乗った。彼の名前は「ロッサ・ウォーガード」だという。

「ウォーガード」の姓は私のデータバンクの中にあった。戦闘用強化人間の中で実戦には向かないとされる変種に付けられる符号らしい。主に戦闘が予想されない場所に抑止力として配備される人種。だからこその戦争防御ウォーガード。私からすると彼が侵入者たちの中で一番手強かったけれど。

 まあ、身体的には彼は他のメンバーよりも一回り小さいのだから妥当な評価かも。


 私たちは生き延びるために同盟を結んだ。

 この困難が続く間はわたしたちはずっと一緒だ。病める時も健やかなる時もずっと一緒。

 そして私たちの前に困難が立ちはだからない時は多分ない。

 非合法に造られた戦闘用強化人間と法によって奴隷に落とされた情報処理用強化人間。私たちが平穏を手に入れられるほどこの宇宙は優しくない。


 彼と共に生き、おそらくは共に死ぬ。

 それが私の救いだ。


 でも、ほんの僅かな可能性でロッサと危機を乗り越えられるかもしれない。

 私たちタイプヴァルカンの始原が求めた言葉を私は口にする。


「平和と繁栄を」

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