第6話

 「どうしたの、葵。何かあったの?」


 戸惑ったように母が聞きながら、近づいてきた。

 母だけど、母ではない。そんな感覚を覚え、恐怖で目を見開いた。怖い。そんな私の前に立ちはだかるように、琥珀さんが移動する。


 「自分が乗っ取られていることに気付いていないのか……。これだと、切り離すのが大変だな……」


 言っていることがよくわからない。切り離す?そうすれば母は助かるの?


 「つっ……まだいたのか」


 琥珀さんが飛びのいてそう言った。さっきまで琥珀さんが立っていた位置から、何かが三体出てきた。


 これが悪霊……? 体が透けていて、黒い塊のようだった。よくわからないけど、怖い。


 恐らく本能的に、私はその感情に支配されていった。何も考えられない。思考が停止していく。

 視界の端の方で、琥珀さんと常盤さんが鎌をふるっていた。悪霊を切り裂いている。切られた悪霊は塵のようになって消えていった。

 倒されていない悪霊が黒い霧のようなものを出している。それに触れた私の布団や机などが、どんどん腐敗していっている。


 恐怖心の片隅で、私はここが病院じゃなくてよかった、とぼんやり思った。病院だったらきっと、他の患者さんたちが大変なことになっていた。


 ふと視線を下に落とすと、そこにいた悪霊と目があったような気がした。私はそこに悪霊がいたことよりも、悪霊に顔があることに驚いてしまった。何を考えているんだろう……。


 悪霊はにやりと笑った後、黒い霧のようなものを私に向かって吐き出した。


 「きゃあっ!」

 「葵!?」


 自分でも驚くほど大きな声を出してしまった。その声に反応したのか、琥珀さんがこっちを見て驚いていた。


 「いっ……っ、ああああっ!?」


 顔にかかるのを防ぐため、とっさにしびれている右腕を動かしてしまった。無理やり動かしたことで激痛が走り、霧のようなものが触れたことで焼けるような痛みに襲われる。


 「つ、うっ……」


 あまりの痛さに思考が停止する。腕の感覚がなくなっていく。


 「大丈夫!? って、悪霊邪魔! 葵のもとに行かせろよ!」

 「くそ、厄介な連中だ……!」


 琥珀さんと常盤さんが何か言っているが、私には聞こえなかった。もう終わりか、ここで死ぬのか、という思いが頭を埋め尽くしていく。

 

 そんなのは、嫌だ。



 「……ゃ……」


 小さく声が漏れる。怖い。こんな事で、この命を終わらせたくない。


 「嫌! こんなところで……、こんなことで死にたくない!」


 目を瞑り、叫んだ。誰かに助けを求めるように。


 こん、と音がして、目を開いた。


 「君の願い、ちゃんと聞き届けたよ」


 そう言った琥珀さんは、鎌を立てて何かをつぶやいていた。足元に魔法陣のようなものが浮かび上がっていて、近くにいた悪霊が消えていった。


 「その魔法陣……まさか、お前……!」


 常盤さんが驚いている。何だろう、と思っていると、目の前が急に眩しく光って息が苦しくなった。


 「きゃっ……、な、なに!?」

 「少し耐えてて」


 琥珀さんの声が聞こえる。言われた通り耐えていると、ゆっくりと眩しさが消えていき、元に戻っていった。


 「これでいい……。葵、突然のことで戸惑うとは思うけど、俺の指示に従って。大丈夫。死なせないから」

 「は、はあ……」


 まだ状況が呑み込めない。無意識のうちに立ち上がっていたが、どこもいたくない。腕のやけどのような跡も消えている。まるで初めから何もなっていなかったかのように。


 「葵、黄色い蝶を呼ぶんだ」


 え……? 琥珀さんは何を言っているのだろう。人間の私がそんなことできるわけ……


 『大丈夫。今回は私も手伝うから。イメージして。しびれを誘う黄色い蝶を……』


 聞こえてきた声に半信半疑になりながらも、必死に想像してみる。


 どれ位そうしていたのだろう。急に薄れ始めた視界のなか、二人の死神が鎌をふるい、その近くを無数の黄色い蝶が飛び交っていた……。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る