第15話 ヒーローとは
一歩。また一歩。
「よくぞ吼えた! 善性を糧とする精霊の力を行使する身でありながら、自ら進んでここまでの絶望を生み出すか!」
一歩とともに重さを捨て。更に一歩で気配を捨て。進むたびに不要なモノを、襤褸布の力で捨てていく。
「この場に渦巻く負の感情。それすら精霊の力を弱める毒だというのに! その上で心を修羅とするか! 実に天晴れな覚悟だ!!」
鬼が嗤い、人が哭く。それでもこの舞台には、正義の味方は現れない。
「──ならばその覚悟、試さなければ無作法というものよなぁ?」
故に非道がまかり通る。
「っ、痛い痛い痛いっ!? ヤダッ、ァァ!?」
「ぁぁぁぁっ!? 助けっ、イャァァッ!?」
宙ずりとなっている二人から上がる絶叫。それに混じるミシミシと何かの軋む音。
何が起こっているのかは明白。茨木童子がその怪力でもって、見せしめとして確保した二人の頭蓋を締め上げているのだ。
人間は脆い。ヒーローでもない限り、大鬼の怪力になど耐えられるわけがない。
「さあどうする!? このままだと更に死体が二つ増えるぞ!! この叫びを聞いてなお、貴様はコイツらを見捨てられるか!?」
死体が増える。事実だろう。茨木童子はモンスター。犯罪者が人質を取るのとワケが違うのだから、殺しを躊躇う理由がない。
「──紙の盾を掲げるか。随分と舐められたものだな」
だがそれはこちらも同じ。ヒーローではない俺が。弱者の立場を振りかざす民衆を嫌悪する俺が。何故クソどものために命を捨てなければならないのか。
絶叫が大きくなる。それでも決して足は止めない。これは悪鬼を主軸とした舞台である以上、演者には場面に相応しき立ち位置がある。
「紙の盾。なるほど。貴様の覚悟が真であるならば、言い得て妙だ。だが忘れはせぬぞ? 貴様が先程、我の投げた岩から人間どもを守ったことを。やはり貴様も精霊の契約者。その身に確かな善性が宿っている証明よ」
「……あの程度を善性と言ってくれるのか。モンスターってのは随分と甘っちょろい価値観なんだな」
思わず笑う。他者を助ける行為は決して善意とイコールではない。見返りを求めず、正義感で人を助けることがどれだけ難しいか。人ならざる怪物には理解できまい。
「確かに俺はクソどもを一度守ったさ。なにせあの子からこの場を任されたんだ。個人的な感情はさておき、任された以上は全力を尽くす」
守った理由なんてそれだけだ。ただ四条君の信頼に応えただけであり、クソどもを守りたいと思って行動に移したわけでは断じてない。
「ほう? では何故、コイツらを見捨てようとする? それだけ自分の命が惜しいか?」
「ああ、惜しいね。クソと言って嫌悪してるような奴らのために、命を捨てる馬鹿が何処にいる? 堂々とテメェが死ねと言い切るさ」
宙吊りとなっている二人が、いやこの場にいる全ての人間が絶句する気配を感じた。野良でありながらもヒーローとして数えられている俺が、そんな暴言を吐くとは思わなかったのだろう。
馬鹿らしい反応だ。心情的にはこの場に立たずに見捨てたって構わないぐらいだというのに。ヒーローに被害が出なければ、こんな面倒事に首を突っ込もうとすら思わない。
「だが、感情論を抜きにしてもだ。この状況では見捨てる時には見捨てなきゃならない。俺が死ねばこの場のクソどもだけでなく、避難途中の地域住民、お前を倒すために動員されるヒーローたちにも被害が出る。死者が増える。だから戦闘に支障をきたす場合、容赦なく俺はクソどもを切り捨てる選択をする」
大を救うために小を犠牲にする。単純明確な数字の問題であり、だからこそ大義名分たりえる。
「非道と罵るならば好きにしろ。それでも結果は変わらない。この場に残ったクソどもと、この場にいないその他大勢。天秤にかける価値すらない」
頃合いだ。目的の地点に到着した。ここで一旦歩みを止める。次にやるべきは注目集め。
さあ吼えよう。この世界の仕組みを。狂った社会の在り方を。ヒーローが犠牲となることを良しとするように、弱者とて平和のための犠牲になることがあるのだと。
分不相応は甚だ承知。その上でこの鬼の舞台で見せ場を。一時だけでも主演の座を奴から奪え!
「この場にいる奴らにはな! 『助けて』の言葉を吐く権利などないんだよ!! 自ら死地に残った奴らを助けるために、数多の命を危険に晒すような選択をしろだと? ここにいる自分たちの命は、何百何千、何万の人間よりも優先されるほど尊いとのたまうか!?」
突き付けろ。無条件で守られる立場だと勘違いしているクソどもに。自らの命の価値を高く見積もっている愚か者に、最安値という現実を教えてやれ。
「逃げるチャンスなどいくらでもあった! それでもなお留まり、話が違うと泣き叫ぶクソどもになど構っていられるか! 自殺志願者と被害者ならば、どちらを優先するべきかなど猿でも分かる!!」
少数と多数。自ら巻き込まれにいった者と、巻き込まれてしまった者。
ここにいるクソどもは前者。少数であり、自ら巻き込まれにいった自殺志願者。
数も少なく、価値も劣る。ならば命をかけてまで、大勢を危険に晒してまで配慮してやる道理などない。
「ハッハッハッ! 見事な啖呵だ! おかげで随分と居心地が良くなった! 信じていた守護者に裏切られた絶望とは、かくも甘美なものだとは!! 消耗すらも回復する勢いだぞ!!」
それほどまでの絶望を放つか。何処までも身勝手な奴らだ。
「紙の盾という言葉も認めよう。芯の篭ったその言葉。偽りなどではあるまいよ。これでは煩わしいだけだな」
「かひゅ……!?」
「クペッ……!?」
──言葉と同時に宙吊りとなっていた二人が死んだ。大鬼の怪力でもって、頭蓋を握り潰されたのだ。
「さあ死体が増えたぞ。貴様はこの結果に何を思う?」
「……非常に残念だ。遺憾の意を表明するとだけ言っておく」
「……クハッ! これほどに空虚な言葉もあるまいよ!」
笑いながら茨木童子が歩き出した。近くのクソども、まだいる人質になど目もくれず。俺の方にやってくる。……少しばかり想定外だが、こちらに近づいてくれるのなら許容範囲だ。
「やってられぬなぁ。苦労して確保した人質が、まったくもって効かぬとは。それどころか手元にいたところで邪魔でしかない。とんだ骨折り損のくたびれ儲けよ」
「言っただろう。思い通りにはさせないと」
人質の役目は、相手に行動を躊躇わせることにある。相手が人質に価値を感じていればいるほど、その効果は絶大となる。
逆に言ってしまえば、相手にとって人質としての価値がなければ、逆に捕らえてる側の行動を阻害する足枷にしかならない。
だがら茨木童子も人質を取ることを放棄したのだ。余計な隙を見せないように、無駄な殺害もしなかった。
……見捨てるという宣言で逆にクソどもが助かるとは。なんとも皮肉なことではあるが、四条君の信頼に応えれたと考えておこう。
「結局、真正面からぶつかり合うしかないということか。難題ではあるが……それもまた良し。この我、大鬼たる茨木童子の好みにもあっている。最後は鬼らしく、野蛮にいこうではないか!」
いつの間にか、彼我の距離がなくなっていた。お互いに拳が届く距離。近接の間合い。
本来ならば、会話で気を引きながらできる限り接近し、隙をついて襤褸布の力を全力行使。そのまま一気に距離を詰めて、仕留めにかかるつもりだったが……。
その必要も最早あるまい。ただこの間合いで殺し合うのみ。余計な手を打つ手間が省けた。
「それにしても、貴様は随分と異質だな。精霊の契約者でありながら、ここまで合理的な判断をするとは。負の感情を向けられることも、発生させることも躊躇わない。なんとも厄介なことか」
「当たり前だ。俺はヒーロー擬きの紛い者。比べることすら烏滸がましい」
「謙遜を。何が紛い者か。先程この場から離れた者を筆頭に、善性を好む精霊の契約者は総じて頭が緩い。犠牲を拒絶し、負担を承知で我が身を省みない愚か者ばかりだ。貴様の方が遥かに厄介よ」
お前の方が強い。お前の方が正しい。言ってしまえばそういうこと。
茨木童子からすれば、これは素直な賞賛なのだろう。
伝承に名高い怪物、百戦錬磨の大鬼としての本能が、本物のヒーローの在り方よりも、紛い者である俺の在り方の方が厄介であると判断した。
だから言った。強敵に賛辞を送るかのように。率直かつ偽りのない言葉であった。
「──分かってないな。お前は本当に分かってない」
──あまりにも不愉快だ。コイツの意見は、見当外れも甚だしい。
「……何だと?」
「確かに戦闘力という意味でなら、俺は大抵のヒーローより強い。犠牲を許容するこの考えも、合理的故に効果的だ」
だがそれは額面上の評価にすぎない。ヒーローの本質はもっと別のところにある。
そしてその強さは、俺では決して届かない尊いものだ。
「助けてという声に、反射的に動いてしまう者がいる。後先考えず、損得など抜きにして無条件で動いてしまう愛すべき馬鹿がいる。それを頭が緩いとお前は言った。……その侮辱は許さない」
ヒーローがどれだけ凄いか知っているか? 精霊に選ばれるということが、どれだけ難しいか知っているか?
精霊にとっての【契約】。それは人間と一体化することで、心から感情を最高率で摂取するための行為。言ってしまえ専売契約だ。
だが専売である以上、精霊側も糧である感情の供給元を一本に絞ることになる。そして一体化しているために、契約を解除することは極めて難しい。
だからこそ精霊は選別する。精霊にとっての毒である負の感情を、人は簡単に発生させてしまうから。
一つに絞った供給元から毒を注がれないよう、細心の注意を払って契約を結ぶ相手を選ぶ。
「偉業なんだよ。ヒーローになるということは。そんじょそこらのお人好しでは、決して乗り越えることのできない壁。常人では決して辿りつけない、異常とも言える領域。そこに立つのがヒーローだ」
心優しい人間がヒーローになれるのではない。その程度でなれるのならば、この世界はもっとヒーローで溢れている。
辛い現実と向き合い、何度も己の無力を嘆き、数多の批判を突き付けられ。地獄のような苦痛が絶えない道を征く。
「俺の方が上だと評してくれたな。……馬鹿を言え。俺のはただの妥協だ。精霊に選ばれながらも、この身に燻る憎悪に負けた! それでも彼らの隣に立とうと足掻いた結果がコレだ! そんな無様な紛い者がこの俺だ!!」
ヒーローは犠牲を許容できないんじゃない! 絶望的な状況であっても、最善以上を常に模索し続ける強靭な精神の持ち主だ!
時代が時代ならば英雄と呼ばれ、聖人と讃えられる傑物たちだ!
「どんなに苦しんでいても、それでもなお心を折らない! 『だとしても』と歯を食いしばり、前に突き進める者だけがヒーローたりえるんだよ!! 俺みたいな人でなしと、彼らを同列に語るんじゃねぇぞ三下が!!」
「そうか!! ならば三下と紛い者、碌でもない者同士で決着をつけるとしようか!!」
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