第14話 野良の流儀

 何度でも言おう。俺はヒーローではない。公的な立場を持たない野良。個人的な心情はともかく、実態は自主的に街をパトロールするボランティアのようなものだ。

 だからこそできることがある。野良故に伴う制約と、野良故に許される自由がある。


「先に宣言しておくが……。お前の思い通りになんかならねぇぞ?」


 言葉と同時に駆け出す。そして襤褸布の力で重さを削り、存在感を消す。

 大鬼を凌ぐ膂力によって齎される踏み込みと、猫のような身軽さ。そして霞のような気配の稀薄さ。


「っ!?」


 そうして実現するのは、超高速かつ認識困難な移動術。マトモな反応すらさせずに、彼我の距離を食い潰す。


「ハアァッ!!」

「ガッ……!?」


 そのまま無防備な土手っ腹に蹴り。インパクトの直前に、しっかりを体重を戻すことを忘れない。

 速度+重量+膂力。シンプルな破戒の方程式。だからこそ、結果は無慈悲なまでに厳格だ。


「ぐっ、ぬぅ……!!」


 茨木童子の身体がくの字に曲がる。衝撃によってよろめく足取りは、明確なまでの追撃の隙。

 当然見逃すわけがない。狙いは顔面。放つは貫手。襤褸布の力が付与された、防御不可の貫通攻撃!


「なんっ、の!!」

「っ、へぇ……!!」


 だが躱された。奴が選択したのは変化の力。一瞬だけ子供レベルまで体格を変え、間合いそのものをスカされた。

 上手い避け方だ。敵ながら天晴れと賞賛しながらも、カウンターを警戒。


「っ……!!」

「むっ?」


 ──だが意外なことに、茨木童子は斜めに飛んで距離を取った。

 てっきりスカした隙をついて反撃してくると思ったのだが。重心もわずかに泳いでいたのだから、奴の身体性能と近接センスなら一撃ぐらいはいれられたはず……。


「ふんっ!!」

「っ、なるほど……!!」


 その疑問はすぐに氷解した。奴が移動したのは広場の中心。つい先ほどまで、俺によって無理矢理押し込まれていた地点。

 そこにあるのは破壊された広場の銅像。その土台を気合いとともに持ち上げ──


「──避ければ後ろの奴らが死ぬぞ!!」


 大鬼の膂力でもって、こちら目掛けて思い切りぶん投げてきた。


「チッ……!」


 思わず舌打ちが漏れる。マズイことに俺と野次馬の一部が、奴の投げた銅像の射線に重なっている。

 茨木童子の宣言通り、俺が避ければ後ろの奴らが死ぬだろう。オーバースローで投げられた巨大なコンクリートの塊は、たやすく人間をミンチに変える威力を持つのだから。

 背後から聞こえてきた悲鳴が、俺の選択次第で断末魔の絶叫となるわけだ。

 逡巡は刹那。……結論は回避ではなく迎撃。誠に遺憾ではあったが、ここは仕方ないと割り切ろう。


「ラァッ!!」


 気合いとともに拳を叩き込み、巨大なコンクリート片を粉砕する。

 飛び散る破片に、追加の悲鳴。欠片で怪我人でも出たのだろうが、そこに関しては無視一択。

 重要なのは二点。迎撃による行動阻害と、破壊の衝撃で発生した砂煙による視界不良。

 おかげで一瞬だが後手に回った。本当に足を引っ張ってくれる疫病神どもめ……!!


「っ、そこ!!」

「ぐっ……!?」


 内心で毒づきながらも、視界の端に捉えた茨木童子に陰口を放つ。

 迎撃の隙に間合いの外を駆け抜けようとしたようだが、生憎と俺の間合いは視界内の全てに及ぶ。

 遠距離攻撃【貪食の陰口】。手指の動きを口に見立て、対象と視界内で被せることで虚空の顎を召喚する力。


「ガッ……先ほどの技か……!?」


 その威力は絶大だ。マトモに当たれば必殺。掠っただけでも致命傷は免れない。

 顎の威力、攻撃範囲は俺の視界を参照しており、遠近法によって手指と対象のサイズ差がそのまま投影される。

 視界の映像が基準であるが故に、対象の現実のサイズは一切問わない。その気になれば山だろうが陰口は貪り喰らってみせる。


「……仕留め損ねたか」


 とはいえ、当然ながら陰口にもいくつかの欠点はある。

 一つ、召喚→口を閉じる動作で若干のラグがあること。二つ、一度召喚した座標から動かせないこと。そして三つ、注視しなければならない関係で一召喚で一つの制約があること。

 今回もその欠点がモロに出た。一口で喰らい尽くすつもりが、微妙にズレて茨木童子の下半身を喰い千切るに留まってしまった。

 もちろん致命傷だ。普通の生物や、並のモンスターであれば死亡は確定。異常なタフネスと回復能力を持つネームドクラスであっても、消耗は避けられないだろう。


「──さあっ、届いたぞ!!」


 だが恐るべき執念でもって、茨木童子は目的を達成してみせた。

 腰から下を喰い千切られ、それでもなお移動を止めず。地面を転がるその直前、大地を掴み我が身を飛ばし。

 巨大なコンクリートの塊すら、砲弾の如く投擲する怪力だ。その力でもって軽くなった身体を跳ねさせれば、数メートル程度ならばたやすく移動してしまう。


「チッ……」


 再び舌打ちが零れる。奴が辿りついた場所にいたのは、大妖の放つ圧によって動けずにいるクソども。野次馬たちの一部。

 じゅくじゅくと下半身を生やしながら、茨木童子はクソどもの背後で嗤った。


「必死にこ奴らの下に行かせまいとしていたようだが、これで形勢逆転だな」

「がっ、ぁぁっ!?」

「ヒッ……っ、ぁぁ!?」

「いやぁぁぁ!!」


 見せしめの如く、茨木童子がクソどもの中から二人を無造作に選び、それぞれを片手で掲げてみせる。

 頭を捕まれ宙吊りにされる二人。それによって上がる悲鳴。


「助けて!! いやっ、早く私たちを助け──」

「黙れ」

「──けぺっ?」


 ──嗚呼、一人が死んだか。

 人質となってしまったことで、パニックになって喚いていた少女。……皮肉なことに、俺や四条君と同じ制服を着ていた女子生徒。

 そんな少女の頭を、茨木童子は煩わしげに蹴り飛ばし。風船のように破裂させた。


「……おっと。つい見せしめ以外をやってしまったか」


 ついに出てしまった被害者。それによって空気が凍った。

 一角が鮮血に染まった広場。ドクドクと膨大な血を流し続ける、頭のない死体が転がる凄惨な光景。

 誰もが恐怖で息を呑む中、下手人である怪物だけがなんでもなさそうに俺を見ていた。


「まあアレだ。コレで分かったことだろう。……ああそうだ。他の奴らに言っておくが、騒がしくすればこうなる。死に急ぎたくないのなら黙ることだ」

「っ……!!」


 その台詞は極めて自然に発せられた。だからこそ脅しではなく、それが単なる事実でしかないことが明確に伝わった。

 よってクズども全員が口を噤む。顔を真っ青にしながらも、命が惜しいと必死で口を抑えている。


「さあ強敵よ。コイツらをこれ以上殺されたくなければ、我に従うことだ。一歩も動くな。抵抗の素振りを見せるな。力を解除しその場に跪け」

「……」


 単純な要求だった。無抵抗に殺されろ。茨木童子はそう言っているのだ。

 最悪の二択だ。……いや二択ですらないか。結局、俺が殺された後で周りのクソどもも殺されるのだから。

 だがヒーローには、精霊に選ばれた者には覿面に効く脅しだ。頭では従う道理はないと理解していても、感情がそれを納得しない。

 安全圏にいる外野どもは、その判断を『非合理的』や『甘い』と批判するだろう。しかし前提が違う。ここで心を痛めなければ、そもそもヒーローになることすらできないのだから。


「ほれ早くしろ。我はあまり気の長い方ではないぞ? もちろん、コイツらを見捨てて抵抗するというのなら好きにしろ。それで平静でいられるのならな」

「……だろうな」


 茨木童子の言葉に頷く。この状況になってしまったら、最早選択どうこうの問題ではないというのは同意だ。

 この時点で詰みなのだ。降伏すればもちろん死ぬ。抵抗を選んだところで、自らの選択で人を殺したという事実がヒーローを蝕む。動きに精彩を欠き、どちらにせよ殺されるだろう。

 後は立場の問題もある。公的な立場である正規ヒーローが、守るべき市民を見捨てることは許されない。例え規則が許そうとも、世論がそれを許さない。


「さあどうする? 守るべき者を見捨て、無様に足掻いてみせるか。それとも潔く散るか。選べ」


 ……本当に、この場にいることができて良かった。四条君はもちろん、他のヒーローがいなくて良かった。


「──言っただろうが。お前の思い通りになんかならないと」


 ──返答は行動で。この一歩で意志を示す。


「……それが貴様の答えか!? 精霊の契約者よ!!」

「ああそうだよ。俺は心優しい正義の味方じゃない。守るべき者を選り好みする、どうしようもないエゴイストだ!!」


 今ここに、野良としての自由を行使する!!

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