第13話 彼は決してヒーローに非ず
「──お喋りは終わりか?」
会話が一段落したタイミングで、茨木童子が声を発する。
俺たちの会話が終わるまで、空気を読んだというわけではないだろう。気遣いと表現するには、奴の顔に貼り付けられた笑みは邪悪すぎる。
「ああ。お陰様で存分に話せたよ。モンスターの癖に優しいじゃないか」
「ハッ。いじましくも必死に策を練っていたようだからな。叶わぬ妄想を語り合う姿は、とても滑稽で楽しめたぞ?」
案の定というべきか、大人しくしてた理由は実に下劣なものだった。
必死な抵抗を楽しみ、その上容赦なく思惑を叩き潰す。負の感情が大好きなモンスターらしい思考回路だ。
「……妄想ねぇ。凄い自信じゃないか。一度してやられた分際でよく吠える」
「貴様の方こそ言葉がすぎるぞ? 状況をまるで理解できていないようだな」
ニタニタと茨木童子が嗤う。実に禍々しく嫌らしい笑みだ。
そして指さす。その先にいるのは逃げることすらままならない野次馬たち。
奴らを指し示しながら、茨木童子は舞台役者の如き大仰さで、物語の敵役に相応しい仕草で自身の有利を語ってみせる。
「手負いのソイツを逃がすと同時に、周辺の人間を逃がす。実に合理的だ。──だがやらせるものかよ。大量の足手まといがいるこの状況で、何故そのような策が成功すると信じられる? この場にいる人間全てが人質だというのに!!」
「っ……!!」
背後から歯の軋む音が聞こえた。四条君が思わず零してしまったのだろう。
実際、嫌な一手ではある。『人質がいるから何もするな』。単純だがこれ程に効果的な脅しもない。
「精霊の契約者に選ばれるような人間が、コイツらを見捨てることなどできやしない。そうだろう?」
「はぁ……。だろうな」
思わず溜息が漏れる。見事に足を引っ張ってくれると、クソどもに対する憎悪と嫌悪が湧き上がってくる。
「せっかく甚振ってやったのだ。逃げようとしてくれるな。コイツらを殺すぞ?」
「このっ……!!」
ヒーローは善人だ。だからこそ我が身を顧みずに他者を助けられる。危険な戦場に身を投じることができる。
故に人質は覿面に効く。背後から発せられる強烈な怒気がそれを見事に証明していた。
「……落ち着け。大丈夫だから、俺に任せろ」
「っ……」
──だが残念。その理論には大きな穴がある。
気色ばむ四条君を言葉で宥めながら、俺は茨木童子に二本の指を突きつける。
「滑稽なのはお前の方だ。得意気になってるところ悪いが、その脅しには二つ問題点がある」
「ほう? それはどういうものだ?」
言葉では是非教えてくれと返ってきたが、態度の方はあくまで尊大。
自分が未だに圧倒的有利であると疑っていないのだろう。俺の台詞など無駄な足掻きか負け惜しみ、もしく見当外れな指摘などとしか思っていないのだろう。
「実に興味深い指摘だ。この絶望的な状況を覆す問題点とは何だ?」
……まあ、有利を確信するのも分からなくもない。なにせ人質の数は多く、元が野次馬であったために場所が散ってしまっているのだ。
俺たちの近くにいる奴らもいるが、それとは逆に茨木童子の方が近い奴らも多い。
ネームドクラスの戦闘力をもってすれば、一瞬で何人かは殺せる状況だ。
「そんなの単純な話だよ」
──だからこそ脅しが成立していると、茨木童子は勘違いしている。
突き付けた二本指。それを奴と重なるようにパタリと閉じる。
「問題点その一。俺はお前より速く、そして強い」
──【貪食の陰口】
「ガッ……!?」
その瞬間、茨木童子の右腕が消える。いや正確に言えば、右肩から先を食い千切られた。
「今だ、行け!!」
「はい……!!」
それは明確な隙。食い千切られた反動で身体が揺れたその一瞬に、四条君が駆け出した。
「っ、させるものかぁ!!」
だがやはり敵も然る者。茨木童子は一瞬で体勢を立て直し、凄まじい踏み込みで突撃する。
標的となったのは背を向けて駆ける四条君──否。
「そう来ると思ったさ……!!」
「邪魔するか……!!」
「不本意ながらな!!」
狙いは近くの野次馬。クソどもを襲い、その悲鳴によって四条君の足を止めるつもりだったのだろう。
実にモンスターらしい思考だ。あまりに嫌らしく、だからこそ読みやすい。
「ならば縊り殺してくれる!!」
「できねぇよ!!」
「ぐっ、ぬうっ……!?」
茨木童子が拳を振るうよりも先に土手っ腹に蹴りを叩き込み、そのまま吹っ飛ばす。
水切りの石よろしく広場を跳ね、最終的には広場の中心、奴が散々破壊した銅像の土台に激突する。
狙い通り。最初に奴が暴れていた場所だけあって、あそこならクズども全員から離れている。
「いくら膂力に優れ、接近戦を得意とする鬼であったとしてもだ。片腕が欠けた状態で勝てるものかよ。それに接近戦はこっちも割と得意でな」
「っ、ぐ……そのようだな。素早く、そして重い一撃だったぞ……!!」
グチュグチュと腕を生やしながら、茨木童子がこちらを睨む。
その瞳に浮かぶのは紛れもない敵意。近接戦で遅れを取ったのが余程堪えたのだろう。
自身が有利という勘違いも、そこからくる侮りも。四条君への執着すらも消えている。全てを捨て去り、排除すべき『敵』として茨木童子は俺を見ていた。
「不意打ちしか脳のない輩と思ったが、中々どうしてやるではないか……!!」
「嘲るような台詞を吐くじゃないか。その不意打ちを全て喰らっている癖に」
「……ああ、認めよう。こうも何度もしてやらては強がれぬ」
「ふむ……」
明確な脅威と認定されたせいで、挑発の効果が薄くれてしまったか。
今までしっかり苛立ってくれたというのに、こうもあっさり認められるようになったら哀しいものがある。
思考を単純化させて手玉に取るのが難しくなってしまった。
「強力かつ多彩な攻撃手段。我にも匹敵する膂力。視認すら難しい敏捷性。底知れぬ程に貴様は強い」
おもむろに茨木童子が構えを取る。わずかに重心を落とした前傾姿勢。両腕はダラりと下げ、柔らかく自由に動かせるようになっている。
それは人が扱う武術のように洗練されてはいない。もっと豪快で、大雑把なものなのは明らか。……だが強い。それだけは確信できる。
獣に近い大鬼が、人の動きを真似する道理などないのだ。賢しらな術理に手を出すのではなく、より本質に近い野生の、怪物の本能に従う方が理に適っている。
「本気だ。本気で貴様に挑み……そして殺す。強き守護者は民衆の寄る辺となる。それを降した時こそ、真に人間どもは絶望するのだから」
大衆の心の拠り所を壊された時、社会は極めて不安定になる。
数人が死ぬ時に発する負の感情よりも、象徴が壊された時の大多数の人間が感じる不安の方が、遥かに膨大なものであるのは間違いない。
だから茨木童子は決めたのだろう。モンスターの本懐を果たさんとする為に、俺を必ず討つと宣言した。
「妄想を語るのは滑稽。お前が言ったことだろう?」
「叶わぬ夢物語とは思っておらぬよ。確かに貴様は強い。それこそ我よりも格上よ」
だが、と。奴は一度言葉を区切る。
「我はもう慢心せぬ。全力で当たる故に、今までのようにはいかぬ」
「心持ち一つで勝てると? 粗暴な鬼に相応しい愚かしさだな」
「まさか。貴様が依然として枷に囚われているからよ。ならば付け入る隙はいくらでもある。慢心を捨て、手段を選ばぬとなれば余計にな」
チラリと茨木童子が視線を外す。その先にいたのは……やはり野次馬。
それだけで言いたいことは理解できた。
「また三下じみた人質作戦か。学ばないなお前も」
「確かに先程はしくじった。手負いの契約者をみすみす逃してしまった。だが次はない。餌としてではなく、盾として人間どもを活用する。貴様の一挙一動に注意を払いながら、積極的にこやつらを巻き込んでくれる!!」
甚振るためではなく、策の一つとして。モンスターに備わった悪辣さを最大限駆使し、妨害のためにクズどもを利用する魂胆か。
クズどもの方から息を呑む音、悲鳴、嗚咽など様々なリアクションが聞こえてくる。
茨木童子の声音から遊びの気配がなくなったからこそ、より鮮明に死の未来が想像できてしまったからだろう。
「……いや……助けて……!!」
「死にたくない……死にたくない……」
……あちこちから悲嘆の声が響き始める。命乞い、救いを求める叫び。聞こえてくる種類は様々なれど、その全てに共通するものがある。
「さあ、強敵よ!! 助けを求めるこの声が聞こえるか!? 貴様に縋る弱者の声が聞こえるか!?」
──それは俺に向けられているということ。奴らにとってのヒーローに、『どうか私たちを助けてくれ』と懇願しているということ。
「身勝手なものだ。自らの意志でこの場に残っておきながら、自業自得であるというのに、さも己が被害者のように喚き立てる。──ああ、実に好都合だ。こやつらの放つ呪詛は、確実に貴様を蝕むのだから」
「……」
何度も言おう。ヒーローは善人だ。負の感情を本能から嫌う精霊に選ばれるということは、そういうことなのだ。
呪詛。まったくもってその通り。助けてという言葉ほど、ヒーローの動きを縛るのに最適なものはない。
……本当に、何処までも足を引っ張ってくるクズどもだ。どれだけのヒーローがコイツらの生贄になったことか。
俺が代わりになっていなければ、四条君がこの場に立っていたことを想像すると、余計に腹立たしい。
「クソったれめ。実に的確だよ。ヒーローの殺し方をよく分かっている」
「だろうな。だが卑怯ではない。なにせこれは殺し合い。どちらかが生きるかの生存競争なのだから」
「……やっぱりモンスターなんか大嫌いだよ」
勝手にこの世界を餌場にしようとしてる癖に、生存競争とのたまうか。どれだけ理不尽な存在なんだコイツらは。
「……はぁ。本当に最悪だ。どいつもこいつも身勝手すぎて反吐が出る」
俺はモンスターは嫌いだ。問答無用で襲い掛かり、人間を食い物にしようとする存在など好きになれるはずがない。
俺は大衆が大嫌いだ。なにせ大衆の殆どが弱者の地位を振りかざし、自分たちが助けてもらうのは当然と考えいるクソども。時にはモンスター以上にヒーローを殺すような裏切り者なのだから。
俺はこの社会が大嫌いだ。大多数の弱者を重視し、少数の善良なヒーローを延々と酷使しているから。善意に寄生し、すり潰すことを肯定する社会など狂っているとしか思えない。
「──だからこそ、こうして梯子を外せるこの瞬間は最高だ」
──ならば俺はそれを嘲笑おう。善意というものは、決して無差別に与えられるものではないと示してやる。
「野良の強みを教えてやろう。ここから先は、クソったれなヒーロータイムだ」
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