第10話 フェイスレスの誓い

 鈴の音のような声が駅前に響いた。清廉でありながら、芯の強さがハッキリと感じられる美しい声。

 俺はこの声を知っている。彼女・・の声を知っている。


「……マジか」


 眼下に舞い込んだ人影。遠巻きに鬼を眺める野次馬どもを飛び越え、目立つように広場に降り立ったヒーロー。


「雛森ちゃんだ! スゲェ初めて生で見た!」

「うわ超可愛い! カナタちゃん超可愛いんだけど!」


 彼女の登場に野次馬どもが騒ぎ出す。モンスターの前でありながら、まるでアイドルにでも遭遇したかのような反応。

 普段の俺ならば、野次馬どものあまりの愚かしさに怒りを顕にしていただろう。だが今はそれができなかった。それ以上に驚きの方が勝っていた。


「……雛森カナタ」


 これまでに何度かフェイスレスの姿で言葉を交わし、昨日に至ってはファンだと宣言をかましてきた正規ヒーロー。

 それがこのタイミングで現れた。活動地域内でもあるから現れてもおかしくはないが、今この状況においては違う意味を持つ。

 この現場にもっとも近かった正規ヒーローは四条君のはずだ。それなのにやってきたのは彼女、雛森カナタ。

 もちろん、雛森カナタが偶然近場にいた可能性もゼロではないが、それならばヒーローとなった四条君が未だに到着していないのはおかしい。

 迷った? それはない。精霊がいる以上はモンスターのいる場所は必ず分かるし、俺がやったように大抵のヒーローならばその身体能力で道無き道を移動できる。

 では逃げた? それもない。精霊が好むのは心の強い善人だ。力を与えられ、助けを求める者がいるならば、彼らは見て見ぬふりをしない。見捨てることができない。

 ならば導き出される結論は一つ。雛森カナタこそが四条君のヒーローとしての姿だということ。


「……まさか変身で性別まで変わるとは」

『最初のイメージがそうだったのかもね』

「いやまあ、精霊に常識を求める方が間違いではあるか」


 驚きはしたが、一般人にデタラメな力を与える精霊が拘っているのだから、そういうこともあるのだろう。

 契約を結んで発現する力は、その時の精神状態、特別な力を持った存在に対するイメージ、本人の資質などが大きく影響するという。

 弟を喪った俺が【喪失者の襤褸布】などの能力に目覚め、他者を拒絶する姿となったように。

 四条君は何らかの要素、おそらくイメージする特別な力を持った存在が魔法少女の類だったかで、あのような可憐な少女の姿となったのだろう。

 おかしいとは思わない。これはそういうものなのだから。超常の存在に人間の常識を叫んだところで虚しいだけだ。


「──それよりも常識を求めるべきはあのクソどもか。何で人間様が、人間社会の常識に従わねぇんだっての……」


 真に叫ぶべきは眼下の馬鹿どもに向けてか。アイツら本当は猿か何かなんじゃねぇの?

 ……ああ、駄目だ。驚きが引っ込んだら苛立ちがまた湧き出してきた。ドス黒い憎悪が溢れてやまない。

 だがそれぐらい酷いのだ。見ていて本当に悍ましいのだ。眼下で起こっている光景は、吐き気を催すほどに醜悪だった。


「皆さん早く避難してください! ここ危険ですから早く離れて!!」


 雛森カナタが、いや四条君が鬼と相対しながらも避難を促している。真正面に立って注意を引き、鬼の一挙一動を警戒しながらも必死に叫んでいる。


「雛森ちゃんが戦うところ見れるかこれ」

「危なくないかな?」

「大丈夫でしょ。ヤバくなったら逃げれば良いし」


 だが野次馬どもは従わない。四条君がいくら避難しろと叫んでも、あのクソどもは動かない。

 強化された聴覚が耳障りなそれを拾ってくる。身勝手な言葉の数々。能天気に鳴り響く携帯のシャッター音。

 あまりにも愚かだ。あまりにも四条君が報われない。あんなクソな奴らでも、被害が出れば叩かれるのはヒーローだというのに。

 彼が誰のために命を張っているんだと思っているんだ……! 人に命を掛けさせながら、厚かましくも観客面しているお前らは一体何様なんだ……!!


「……もうアイツら皆殺しにしてしまいたい」


 俺の力は完全犯罪を可能とする。契約者であることは役所にも報告していないので、能力も合わさって身元が割れることもない。

 だから本気で思うのだ。あれほど醜悪で、生きていても害しかもたらさないクソどもなど、モンスターとともに駆除してしまいたいと。


『駄目だよリク。人間は減らさないで』


 だがホタルがそれを許さない。人間を果物の成る木とでも思っている精霊が、無駄な伐採を制止する。

 極めて腹立たしいことであるが、この制止によって僅かに残った理性が首をもたげてきてしまう。

 結局は怒りと憎悪に震えながらも、こうして眺めることしか俺にはできないのだ。もっと頭の螺子が外れていてくれればと、何度思ったことだろうか。


「っ、やるっきゃないですか!」


 そんな俺の葛藤を他所に状況は更に変化する。

 避難誘導は無駄だと判断した四条君が、被害が出る前に鬼を討伐する方針にシフトしたのだ。


「ハァァァッ!」

「グオッ!?」


 力強い踏み込みで瞬く間に距離を詰め、鬼目掛けて剣を振るう。

 鬼は驚きながらも咄嗟に後ろに跳んで剣を躱そうとするが、それでも間に合わずにその巨躯に裂傷が走る。

 致命傷ではないが、それでも無視するには大きすぎるダメージだ。初撃としては十分だろう。


「うわスゲェ迫力!」

「カナタちゃん頑張ってー!」

「可愛くてカッコイイとか最強かよ!」


 今の一撃で野次馬どもが更にヒートアップした。目の前で行われる戦闘に興奮しているのだろう。

 だがそれ以上に、今の一撃で四条君の方が格上だと感じ取ったからこその騒ぎように思える。安全だと勘づいたからこそ、観客気分で声援を送っているのだろう。


「……死ね」


 シンプルな殺意が口から漏れる。もはやそれ以上の感想がない。

 何が頑張ってだ! お前らがいるから仕留め損ねたのだろうが! お前らの安全のために意識を割いているからこそ、攻撃に勢いが乗り切らなかったんだ! 鬼がギリギリで致命傷を逃れるぐらいに攻撃が鈍っていたんだ!


「っ……!!」


 こうして潜伏している以上、俺の怨嗟の叫びなどクソどもに届かないのは分かっている。それがあまりにも歯痒い。血祭りに上げながら、骨の髄までこの憎悪を叩き込んでしまいたい。


「ハァァッ! ヤァァッ!!」

「クガッ!? オオッ!?」


 だが現実は変わらない。

 四条君が剣を振れば、鬼の身体が切り裂かれ。鬼が反撃とばかりにその剛腕を振えど、四条君の巧みな盾捌きによっていなされ、カウンターを叩き込まれていく。

 あまりにも一方的。有名ヒーローの実力をこれでもかと見せつけている。

 ここまでは良い。素晴らしいことだ。


「いけぇぇ!」

「いいぞ! そこだ!」

「凄い凄い! 頑張れ雛森ちゃん!」


 だがそれに比例するかのように、クソどものボルテージも上がっていく。これが本当にいただけない。吐き気がする。

 まるでアイドルのライブでも見ているかのように。デパートのヒーローショーではしゃぐ子供のように。クソどもは本気で楽しんでいた。

 他人が命懸けで戦っている姿を、奴らは当然の娯楽として享受していた。


「……」

『リク。嫌なら帰ろう? ドンドン心が澱んでいってるよ』


 ついにホタルからそんな提案がなされた。それだけ俺の精神状態が酷いことになっているのだろう。

 この身に居候させているからこそ、ホタルには隠しごとはできない。異変だって今みたいにあっさり感知されてしまう。

 実際、ストレスがヤバいことになっている自覚はある。だがそれでも、この場から去るという選択肢はない。


「……できねぇよ。できるものかよ。ここで俺が下がっちまったら、誰が四条君を助けるんだ。ああやってクソどものために命を張る羽目になっている後輩を、見捨てるような真似ができるかよ……!!」


 四条君は自分の意志でヒーローをやっているのだろう。保護者のように見守るような真似など、お節介としか言いようがない。

 だがそれでも。独りよがりと笑われることも重々承知で、俺はこうして見守っている。いつでも助太刀できるように待機している。

 だってそうじゃないか。例えヒーローとして、誰かを守るという意志のもと、進んで戦場に身を置いたとしても。

 こんな風に守るべき相手から刺されるような事態など、想定している訳がないのだから。

 前門には明らかな敵。後門にはか弱き市民の振りをした潜在的な敵。そんな悍ましい四面楚歌の中心で足掻く彼を、見捨てることなどできやしない。


「……あの時、俺は誓った。冷たくなったカイトの前で。例え何があろうとも、俺は生贄にされそうになっているヒーローの味方をすると」


 この世界は狂っている。何故ならヒーローたちの命懸けの献身を搾取する形で成り立っているから。

 モンスターと殺し合う。そんな無理難題に相応しい報酬を与える訳でもなく、高い地位を与える訳でもない。

 与えられるのは命の値段と釣り合うには程遠い僅かな報酬と、名声という名の鎖。

 たったそれだけしか与えないにも拘わらず、社会はヒーローたちを酷使し、気に入らなければ延々と批判の声を浴びせかける。

『それでも十分だろ?』なんていう浅ましい価値観が透けて見える。ヒーローが善人ばかりであることを最大限利用している。


「警察や自衛隊なんかと違い、少人数で国防の一端を背負わされているのがヒーローの実態だ。そうでありながら味方はほとんどいない。家族と信頼できる友人。それぐらいしか断言できる味方なんていないんだ。それがヒーローなんだ」


 それ以外の奴らは信用なんてできやしない。誰も彼もがいつ手のひらを返すか分からない。

 感謝や賞賛の声も上がるが、見ず知らずの他人の言葉など薄っぺらいとしか思えない。なによりそうした言葉を鵜呑みにするには、この社会はクソすぎる。

 真に心優しい人もいるだろう。本心からヒーローに寄り添おうとする者もいるだろう。

 だがそれ以上にクソな奴らが多すぎる。善良な市民はどうしてもクソの中に埋もれてしまう。

 糞尿の山の中でダイヤを探すようなものだ。労力と価値が見合ってない。

 だからヒーローは心許せる味方を増やすことができない。自らの善性と、少人数の激励を支えにその身を削ることになる。


「だから俺は。俺だけは分かりやすい味方になると決めた……。狂気の世界で足掻く羽目になった彼らを、決して見捨てる真似はしないとカイトの前で誓ったんだ……!!」


 別にヒーローを救ってみせるなどと、御大層な台詞を吐くつもりはない。俺のような性格破綻者がそんな立場になれるとも思ってない。

 ただ危険があれば手を差し伸べ、心が磨り減っていたら寄り添う。時にはクソどもに唾を吐いて批判の矢面に立つ。

 俺ができるのはそんな些細なことだけだ。手を伸ばせる範囲だってほんの僅かだ。

 それでもやらずにはいられない。ゼロと一の間にはあまりにも大きな壁があるから。


「だから俺はここから引かん。精霊のお前にとっては俺のストレスは不快極まりないだろうが、居候の立場を弁えろ」

『リクがそういうなら良いんだけど……』


 渋々といった様子でホタルが引き下がる。納得はいってなさそうであるが、それでも俺と意見をぶつけてまで主張しようとは思わなかったのだろう。

 これは精霊の特徴だ。負の感情を嫌う精霊は、本能的に争いを避ける傾向にある。例外は生態が衝突している邪霊が相手な時ぐらいだ。


『でもリク。こうして見守る必要はないと思うよ? だってあの子の方がずっと強い』

「……相変わらず節穴だなお前は」


 ──だからこそ、精霊は争いというものにトンと疎いのだ。戦闘のセンスなど皆無に等しい。


『……どうして? あの子、さっきからずっと優勢だよ?』

「ああそうだな。だからこそおかしいんだよ」

『おかしい?』


 ホタルから首を傾げる気配が伝わってくる。俺の言葉が不思議で仕方がないのだろう。

 まあ確かに、見ている限りでは四条君が圧倒的に優勢だ。ホタルも、観客気分のクソどもも、四条君が勝つと疑っていない。

 だが戦闘慣れしている俺からすれば、この状況は明らかに変だ。そして間違いなく、実際に戦っている四条君もそれに気付いている。


「ッ……!!」

『ああっ!?』


 ──それを証明するかのように、四条君は構えた盾ごと鬼に殴り飛ばされた。


「流れが、変わった」

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