第2話

 翌日。

 傷らだけの男の言葉が気になったテンタは朝一番に牢獄にへとやってきていた。


「おはようございます……」


「お、おお……。お前は昨日のぼっちゃん。どうしたんよ、こんな朝早くから」


 横になったまま身体を捻ってテンタに顔を見せる。

 眠気眼を擦る男はまるで動物のようだ。


「いえ、ちょっと言われたことが気になって」


「それはまた、真面目だねぇ。で、答えは出たのかい?」


 友達がいれば殺せるのか。

 その答えは一晩で出たのかと傷だらけの男。


「答えは――出たよ」


「そうか。そりゃ、良かったな。だったら、今度はその答えを胸張って親父さんに言ってやれ。親父さんにとって良いか悪いかは分からんがな」


 これ以上は話すこともないと思ったのか、テンタに背を向けて再び眠ろうとする。

 だが、男の眠気は次にテンタが発する言葉で一気に吹き飛ばされた。


「うん。でも、この答えで自信がないから――実際に友達になってほしいんだ!」


「はぁ!? お前、何言ってんだよ。お前は処刑人で俺は囚人。友達になんてなれるわけねぇだろうが!」


「で、でも……。僕はあなたのこともっと知りたい。そう思ったんだ」


 俯くテンタの姿を見て、大きなため息を吐く。


「……はぁ。こんな素敵な言葉、もっと別の人から聞きたかったぜ」


 鉄格子の隙間から腕を伸ばす。鉄格子の隙間は子供であるテンタの頭が入るか入らないかの間隔だ。鍛え上げられたシャドラの前腕は太く鉄格子を通ることはない。

 ましてや、右手と左手が手錠で繋がれている状態。尚更に腕を通すことは出来ない。

 辛うじて、伸ばした指先だけが鉄格子を抜けた。「ちょいちょい」と、テンタに近づくように指示をする傷だらけの男。


「えっと、これは?」


 差し出された指に困惑するテンタ。

 まだ、幼いテンタの反応に恥ずかしいのか、顔が赤らんでいた。自分の顔が赤くなっていることは分かっているのか、テンタから顔を背けて言う。


「しゃーねーから、なってやるよ。友達にな。俺はヘール・シャドラだ。短い間になると思うが仲良くしようや」


「へっ!?」


 傷だらけの男の言葉に驚きながらも、差し出された指を見る。顔だけでなく指先までびっしりと傷が刻まれていた。

 相手は囚人。

 自分は処刑人。

 テンタは自分の提案を受け入れて貰えるなど思ってもいなかった。子供の無茶苦茶な我儘。それくらいの分別は付いていると思っていたが、まさか、本気で『友達』になることを受け入れてくれるとは。

 傷だらけの男――シャドラの意思が本当か確認するように顔を近付ける。


「本当にいいの?」


「ああ。なんだよ、嫌なら俺は別に構わねぇぞ」


『友達』にならないならば、それはそれで構わないと、シャドラは指を引っ込めようとする。

 テンタは、指に縋る様に慌てて身体全体で包むようにしてその指を握った。


「ううん! 是非! 改めてよろしくね、シャドラ!!」


 こうして処刑人の息子であるテンタは――念願の『友達』が出来た。

 





「いいか! 仲を一気に近づけるには互いの秘密を教え合うのが一番だ。という訳で、今から秘密を互いに言い合うぞ!」


 テンタとシャドラが友達になって1日。

 牢獄にやってきたテンタを見るなり、シャドラは陽気に声を掛けた。2メートル近い鉄格子と、シャドラの背丈ほぼ同じ。

 筋肉質な身体と傷で相手に威圧感を与えるが、テンタは既にシャドラを怖いと感じることはなくなっていた。


「……」


「なんだよ、その目は!」


「いや、昨日と比べて凄い乗り気だなと思って」


 昨日までの態度が嘘のようだ。

 しょうがないから友達になるという体裁を取っていたのに、まさか、自分から距離を近付ける提案をしてくるとは。

 そのことが嬉しくなったテンタは、足取り軽やかに牢獄の前に移動して座る。

 鉄格子に背中を付ける小さな背にシャドラは言う。


「どうせ、俺も暇だったしな。死ぬまで付き合いだ。とことんやってやるよ。そう決めただけだ」


「本当!? でも、秘密って……僕は別にないんだけど」


「またまた、そう言うなって。好きな子とかでもいいんだぜ?」


「好きな子なんていないよ。僕は友達すら――」


 友達すらいたことなかった。

 そう続けようとしたテンタに向かって、両手に人差し指を鉄格子から出してテンタを突っつく。


「はい、その言葉は禁句です。何故なら、お前にはもう、俺という友達いるんだからな。お前が言ったんだからな! そんなわけで俺から秘密を教えたる! 実はさ、俺、あっち側から来たんだ」


「あっち?」


 シャドラはテンタを指差していた向きを動かして、「あっち」を示す。地下牢なのでその先に何があるのか分かり辛いのか、テンタは指差す方角を見ながら首を傾げた。


「そうそう。こっちでは【黒の大陸】って呼ばれてる場所だよ。俺はそこから来たんだ」


 シャドラの秘密にテンタは驚きの声を上げる。


「ええ!?」


 テンタの声は地下牢に響いた。子供の声に苛立つのか、至る所から鉄格子を蹴る音が響く。自分の口元を押さえ、音量を絞りながらテンタは聞いた。


「【黒の大陸】って、往来おうらい出来ない未知の大陸じゃないの?」


【黒の大陸】には近づくな。


 それは学校に通っていないテンタですら知っている事実だった。歴史上、様々な人間が挑んだが、【黒の大陸】から帰ってきた者はいない。それどころか、足を踏み入れることすら達成した人間は存在していなかった。

 それでも現状、【黒の大陸】について分かっていることが一つだけある。


黒壁こくへき】。


 こちら側の大陸と【黒の大陸】を分かつ世界を分断している【かべ】があることだけだった。 

 触れた者の身体は崩れたと記録され、【壁】によって命を失った亡骸から、疫病が広まったという記録が複数残されていた。

 そのことから、【黒の大陸】に行くことは、どの世界でも犯してはいけない禁忌タブーと認識されていたが――まさか、向こう側からこちらにやってくる人間が居ようとは。

 驚くテンタに得意げに胸を張るシャドラ。


「ああ。本来はな。でも、あの【黒壁こくへき】を通る方法は、実はいくつかあるんだよ」


「それって……」


 そんな方法が実在するのであれば、世紀の大発見と呼べる偉業。

 檻にのめり込むようにして身体を押し込んでテンタは続きの言葉を待つが―― 


「はい! 俺の秘密はここまで! 次はお前の番だぜ!」


「ちょっと、続きが気になるじゃないか! 教えてよ!」


 どうやら、それより先は只では教える気がないようだ。

 テンタも自らの秘密を教えれば続きを話すと目を細めて笑う。


「駄目~。順番はちゃんと守ろうぜ?」


「いいよーだ。そんなことするなら、今日のご飯を出さないように指示するから」


「おい! 嘘だろ! 只ですら、ここの飯は少ないんだ! それは無しだろ! な、俺達友達だろ」


「ふふふ。勿論、冗談だよ。ただ、教えてくれたらご飯の量を倍に増やせはするけどね」


 大柄のシャドラにとって、食事の量は絶対的に足りていない。

 テンタからの申しでは魅惑的で、


「はい! じゃあ、教えます。実はあの壁――互いの世界の物を持ってれば通れるんだ」


 あっさりと、世界の壁を超える方法を口にした。


「互いの世界の物?」


「ああ。例えば、そうだな――って。今、俺は何も持ってないから――」


 シャドラは自身の身体を探るようにして手を動かすが、すぐに何も持っていないことに気が付いた。荷物はこの場所に収監されるに辺り、全て没収されていたのだ。

 しょうがないと手を頭の上に移動させ、一本の髪の毛を抜き、テンタに渡す。


「ほらよ」


「え、汚いよ」


「……てめぇ」


「ははは。冗談だって。その髪の毛がどうかしたの?」


「冗談じゃなかっただろ今の……。いいか、こうして俺の髪の毛をお前に渡す。それだけでお前は通れるのさ」


 予想以上に簡単な方法にテンタは目を丸くした。


「それ……だけ?」


「ああ。とっても簡単な方法だろ?」


 シャドラは「ふっ」と摘まんでいた自分の髪の毛を息で飛ばした。

 しかし、そんな簡単な方法ならと浮かんだ疑問をぶつけるテンタ。


「でも。それなら、もっと人が来れるんじゃ?」


「いや、そうもいかんさ。あの荒れた海から互いの大陸に漂着することは稀だし、そもそも、【黒壁】に近づくことさえ困難だ。命がけでそんなことを試す馬鹿はいねぇよ」


黒壁こくへき】を通る方法こそ簡単だったが、それ以前の問題だとシャドラ。

 互いの大陸の物が手に入らない。

 荒れた海で【黒壁こくへき】まで辿り着けること自体が奇跡。

 その二つの難題を乗り越えて壁を超える人間などいない。

 シャドラはそう言い切った。


「……そうなんだ。じゃあ、シャドラはそんな馬鹿なことをしてきたんだね」


「あー。ま、そうだな。って、ついつい話しちまった。んだよ、結局俺だけ話したじゃんか」


 不貞腐れたように頬を膨らませるシャドラ。

黒壁こくへき】を超える秘密よりも、テンタの秘密が聞けなかったことに、不満を持つことが面白くて、テンタは自然と笑みを浮かべていた。


「実は僕、兄さんの大事にしてた玩具おもちゃ壊しちゃったんだ」


 テンタが口にした秘密に、今度はシャドラが食いつく番だった。


「お、なんだよ。お前にも秘密あんじゃん。兄弟いるんだな~。良い事だ」


「良くないよ。兄さんは父さんの言うことは絶対守るから。処刑人になろうとしない僕を凄い嫌ってるんだ」


 兄は父と同様に【処刑人】と言う職業に誇りを持っている。だから、これまでに何人もの囚人を自らの手で殺してきた。

 そんな兄にとって【処刑人】にならない弟は、苛立つ原因にしかならない。

 弟を虐めるのにそんな時間は掛からなかった。


 テンタを【処刑】の練習相手として痛めつける。

 拷問器具も多数所持しているクルス家にとって、痛めつける手段に困ることはなかった。相手を殺さずに痛めつけるには拷問道具や処刑道具は丁度いい。


 ギロチンに身体を固定され、首を落とされそうな日もあった。

 三角木馬に括りつけられて、ひたすら放置された日もあった。

 全身が黒ずむ程、鞭で打たれて動けなくなった日もあった。


 テンタが玩具を壊した時も、巨大な車輪に身体を固定され、ぐるぐると回す。目が周るだけならば良かったが、兄は小さな針が付けられた土台を置いていた。

 車輪が地面に近づくたびに、針はテンタの皮膚を突き刺す。何度も何度も位置を変えて車輪を回す兄はテンタにとって、兄と思える存在ではなくなっていた。


「ま、家族なんてそんなもんだ。自分が家族だって思えなきゃ、無理に思う必要なんてないんだよ。家族よりも他人の方が大事になるってこともある。『』なんざ、『』の次にある言葉なんだからな」


「……そんな、格好良くないよ、その言葉」


 得意気に笑うシャドラに、テンタの視線は冷ややかだった。

 良い事を言おうとして滑ったことが恥ずかしいのか、「ほら、今日はもう帰れ」と牢獄から追い返そうとする。


「はいはい。その代わり、ご飯の件はなかったことにするからね」


「あ、おい! それは約束が違うだろうがぁ!」


 テンタはシャドラの悲痛な叫びを背に、地下牢を後にした。

 地下牢から出ると、空は赤く染まり一日の終わりを告げていた。

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