第11話 囚われの蝶
馬車を駆り、屋敷へと急いだ。
だけど、屋敷に到着するなり、マティスは歯を噛みしめた。
開け放たれたままの門扉。馬車の深い轍の跡。そして、破られた窓。
そのすべてが、何者かによる侵入があることを証明していた。
馬車を飛び降り、マティスはなりふり構わず駆けだした。
「リーシャお嬢様!」
必死に呼びかけながら屋敷内を探し回るが、リーシャの姿はどこにもない。
「くそっ……」
迂闊だった。
ヨルガの帰宅に先手を打つなんて。想像していた以上にエルヴィンの動きが早かった。
それともまさか、もともと隙あらばトラウデン家を襲うつもりで、息のかかった暗躍者たちを配置していたのだろうか。
(何とかしないと……!)
ぽつぽつと降り始めた雨の中、マティスは厩へと走った。
もしかしたらまだ、近くにいるかもしれない。
馬へ飛び乗り、腹を蹴る。
けれども、馬は動かない。
「マティス、待て」
サフィアスが厩舎の前で立ちふさがり、マティスの進路を防いでいた。
「サフィアスさん、どいてください!」
「だめだ。冷静になれ」
「でも、早くお嬢様を助けに行かなければ!」
先ほど会ったあの蛇のような男が、リーシャに何か危害を与えでもしたらと思うと、居てもたってもいられなかった。
けれども、サフィアスはそれを許さず、首を横に振った。
「気持ちはわかる。だけど、お前一人で行ってどうする。屋敷の荒れ方を見るに、相手は少人数じゃない。屋敷の外の馬の蹄の痕をチェックした限りでは、早駆け用の馬が使われてる。つまり、豪華な馬車での優雅な旅路がお似合いの極楽鳥男は、直接ここには来てない」
「つまり……エルヴィン家の手がかかった何者かが指示を受け、集団でここを襲った……ということですか」
「そうだ。エルヴィン家は想像以上に手を広げてるんだろう。そんな相手に一人で太刀打ちできると思うか?」
「それは……でも……」
思わず言葉に詰まる。
「ヨハネス・エルヴィンの目的は、リーシャちゃんを妾にすることだったんだろう? なら、少なくともエルヴィン家に届けられるまではお嬢ちゃんの安全は保証されるはずだ。お前の焦る気持ちもわかる。けど、相手の居場所も人数もはっきりわからん今、もう少し準備してから行動したほうがいい」
サフィアスの言葉に、マティスは少しの間黙り込み、やがて馬から降りた。
「確かに……その通りです」
今の自分は、晩餐会から帰って来てそのままの状態だ。とりあえず、先程も使用した護身用剣は帯刀しているものの、あまりに心もとない。
「それに、敵がまたここに襲ってこないとも限らない」
「そのとおりだ。さっきばあさんに暗殺者を差し向けたくらいだからな。むしろ危険度としてはばあさんの方が高いくらいだろう」
サフィアスとカルネリオが同行さえしてくれれば、あの不思議な力でエルヴィン家の手先など蹴散らしてくれるのでは? とも思ったが、そういうわけにもいかない。
「なら、サフィアスさん。お願いです。ここに残ってヨルガ様をお守りしてくださいませんか。その間に、俺は……もし可能なら、カルネリオさんと一緒にリーシャ様を取り戻しに行きます」
「カルネリオについては、どうせ暇だろうから大丈夫だろう。ただ、俺が契約者のお前と離れるのは、なんとなく気がかりではあるが」
「俺の願いは、『トラウデン家を救うこと』です。それには、まず何よりヨルガ様の無事が重要なんです」
「それはまあ、たしかにな」
それに、とサフィアスが続ける。
「カルネリオをばあさんのところに残しておくよりは、その方がいいかもしれんな。あいつは力だけは強いが、上手に力加減出来るほど賢くない。ここで暴れて、屋敷をもっと破壊させるのもどうかと思うしな」
そう言われると、カルネリオと二人で行動することに不安を感じなくもない。
とはいえ、今はこの分担が最適だろう。
「屋敷の地下に、武器庫がある。そこで、好きなものを持って行くといい」
そう声がかかって振り返ると、ヨルガが立っていた。隣にはカルネリオもいる。
「武器庫!? そんなものがこの屋敷にあったんですか?」
「まあね。もう何年も開けてはいないが、何もないよりはましだろう。マティス。あんたもどうやら、剣の心得があるみたいだからね」
そう言ってから「もうちょっと若ければ、私も一緒に行きたいところだったんだけどねえ」と嘯くヨルガに、サフィアスが「このばあさん、末恐ろしいな」と口元を引きつらせている。
そんなサフィアスからの視線をものともせずに、ヨルガはマティスの目を真っ直ぐに見た。
「マティス。リーシャを頼んだよ。エルヴィンの若造に、一泡吹かせてやっとくれ」
「わかりました。この命に変えましても」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたも一緒に帰ってくるんだよ。トラウデン家の家族だろう?」
「……っ。はい、かしこまりました」
何だか目頭が熱くなりそうになるのを必死に耐えながらも、マティスは深く頷いた。
一方、リンツ家の領地からエルヴィン領に向かう、豪華絢爛な馬車。
その中で揺られながら、ヨハネス・エルヴィンは荒くなった呼吸を落ち着かせていた。
「死にぞこないのヨルガめ……。今に見ていろよ」
もう死ぬのを待つだけだと思っていたはずの相手が、よもや晩餐会に現れ、恥をかかされることになるとは。
こうなっては、もう待つだけではいられない。どうしてくれようか。
ヨハネスが忌々し気に舌打ちしていると、そこへ、御者から声がかかった。
「先程間者から早馬で連絡がありました。『籠の中の鳥』は予定通り確保し、現在移送中とのことです」
「ほう。よくやった。決して傷つけるなよ」
ヨハネスは蛇のような顔をにたりと歪めた。
ようやく、欲しかったものが手に入る。
「リーシャ・トラウデン……社交界に出てこぬがゆえに広くは知られてはいないが、かなりの美少女と聞く。深窓の令嬢がどのような声で鳴くのか、今から楽しみだ」
そして、最愛の孫娘がエルヴィン家の手に落ちたとなれば、ヨルガはもはや為す術もないだろう。
「ヨルガめ。このヨハネス・エルヴィンに盾突いたことを後悔するがいい」
先ほどまでの苛立ちはどこへやら。
何もかもが楽しみで仕方がないといわんばかりに、ヨハネスはくつくつと不敵な笑みをこぼし続けた。
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