第8話 華やかなる晩餐会

 翌日、日が落ちた頃に、リンツ家の前に一台の馬車が止まった。

 次々と人が吸い込まれていくリンツ家の屋敷の前で、マティスは馬車の御者席から下りた。いつもの木綿の服とは違う立派な絹の夜会服だ。落ち着いたモスグリーンの夜会服には精緻な刺繍が施されている。あまりにも立派な服で、どことなく怖気ついてしまう。

 わずかにぎこちない仕草で、後ろの席の扉をそっと開ける。

 すると、先日会ったばかりのカルネリオがひょっこりと顔を出した。


「うおー! 結構遠いな。ちっちぇえ箱に押し込められてたから、腰が痛くなっちまったぜ」


 先日はどこか粗野な印象だった彼も、馬子にも衣裳というべきか。今はワインレッドの夜会服に身を包み、少しお仕着せられたお坊ちゃん風身になっている。

とはいえ、バキバキと音が鳴りそうなほどに、体を曲げては伸ばしている。そんな様子を見ていると、衣装だけでは人は変わらないというお見本のような人物だと思う。


「カルネリオ。邪魔だ。さっさとそこをどけ」


 馬車の中から長い脚が伸びてきて、扉の前で屈伸運動をするカルネリオを蹴り飛ばした。

 驚いてつんのめるカルネリオをよそに、やる気のなさそうな雰囲気を隠そうともせず、どこか眠たげな様子のサフィアスが出てきた。

 サフィアスは流石の着こなしで、ミッドナイトブルーの夜会服がすらりとした手足を引き立てている。


「いきなり何すんだ!」

「次々人が下りるんだ。そんなに吠えるな。マティス。御大は頼んだ」


 ずるずるとカルネリオを引きずっていくサフィアスを見送りながら、マティスは慌てて扉の前に恭しく手を差し出した。

 馬車の中からそっと手が差し伸べられ、マティスがその手を引く。すると、威風堂々たる老貴婦人が藤色のドレスを持ち上げて、悠然と馬車を降りてきた。


「はあ、やかましい連中だね。馬車の中が賑やかでかなわなかったよ」


 ため息交じりに扇を口元に当てるヨルガに、マティスは苦笑した。


「お疲れ様でした。それで、彼らは――」


 人手不足の中、マティスが御者を務めざるを得なかったのというのはある。

 だけど、実際には馬車の中でカルネリオとサフィアスとヨルガの三人にして欲しいと頼まれたのだ。

 時間がない中でのヨルガによる採用試験のようなものだったのだろう。その結果は、


「腕のほどはまだわからないし、どこから来たのかもわからない。けど、まあ、私の身を預けてもいいとは思えるいい奴らじゃないか」


 にっと口端をあげて笑うヨルガを見るに、どうやらお眼鏡にはしっかり叶ったようだ。

マティスはホッと胸を撫で下ろした。




 馬車をリンツ家の厩番に任せ、四人は晩餐会の参加者の列に並んだ。

 執事が丁寧に挨拶をしながら招待状を確認していく中で、やがて順番が回ってきた。

 マティスが進み出て招待状を渡すと、執事はそれをさっと確認して頭を下げた。


「ようこそ。ヨルガ・トラウデン様、お待ちしておりました。……って、え? ヨルガ様?」


 口にして初めて、何かに気づいたのだろう。まるで幽霊を見るかのように目を見開いて、執事はマティスの背後に控えるヨルガを見つめた。

 そんな執事に、ヨルガはふんと鼻を鳴らした。


「なんだい? 私が来ちゃまずいってのかい?」


 執事は慌てたように首を横に振った。


「い、いえ! そんなことは! ですが、あの、少々お待ちください」


 執事はそのまま屋敷の中に転がるように駆け込んでいく。


「ヨルガ様。ご連絡なしというのはまずかったのではないでしょうか」


 そっとうかがうように、マティスはヨルガを見たが、ヨルガは堂々としたものだ。


「別に構いやしないよ。うちにだって招待状は来てるんだ。返事をしていなかっただけで、急遽参加できるようになったと言って、何が悪いんだい」

「でも、色々相手の方にもご準備などもあるんじゃ」

「立食会形式の晩餐会にグラスが足りないなんてことはなかろうよ。ああ、そこの新参の坊や。ここなら好きに飲み食いしていいからね」


 きょろきょろと落ち着かなさそうにしていたカルネリオにヨルガが言葉を投げかける。

 すると、尻尾を激しく振る犬のように、嬉しそうにカルネリオが飛び上がった。


「本当か! ばあさん、気前がいいな!」

「あっはっは。別に私の懐が痛むわけじゃないからね。まあ、リンツ家はうちの領土からも近い分、以前からちょいと貸しがある。多少、派手に飲み食いしたところで何も言われないだろうさ」

「本当か! 楽しみだ!」


 目を輝かせるカルネリオを横に、サフィアスがそっとマティスに耳打ちしてきた。


「なあ、マティス。このばあさん、元々こういう感じなのか?」

「い、いえ。お優しい方ではありましたが」


 マティスの記憶にある最初のヨルガは、すでに体調を崩し、外出したとしても遠方の医師のところへ馬車で通うくらいのものだった。

 こうして生き生きとしているヨルガを見るのは、マティスにも初めてのことだ。


「このばあさんさえ復活したら普通に契約終わるんじゃないかと思うんだがなあ」


 サフィアスの言う通り、不敵な笑みを浮かべる今のヨルガさえいれば、何も怖いものはない気さえしてくる。

 けれども、相変わらず契約の腕輪はマティスの腕についたまま、消える気配はみじんもない。


「まだ、トラウデン家を脅かす心配事があるのかもしれませんね」


 消えない腕輪が、これから起こる何かを予期させるようで、マティスは顔を曇らせた。


「まあ、その時のための俺たちだ。きっちり仕事はしてやる。あまり気をはりすぎるなよ」


 ぽんとマティスの頭を撫でると、サフィアスは先を行くヨルガへと足を向けた。

 その手がまるで父か兄のように思えて、何だかくすぐったくなる。


(なんか、子ども扱いされてるよな)


 相手は宝石から出てきた騎士だ。人智を超越している存在なので、実際の年齢もわからない。もしかすると、見た目よりずっとずっと長生きなのかもしれない。

 特にサフィアスからは、そう思わずにはいられない落ち着きを感じる。

 だからこそ、態度は飄々としていても彼の発する言葉は説得力があり、勇気づけられることも確かだ。


「……うん。大丈夫だよな」


 マティスはつぶやくと、腕輪に軽く手を触れた。

 そうこうしているうちに、執事が戻ってきた。


「ヨルガ様。お待たせしました。それでは中へご案内させていただきます」

「さあ、お前たち。ヨルガ様の凱旋と行こうじゃないか!」


 ヨルガの呼びかけに、サフィアスとカルネリオが後に続く。

 マティスも慌てて三人を追いかけた。

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