第9話 渦巻く陰謀
四人が大広間に足を踏み入れると、そこは異世界のように煌びやかだった。
天井からは精緻なシャンデリアがぶら下がり、ふかふかの赤絨毯が大広間の中に敷き詰められている。壁際に並べられた白のクロスが欠けられたテーブルには、肉や海産物、野菜や果物、パン、そして、まるで宝石のようなケーキやクッキーの数々が並べられている。
貴族の家に仕えているとはいえ、こんな晩餐会には参加したことがない。マティスはただただ息を飲んだ。
その隣で、カルネリオが目を輝かせている。
「サフィアス! 見ろ! 肉だ肉だ! しかもでけえ! あれ全部食っていいんだよな!?」
「もうちょっと待て。あとで散々食わせてやるから!」
「なんでだよ。婆さんが食っていいって言ってたじゃねえか」
今にも飛び出していきそうなカルネリオを、サフィアスが必死に止めている。
そんな二人の様子を気にすることもなく、ヨルガは人混みの中心を真っすぐに突き進んでいく。
どことなく、周囲からの視線が痛い。
ヨルガが進む方向を見て、他の来客たちがひそひそと何か話している様子が見える。
「なんだか、注目されているような気がします」
居心地の悪さを覚えてぼそりとヨルガに耳打ちするが、ヨルガは気にした様子もない。
「そうだろうね。まあ、堂々としてな」
そう言われても、こんなにも多くの貴族が集まる場所に来たこと自体が初めてだ。どうしても落ち着かず、周りを見回してしまう。
来客者たちは競い合うように、煌びやかなドレスや宝石を身に着けている。
ヨルガをはじめマティスやサフィアスやカルネリオの服だって、十分高価なことをマティスは知っている。それでも、亡きリーシャの父やヨルガの夫から借り受けた服は、手入れされているものの、どこか古ぼけた印象がある。
ヨルガの身に着けている宝石も、誕生日に送られたネックレス、母から受け継いだという少し控えめのイヤリングぐらいなものだ。
清貧をモットーとするヨルガらしいと言えばヨルガらしいが、どうしても周囲に比べると見劣りするのは隠せなかった。
するとそこに、ひときわ飾り立てられた男が一人、ヨルガの前に立ちふさがった。
「ヨルガ様。ご無沙汰しております」
嫌味ほどにゆっくりと男はヨルガに向かって一礼した。
年は三十代くらいだろうか。
派手な紫色の夜会服にはこれでもかというほど金糸で刺繍が施されていて、色とりどりの宝石が散りばめられている。
くすんだ金髪をくるくると丁寧に巻き上げ、そこに青や赤の原色の鳥の羽を挿しているのが特徴的だ。
見上げてくる顔はまるで蛇のようで、絡みつく視線にどことなく嫌悪を感じてしまう。
しかし、ヨルガはそれを一瞥すると、扇で口元を覆った。
「おや。誰かと思えば、エルヴィン家のヨハネス殿じゃないか。手紙でのご挨拶は返せずじまいですまなかったね」
(この人がエルヴィン家の……!)
マティスははっとなって、思わずまじましと視線を送ってしまう。
「まさか、お会いできるとは思っておりませんでした。お体の加減はいかがですか?」
口調は丁寧ながらも舐めるような目つきのヨハネスに、ヨルガはふんと鼻を鳴らした。
「見ての通り、ぴんぴんしてるよ。まだこれから百年は生きられそうだね」
「ご復調なさったようで何よりです。ヨルガ様に万が一のことがあれば、お孫様のリーシャ様はさぞかし心細い思いをなさるでしょうから」
「おやおや。孫娘の行く先まで心配してくれるのかい。おかげさまで、何事もなく過ごせそうだよ」
「それはよかった。ですが、なにぶんご年齢もありますから、いつ何があるかわかりませんし、十分ご用心なさってくださいね」
「お気遣い感謝するよ」
淡々と返されるヨルガの答えが気に食わなかったのだろうか。ヨハネスの表情がどんどんと苛立ちを帯びていく。
「ああ、そうそう。生活に随分とご苦労なさっているようですので、何かお役に立てそうなことがありましたら、ぜひお声かけください。お話次第ではお手伝いさせていただきますので」
「そりゃどうも。でも今は十分間に合ってるよ。あんたのように極楽鳥みたいに着飾る趣味は持ってないもんでね」
ぴしゃりとヨルガが言葉を叩き返すと、一斉に様子を見ていた周囲がくすくすと笑い始めた。それはあっという間に笑いの渦となる。
渦中の顔を赤くしたヨハネスは、ワイングラスを床に叩きつけた。
その破砕音に、周囲の笑い声がぴたりと止む。
「……おっと。手が滑ってしまいました。少々気分が悪いので、私はこれにて」
ヨハネスは不機嫌な表情を隠すことなくそう言って、踵を返して大広間から出て行った。
しばらくの間、大広間にはぴりぴりとした張りつめた空気が漂い、静寂に包まれる。
そこに、
「さあ、余興はおしまいだ。今日はリンツ家の晩餐会だ。ご当主からお話があるようだよ」
ヨルガがパンと手を鳴らし、大広間の前列に立つリンツ家の当主へと広間の皆の注意を促した。
自然に人々はそちらを向き、楽隊もまた優雅なワルツを奏で始めた。
「さっきの趣味が悪い男は何だ?」
カルネリオを解放し、自らもワイングラスを片手にサンドウィッチを頬張るサフィアスがマティスに声をかけてきた。
「あの方がトラウデン家の領地を狙っているエルヴィン家の若当主です。お父君を不慮の事故で亡くしたとかで、数年前に家督を継がれたそうです」
「へえ。いけすかない態度の奴だったな」
それにはマティスも大いに同感だったので、深く頷いてしまった。
「そうですね。噂ではとても浪費家で、さらには何人も愛人を囲っていらっしゃるようで。そんなところにリーシャ様もと、先日お手紙が来たんです」
「ああ、それであんなにばあさんが怒ってるのか」
なるほどなあ、と納得した様子のサフィアスに、マティスは苦笑しながら言った。
「ヨルガ様が回復されたので、大人しく引き下がってくださったらいいのですが」
「それだといいけどな」
マティスのため息を聞きつつ、サフィアスはわずかに顔をしかめ、ヨハネスの消えていった回廊を見ていた。
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