第4話 不思議な力

 屋敷の自室に帰りつき、マティアスは大きなため息をついた。

 手の中にある腕輪の宝石は変わらず不思議な光を宿している。なんとなくだが、そこにいると感じる。

 けれども、どこか恐ろしいものを握り締めているようで、マティスはそれから目をそらした。すると、ふと目をやった壁際に、その存在はいた。


「それで、まだ願いは決まらないのか?」


 面倒くさそうにサフィアスは言った。

 突然手渡され、貸し出された『宝石騎士』。

 消えたり現れたり、不思議な力を使ったり。あまりにも摩訶不思議な存在だ。それでも、サフィアスが突然姿を見せたところで、大して驚かなくなってきているあたり、自分もこの短時間でよく慣れてきたものだと思ってしまう。


「すみません。正直、どうしていいかわからなくて、持て余しています」

「ほお。なら、契約終了いうことでいいか」

「それは!」


 早々に姿を消そうとしたサフィアスを、マティスは反射的に呼び止めた。


「俺だけでは手に余るんです。貴方の力をどう使って、どうすればいいのか、俺にはまだわからないんです」


 うっすら消えかかっていたサフィアスは訝しげな表情になり、その輪郭を取り戻した。


「ん? ちょっと待て。俺の力についてジェラルドから聞かされてないのか」

「願いを叶えてくれるとは聞きましたが、具体的に何ができるかは聞いてません。っていうか、外の声って聞こえてるんじゃないんですか?」

「ずっと聞こえてたらうるさくてやってられないだろ。聞きたければ聞くけどな。ただ、俺もそんな暇じゃないからな」


 顔をしかめながらがしがしと後ろ頭を掻くサフィアスに、マティスははっとした。

 宝石騎士は色んな人の願いを叶えているという。当然忙しいに決まっている。


「ちなみに、さっきは何してたんですか?」

「パズル」


 真顔で答えるサフィアスとの間に、一瞬、沈黙が流れた。


「……いや、それめちゃくちゃ遊んでますよね?」

「わかってないな。やっと大事な角っこが見つかったところだったんだぞ」

「しかも始めたところ!?」


 もはや、何から突っ込んでいいかわからない。マティスは思わず頭を抱えたくなった。

 すると、サフィアスがにやりと笑った。


「なあ、少年。俺がやる気ないのが不満か?」

「え?」

「心の声が顔に駄々洩れてるぞ」


 非難するでもなく、面白そうに笑うサフィアスに、マティスは言葉を詰まらせた。


「お前が俺に何を期待してるかは知らないけどな。ただ、俺には俺の都合がある。とはいえ、契約は契約だ。俺の得意は治癒魔法。制限はあるが、薬やら使わずともたいていの病気や怪我は治すことができる」

「制限?」

「例えば、死人は生き返らせることはできない」


 元よりそんな願いをするつもりはない。だが、そう願う人はきっとこの世にはたくさんいるだろうし、実際に願われたこともあるのだろう。


「俺が呼ばれたってことは、大方それに関する内容の願いなんだろうぐらいは察してる。ということで、俺はさっさと帰って続きがしたい。願いがあるならさっさと言えよ」


 不敵な笑みを浮かべて、挑戦的に身を乗り出してくる。

 これまでのやり取りで信用できる要素など全くない。

 でも、サフィアスが言うことが本当なら、願うことは一つだ。


「俺はヨルガ様を――トラウデン家を救いたい」


 マティスとサフィアスの視線が交錯する。


「宝石騎士サフィアスの名において、その願い、叶えてやる」


 自信に満ちた笑みを浮かべると、サフィアスはそのまま空気に溶け込むようにその姿を消した。

 その時、ちりんと呼び鈴が鳴り、マティスははっと顔を上げた。


「しまった。ヨルガ様のお薬の時間だ」


 慌てて腕輪をポケットに突っ込むと、マティスはヨルガの元へと走った。




 薬と水を持ってヨルガの部屋にたどり着くと、激しく咳き込む音が響いていた。


(え?)


 どこかいつもと様子が違う。

 得体のしれない焦燥感にかられ、マティスは扉を押し開けた。


「ヨルガ様!」


 飛び込んできた光景は、ヨルガが激しく咳き込みながら、寝台に伏す姿だった。

 真っ白だったはずのシーツには鮮血が散り、ヨルガは苦しそうにシーツを握り締めている。


「そんな……ヨルガ様、しっかりしてください! 今すぐ薬を!」


 急いで薬を取り出し、ヨルガの口元に当てる。けれども、息を吸い込むこともままならないヨルガは、薬を口にすることができない。

 口吸いに水を入れ、そこに薬を溶かし込み、流し込もうとする。だけど、それもうまくいかない。


(このままじゃ、ヨルガ様が亡くなってしまう)


 激しくなる咳に、焦る気持ちだけが募る。


(いったいどうすれば……)


 ぎゅっとヨルガの手を握り締めた、その時。


「へえ。なるほどなぁ。これが俺の呼ばれたわけか。マティス。ちょっと、そこどけ」


 肩に手を当てられ、見上げると、いつの間にか出てきていたサフィアスの姿があった。

 サフィアスはじっとヨルガを見ると、その苦しげに喘ぐヨルガの胸にそっと手をかざした。


「サフィアスさん。何を……」

「仕事だ」


 先程とはうって変わって真剣な表情のサフィアスに、マティスは口をつぐんだ。


「目覚めよ、『癒しの泉』」


 サフィアスの手から柔らかな青い光が放たれ、じんわりとヨルガの体を包み込む。

 すると、ヨルガの呼吸は徐々に落ち着きを取り戻し、苦悶に歪んだ表情が和らいできた。

 同時に、ぐらりと体勢を崩したヨルガをマティスは慌てて抱き留め、その体をゆっくりと寝台へと寝かせた。しかし、その寝顔は穏やかだ。

 危険な状態が去ったことを確認し、マティスは大きく胸をなでおろした。

 そして、はっと、隣に立つサフィアスを見上げ、慌てて立ち上がる。


「す、すごい……。サフィアスさん、ありがとうございます!」


 深く、深く頭を下げた。


「悪いが、根本的な病を治したわけじゃない。とりあえず、今の状態を抑えただけだからな」

「それでも、ありがとう……本当に、ありがとうございます」


 肩をすくめるサフィアスの声はそっけない。けれども、死の縁に瀕していたヨルガを助けてくれた。それだけでも十分ありがたかった。

 絞り出すように感謝を述べるマティスを、サフィアスは不思議そうに見て、ぽつりと言葉を紡いだ。


「なあ? どうして嬉しそうなんだ? このばあさんとは他人だろう」


 マティスは少し小首をかしげた。


「そうですね。確かに俺とヨルガ様は他人です。でも、記憶をなくして道端で倒れていた、何の縁もゆかりもない俺を拾って、名前と居場所を与えてくれた。お嬢様とお二人で、まるで家族の一員のように扱ってくれた。そのトラウデン家に、恩を返したい。それって、理由になりませんか?」


 すると、サフィアスは「ふぅん」とだけ返してきた。自分で聞いておきながら、何ともそっけない反応だ。

 そして「ま、頑張れよ」と言ったきり、あっさりと姿を消してしまった。


「……なんだか、つかみどころのない人だな」


 だからこそ、人外の存在なのかもしれない。


(これからどう関わっていけばいいのか、まだよくわからないけど、とりあえず悪い人じゃないってことだけは確かかもしれない)


 穏やかに眠るヨルガを見つめ、マティスはふっと微笑んだ。

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