第3話 青玉石の騎士

「え?」


 その光景に、思わずマティスは息を吞んだ。

 炎は瞬く間に大きくなり――


「……何も起こらないですね」


 ぽつりと呟いたマティスの言葉に、ジェラルドが貼りつけたような笑顔を見せた。


「えーっと、ちょっとお待ちくださいね。サフィアス君。サフィアスくーん!」


 ジェラルドが腕輪を振れども回せども、何も起こらない。

 ジェラルドはにっこりと微笑むと、「かくなる上は」と腕輪を大きく振りかぶって、壁の方向へ投げつけようとしたその時、ぼんっと大きな煙が上がった。


『ちょ、ちょっと、待て!』


 どこからか、焦ったような男性の声が響く。

 霧が張れるように煙が薄くなり、そこに表れたのは――白のロングコートに身を包み、長身の腰まで伸びた長い銀髪と湖を思わせる深い青の瞳を持った男性だった。

 その人間離れした美しさに、マティスは一瞬、目を奪われる。

 だがそれ以上に、目の前で起こった超常現象に、呆然とせざるをえなかった。


(い、いきなり人が現れた!? もしくは奇術師か何かなのか!?)


 貴族たちの宴で、こういった余興が披露されることがあると聞いたことがある。

 とはいえ、もしそうだとしたら、あまりにも高度だ。タネも仕掛けもあるようには見えない。

 そもそもこの店に来た時から、摩訶不思議なことばかり起きている。さっきの光は何だ? あの煙は何だ? もしかして、夢でも見ているのだろうか?

立ち尽くしたままのマティスを現実に引き戻したのは、銀髪の男が発した言葉だった。


「ジェラルド。今、何しようとした?」


 わずかに怒りを含んだ視線を向けられるが、ジェラルドはそれを気にした様子もない。


「何って、呼んでもなかなか出てこないから、寝坊助さんにちょっとした目覚ましをかけてあげようと思っただけだよ?」

「ちょっとでも傷ついて、目覚ましどころか、永遠の眠りについたらどうするつもりだったんだ?」

「やったことあるのかな?」

「そりゃないが」

「なんだ。それなら、試してみるのも悪くはないかもしれないよ?」


 ジェラルドはからから笑った。


「それでいいわけないだろ! そんなことしてみろ。一生出て来てやらないぞ!」


 言い捨てると、サフィアスと呼ばれた男性は再び一瞬にして、その姿を消してしまった。


(こ、今度は消えた!?)


 サフィアスがいた場所を少し見やると、ジェラルドはひょいと肩をすくめた。


「おやおや。へそを曲げてしまいましたね」


 しれっとした様子のジェラルドに、そりゃそうだろうと内心思いながらも、マティスは口に出すことはやめた。

 それはともかく、頭の中が追い付かない。その視線をくみ取ったのだろう。

 ジェラルドは改めてマティスに向き合うと、手にした腕輪をマティスに差し出した。


「ご覧いただきました通り、今回お客様にお貸しするのはこの蒼玉石と、そこに宿った『宝石騎士』――名は『サフィアス』です。お客様の願いにぴったりな『少し特殊な宝石』をお貸しする。それが、我が宝石店の裏稼業なのです」


 少し特殊どころの話ではない。

 それでも、今、目の前で実際に起こったことを、妄想だと片付けることも出来ない。

 それほどに、彼の存在は生々しかった。


「あの……まだちょっと、頭がついてこないんですけど」


 少し整理する時間が欲しかった。それにはジェラルドも納得したようだ。

「そうでしょうね」と頷いてから、視線を腕輪に落とした。


「この宝石は、失われし古代の秘宝です」

「古代の……?」

「数千年前――この世界にはかつて栄華を誇った文明があったと、聞いたことはありませんか?」

「え? まあ……少しくらいなら」


 突然何を言い始めたのか、と、訝し気にジェラルドを見遣る。

 今の文明が築かれるより前に、滅んでしまった文明がある――ということは、誰しも聞いたことくらいはある。

 実際、自然が多く残るトラウデン領の中にも、「遺跡」と称される謎の建造物の痕があるし、現在使われている暦や祭日の中には、そういった大昔の伝統を受け継いでいるものも多きと聞く。

 子供達が聞かされるおとぎ話や子守歌も、そういった伝説をもとにしているものも多い。

 とはいえ、考古学者でもないマティスの知識といえば、そういう曖昧なものだけだ。

 ジェラルドは困惑したままのマティスをよそに、言葉を続けた。


「古代の人々の超越した文化を支えていたもの……それが、『魔力』と呼ばれる特殊な力です」

「魔力? つまり……おとぎ話とかにある、魔法、ってことですか?」

「ええ。ですが、古代文明の崩壊と共に、その力も失われたとされています」

 理由はよくわかりませんけれどもね、と、ジェラルドは付け加えた。

「その中で、古代の遺物としてこの世に残されたもの――その一つが、この宝石なのです」


 その言葉に呼応するかのように、腕輪についた青い石が煌めいたような気がした。


「この宝石には、大いなる力を有する『騎士』が宿っています。その騎士が忠誠を誓い、力を尽くす……そうすることで、この石の所有者は大いなる力を得ることになります」

「騎士? それが、さっきの銀髪の……?」

「はい。『かの宝石を手に入れし者、世界を統べん』――そうとまで謳われたこれらの宝石を求めて、歴史上の様々な偉人たちが、ありとあらゆる手段を取ったと言われています。そう、例えば、西方ウェスタ―地方で百年前に起きた十年戦争の英雄クロード。はたまたかつて南方サウザール地方を統一したと言う覇王……」


 ジェラルドがつらつらと上げていく名前は、いずれもヨルガの蔵書で見たことのある名前ばかりだ。

 失くした記憶を埋めるように、一般常識を身に着けるべく読み漁ったのだ。

 圧倒的な力でさまざまな部族を制圧した征服王。歴史を陰で動かしたと言われる暗殺宰相。後宮を牛耳り、皇帝を動かしたともされる傾国の美姫。なかには死に瀕した戦士を復活させたという奇跡の聖女の名まである。


「宝石騎士の力を借りて、野望あるものは野望を果たし、願いがあるものは願いを叶える……そういうわけなのです」


『願いが叶う』という謳い文句の意味が、ようやく分かったような気がした。


「私はこういった古代の遺物を集めている宝石商なのです。そして、その力を悪用するのではなく、正しいことに使用してくださる方にお貸しする。それが、私の裏稼業というわけなのです」 


 このジェラルドという男は何者なのか。そんな大変なものをやすやすと人に貸していいのか。気になることは色々あるし、すべてを鵜呑みにして信じていいとは思えない。

 けれども、何より、


「正直、自分がどうしたらいいのかよくわかりません。なんというか、その……人外の存在をどのように扱えばいいのか」


 絶大な力を持っているのであれば、なおのことだ。

 そんなマティスをじっと見て、ジェラルドはふと微笑んだ。


「あなたのような方にお貸しできてよかった。いや、だからこそ選ばれたというべきか」


 ジェラルドはそっとマティスに近寄り、マティスの胸の中央を人差し指で指した。


「あなたはただ願えばよいのです。その願いに最適な解を、彼らは自然と導き出す。それを必ず実行する忠実なる騎士、それが宝石騎士です。それゆえ、過去には不本意なことにも手を染めざるを得なかったために、少しへそを曲げて我儘なところもあるかと思いますが……まあ、そういう時はさっきのようにこうすれば」


 ジェラルドがすっと腕輪を振り上げる。すると、


『だから、やめろって!』


 さっきと同じ声が響き、どこからともなく小さな氷塊が現れ、ジェラルドを直撃した。

 その直後、またもや煙のように目前に表れたサフィアスに、ジェラルドは苦笑した。


「冗談だよ。そう怒らないでくれないかな? サフィ君」


 どこか茶目っ気たっぷりにサフィアスを覗き見るジェラルド。

 絶大な力を持つという『宝石騎士』とやら相手に、こんな態度をとれるこの店長は一体何者なのだろうと、思わずにはいられない。

 サフィアスは深いため息をついた。


「ああ、まったく。ジェラルドといるとろくなことがない」


 そこまで言ってから、サフィアスの青い瞳がマティスを見遣った。

 その鋭い視線に、マティスはうっと息を飲む。

「とはいえ、ジェラルドが貸すと言った以上、今からはお前が俺の仮の主ってことか。はあ、面倒くさい。それで、お前、名前は何だ?」

「ま、マティス、ですけど……」

「それじゃマティス。さっさと行くぞ」


 そう告げるや否や、サフィアスは指をぱちりと鳴らした。

 次の瞬間、気付けばマティスは、店の外に立っていた。


「えっ!?」


 慌てて店の中に入ろうとしたが、すでに店内はもぬけの殻。まるでそこにはただ廃墟しかなかったかのように、雑然とした古い建物が建っているだけだった。


「ど、どういうことだ?」


 マティスは呆然と立ち尽くした。

 サフィアスの姿も見当たらない。

 ただ、そのマティスの手に握られた青い宝石のついた腕輪だけが、不思議な光を放っていた。

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