第2話 謎の宝石店


 エルヴィン家。――元来力のある貴族ではなかったが、強引なやり方で私腹を肥やし、所有地を拡大していっているという。

中でも最近引退した先代の後を継いだ新領主フィックス・エルヴィンは女癖も悪く、幾人もの妾を囲っているという。


(ちょっと聞きこみしただけで、こんなに悪評が聴こえて来るなんて)


 トラウデンの屋敷から荷馬車でしばらく進んだ場所にある、小さな街。

 買い出しという名目でここまで来たが、どうにもいたたまれなくて、街の人々から情報を集めながらうろうろと彷徨っていた。

 けれど、エルヴィン家について調べたところで、今後どうすればいいのだろう。

マティスは大きなため息をついた。


(そんな家に領地を取られでもしたら、あとは用済みとばかりにトラウデン家は消されてしまうかもしれない)


 ましてやリーシャを妾になど出せるはずもない。


(ヨルガ様は病で動けない。リーシャ様にも話せない。となると、動けるのは俺だけ……)


 大恩あるヨルガやリーシャのために、何かできることがあるならば、したいと思う。


(でも、記憶さえない俺にできることなんて……)


 何か、方法はないのだろうか。

 例えば、困っている人々を助けてくれる、英雄か何かのような、そんな都合のいい存在が――


「……って、え?」


 と、そこで、マティスは自分がいつの間にか路地裏に足を踏み入れていたことに気付いた。

 いつの間に商店街から外れたのだろう。

 人気の無いその道の突当りには、一つの古びた店があった。


「『ジュエル・ジェラルド』? ってことは、宝石商か?」


 廃屋を改装したようなその店に掲げられた艶やかな看板に、マティスは首を傾げた。

 こんな所に宝石商が構えた店舗があるなんて、知りもしなかった。

 だがそれよりも気になるのは、扉に貼られた紙に書かれた文字列だ。


『貴方の願いを叶える宝石、お貸しいたします』


 明らかに怪しげな売り文句だ。関わらない方が良いだろう。

 そう思っていたはずなのに、自然と足は路地裏を進み、店の方へと歩を進めている自分がいた。

 まるで、何かに導かれるように――


(あれ?)


 無意識のうちに扉を開き、店内へ入ったろことで、マティスははっと我に返った。


(何で俺、こんな所に)


 マティスはおそるおそる周囲を見渡す。

 薄暗い店内。無数に立つ柱状のショーケースの中で、煌びやかな宝石や装飾品が薄明りで照らされ、美しく浮かび上がっている。

 外観は質素だったが、内部はかなり豪華な設えだ。

 廃屋を改装して作ったと思われる仮設の店舗にしてはお金がかかっているなと思う。

 無数にそそり立つ柱を潜り抜けて奥へと進むと、店長と思しき人物が勘定台の前に立っていた。

 他に人の気配はない。

 高価な品々を扱っているであろう店にしては、不用心だなと思う。


「ようこそ、我が宝石店――『ジュエル・ジェラルド』へ。どのようなお品をお探しですか?」


 ゆっくりと顔を上げたのは、三十代くらいの長身の男だった。

 カラスのような黒髪に、紫色の瞳。その顔には笑みが貼りついているが、どうにも表情が読み取れない。

 食えない人間であることは、一目でわかった。


「えっと……」


 少し口籠ってから、マティスは言った。


「外の張り紙にあった、『願いが叶う宝石』って、どういうことですか?」


 わずかに息を飲みながら店主の顔を見つめると、店主もまたこちらを凝視してきた。


「ふむ」


 まるで品定めをするかのように、じろじろと不躾な視線を投げかけられる。何とも居心地が悪い。

 やがて、店主は少し首を傾げて言った。


「その宝石は少々お高いですが、大丈夫ですか?」

「えっ?」


 慌てて、手持ちの財布の中身が心もとないことを思い出す。


「えっと……お金はあまり持ってなくて。あ、でも、これなら……」


 そう言って、マティスは首から下げていたペンダントを引っ張り出し、外すと、店主の前に置いた。


「ふーむ。なかなか立派な宝石がついた首飾りのようですが……大きな傷が入っていますね。そういった装飾品は、あまり価値は高くないですよ?」

「わかっています。でも、他に無くて」


 これで断られるなら、もう後は無い。そう覚悟していたのだが。


「おや。これはこれは……もしかしなくても……」


 店主がぶつぶつと何かつぶやき始めたので、マティスは思わず目を見開いた。


「え?」

「よし、いいでしょう。お受けいたしましょう」

「ほ、本当に良いんですか?」

「勿論です。私は、お客さまを見る目はありますので」


 にこり、と微笑んだ笑顔が、何だか胡散臭く感じる。

 だが、傷物の宝石を対価に受け入れてもらえたならば幸運だ。


「じゃ、じゃあ……」


 息を飲んだマティスに、店主は背後にあった扉へと誘った。


「では、こちらへどうぞ。特別なお客様」


 そして、案内されるままに別室へと足を踏み入れた。

 そこは、先程の表の店内よりもさらに薄暗い、小さな部屋だった。

 部屋の四隅には先ほどの円柱形のショーケースと似た形状のものが立っており、中にはそれぞれ、赤、青、緑、黒色をした宝石が収められている。

 それらは、販売展示されていた宝石たちとは比べ物にならないほどに美しく、そして同時に、どこか怪しげな輝きを放っていた。


「では改めまして、自己紹介を。私の名はジェラルド・シーカーと申します。お客様のお名前は?」


 優雅に一礼した店主に問われ、マティスは慌てて答えた。


「お、俺は……マティス、です」

「それは本名ですか?」

「え?」


 まさかそう返されると思わず、どきりとする。


「い、いや……わかりませんけど」

「わからない? それは奇妙ですね。まるで記憶でも無くされたかのような」

「そ、そんなこと、今はどうでもいいじゃないですか。それとも、自分のことを何でも喋れる客じゃないと駄目ってことですか?」

「いえいえ。そんなことはございません。大変失礼しました」


 ジェラルドは再び一礼し、にこやかに微笑んだ。


「当店の『裏稼業』を求めてお越し下さるお客様は、我が店が御依頼をお受けするに相応しい願い事を持って、必然的に導かれたお客様です。そして尚且つ、対価を払えると認められたお客様を、拒否することなど決してありません。さあ、こちらへ――」 


 ジェラルドに導かれるままに、部屋の中心へと歩を進める。


「さあ、あなたの願いを心の中で叫んでください!」


(俺の、願い……)


 自分は、何をしたいのか。何をするために、ここまで来たのか。


(俺は……恩のあるヨルガ様を助けたい。危機的状況にあるトラウデン家を救いたい!)


 その次の瞬間、足元に不思議な紋様と、読むことが出来ない奇妙な文字列のようなものが、ほのかな光を帯びて浮かび上がった。


「えっ!?」


 そこから発された光はマティスの周囲を回るように飛び回り、やがて四隅にある宝石の一つへと辿りついた。

 光に照らされ、一際明るく輝き始めたその石は――


蒼玉石サファイア……ですね」


 ジェラルドはそう呟くと、ゆっくりとその石へ近付き、そっとショーケースに触れた。

 すると、かちりと音をたてて硝子の扉が開いた。

 ジェラルドは、どこかもったいぶった仕草で、青く艶やかに輝く宝石が埋め込まれた銀細工の腕輪を取り出した。


「こちらがお客様にお貸しする宝石です」


 そっと手を伸ばそうとすると、ジェラルドは腕輪を持つ手をさっと引っ込めた。


「おっと。お貸しするその前に、こちらの借用契約書にサインをお願いします」


 ジェラルドに差し出されたのは一枚の変哲もない紙だ。

 確かに借用契約書と書いてある。

 中身はというと、壊さないこと、失くさないことなど、物を借りるにあたって当たり前のことが書いてある。

 だが――


「契約内容に反することがあった場合、契約者様の命をもって賠償いただきます――って、い、命!?」


 思わず目を見張り、ジェラルドを見上げた。


「ええ。その通りです。この宝石はこの世に二つとないものです。万民が持っていて、この世に二つとないものと言えば、ご自身の命ぐらいではありませんか?」

「そ、それはそうですけど」

「もしお嫌でしたら、お帰り頂いてもよいのですよ?」


 ジェラルドが背後の扉を指さした。マティスはそちらを一瞬見た。

 けれども、ゆっくりと首を横に振った。


「いえ、お願いします。俺の命くらい、安いものですから」


 そんなマティスの様子を見たジェラルドは、ふっと微笑んだ。


「ご心配なく。頑丈な宝石ですから、ちょっとやそっとでは壊れませんよ。お客様のお人柄から察するに、乱暴に扱うことはないでしょうから。あくまで保険ですよ、保険」

「は、はあ……」

「では、こちらへサインと血判をお願いします」


 差し出された羽ペンを手に、マティスは名前を書き、隣に置かれたナイフで親指に軽く傷をつけた。

 じわりと滲む血で親指を湿らせると、しっかりと契約書に判を押した。


「これで、契約成立ですね。それでは、これからこの蒼玉石を貴方様にお渡しいたします」


 言うや否や、ジェラルドは契約書をくるくると巻くと、蒼玉石にかざした。


「さあ、サフィアス君。お仕事だよ。出ておいで」


 すると、突如、蒼玉石から沸き上がった青い炎が一瞬にして契約書を取り込むかのように飲み込んだ。

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