あなたの守護騎士、お貸しいたします!

秋良知佐

宝石店へようこそ!

第1話 【プロローグ】迫る危機

 降りしきる雨が身体を打ち、吹きすさぶ風が熱を奪っていく。

 けれど、剣の柄を握る手が僅かに震えるのは、寒さゆえではない。


『なんで……なんで裏切ったんだ!』


 振り絞るように叫んだ声は、相手に届いただろうか。

 使い慣れた剣をおもむろに構え、一心不乱に駆け出す。

 その刹那――目の前に迫りくる虹色の閃光に、視界を奪われた。

 直後、全身を襲う激しい痛みに襲われる。

 だというのに、何故だろう。その光を「美しい」と思ってしまったのは。



「……またあの夢か」


 瞼の奥に太陽の光を感じて、その少年――マティスは目を覚ました。

 麻の布団を押しのけるように起き上がり、窓の外を見る。


「雨は止んだみたいだな」


 窓についた雨露が日光を受けてきらきらと輝いている。

 その様子を見ながら、はあ、とため息をついた。


「……雨の夜は、いつもあの夢を見るんだよな」


 そして、毎度ながらとても嫌な気分で目が覚める。要するに悪夢というやつだ。

 幾度となく見るということは、自分の中の記憶から来るものなのではないかと思うのだが、


「でも、だからって何も思い出せないんだよなあ……」


 立ち上がり、洗面台の鏡の前に立つ。

 艶やかな金色の髪についた寝癖を直し、まだ眠気の残ったはしばみ色の目をこする。

 マティスには、ここ三年より以前の記憶が無い。

 この名は、三年前に自分を拾ってくれた相手が付けてくれた名だ。

 年は定かではないが、おそらく十七歳前後なのではないだろうか。

 整った顔立ちと、細身ながらも適度に引き締まり、均整のとれた身体つき。それゆえに、元は良い出自なのではないか? と周囲の者は言うが、いかんせん何も思い出せないのだからどうしようもない。

 唯一の手掛かりと言えば、拾われた時に持っていたというペンダントくらいのものだ。


「……宝石に傷がついてるから、価値は無さそうだけど」


 ちらりと視線を落とした先には、机の上に置かれた首飾りが静かに佇んでいる。

 古めかしいながらも繊細な造りの金細工にはめ込まれた、黄色い宝石。そこには無残にも、大きなひっかき傷のようなものが付いている。

 高価な物ならばいっそのこと換金してしまいたいところだが、こんな傷物ではそうもいかない。

 とりあえずお守り代わりにと、服の下に隠す様にして首から下げた。


「よし、気を取り直して、今日も仕事仕事! 今日は天気も良いし、洗濯ものが捗るぞ」


 顔を洗ってパンッ!と気合を入れるために両頬を叩いてから、マティスは部屋の外へと向かった。




 マティスが住み込みで働いているのは、北方ノーシェステ王国の一角、トラウデン領。

その名と同じトラウデン家という由緒正しい貴族の屋敷だ。

 歴史を感じさせる白煉瓦の邸宅は、他の貴族の館に比べれば小振りらしいが、長年手入れが行き届いていたのだろう。薔薇園を有する美しい庭園ともども、とても絵になる。

 とはいえ、ここ最近、これらの美しさを維持することが困難になってきてはいるのだが。


「せめて、もうちょっと人手があればなあ」


 玄関の掃き掃除をしながら、マティスは小さくつぶやいた。

 何といっても、この屋敷に常勤している使用人は、マティスただ一人なのだ。

 出入りしているのも、数日に一度来てくれる料理番と、時折依頼して来てもらう庭師くらいのものだ。

 掃除、洗濯、その他もろもろの雑務は全てマティスがこなしている状態だ。

要するに、金銭的な余裕がないのだ。

使用人の立場ながら、その事実に憂いを感じずにはいられない。

 体力も根気もある方だと思うし、身体を動かすことは嫌いではない。それに何より、出自がわからない自分を拾って衣食住を与えてくれたのは、他でもないこの屋敷の主人だ。

 その恩を返すためならば、毎日の業務は苦ではない。

 けれど、貴族としてこの家は大丈夫なのか? と、心配にはなる。


「ねえ、マティス」


 不意に声がかかって振り返ると、肩より少し長い黒髪と青い瞳を持つ少女が立っていた。


「リーシャお嬢さん、おはようございます」


 マティスと同じくらいの年のこの少女は、リーシャ・トラウデン。この屋敷の主の孫娘だ。


「ご朝食はもう終わられたんですか?」

「ええ、ありがとう。今日も美味しかったわ。マティスが一緒に食べてくれたら、もっと美味しかったのになあって思うけれど」

「あはは……それはありがとうございます」


 どこか寂し気な目を向けるリーシャに、マティスは苦笑いで返す。

 現在、屋敷の主は病で臥せっているため、リーシャはいつも一人で食事をとっている。

 マティスは業務に追われているため、準備だけして食堂から早々に退散してしまっている状態だ。

 お可哀想に、とは思うが、どうしてあげることもできないのが歯がゆい。

 そんなマティスの心情を読み取ってか、リーシャは申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい。困らせるつもりじゃなかったのよ。貴方は忙しいものね。こんな弱小貴族の家にとてもよく仕えてくれて、どうもありがとう」

「いえ、こんな俺を家族のように迎え入れてくれたヨルガ様とリーシャ様には、本当に感謝しているんです。今だってこの屋敷に住まわせてもらってるんですから、これくらい働くのは当然ですよ」

「とはいえ、マティス一人きりで大変よね。おばあさまがお元気だった頃は、もっと人手も多くて、活気があったんだけど……」


 マティスがこの屋敷に来たのは三年前のことだ。

 山道で行き倒れていたマティスを、馬車で通りかかったトラウデンの女当主ヨルガが発見し、保護してくれた。

 その時にはすでに、ヨルガは高齢なのに加えて、重い病を患っていた。

 そして、貴族とは名ばかりの質素な暮らしをしていた。

 マティスが知るトラウデン家はそこからなので、かつての栄華は知る由も無い。


「それに……おばあさま、最近何だかますます元気がないのよ」

「え? でも、先日いらっしゃったお医者様は、特に何も……」

「ううん。身体のことじゃ無くて。何か、悩みがあるみたいなの。おばあさまとお話していると、それを感じるの。でも、私には何も話してくださらなくて」


 幼い頃に両親を病で亡くしたというリーシャにとっては、祖母のヨルガが唯一の肉親だ。

 悲し気に眉をひそめる様子からは、心の底から祖母を心配している様子が伝わってくる。


「ねえマティス。貴方から、おばあさまにお話を伺ってみてくれない? 貴方になら話してくれるかもしれないから」

「わかりました。あとでお薬を持って行く時に、それとなく聞いてみますね」


 マティスが力強くそう言うと、リーシャは少し安心したように、柔らかく微笑んだ。



 屋敷の二階。この屋敷の中で一番豪華な造りの扉の前に、マティスは薬と水を載せた盆を片手にやってきた。

 ノックをして「入りな」という声が返ってきたのを聞いてから、マティスは扉を開いて部屋に入った。


「ヨルガ様、お薬の時間です」

「そこに置いておいておくれ。まったく、あの医者が用意する薬はまずくてたまらん」


 ふんっと鼻を鳴らしながらそう言った白髪の老女は、名をヨルガ・トラウデン。

 女ながらに、この家の当主だ。

 寝たきりの状態で寝台の上にいるものの、かつてこの地を治めた貴族の長としての眼光の鋭さは衰えていない。

 そんな気難しい気性を持つ主を前に、マティスは苦笑した。


「そう言わずに、ちゃんと飲んでください。お口直しに蜂蜜も用意しておきましたから。まだまだヨルガ様にはお元気でいていただかないと」

「まあね。リーシャに良い見合い相手を見つけるまでは、おちおち死んではいられないからねえ」


 その言葉を聞いて、マティスは薬の用意をしながらもヨルガの方をちらりと見た。


「ヨルガ様、最近何か悩みでもあるんですか? 少し前までは『リーシャはまだまだ嫁にはやらん!』って言ってらっしゃったのに、今日は随分と弱気じゃないですか」


 もちろん、リーシャからの前情報があったからこその聞き込みなわけだが。

 ヨルガは、マティスの働きを評価し、それなりに信頼してくれている。

 これまで、たびたび話し相手にもなってきた。

 だからこそ、ヨルガは暫しの間押し黙っていたが、やがて静かな声で言った。


「……エルヴィン家、ていう貴族を知ってるかい?」

「えっと、たしか……トラウデンの所有している領土の、隣の地方の貴族ですよね。先日ヨルガ様宛に手紙が来ていたような」

「そうさ。そのエルヴィン家が、我がトラウデンの領土を狙っているらしくてね」

「えええっ!?」


 予想外の発言に、思わず薬の瓶を取り落しそうになってしまった。

 そんなマティスの動揺を尻目に、ヨルガは語り続ける。


「老い先短い当主の弱小貴族では、もう管理が厳しいだろうとから、早いうちに譲渡しろと言ってきてね。ついでにリーシャも妾として貰ってやると言ってきてるんだよ。……冗談じゃない」

「り、リーシャ様を!?」

「領民からやたらと税金を搾り取ってるようないけ好かない貴族のぼんぼんに、リーシャをやるものか。トラウデンだって、たいして広くもなければ税収が多いわけでもないが、先祖代々受け継いできた土地だ。いずれリーシャに残してやるつもりだからね。簡単には渡せんよ」


 矢継ぎ早に言葉を発するうちに、ヨルガの呼吸が荒くなっていく。

 苦し気に咳をしはじめたのを見兼ねて、マティスは慌てて駆け寄った。


「ヨルガ様、それくらいになさってください。先ずはお薬を」


 薬を口に含み、起こしていた身体をベッドに沈ませながら、ヨルガは消え入るような声で呟いた。


「……この身体がうらめしいよ。私がもう少し元気なら、他の貴族に舐められることもないというのに――」


 何とも悔し気な主の様子に、マティスは思わず唇を噛んだ。


「何か……何か、俺にできることはないでしょうか?」


 絞り出した声に、ヨルガは少し驚いたようだったが、


「あんたがこの家のことをあれこれやってくれているお陰で、私やリーシャは生きてられてる。それ以上何を求めるって言うんだ」

「でも……」

「何かできることか。唯一あるとすれば、私が死んでからの次の雇い主を探すことくらいじゃないかい」

「そんな」

「冗談で言ってるわけじゃないよ。あんたが路頭に迷う事があれば、私の沽券に関わる。出来ればリーシャが身を固めるまで、見守っていてやってほしいとは思うが、それは私の我儘だからね」

「ヨルガ様……」


 ヨルガが微笑むのを見て、マティスは押し黙った。

 それ以上何も言わなくなったヨルガに、マティスは静かに退室することしかできなかった。

 部屋を出ると、廊下の奥からこちらを伺っているリーシャと目が合った。

 ヨルガの様子が気になって、マティスが出て来るのを待っていたのだろう


「マティス、どうだった?」


 心配そうに首を傾げるリーシャに、マティスは答えに窮した。


(リーシャ様にそのままお伝えするわけにはいかない……)


 ただでさえ身内の病で心細いにちがいないのに、さらに不安を煽るようなことは言いたくない。

 リーシャを妾に、という不名誉な縁談まで来ているのだから、尚更だ。


「いえ、特には……。お役に立てずすいません。ヨルガ様もお考えがあるでしょうから、時間をかけてお話を聞いていきますね」


 取り繕う様になんとかそう言ってから、「では買い出しがありますので、これで」とだけ告げる。

 リーシャの視線から逃れるように、マティスはその場を後にした。

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