第5話 蝕まれる身体

 その後、ヨルガの体調は一進一退。症状が再び悪化すればサフィアスが魔法をかけ、サフィアスの魔法によって落ち着いたかと思えば、またすぐに悪化するといった状態だった。

 聞かされていたとはいえ、魔法でぱぱっと治せてしまうものではないのだということを実感し、残念な気持ちになる。


(とはいえ、サフィアスさんがいなかったら、ヨルガ様は今にも命を失っていたかもしれない)


 事実、サフィアスが魔法を使う度に、ヨルガの苦し気な呼吸は穏やかなものになる。

 そのことには心から感謝せねばと思う。

 サフィアスも容態が気になるのだろうか。ヨルガが寝入っている間に何度か様子を見に行っているようだった。


(なんだかんだで面倒見が良い人なのかもしれない)


 手っ取り早く契約を完了させたいにしては、ちゃんと責任感を持って仕事に臨んでいる気もする。

 とはいえ、それ以外は屋敷の中を散策したり、日向ぼっこをしながら昼寝をしたり。勝手気ままな自由人という印象を受ける。

 時にはマティスの買い出しに、用も無いのについて来たこともあった。

 容姿端麗なだけに変に人目を引いてしまいそうで、フードを被ってもらってはいたものの、冷や冷やしたものだ。

 今も、厨房の中をだらだらと歩き回り、食器や調理器具、調味料など、色んな物を触ってはじっと見て置きを繰り返している。

 正直なところ、邪魔だ。


「あの。暇ならちょっと手伝ってくれませんか」

「断る」


 勇気を出して言ってみたが、あっさりと一刀両断されてしまった。「ですよね」と、マティスはがっくり肩を落とした。


「じゃあ、せめて、別のところで座っていてください。お茶出しますから」


 やや半ば強引に厨房の片隅にあるちょっとした休憩席にサフィアスを押しやると、渋々ながら座ってくれた。

 内心で胸を撫で下ろし、マティスはお茶の準備に取り掛かる。

 今日のお茶はサウザール諸国連合で採れる少しスパイスの利いた香りが特徴のスラヴェナという品種の茶葉だ。

 ティーポットとカップを温めていると、手持ち無沙汰といわんばかりに机の上にあるものを触っていたサフィアスから声がかかった。


「マティス。この薬はなんだ?」


 サフィアスが指さしたのは、ヨルガの薬が入った小瓶だ。


「ああ。これは、かかりつけのお医者様から頂いているものです」

「ふうん」


 サフィアスがその小瓶を不意に手に取り、蓋を開けたり匂いだりし始めたので、マティスは慌てた。


「ちょ、ちょっと。勝手に触らないでくださいよ。この間処方していただいたばかりで、お医者様もしばらくはいらっしゃらないんですから」


 こぼしたりしては大変だと思って苦言を呈したが、サフィアスはおかまいなしに小瓶の中を覗いている。


「この薬はいつから飲みだしたんだ?」

「え? えーっと……もともとヨルガ様は持病をお持ちだったので、ずいぶん昔からだと聞いています」

「その頃からずっとあんな症状なのか?」

「どうでしょう。俺がここの屋敷に来たのは三年前なんで、詳しくは……」

「ふむ」


 サフィアスは少し考えるようにしてから、ようやく小瓶を机に置いた。


「何か気になることでも?」

「あー……あのばあさん、なかなかよくならないからな。飲んでる薬からわかることもあるか思ってな」

「そういうことなら、リーシャ様にお聞きした方が確実だとは思いますが……」

「リーシャってのは確か、ばあさんの孫だったか」

「はい。とてもお優しい方ですよ」


 そう言いながら紅茶を注いだカップをサフィアスの目の前に置くと、サフィアスはゆっくりと一口飲んだ。

 続けて、マティスはリーシャ用に作っていたクッキーの残りを差し出した。

 少し胡椒が効いた大人の味だが、きっと、この茶葉には合うはずだ。

 すると、サフィアスは少し驚いたように目を丸くして、マティスを見た。


「お口に合うかわかりませんが、お茶が飲めるなら、お菓子も大丈夫かなと思って」

「あ、ああ。どうも。自分でもどういう作りなかはわからないんだけどな。普通に飲食は出来るらしい」

「不思議ですね。体に入れたものは、宝石の中に戻る時に一緒に分解されるんですか?」

「言われてみれば、深く考えたことはないな。けど、そうなんじゃないか?」


 サフィアスはクッキーを一つつまむと、ポイッと口の中に放り込んだ。


「お。美味いな」

「お口に合いましたか。よかった!」

「お前、料理上手いな」


 紅茶と共に、もう一つクッキーを放り込みながら、サフィアスはしみじみと声を漏らす。

 そんなサフィアスを見ながら、マティスはふとあることを思いついた。


「もし、お食事が大丈夫なようでしたら、何か用意しましょうか?」


 サフィアスは、ぱっと顔を輝かせた。


「ああ、そりゃ嬉しいな。別に食べる必要はないっちゃないが、楽しみは必要だからな」

「それじゃ、腕を振るいますね! ……あの、それで、一つ提案があるんですが」

「なんだ?」


 一瞬言い出すのをためらってから、マティスは言葉を続けた。


「良かったら、お嬢様と一緒にお食事してあげていただけないでしょうか?」

「どういうことだ?」


 明らかに怪訝そうな顔を向けてくるサフィアスに、マティスは苦笑いした。

 摩訶不思議な存在相手にこんなことを言い出すなんて、どうかしている――と、少し前の自分なら思っていたはずだ。

 でも、サフィアスならば少なくともリーシャには危害は与えないという点で、信用できる。


「ヨルガ様が病に伏されてから、ずっとリーシャお嬢様は一人でお食事をされているんです。俺も忙しく働いているものですから、お相手をすることも出来ず、いつもお寂しそうで」

「俺は子守じゃないぞ?」


 げんなりとした様子に、マティスはうなずいた。


「わかってます。でも、サフィアスさんだったら、ヨルガ様の診察に来られた新しいお医者様だと説明しても大丈夫だと思うので。それに、お薬のことを色々聞くいい機会にもなるかなって」


 すると、サフィアスは少しの間を置いて、はあと小さなため息をついた。


「まあ、よそ者がずっと家にいるのも変な話だからな。堂々と家の中歩き回れるように、一先ず食事の席で紹介してもらうのがいいだろ」

「はい!」


 顔を輝かせて頷くと、サフィアスはマティスをじっと見つめてきた。


「相変わらず、お前は人のことばっかだなあ。普通、願い事っていえば、自分の欲のためにするものだろ」

「そう……かもしれませんね。まあでも、俺には他に何もないですから」

「そういや、記憶喪失とか言ってたな。記憶を取り戻したいとかはないのか?」


 マティスは「うーん」と小さく唸った。


「どうでしょう。確かに、記憶がない自分は、不完全なものっていう負い目はあるんですけど、でも同時に……思い出すことを恐れている自分もいるんです。そう思うくらいには、今の生活が穏やかで、気に入ってるんだと思います」

「そういうものか」


 サフィアスはふっとわずかに表情を崩した。


「ごちそうになった。お茶とお菓子、美味かった。ちょっと出かけてくる。何かあったら腕輪で呼べよ」


 それだけ告げて、サフィアスはふわりとその姿を消した。

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