第二部 第10章―2

 事件はすぐに起こった。いや、手ぐすね引いてハルヒコを待ち構えていたといってもいい。

 ハルヒコは王城に立ち寄り、サイアスに貯水湖の造成を進言した。もちろん、見事に予想は的中し辛辣な言葉をもらうことにはなったのだが、結局のところ、この国のためにと、その言葉をはいたサイアス自身が最後には頭を垂れ頼んできたのである。

 ハルヒコはサイアスの人となりというものを充分に理解していたので、そんな憎まれ口を叩かれるのも織り込み済みではあった。

 ――口はともかく、この方は誰よりも善良なお人なのだ……。

 もう少し優しい物言いにすれば誤解されることもないだろうにと思ったりもするが、一方で海千山千が跋扈するこの国政という舞台を渡り歩いていくには、それも致し方のない自然と身についた技術なのかもしれないなとも思った。

 ともかく、そんなふうに国の重鎮のお墨付きをもらって、さあ明日からだと、意気揚々とハルヒコが自宅に帰ってきたときのことである。

 ――?

 玄関を開けるなり、何か様子がおかしかった。トウコが焦った様子で右往左往している。

「トウコ、どうかした……」

「あなた、カナがいないの!」

 その言葉を聞いた瞬間、ハルヒコの顔から、さあっと血の気が失せていった。背筋がぞくぞく震えて足下から悪寒がはい上がってくる。単にカナが見当たらない――ただそれだけのことが、どうしてこんなにもひどく不穏な響きを感じさせるのか。

 ――外に遊びにいっているだけなのかもしれない……。

 そう自分に言い聞かせようとしても一向に不安は拭いきれない。

「思い当たる場所を探しにいってみるよ。トウコは家にいて。もしかすると、普通にカナが帰ってくるかもしれないし、シュウだってそろそろ戻ってくる頃だろう」

 トウコは心ここにあらずといった様子で、返事を返すこともできなかった。

「とにかく行ってくる」

 ハルヒコはトウコを家に残し、夕闇迫る町へと飛び出していった。

 近所の店先に立つ人にカナのことを尋ねながら、子どもたちがよく遊んでいた公園にも足を運んでみる。カナどころか、人っこ一人いない。

 次にハルヒコはマギア魔法学院へと走った。マルロやアマンダに尋ね、学院の皆にも協力してもらい敷地内をくまなく探してもみた。だが、カナがマギアを訪れた形跡はどこにもなかったのだ。

 ――どこに行ったんだ……。

 ハルヒコの中に、だんだんともう一つの可能性が重みを増していく。

 何者かにさらわれたのではないか――。

 だが、何のために――という思いも同時にわき起こる。

 ――そんなことをして、何の得があるっていうんだ……。

 客観的に考えてみれば、十二分にカナを誘拐するメリットはあるはずであった。ハルヒコが今までたどった足跡や現在の立場を顧みれば、カナを人質として利用する場面などいくらでも思いあたるのだ。ただひとり、ハルヒコ本人だけが自身の存在価値をあまりに安く見積もりすぎている。

 ハルヒコはまた自宅の近くに戻ってきて、手当たり次第、町の人に娘のことを尋ねまわるしかなかった。そして、そんなふうに切羽詰まって行動しているうちに、定かではないものの、カナらしき幼い少女の足どりがつかめてきたのである。

 要約すると、少女がひとり北の方角に歩いていったということになる。

 ――ひとりだって……?

 その少女がカナである保証はどこにもない。だが、そうであれば誰かに誘拐されたわけではない。ハルヒコはすがるようにその可能性に祈った。しかし、一方で少女がひとりであることも気にかかる。

 ――それがカナだったとして、どこに向かおうとしているんだ……?

 行く先々で少女のことを尋ね、その足どりをたどっていく。やがて、ハルヒコの中に、ある不穏な感情が芽生えはじめていた。

 ――どういうことだ……?

 これではまるで、自分が先ほどまでいた草原に向かっているみたいじゃないか――。

 町の城門をくぐれば、北の草原までは一本道である。ハルヒコが町に戻ってくるときには、カナはもちろん、幼い少女とすれ違った覚えはない。

 ――自分が王城に出向いていたときに入れ違ったか?

 だが、いずれにしても、ここまでやってくれば、ハルヒコはもはやその直感に――カナは北の草原に向かったのだと――一縷の望みを託して信じるしかなかったのである。

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