第二部 第10章―1

 青天の霹靂という言葉がある。意味としては、まったく予期しなかった突然の出来事ということになるのだが、今まさにこの場で起きようとしている現象はそれとは異なる。文字通り、雲ひとつないこの青空に、怒号のような雷鳴がこれから鳴り響くのだ。

 いや――より正確にいえば――雷鳴のような轟音を奏でる何かが、これから容赦なく空を引き裂いていく。

 ハルヒコはバラディンの北の草原に立っていた。王城より丘陵をさらに北に進んでいった所だ。森が遠くに見える。その先はおそらく絶壁となり、大地が海へとなだれ落ちているに違いない。

 ハルヒコは草原に向かって呪文を詠唱していた。

 ――町では最近、小さな揺れがよく起こっているとの噂だが……。

 呪文を唱えながら思わずそんなことを考えてしまう。後ろめたい気持ちが、やはりハルヒコ自身にもあったからだろう。そう、今まさに行使しようとしている、この魔法こそが原因であることは明らかなのだ。すでに何度も試行している。

「ファルステロ――!」

 ハルヒコがその魔法の名を唱え終えた直後のことだ。頭上の空に、いやさらにその上空から、ゴゴゴと誰の耳にも不穏な響きが大気の震えをともなって地上に向かって落ちてこようとしていた。轟音は衰える気配も見せず、否応なくその威勢を増していく。やがて大気の叫びが最高潮に達したとき、押しつぶされてしまいそうな空気の重圧の底を突き破り、一筋の光が大地を貫いた。

 とてつもないエネルギーを持った何かが地面に衝突したのであった。それは大地を構成する岩塊をえぐり、融かし、吹き飛ばし、凄まじい衝撃波を周囲の地面と大気、双方にまき散らかしていった。

 ハルヒコが立っていた場所にも埃や塵が威勢よく襲ってくる。彼自身もマントで顔や体を守らねばならなかった。

 やがて粉塵の霧が流されていき、周囲が元の静けさを取り戻し鮮明な視界を回復してくると、その何かが地面と衝突した場所には、ぽっかりと部屋ひとつ分ほどの大きさの穴が穿たれていた。表面からはまだ蒸気が上っている。

 ――あの大きさなら、これぐらいの威力か……。

 ハルヒコは草原を見渡した。すでに無数の穴が大地にあけられている。もちろん、すべてハルヒコの仕業だ。

 ――なら、ここにあれを作るなら、今の数十倍の大きさは必要だな……。

 ハルヒコは空を見上げた。だが、その視線の先はさらに遠く、高く、色と重力を失った、音のない暗黒の空間を見すえていた。そこに浮かび漂う巨大な乾いた岩塊を、ハルヒコの心の目は追いかけていた。

 ハルヒコが行使した魔法――それは星の魔法であった。聞いただけでは、何やらキラキラと美しい情景を思い浮かべるが、その実態は星を落とす魔法、つまりは流れ星を人為的に起こす魔法であった。

 マギア魔法学院の地下図書館で眠っていた魔導書――そこに書かれていた三つの魔法、闇・星・魂の中の一つである。

 ――とんでもない破壊力だ……。

 下手をすれば地上を滅ぼしかねない危うさを秘めている。魔法の行使に必要な材料が許す限り、その威力には上限がない。

 さらに詳細に説明するならば、星魔法の行使に必要なその材料とは、宇宙空間に漂っている大小さまざまな小惑星である。それを魔法の力で事前に衛星軌道へと持ってきて、任意の時間、任意の目標に落下させるのである。当然、その威力は落とす小惑星の大きさ――正確には質量――に比例する。

 ハルヒコは顎を指でさすりながら、これからの手順を黙考した。

 ――まず、王城に行って許可をもらわないといけないな……。

 それも大臣級の大物に――。

 ハルヒコの脳裏にサイアスの顔が思い浮かんだ。渋面で、なんだかんだと辛辣な言葉をあびせかけてくる彼の姿が容易に想像できる。

 ――まあ、でも大丈夫だろ。

 こんな何もない所に大穴を開けたところで、誰も何も文句を言ってきたりなんてしないはずだ。

 ――あとは……少しばかり大きな揺れが町を襲うことになるかもしれないけど……。

 それも了承を取らないといけない。だが、ハルヒコは最初から一気に「あれ」を作るつもりはなかった。

 ――少しずつ穴を拡張していけばいい。

 そうすれば、揺れの被害も最小限におさえられる。そして――

 ――最後には、ここに小さな湖ができればいいんだ……。

 そう、ハルヒコは水不足で苦しむバラディンの町のため、この場所に人造の湖――貯水湖を作ろうと企んでいたのだ。

「じゃあ、王城に寄って、いよいよ明日から動き始めますか――」

 ハルヒコは日の傾きかけた草原に背を向けた。その影が丘を下っていく。

 そのとき――


 ――許せぬ……。

 ――許せぬ……。

 ――許せぬ……。


 遠ざかっていく魔導士の背中を、幾つもの悪意のこもった目がにらみつけていたのであった……。

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