第二部 第9章―7

 誰もが否応なく、その新たな登場人物に注目せずにはいられなかった。この舞台、この緊迫した場面、いったいどんな勇者が現れたというのだろうか。

「あっ……」

 その人物をシュウは知っていた。記憶の糸をたどること一年前――。

 ――たしか……カインさんって……。

 ハルヒコの傷も癒え、町の中層にあてがわれた家にようやく家族全員が落ち着いたときのことだ。屋上から覗いた麦穂の大海原を見にいこうということになり、町の外に出ようとした城門で騎士見習いの青年の世話になった。今、眼前に立つ人物は、そのときの彼に間違いなかった。

「俺には、どう見たって大の大人が無抵抗の子どもをいじめているようにしか見えないんだが」

「なんだ、お前は?」

 賊の一党はカインを値踏みするような目でにらみつけた。そして、合図もなく一斉に剣の柄に手をかける。

 ――!

 シュウは焦った。どうひいき目に見ても、筋骨隆々の無頼漢たちの前では、カインの体格はあまりに華奢で簡単に手折られてしまいそうだ。野獣の前に差し出された野ウサギのごとく、逆に狩られてしまうのではないかと危惧せずにはいられない。

 サヘルも賊も同じことを思ったに違いない。正直なところ、シュウは一瞬でもささやかな安堵を覚えてしまったのは事実だ。だが、次に襲ってきたのは無関係の人物が自分に関わったばかりに痛めつけられるのではないかという沈痛な焦燥であった。

 ――カインさんがやられてしまう……。

 だが、そんな周囲の思惑などどこ吹く風で、カインは終始、涼しい顔でその場にたたずみ続けていた。いや、ただ立っていたのではない。口元にはゆるやかな笑みを浮かべつつ、瞳の奥に鋭い光を宿し、この状況をつぶさに観察していたのだった。

 一向に反応を見せない突然の闖入者に、賊どもはしびれをきらせたようだった。

「城の兵士だからって、俺たちがビビると思うなよ」

「あいつらの中にも痛い目にあった奴はごまんといるんだぜ」

 その言葉の威勢にのっかって、思わず賊の一人が剣を引き抜いてしまう。カインの表情がすうっと冷めていく。

「剣を抜くということがどういうことか分かっているんだろうな?」

 忠告というよりは、むしろ警告に近いニュアンスで、カインも剣の柄に手をそえる。

「なめんなよ!」

 虚勢を張って生きているような者どもだ。もう後には引けない。剣を抜いた悪漢は、意地だけを頼りにひとりカインに突っ込んでいく。大きく剣を頭上に振りかぶる――。

 その刹那、タイミングを合わせるようにカインが一歩を踏み出した。まるで瞬間移動したみたいに相手の懐に入り込む。そして、次の瞬間、すれ違いざまに悪党は地に崩れ落ちていったのだった。

 顔をおさえ、くぐもった悲鳴をあげながら地面をのたうちまわる。悪漢は顎の骨を粉砕されていた。

 何が起こった――?

 その場にいた誰もがそう思った。

 結局、カインは剣を抜かなかった。すれ違う瞬間、鞘ごと腰帯から剣を持ち上げ、その柄頭を相手の顎下に合わせ一撃を入れたのだ。

 あまりに鮮やかで卓越した技量であった。シュウは思わず見とれてしまいそうになったほどだ。

 こんな技を見せつけられては、たやすく手をだせるはずもない――。

 これで事態は収束に向かうだろうとシュウが安堵しかけたときのことであった。

「てめぇ、よくもやりやがったな!」

 賊の仲間二人がそろって剣を抜きカインに襲いかかっていく。

 愚かな人間はどこまで愚かなんだろう――。

 こんなにもはっきりと力量の差を見せつけられながらと、シュウはなかば哀れみを感じずにはいられなかった。

 さすがのカインも、二人を相手に小手先の戯れ技では対処できないようだ。ベルトから剣を引き抜く。ただそれだけの動作であったが、その姿はまるで剣の師範が作法を示すごとく洗練されていた。鞘はやはりついたままであった。

 二人の悪漢は勢いだけでカインに突っ込んでいく。カインは顔色ひとつ変えることなく鞘ごと剣を振るった。それはあまりに鮮やかな剣筋であった。

 賊とカインの位置が交差したときにはすでに、一人の男は鎖骨を、一人は肋骨の何本かを粉々に砕かれていたのであった。


 その後のことをかいつまんで説明すると、賊どもは捨てゼリフも残せず、また隠れていた仲間も現れることなく、煙がかき消えるがごとく逃げ失せていったのだった。

 その場に残ったのはシュウとサヘル、そして救世主として現れたカインの三名だけ。

「下町の路地に君が入っていくところを見かけたんだ。知ってるかい、ここは本当に危ないところなんだ。危険な連中がたくさんたむろしている」

 その決めつけたようなカインの物言いに、サヘルの表情が不満げにかすかにゆがむ。だが、助けてもらった相手に悪態をつくわけにもいかない。

 シュウは静かにこぼした。

「みんなを助けたかったんだ……」

 沈んだ気持ちでうつむくシュウをカインが見据える。

「そうか……」

 やがて、カインはふうと大きなため息をひとつつくと、こう提案したのであった。

「なら、今度からは俺が護衛するよ」

 シュウは驚いたような表情でカインの顔を見上げた。彼は笑っていた。

「英雄のおひとりを護衛できるんだ。こんな光栄なことはないだろ」

 彼はさわやかな表情でウインクをひとつしてみせた。

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