第10話 現実

 

 18歳くらいの時のことだった。

 その日、職員室へ出向いた、そう所属していたフリースクールの。

先日の九州旅行の旅費が入った封筒を持って。

入るなり目の前に、女性の先生しゅうかんざし先生が肩が触れ合い、頬を寄せ合っていた。手に持っているのは何かの書物、見方を変えれば二人は仕事のための書物を一緒に見ているようにも見えた。

でも、どこか柊先生の頬は上気し赤らんでいた。

 「簪先生、九州旅行の旅費です。」

 「は?7万じゃ足りないよ。」

 旅行前に聞いた時は旅費は7万円と言われていた。でも母は7万じゃ足りないでしょうと言って私に8万を渡してくれていた。

 「8万円入ってます。」

 「そう。」

 簪先生は不機嫌そうに封筒を受け取った。


 簪先生は、九州旅行の時は始終ご機嫌で、夜は、私とあずさ先輩を九州の夜の街に置き去りにして、紅葉もみじ先輩を連れ同行していた別の福祉事業所で働く男性職員と共に高級割烹料理店に消えていった。私は“いつもの我慢”だと頷いた。

(簪先生は自分の人生を割いて不登校児だったわたしたちの面倒を見てくれている、だからこそこういう時は、簪先生が嬉しいことを望んであげなければ。)

 「なんで、私達だけ置いて行っちゃうの?なんで紅葉もみじ先輩だけ連れて行ってもらえるの?」

 梓先輩は苛立って言った。

 「簪先生だって接待(?)で大変なのよ。紅葉先輩の体調も気遣ってあげないと…。」

 「電話する。」

 梓先輩は携帯を取り出し電話をかけた。

 「…先生私たちはどうすればいいですか?」

 「…はい、はい。」

 梓さんはそうして短い電話を終えた。

 「なんか楽しそうだよ。はしゃいでいるみたいだったよ。」

 「…。」

 「私たちは屋台でラーメンでも食べたらって。」

 「屋台、並んでますね。どこがいいか選びましょうか。」

 わたしたちは歓楽街を歩いた。

見渡す街の風景は、ネオンでチカチカし明らかに男を誘う風俗店の看板がデカデカと並んでいた。わたしはビクリとし、細い路地に視線を向ければ、中年のサラリーマン風の男と目が合った。男はわたしたちをジロジロと見て、まだ未成年だったわたしでもわかるようないやらしい目つきをした。

もしか、ここで足を止めたら、誘ってくるかもしれない…

わたしは不安をかき消すように足早になり屋台のある方へ急いだ。

店と店の間に時折小さな花屋があり、今までに見たことのない青い薔薇が夜の街の空気を怪しく彩っていた。


 旅行を終えて、どうして急に7万じゃ足りないって怒りだすんだろう。

どうして8万円渡しても機嫌は直らなかったんだろう。

そしてどうして柊先生と頬を寄せ合っていて柊先生は顔を真っ赤にしていたんだろう。


 「もしもを愛していたなら言うことは決まってる。」

 亡き兄は脳裏でわたしに言い放った。

 「え?」

 「“かんざし先生、誰よりも愛しています。”」

 「はぃ?」

 「“かんざし先生、私を抱いてください。”」

 「??」

 「そういうものが大人のはからいだよ。

  せっかく遠方でホテルに来てるのに傍によって機嫌のひとつもとらないし、

  それだったらに富んだ紅葉先輩とこいっちゃうな。」

 「愛してるなら、『愛してます』って言った。

  わたしの望む純愛とはかけ離れていたのかもしれない。」

 「愛しているから、手の甲にキスをした?」

 寮から家に帰りたいとぐずった日、家まで送ってくれた車の助手席で手を伸ばして簪先生の手に触れた。キスをした、手の甲に。

 「許す機会を求めていた。わたしにした朝方の幻のようなキスに対して。」


 わたしは助手席で簪先生の左手を握り、頭を垂れてとにかく必死に何度も何度も手にキスを繰り返した。唇でできるだけ優しく指のひとつひとつに触れ、軽く指をくわえた。


 「でも、簪先生は『月菜は俺のことを愛しちゃっているのか?』と一言聞いただけ。わたしは答えなかった。終始無言を貫いた。」

 「は?」

 「…今思い返せばそう、『先生は月菜のことを誰よりも愛しているんだ。』という言葉以外には反応する気がなかったの。」


 「わたし、もう発狂しそうだったの。先生の誠意ある愛情表現を求めていた。」

 「“愛してる”も言えない成人したばかりの年若の女に、初老の男は手を出せないよ。」

 「言うべきことは、相手の情愛を試す行為ではなくて“わたしは朝方されたキスのことで発狂しそうです。どういう意味だったんでしょうか”だったんでしょうね。」

 

 『一人の人を愛せないんだ。』

 月菜を駅へ送った簪先生が小さな声でつぶやいた。差し伸ばされた手に触れたかどうかも覚えていない。わたしはとにかく終始無言だった。

そうして、わたしと簪先生の距離はどんどん開いていき、ある時から突然、簪先生自らわたしを駅や実家へ送ることはなくなった。代わりの女性の先生が駅まで送ってくれるようになった。


 18歳の新入社員さんは、入社数か月目にして、自らどんどんと書類を処理して事務仕事をこなしていった。

 「仕事はありますか?」

 と何度も聞いたり、ないんだと諦めて社内ホームページを眺めて時間を過ごすことが多かった月菜とは全く違っていた。牡丹ちゃんは新卒入社だし、そう障害も違っていた。その予見は牡丹ちゃんの研修の時から感じていた。最初からパソコンを触り事務補助をしていたのだから。


 ——あなたは違うのよ

 思い返せば、幼稚園の時からそうだった。

幼馴染はマーチングマーチではエレクトーン。

わたしは一番下手な子が担当する中太鼓。

指揮者になるのはさらに選りすぐりの一人。


転んで擦りむいたひざっこぞう。

ゆったりと揺れる幼稚園バスの座席。

幼馴染は、わたしと

 「傷口は唾をつけていたら治る。」

 「傷口はほっといたら治ってた。」

 と互いに嚙み合わない脈絡のない話をし終わるころには、手のひらの水色の貝を見せてきた。

――立体的だ。

 「できた!自分で考えて折ったんだよ!」

 それは折り紙で折られた貝殻。

 

 「折り目があってないですね。最初から折り直しましょう。」

 と先生に言われて折り紙を全部開きなされて折り直しをされるわたしとは雲泥の差。

幼馴染ようは、どこまでも自分より遠いところにいた。


 これが運命なのかな?

わたしはいつだって人とは違っていた。“いわゆる遅れている子”だった。

(どうすればよかったなんてわからないよ。

 頑張らなかったわけでもない、けど体調を崩していた時期もあったのも本当。

 ひとりで生きてきたわけではないし、いろんな人に迷惑をかけて生きてきた。)


 

 『会社の人のことを言いなさい。』

 ふと、言葉を思い出した。そう、三明さんが遠くの席で確かわたしを見つめて言った。

わたしはその日、勤務している会社で一人で

 「お父さんが、『お父さんを好きと言いなさい』と母に言ってたどうしよう!

  米津玄師のことを言おうか?お父さんになんて米津玄師(が好きな)のことを言おう、どうしようどうしよう。」

 と騒いでいた。もちろん会社の人に相談するていではなく一人作業中にボソボソと騒いでいた。

そんな言葉はきっと丸聞こえである。月一であった就労定着支援の面談でも、親との不仲や父親に以前セクハラに遭い父親とは会話できない関係であることも全く話してなかった。わたしのために家も(部屋)あるし、食費光熱費水道代は出してもらってるからそれ以上に支援員に相談できることはないと思ってたからである。

 『会社の人のことを言いなさい。』

 遠くの席からそんな声を聞いたわたしは、三明さんの見事に整頓された手綺麗なデスクを思い浮かんだ。

そう、「会社の管理職の人は美貌でデスクも綺麗に片付いているのよ。」

と言ってしまおうと思った。

父親のセクハラの危険は確かにありそうだ。いやらしい顔をされたこともあったし、子供の時も一度胸を触られ、二十歳を目前にした頃にも服越しにペニスをあてられた。謝罪はなく時間が経って30歳くらいの時にやっと母から謝罪があったと思ったら親子3人で食事に行っ時に父に肩を触られた。

 「それくらい普通だ。」

 と嫌がったわたしに以前のセクハラの件は無視した身勝手な父の言葉に絶望した。

でもこの件はそんなもんで深刻な性被害でもない。ただ心を許し親しくしたらボディタッチのようなスキンシップをされるのはもう嫌だし、わたしはセクハラの件もあってフリースクールの寮から家に帰れず、発狂し統合失調症になったんだから。

 「もう父親に心を開けないし尊敬もできない。」のだ。


 「そう、凄いね。」

 三明さんの話をしたら父はそう一言答えた。

それでわたしは一安心した。

だけど、三明さんの言葉は幻聴だったのかもしれなかった。

現にふたりの間に恋愛関係など始まってなく、マッチングアプリを辞めようと昨年からつけていた薬指の指輪は、誰かとの何かの約束でもなんでもない。

ただ心の隙間を自分自身で埋めるための飾りでしかなかった。

それでも母に

 「わたし結婚するの。」

 と昨年指輪を見せて言ってしまった。

 「付き合ったばっかりなんでしょう?」

 母の言葉は祝福や喜びでもない冷たい棘のある言葉。

1年経った今、指輪の件にまったく触れられずに過ぎたのに突然母は

 「指輪の素材は金の方がいいね。」

 と冷たく言い放った。

 「チタンだよ。」

 「チタン、体にいい素材だね。」

 母はそう言って黙った。

わたしは金ではない指輪を馬鹿にされたような気がして心がきしむ音がした。

こんな感じで母親との関係も棘があるもので、わたしは数日後、サプリメントを触った母にキレてしまい、フリースクールの時に助けてくれなかったこと、就職の相談に乗ってくれないことをさんざんなじった。

 「私だってフリースクールに何度も行ったのよ。月菜の待遇がよくなるように。

  みんなで一緒に暮らせるユートピアみたいなものを作るって言われていたのよ!」

 「じゃぁなんでフリースクールでの性被害の話を妄想だって聞いてくれなかったのよ!」

 「だって信じられなかったのよ。」

 わたしはこれ以上、喧嘩をするのはやめようと、いつも喧嘩のたび思っていた。だけど、母の一言にいつも棘を感じ、わたしが人生うまくいかなかったのは全部わたし自身のせいだって、それこそフリースクールの話も嘘だと聞いてくれなかったから、わたしが全部悪いんだって、わたしが以前に家の物を壊しまくったことだって

全部わたしが性格悪いからなんだって

そう親に思われているのが辛すぎて、

親にストレスを感じ、

私が悪いのではないと親の理解を求めすぎてしまっていた。

もし、わたし一人の人生だったら、もし、わたしの大切な人が親しかいないなら

終わってしまう果てまで親と話し合うという名の喧嘩を永遠としてしまうんだろう。

そうしたら、もしかしてひどくなったら親に精神科入院を強制的にされてしまうんだろう。

 「死ぬのは、無職になってからでなければできない。」

 別に死にたいわけではないけど、そう言って自分の分別を何度も思い出した。

 「こんなところで社会的死を迎えなくたっていい。」


 会社で牡丹ちゃんを眺めていた。

かわいくて一生懸命だ。

時に、

 「手伝いましょうか?」

 とか

 「片づけておきます。」

 とわたしの仕事も率先して手伝ってくれ

 「わたし一人でできるようになりたいの!」

 と上司に熱意を話し、仕事を頑張っていた。

“わたしと同じでなくていい”

子供も持てなかった36歳のわたしは繰り返し思った。

娘がもしいたなら、それは自分よりもっと羽ばたいて欲しいでしょう。

同じ痛みを持ってほしいとは思わないでしょう。


 牡丹ちゃんが来る前も、入社してからずっとわたしは妄想と現実の間を行き来していた。障害者雇用として雇われ健常者と同じ量の仕事を任されず、また、プライベートも友達もいない、結婚どころか恋人さえいない現実に震え、こんなみすぼらしい自分が恥ずかしく苦しくて。

逃げるように米津玄師を好きになれば、スーパースターがこちらに振り向くなんてありえない、自分のプライベートの寒さを埋めきれない痛みに、アニメや映画のようなヒロインにならなければいられないような心境になってSF映画の夢を見た。仕事中もそんな夢の中で時々妄言を呟いた。

そしてSNSを介して結婚詐欺にまで遭う始末だった。

そんな4年間であり、そうして4年目に牡丹ちゃんは新卒入社で入った。

今回は、自分の苦しい状況と、ハイテクなコンピュータに囲まれた職場、福利厚生も整い給与を毎月きっちり、ボーナスまでいただく平和で富んだ今の会社の状況に、そしてお金に困ったことのない人生の恵みに、古来の昔の歴史を思った。


 実りの少ない痩せた田畑と統制できずに生きるための争いが繰り返す世に、お隣の中国統一という大事業を達成した偉人、始皇帝、名は政。かつて政は商人呂不韋の助けを得て13歳で秦王になり、そうして30代という若さで中国統一という大事業を達成した。

 「始皇帝、……そう皇帝と呼ばれた人の最後だった。」

 壮大な兵馬俑と万里の長城—中国

パラパラと知っている範囲の少ない中国の情報が頭の中を流れ

 そしてラストエンペラーは愛新覚羅溥儀…と中国の歴史の一区切りに思いは巡る。

彼は、満州国の傀儡の皇帝として激動の第二次世界大戦を過ごし、そして一般市民となり庭師として生涯を終えた。脳裏に張り付いて止まない、戦争期に真っ青な顔で恐怖に震えながらも冷静さを保とうとしただろう溥儀の表情。

 「そう、それが、エンペラーと呼ばれた人の最期だった。」

 まるで自分のことのような口ぶり、わたしのこころはもう二十歳の頃には人類の生と戦争の歴史に囚われていた。

 「お前はエンペラーなんかじゃない。」

 ハッとわたしは我に返った。

あ、ここは会社の事務所で、ここはわたしのデスクで、となりは…牡丹ちゃんが着席している!牡丹ちゃんの声…。

わたしは、また起きたまま寝ていた…。

(ちがうだろ、論文…。)

 兄は脳内で言った。

(ええ。もう日大文理学部史学専攻(歴史の学科です)の卒業証書はいらない、(歴史の卒業論文が卒業に必須)だけどいつか自分の見解をまとめたかったの…。この恐ろしい戦争の歴史から成り立つ現代の答えを…。)

わたしは、“統合失調症”だから今更恥ずかしいとかどうしようとか思うのはやめている。(笑)

再びパソコンと向き合ってキーボードを打ち始めた。

仕事を進めること、それが理由のない自分の夢や願いに近づいていくんだから。


 ある日、三明さんが遠くのデスクで、

 「心療内科通院しているほど調子が悪かったんでしょ。部活を辞めさせてくれないなんてひどいよ。」 

 と言っている声を聞いた気がした。それはわたしが小説で部活について投稿した翌日くらい。

(あら、小説読まれているのかしら。)

なんて、わたしと向き合って話したわけでもないし、統合失調症だから幻聴かもしれない。そしてまたわたしは自分を許せなかったりもする。

 (もしも部活動の部員を「いじめている相手」と言わなかったら。

  「自分がみんなに迷惑かけてしまっていて部活を辞めたい」と部員を思いやる発言ができたなら。現にいじめはなかったと思う。)

でも、わたしは苦しくて、簡単に壊れてしまいそう。もっと要領よく生きれたなら。

だけど思う。

 自分より仕事ができて任せてもらい日々成長していく牡丹ちゃんに、多少の羨望の気持ちはもっていても、それで辛くなることがあっても、

 「かわいい。」

 と彼女のことを思い、

 「(自分と同じ道は歩まずに)幸せになってほしい。」

 と素直に願う自分の本当の心を大事にしたいと。


 ねぇ、両方言えばよかった?

部活動で“一緒に練習したくない”と仲間外れにされたことも、自分が部活が下手で迷惑をかけてて申し訳ないってことも

そしたらわたしもっと幸せだったかも。

でも、子供過ぎて大事なことが見えていなかった。

そして家庭でも兄が統合失調症でいざこざがあった。

余計何も考えられなかった。


 「結婚さえできればいいです。」

 わたしが二十歳前の時、父はフリースクールのかんざし先生にそう言った。簪先生が親に話しているらしいユートピアの話を疑いもせずに。

フリースクールをわたしの意志で辞めた後、どんなに父を憎んだんだろう。子供の進路相談を細かく相談する家庭の子はみんな高校や大学に入学したのに、わたしの親は子供が働けるようになんて考えてもくれなかった。

 でも、思う。仮にわたしが通常の大学もしくは短大に行き、正社員就職ができたとしても、統合失調症も発症してないとしても、フリースクールとの縁は切れない。フリースクールに御恩ができてしまい、一生付き合わなければならない。

はっきり言ってのだからそんなフリースクールとつながり続けてよかったのだろうか。

“自力で越えていこう”という意志を強く持って自分で越えていける時に、今の有様がこの一筋縄ではいかない人生で大事なことだったのではないか、とも思い、

思っても、もっと欲をかいて汚れなき、つまりプライドや社会的地位が満たされた最善が欲しいというのも煩悩だ。


 「ねぇ、お兄ちゃん。」

 「…」

 「答えなくていいよ。いいの、死んだ人に言葉はないわ。」

 「…」

 「だけど、わたしは愛してる。お兄ちゃんの存在と、それと共にを。」

 「…」

 「サヨナラって言いたかったの。

  期限は決めていない。ただ、夢や妄想ではなく、現実を生きていきたい。」

 

 New Balanceの靴が地面を蹴り空へ向かった。

突き抜かれた青空はどこまでも開け放たれていた。

人間という限度範囲内ならどこまでも自由だった。

 

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天地天命、人として生く 4 現実—現実と夢のはざま 夏の陽炎 @midukikaede

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