第9話 "愛してる”と言うのを恐れた
あれは1年前・・・
っ???
ってどうして、いつも過去の回想が多いかって?
だって、いつも現実は上手に受け止めきれずに流れていく
とまらない時の流れに、怯えてた。
もっと、ああすればよかったという後悔は、いつもあって・・・。
1年前・・・
勤務始めの朝のラジオ体操でわたしを見つめる目があった。そうね、以前も話したかしら。
視線を外さず、体操するわたしの身体を追うように見つめられた、
男の子の表情は・・・そう、あの曇り空のようだった。
16歳の時、高校を中退がほぼ確定した身で、駅に降りた。
母が見つけた、不登校児のための施設に何回か通ってみた。地元より少し都会な駅にセーラー服の2人組の女子高生。
いつも視線を外して周りを眺めるわたしの癖は、彼女たちのキラキラした表情をきちんと知ることはなかったけど、充実した普遍的幸せを謳歌する乙女たちだったと感じた。その間を、サラリーマンやOLが足早に通り抜け、私服の二十歳くらいの若いお姉さんは、ケータイ電話(当時はガラケー)から華やかなJ-POPを流していた。
施設に通いながら自分ひとりでまだ決められなかったわたしは、お母さんが
「この通信制高校でいいよ。」
と承諾してくれるのを待っていた。
お母さんは返事ができなかった。
(お兄ちゃんは通信制高校Bに所属してたからね。兄のことを触れたくないのね。)
わたしはそう理解してた。なら通信制高校Aを承諾して欲しかった。なのにやっぱり母はうなずいてくれない。
そうしているうちに、地元の古本屋さんで、かわいいブレザーをきた元友達の女子高生に大笑いされたこととか…、ショッピングセンターで見たことある同級生女子に睨まれたこととか…、果ては幼馴染くらい親しい同級生男子がバイト中のレジでピリッとわたしを睨んだこととか…、
そんな、救いようもなく見えた事件のひとつひとつが胸に刺さって…
「ねぇ、お母さん、わたしはこの寮付きのフリースクールに行く。」
と一方方向だけを見つめるようになってしまった。
「ねぇ、月菜。」
「うん。」
夕暮れ過ぎて薄細長く薄い月が現れた頃、亡き兄は声をかけてきた。
「あの子は、月菜のこと、嫌いでもなかったんじゃないかな。」
「だって友達だった。」
「そう、月菜がガリ勉だっていう噂みんなしてたよ。」
「それなのに、高校行かないで古本屋さんで、少女漫画、それこそ恋愛ものなんて見てるんだもの。」
「月菜と一緒に漫画を読んで絵を描いたあの思い出、彼女の中にも深くしみ込んでたんじゃないかな。」
「はは、一緒に月刊誌Cheeseなんて見たよね。(笑)
さわやかで、かわいくて、綺麗な笑顔だった。もう、会わないけどね。」
「それが月菜の冷たいところ。」
「ぁ?」
「お辞儀だけでいいよ。」
ふーっと日のオレンジは溶け込んでしまって、濃厚なブラックティーより、モヤッとした初夏の夜が始まった。
「わたし、知ってたんだ。普遍的な社会的地位を手にしている人も…
例えば、幼き日の幼稚園教諭のお姉さんも霞んだ瞳で、
わたしにサヨナラを告げた。
街の景色の人々は、日々を精一杯見つめるのに忙しく、
チェック柄スカートの彼女も何かに憂いでいた。
だから、わたしは、わたしにできることをして自分を幸せにしようって。」
そうは言っても悲しみを隠すことにはならなかった。
不登校になった事実を矯正して真っ当になろうと決心したのに、
“社会では通用しない。ここでなければ生きていけない。”
とあるフリースクールで散々説得され洗脳され、社会へ戻る出口を見つけることができなかった。
「わたし、恋愛はしてみたかったけど10代、22歳まではできなくったって良かったの。でも、社会人になりたかったの。」
「何年も何年も、わたしのことを愛してくれない、それでいて利用するだけの人の傍にいて、わたしはいわゆる青春の華さえ咲かすことができずに、ただ、散っていくだけ。」
「たくさん、泣きたかったの。なのに縋りつきたい両親には“お前や先輩の妄想でしょ”と言われて泣く場所がなかった。」
ひらひらと舞う野原の蝶は美しかった。
無邪気にけもの道を通り抜ける幼き日。
林の木と木の間をお日様とともに潜り抜け、飛んでいく美しい
キラキラと揺らめいて、目に見える以上の世界の神秘をそっと、幼いわたしに囁いた。
蝶々の甘言にわたしは従った。
“わたしだって飛べる”
ふわっと重力を自分の味方にして、羽があるみたに、私を見つめたわけでもない関係のない若い別の男の子の傍に迫った。
狭い事務所の隅で、迫りくるわたしに、男の子は目を丸くして後ずさりするも壁で、右に避けようとしてもわたしが傍により、左に言っても追いかけた。ならばぶつかろうと立ち向かってくればわたしは避けた。そんなバカみたいな事故に見せかけた私の数分間…涙。
きっと、そう、身体中で泣いていた。
「くやしかった。」
「あの日、男の子に見つめられてしまった日、わたしは、耐えられなく、その子と同世代の若い男の子をもうこれでもないかと言わんばかりに、少しキレ気味の顔で見つめてやったの。ラブハプニングだったとしたら許せないわ。」
「は?若くないから?子供産めないから?」
「欲しいものをなぁんにも手に入れられなくて、社会のはずれたゴミみたいな私になってしまって、世間の人に後ろ指差されている現実に。」
…ヒックッ
「
脳の障害を抑えながら上品に演じようとぷるぷる震えているわたしを、あいつ―三明はいつも向かい合うデスクから時々私をじぃっと見つめていたし、あの若い子もまた穢れない真っ直ぐな誠実さと涙を携えてわたしを見つめたの。もう苦しくて、全部壊してしまいたかった。」
「セクハラなんて言われたら、ある意味、恋なんて終わってくれたよね。」
「会社さえもかぁ。
まるで刹那の情愛を永遠にしたい私の心中理論ね。幼稚過ぎる。」
平日、職場、日常――
15時――
ブラインドカーテンで窓を遮られていて、わずかに昼下りを過ぎて西へ傾き始めた日差しが溢れていた。
休み時間――
同じ休憩室の同僚、愛奈さんのイラストが机の上に置かれていた。ルーズリーフに書かれた鉛筆描きの少女は、机の上へ立体的に浮かびが上がり、どこか不思議な···そう、どこか此処ではない遠方を眺める切なげにも満足気にも見える表情で右手で頬杖をついていた。
そして空いていた左手は、柔く緩く、どこかを指さしているような、それとも手の中に何か···暖かいそれでいて壊れそうな何かを隠しているようにも見えた。
“私を連れていって”
ルーズリーフの中の少女と目が合った。
精神障害者と療育手帳の彼女との近づき過ぎることのできない距離(キョリ)に、手探りで互いを確かめ合うような、そんな橋が架かっていた。
「あっ!」
そこに愛奈さんが立っていた。
慌ててルーズリーフをファイルにしまう。それでも、半透明ファイルに隠しきれてないハートが溢れていた。
「つい、綺麗で。ごめんね。」
「うん。」
二人は別れた。
私は身だしなみを直しに鏡のあるトイレへ。
愛奈さんは休憩室の椅子に座った。
帰り際、荷物をとりに休憩室へ、
愛奈さんがいた。
「今度、ティラミス作るんだ!」
「難しそう!」
「混ぜるだけのレシピなの。でもスーパーの100円のティラミスのほうがおいしいかも笑
お疲れ様です!」
「お疲れ様でした。」
その晩、
愛の雨がそっと降り注いだ。
内緒で通信制の大学生をしていて、忙しくて帰りを急いで近くで見に行けなかった昨年の創立記念の会社のクリスマスイルミネーションとか、
そうっと場所を用意された休憩室や
混雑を避けて配置された更衣室のロッカーとか、
就労定着支援が終わるまで毎月時間をとってくれた上司と支援員さんとの面談とか
今日のネガティブ過ぎる涙にそっと広げてくれた傘とか
つまり、今日の不安のメールにすぐに対応してくれて話をしてくれた上司のご厚意に。
そして、統合失調症を患ってつい、見つめ構ってしまった三明さんへの思慕をきゅーっと抱きしめて、明日を求めて布団の中に沈み込んだ。
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