第2話 心頭滅却…

 言いもがな。


もしもこの身を焼いてしまえたら苦しみなんてないのかな、

という考えは、いつも、生まれては消えていく。

そんなの口癖くらいで

人は、地球は、わたしに生きる意味という柱にしっかりと結び付けてきた。

ほら今日も猫が甘え声ですりよりおやつを求める。

風は草木を際立たせ、花ほころび香る季節を伝え来る。

郵便ポストにはいつも手紙がきちんとはいっていて、街の人々は今日もそれぞれの人生を歩んでいる。


 フリースクールの先生のセクハラ発言の後に、送ってもらった駅のトイレで一人泣いてた。なんで泣いたのか自分でも分からない。

それを知ろうともしなかったのは、“自分”という存在に対する“異常な自己愛”のせいで理想を壊したくないのせいだった。


 初めて“顔”を、

見たのは障害者雇用で雇用されて2か月くらいの頃。

その前から同じ場所にいたはずなのに顔さえ覚えていなかった。

小さな会議室で仕事の話があった。

薄暗いようなどこか神秘的に感じさせる部屋の壁の色のせいか

明るい事務所から会議室に入ってきたわたしは別世界に移動したようなふんわりした感覚になった。

自信に満ちた顔をしていた上司と対照的に、どこか戸惑いを隠せない彼のその表情は“若さゆえなのかな”と思った。

(ねぇ、若い君よ、こんなわたしはどんな風に映る?)

忘れてしまおうと思った。魅力の良し悪しをものさしにかけずに、若者の一コマの絵として。


 先日、視線を感じた。

いつも通りのはずだった。

それで戸惑うのは変なはずだった。


 もう2年この職場にいるのに、わたしの顔には仮面。わたしはそれを“素顔”と名付けて、人間関係という問題を、算数の計算式の四角にして伏せ続けていた。

それを悪いことだとは思ってない。

親しき中にも礼儀ありだし、大事なのは健康と安定と平安と業務に滞りがないことだと思ってた。


 相手がわたしを好き?

それは違うかもしれない、ただ

昔失ったことを二度と繰り返さないために、

怪我をしていた彼に、一言伝えなければいけない気がした。


 「大丈夫?」

 それだけ伝えたかっただけなのに

帰りがけ、目が合って会釈をしたら、彼は、一歩踏み込んできた。

それで声もかけられずに急いで逃げたわたし。わたし、わたし、変。


(もしか、わたしが好きなのかも?もしか?え?あ?)

戸惑って震えた。

え、、若い子の人生を背負えるの?普通に結婚して子供を授かって家族を持ちたいはすでしょ?

わたしにできるの?


もう目なんて見れなかった。

これまでと同じようにわたしを普遍的な仕事のスタッフと見てほしい。


だけど、本当は異常はわたしの中にすでに芽生えていた。


 いつかの午後、

明るくわたしの近くの席の社員さんと彼は話してた。

そんな姿はよく目にする。

離れたところでも明るい話声が聞こえてきて、元気で快活で若いのにしっかりしていて申し分ない。

(この子、いいな。)

自然とそう思っていた。だけど年齢は二十そこそこ。

わたしはふっと笑った。

判断基準は年齢というのは、ある意味自分への慰め。

わたしはずっとマッチングアプリや出会い系で障害に理解があり、ある程度年齢を重ねて子供を持つことに拘らない人を探してた。

承認欲求だった。愛なんて簡単に作れない。二次元の文字だけじゃ愛なんてわからない。わからないのに一人は辛過ぎた。

20数歳という年齢というカギを重く閉め、わたしは彼を風にして忘れた。

そうして今日まで時が経ってきた、はずなのに。


 マッチングアプリは案の定やめてしまった。

メンタル疾患は受け入れがたいし、みんな子供が欲しいという。

そして何より価値観が合う人が見つからなかった。


 出会い探しをやめることを止められなかったわたしは、

いつかの朝、いとこの声を聴いた。

「月ちゃん、今なら大学、卒業できるよ。」


「…凜ちゃん?!」

 私はベッドから身を起こした。いとこの凜がわたしに囁く夢だった。


 そうして、わたしは大学編入をさっさと済ましてしまった。

恋心を持つのは難しいのに、マッチングアプリをやっていて相手にいい迷惑だっただろう。

(これで、もう、下手な愛探しはしなくていいのね。)


 出会い探しを辞め始めたわたしには、性欲が少ないという問題があった。

統合失調症の薬を飲み始めてからそうなった。

男の人と親しくしても簡単にキスをしたくなくなった。

手を握られるのも苦手になってしまった。


なのに、時々煩悩に悶えて、夜ベッドの中でふっと体の一部に触れる。

だけど、わたしは“何に”触れているんだろう。

自分の指にひときわときめく情愛を感じない。

でも、身体は麻痺していても、脳みそが欲しがっているの。

きゅんと震える、性的な愛しさを。


パッとフィルムを映し出すように、誰かの顔が映り込んだ。

わたしは気にも留めずふと指をからめた。

彼···かれ···

(え?)

5分して異常に気が付いた。

(わたし、何してたんだろう。)

すこし我に返って呆然とした

(魅力を風にながすことはできなんだね。)


 「君はどこにいて誰と笑っている?

  君はそこにいて何を想ってる?」 『Merry-go-round』

 わたしの四角の答案の答えを、あゆ(浜崎あゆみさん)が運んできた。


 「ねぇ、月菜つくな。この終末変えた方がいいんじゃない?」

 「(亡き)お兄ちゃん?!」

 「……。」

 自分が陽炎になっていた。少し暖かくなり始めた春だった。

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