第3話 アクロイドと魔術研究所



「そうか、《清掃》の力か。聖女キヨコよ、実に素晴らしい浄化の力だ。これからもますます励むように。そうだな、各地の浄化の旅に出発するようにと言っておったが、まずはこの城内からその力を発揮してもらおうか。行け、聖女キヨコよ!」


 国王陛下にまたもやウィンクを投げられた私は、かくて地道な清掃活動の旅を城内から始めるのであったーーー。





「まぁ、掃除していいと言うのなら思いっきり掃除したいけれど……」

「なにかお困りごとですか、キヨコ様」

「あら、神官長」


 私は侍女からもらった清掃用のお仕着せとエプロン、三角巾という出で立ちで城内の観察をしていた。私の周囲にはたくさんの侍女集団(掃除のアシスト)と剣士のシス(もはや護衛ではなく力仕事担当)がおり、一見とても敬われている聖女の図に見えなくもない。実情はただの掃除当番だけどね!

 そんな目立つ集団の中心にいた私へ、廊下の奥からやって来た神官長が穏やかに話しかけてくる。


 私は神官長に、ホームセンターのレジ袋に入れたままの聖具洗剤を見せた。


「お城全体を掃除するのに、これらの洗剤が足りないのです」


 侍女に聞いたところ、この世界の掃除道具は箒とチリトリ、雑巾やモップ、鳥の羽で出来た埃叩きくらいのものらしい。洗剤は固形石鹸が一応ある。お酢を使うこともあるとか。

 ナチュラルクリーニング過ぎて、私にはちょっと物足りないラインナップだ。好きな人には好きなんだろうけど。


「おお、これがキヨコ様があちらの世界から持ってきた聖具ですね。実に神々しい」

「まぁ! 私は素でこれらお掃除グッズを神々しいと思ってきたけれど、賛同者が異世界にいたとは思いませんでしたわ、神官長。たまには異世界にも来てみるものですねぇ」

「これらのものの成分を調べ、増産させるのは魔術師の分野でしょう」

「増産できるんですか!? すごい!」

「魔術師アクロイド様にお聞きになられたらどうでしょうか。今頃なら魔術研究所にいらっしゃるはずですから」

「わかりました」


 というわけで神官長のアドバイス通り、王宮の敷地内にあるという魔術研究所へ移動することにする。


 城内はとくに気にしていなかったけれど、外に出たとたんものすごい悪臭が漂ってくる。

 なんだ、これは……。鼻がひんまがりそうだわ……。

 きっとこれが障気の匂いなのね!


 私はお仕着せのポケットから取り出した大判のハンカチで鼻を覆いながら、侍女の案内のもと庭の遊歩道を進んでいく。

 王宮の庭には薔薇などが咲いているが、障気のせいか元気が良くない印象だ。むしろ雑草がすごい。

 雑草の間にゴミが見え隠れしているような気も……いや、気のせいじゃない、あれはガラスの瓶だわ……。


 薔薇の手入れという段階じゃないな~と思いつつ進んでいけば、蔦が蔓延る石造りの建物が見えてくる。

 窓ガラスは泥で汚れ放題、蜘蛛の巣が張り放題、ネズミがチロチロ歩き回り、建物の周辺にはなにかの道具類が壊れたまま打ち捨てられている。ホラーハウスじゃん?


 シスが入り口の呼び鈴を鳴らしたが、錆びついて微かな音しかしなかった。

 仕方なくシスは扉を叩くことにしたが、蝶番がギィギィと悪魔の歯軋りのような音を立てて今にも壊れそうだ。やっぱりホラーハウスじゃん?


 蝶番の悲鳴が中に居る人たちにもちゃんと聞こえたらしく、一応人が出てきた。

 魔術師の証であるローブを羽織ったその人は世捨て人のような雰囲気だったけれど、シスが「俺たち、アクロイドに会いに来たんだけど」と伝えればきちんと取り次いでくださった。


 アクロイドは自分の研究室で障気の研究をしているらしく、彼の部屋へと案内される。

 魔術研究所の内部もヤバかった。

 廊下に大量の本や書類の束が重ねられて、歩ける場所が通常の半分以下である。

 蟹歩きでなんとか進むが、ときおりカビだらけのパンだとか腐ったリンゴのトラップに引っ掛かる。

 くそ、実家以上の魔窟だわ。

 実家は生活ゴミはちゃんと捨てていたから腐った食べ物に集るヤベー虫を見る機会は少なかったのに! うわーん!


 潔癖性ではないけれどこれは無理だ。洗剤の他にも、アルコール除菌スプレーとか作ってもらおう。お酒を作れるならアルコール除菌系も作れるはずでしょ……。

 そんなことをブツブツ呟きながら最上階のある一室に、無事辿り着いた時にはホッとした。


 これでアクロイドに洗剤の大量生産を依頼できるーーーー。


「……僕になんの用だ、聖女よ」


 トラップたっぷりの廊下を潜り抜けて辿り着いたアクロイドの研究室は、すでに腐海に侵されていたーーーー!!!





 カビ、カビ、なんかよくわからない白いキノコ、カビ。

 私の視界に映るのは、本棚や机の上に収まりきらなくなった本や書類の山がいくつも形成された大地と、至るところに脱ぎ散らかされた衣類と、いったいいつの食事だったのかわからないモザイクレベルの生ゴミ、および汚れのこびりついた食器、そしてそれらをコーティングする色とりどりのカビ類だった。


「ここも腐海に飲み込まれたか……」

「おい、聖女? ……どうしたんだ?」

「どうしたんだって言えるあなたの頭がどうかしているレベルですけど?」

「……言っている意味がよくわからんな」


 なんか駄目な子を見るような目で私のことを見てくるけれど、現状駄目な子はきみだよアクロイドよ。


「いったいなぜ、アクロイドの部屋はこれほどの汚部屋になってしまったんですか?」


 私の問いに、アクロイドは不思議そうに部屋を眺め、首を傾げる。

 シスも部屋を見回すが「別に普通じゃねぇか? 俺の部屋もこんなもんだな」と恐ろしいことを呟いている。やめてシス、これがこの国の標準ならこの国はゴミ王国である。


「別にこの部屋でも魔術の研究はできる」

「資料らしき本も書類も散らかりまくってますけど!?」

「……あそこの山が術式に関するもので、あっちの山が障気の研究に関するやつで、あそこらへんが大体魔界に関する資料だ」

「分類に分けてまとめて床に置いておけばいいわけじゃないですからね? 必要になったときにサッと取り出せないでしょう、あの山脈じゃ」

「だが、探せばそのうち出てくるはず……」

「物を探す時間というのは人生の無駄です。その時間で好きなことをした方が人生は楽しいですよ!」

「…………まぁ、そうかもしれないが」


 渋々頷くアクロイドに、私はホームセンターの袋を押し付けた。


「じゃ、私の世界から持ち込んだ聖具洗剤の大量生産をお願いします! 世界の浄化っていうか掃除に必要なので!」

「わかった」


 そういうわけでアクロイドが魔術で洗剤を増やしてくれている間に、私と清掃ボランティアのみなさん(侍女とシス)は魔術研究所の大掃除に取りかかることにした。





 まずはカビ臭い本や書類を外に出して虫干しだ。紙を食べる虫がチョロチョロ出てきて恐ろしい。


 そして本や書類の間から出てきた明らかなゴミ、そう腐敗しきった生ゴミをどんどん集めていく。

 ちょっと《リサイクル》の力を使ってみたいな~と思って生ゴミに手をかざしてみると、生ゴミから肥料に変化した。おおっ、エコだわ。

 調子に乗って、魔術研究所の回りに打ち捨てられていたよくわからない道具たち(壊れた魔道具らしい)も回収して、《リサイクル》する。どうなるのかと思ったら、金属の塊やガラスの材料に戻った。ほうほう、これなら確かに再利用可能ですねぇ。


 食べ残しがカビたりヘドロになったりしてすごいことになっている食器は陶器製だったので、塩素系漂白剤をかけておく。

 ぶっちゃけラベルの説明に書かれていた標示時間を超えたが、なんとか汚れを落とすことに成功。これには侍女たちから拍手喝采であった。


 そしてひたすらカビ落とし。

 石造りの建物といっても大理石とかの繊細な材質ではないただの石なので、窓を全開にして換気に気を付け、塩素系漂白剤を水で薄めたやつを塗りつけて頑張る。

 一応お風呂用の洗剤として買ったけど、これしかないのだから仕方がない。さっきも食器の漂白に使えたし。たしかキッチン用とお風呂用の違いは成分濃度と香料だったはずで、キッチン用の液体タイプが一番成分が強いんじゃなかったかな……。まぁ、もともとこんな室内を想定されてないだろうから自己責任で頑張ろう。

 ちなみに、顔を覆う布と目を守るための眼鏡を全員着用のもとの作業である。アクロイドに急遽、撥水効果のある手袋も作ってもらったので、それもちゃんと装備する。

 少しでも具合が悪そうになった者はすぐに退場させつつ、私と愉快な清掃ボランティアーズはカビと戦い続けた。

 水でじゃぶじゃぶ流して拭きあげれば、見た目にはもうカビの存在はわからない。カビの根はしぶといとテレビCMでは流れていたけれど、聖女の《清掃》の力がこもっているので死滅しただろう。

 この能力、正直日本にいた頃にも使えていたら良かったのになぁ。


 虫干しの終わった本や書類は、すべて分類分けして本棚にしまっておく。《整理整頓》の能力で一瞬で終わった。

 同じ本が複数冊あったり、内容が否定された研究書類などもたくさんあって、それらは別の場所に保管されることになった。国の大事な研究だから安易に捨てることもできないらしい。まぁ、それは仕方がないことだ。なんでもかんでも捨てればいいわけじゃない。


 けれど明らかなゴミや書き損じの紙や、カラカラに乾いたインク壺や壊れた筆記用具がなくなり、本や書類が規定の場所に戻った魔術研究所には、清々しい空気が流れていた。

 もう廊下だって蟹歩きをしなくていいし、腐った生ゴミで滑ることもない。素晴らしい。


「これがきみの聖女の力か、キヨコ……」

「ふふん、そうよ」


 大量生産した重曹の袋を抱えたアクロイドが、呆然とした表情で自分の部屋を見回している。

 カビの生えていない床を、自分の顔が映り込むほどピカピカに磨かれた窓ガラスを、本が分類別に並んだ本棚を見るその瞳は、初めて自分の部屋を与えられた子供のように輝いていた。


「歴代の光の魔力を持った聖女より、キヨコの能力の方が地道だけれど強力だな。この部屋はもう障気が入り込めないほどの結界が貼られている」

「外からの障気は入り込めなくなったかもしれないけれど、きちんと掃除を続けていかないと、内側から障気ゴミの山が発生すると思うわ」


 それが腐海、汚部屋、ゴミ屋敷を形成していくもの。

 私の言葉にアクロイドは「そうか、そういうものなのか」と頷くと、重曹の詰まった袋を渡してくれた。


「ほかの聖具洗剤もたくさん作ってある。足りなければ僕に言ってくれ。なにせ僕は魔術師、きみの後方支援だ、キヨコ」

「ありがとう、アクロイド」


 やけに優しい眼差しでこちらを見つめるアクロイドに、私はそのうち高圧洗浄機とか掃除機とか作ってもらいたいなぁ、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る