第2話 聖女の能力



 思考回路がショートした私が運ばれたのは、聖女のために用意された一室だった。

 なんかシミがチラホラあるシーツのかかったベッドに寝かされ、正気づいたときには私の傍にいる人数がかなり減っていた。

 最初に神官長だと言っていた人と、鎧を着て剣を腰に携えた金髪の男性が一人、体が大きくて背中に大剣を背負った赤髪の男性が一人、魔術師っぽい黒いローブを被った黒髪の少年が一人、そしてどう見ても王様だろうって感じに王冠と赤いマントを肩から流しているおじ様が一人。

 全員もれなく西洋系イケメンである。


「聖女キヨコ・アオベ、まずはこの世界に降り立っていただけたことを、儂自ら深く感謝する」


 そう言ったのはイケオジで、自己紹介を聞くとやはり王様だった。

 で、ありがちな説明を神官長がしてくださった。


 この世界は今、障気に覆われていて、魔界との境界線でもある魔の森から魔物たちが現れ人間たちを襲うようになっただの、この国には本来なら光の魔力を持った聖女が生まれてくるはずなのだが一向に現れないので、異世界から聖女召喚をすることになっただの、テンプレートに流し込んだぜって内容だった。


 そして神官長は無理難題を突きつけてくる。


「聖女キヨコ様、各地に蔓延る障気を祓い、魔物を退け、障気を発生させている魔界の王をどうか封印してください……! そしてこちらにいる三人が、貴女を守る仲間たちです!」

「いやいやいや」

「初めまして聖女キヨコ。僕はこの国の王太子であり、この度勇者として選ばれたエリック、十八歳だ。共に世界を救おう!」

「ちょっと待とう?」

「俺は剣士のシスだ。歳は二十三になる。力仕事は俺に任せとけっ! よろしくな!」

「無理ですって」

「……魔術師のアクロイド、十六歳。……後方支援を担当だ」

「それより私って帰れるんですか?」


 金髪の勇者正統派王子キャラエリック、赤髪の剣士面倒見のいい兄貴分シス、黒髪の魔術師無表情クール系アクロイドが声をかけてくるが、誰も答えちゃくれない。まさか決められている台詞しか喋れないプログラムでもあるまいし。めっちゃ無視してくれちゃって!


 そして最後に王様が威厳たっぷりに告げた。


「魔王を封印したあかつきには、たくさんの褒美を与えよう。聖女キヨコがこの世界について必要な知識を学んだのち、冒険の旅に出発するように。では解散!」

「王様の耳はロバの耳ー!」


 あんまりに人の話を聞いてくれないので不敬罪も恐れず横から叫んでみれば、イケオジ王様はニコッとチャーミングに笑って、ウィンクまでしてくれた。


 めちゃくちゃ聞こえてるじゃん。





 必要だった物をうっかり捨ててしまう、という掃除あるあるがある(“ある”ばっかだなぁ)。


 もちろん私も経験したことがある。

 そういうとき人は「あのとき間違って捨てなければ……」と後々まで引きずるタイプと、「仕方ない。必要だったらまた買おう」と諦めるタイプに分かれるのだけど、私は出来るだけ後者でいようと思っている。

 だって形あるものはいずれ失われる。

 死んだらあの世には持っていけなくて、すべてゴミになってしまう。遺産として受け継いでくれる人がいればまだラッキーかもしれないけれど、私の持ち物に代々受け継がれる価値はない。大量生産品ばっかりだもの。

 なくしてしまった物は、もうどうしようもないのだ。


 そう、あの地球の日本にあった私の居場所。家族や職場や友人、そして大好きな私のアパートの部屋聖域

 なくしてしまったのだから、もうどうしようもないじゃないか。


 そう思うことにしたけれど、やっぱり気持ちがやさぐれる。


「そもそも私に本当に聖女の力なんてあるんですか?」


 十五歳の外見に相応しくちょっとフリルなんかが裾にあしらわれたワンピース姿で、私は唇を尖らせながら尋ねた。

 あ~失われしおっぱいのせいでワンピースの胸元が軽いなぁ!(泣)


 私の部屋の中にいるのは聖女付きの侍女たちと、護衛役らしい赤髪の剣士シス、そして神官長だ。

 今は神官長が聖女についてのお勉強を教えてくれている。


「この国に生まれる聖女はみな、十五歳になると光の魔法を覚醒するのですが、キヨコ様は異世界から召喚されたので今までの聖女と同じとは限りません。現に魔力を調べましたが光の魔法は持っておられないようでしたし……」


 どうやら私がこの世界初めての聖女召喚らしく、前例がないようだ。

 はぁ……、全地球人未踏の異世界とは、私も大変な運命を背負ってしまったものだ、やれやれ。

 ふふ、一度『やれやれ』って使ってみたかったのよね!


「魔力を調べるって……この間やった、水晶玉に手をかざすやつですか?」

「そうです。キヨコ様の魔力を調べたところこの世界にはない魔力清掃《整理整頓》《分別》《リサイクル》というものがありました。きっとこれらが光の魔法に匹敵する力なのではないかと、我々は考えております」

「わぁ、魔力じゃなくてただの生活力じゃん」

「つぅか《リサイクル》ってなんだ、神官長?」


 シスは首を傾げながら神官長に尋ねている。だが異世界の言葉を知るはずのない神官長も首を傾げるだけだ。


「わかりません、シス様。聞いたこともない能力です。キヨコ様はわかりますか?」

「物の再利用って意味だと思います」

「ほぅ、そうなのですか」

「なんか不思議な能力ばっかりだな、キヨコは」

「……そうですね」


 私はガッカリしつつも、清掃やら整理整頓と言われて、部屋を見回す。


 私がいる部屋は王様が用意してくれたらしい客室の中でももっともグレードの高い部屋なのだそうだ。一応侍女たちが掃除をしてくれているのだけど……。

 細かいシミが落ちていないシーツ、埃っぽいカーテン、汚れが見える窓ガラス、なんだか家具の配置が悪くて歩きにくくてーーー、なんていうか、部屋にいるとどんよりした気分になってしまう。


 ああ、私のアパートが大変恋しい。


 起きたらすぐに窓の換気をして、仕事に行く前にちゃちゃっとフローリングシートをかけてから出勤するあの規則正しい日々。


 帰宅をしたらトイレとお風呂と排水溝の掃除は絶対に毎日して、それプラス月曜日は玄関回りをドアから拭きあげて、火曜日はコンロやレンジの掃除、水曜日はシンクや洗面台の掃除、木曜日は家具の埃を払って、金曜日はガラスや鏡の手入れ、土曜日はベランダ掃除、日曜日はベッドカバーなどを思いっきり洗濯するのだ。

 掃除機は騒音が気にならない時間に帰れればいつでもかけていい。


 ああ、あのアパートは最高に清潔で、私の好きな物だらけの、私の心を守る聖域だった。


 それなのに今はどうだ。


 なんだこの部屋は。

 埃っぽくって、私の心などまるで守ってくれそうにないどんよりとした部屋だ。

 ベッドの上に飾られた国王陛下の肖像画とかマジで趣味じゃない。ぴえん。

 聖女うんぬんの肩書きなどどうでもいいけれど、私に相応しいのはこんな部屋じゃない。

 私は私を清潔で安全で安心できる場所に置いてあげるべきなのだ。

 心と体と環境は、すべてが繋がっているというし。


 つまり私は掃除がしたい!


 我慢できなくなった私は、神官長に言った。


「では神官長、検証してみましょうか。私の魔力清掃についてーーー」

「え、キヨコ様?」

「侍女さん、私にエプロンと三角巾と、あと鼻や口元を覆う布をください!」





 あのあと私はめちゃくちゃ掃除をしたーーー。


 侍女に持ってきてもらったエプロンを身に付け、三角巾で頭部をしっかりと覆い、埃を吸い込まないよう口許に布を巻く。


 そして私の聖具の出番だ。


 油汚れに良し、そのままでも消臭効果がある、万能の申し子・重曹ちゃん。

 水回りの掃除はお手のもの、柔軟剤の代用品にもなれちゃうクエン酸くん。

 重曹でも落ちないレベルの油汚れと戦えるセスキ炭酸ソーダさん。

 色物も白い衣類もきれいに漬け置き漂白ができちゃう酸素系漂白剤さま。

 そしてお風呂のカビを根絶やしにしてくれる塩素系漂白剤殿。

 尿石などのアルカリ性の汚れにピッタリなMr.酸性タイプのトイレ用洗剤。


 この世界に召喚されたときに持っていた、ホームセンターで買ったばかりの掃除用洗剤たちが私の聖具だった。


 まずは上から下へ埃を落とすためにまずはシャンデリアや壁の埃を払い、家具を拭きあげ、床もガッツリ雑巾掛けをした。

 床の黒ずんでいた部分も、水200mlくらいに対して重曹小さじ二分の一で作った重曹水を霧吹きでまんべんなくかけてから雑巾掛けをしたら落ちた。きちんと水で洗った雑巾で二度拭きもしておく。

 普段のお手入れなら中性洗剤位で十分だけれど、この部屋は大掃除レベルに汚れているからね。重曹さまさま!


 壁も窓も拭きまくり、窓のサッシ部分に溜まった乾いた泥は細い木の棒でゴリゴリ落とした。


 シミだらけのシーツなんかは酸素漂白剤を溶かしたぬるま湯に漬け込み、石鹸で洗ってクエン酸を柔軟剤に使って、真っ白に仕上げる。


 家具の配置も悪かったので、シスに家具をずらしてもらう。

 いまいちしっくり来ないサイドテーブルは使わないということで、お城の倉庫に保管してもらった。

 ついでに国王陛下の肖像画も倉庫に移動させようとしたらみんなに止められた。ちぇっ。


 あとは侍女さんに頼んで手に入れてもらった蜜蝋をニスとして家具や床に塗りつければーーーーなんということでしょう、王家が用意したわりには薄汚れていて生活動線もよくなかったあの聖女の部屋が、匠の力によって生まれ変わりました。なぜかベッドの上にあった国王陛下の肖像画は、部屋へ入ってすぐのソファーセットの側に移動し、これで悪夢の心配はもうありません。そして真っ白に洗い上げたシーツは匠からのプレゼント。これからはこの空間で、聖女ものびのび過ごすことができるでしょうーーー。


 はぁ、ひとまず今日はこれで満足だわ!


「さっ、流石ですキヨコ様……!」

「こりゃあ、すげえなぁ、キヨコ!」


 神官長が胸元に下げたロザリオを握りしめながら、感動の涙を溢す。

 シスもうんうん頷きながら部屋を見回している。


「これほど浄化された空間を、私は見たことがありません! 魔界から離れたこの城ですら障気を帯びていたというのに、この部屋の空気の清らかさといったら! ああ、キヨコ様、やはり貴女は聖女の力をお持ちです。急いで国王陛下へお伝えしなければ……!」


 部屋の掃除をアシストしてくれた侍女も、私のことをキラキラとした瞳で見つめてくる。視線がすごく熱い。


「掃除が浄化かぁ……」


 そのまんまな気がするが、修行僧なども掃除のことを『作務』といって大切にしているし、たしか風水でもまず掃除で清潔にすることがスタートラインだと聞いたことがある。トイレには女神様がいるという歌も流行ったし、清潔にしている方が疫病にはかかりにくいし。

 つまり清潔な場所には悪いものが寄り付きにくいのかもしれない。障気もしかり。


 というわけで私は聖女としてどうやら地道な清掃活動をしなければならないらしい。

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