P.eous(8)

「あっきれた!」

「そこまで言わなくてもいいじゃん……」

「言うよ。じゃあ何、大学のキャンパスには他にもたくさんオスがいて、それで私がそっちに向いてるかもしれないと考えてた、って? そんなことを、一人で、勝手に?」

「う」

「……」

「……」

「まあ、私も、一人でムシャクシャしてたってのはあるけど」

「……」

「それは素直に謝る。感情に任せて当たっても、どうせシマならいつものように流してくれてる、って、勝手に思い込んでた。そこは、ごめん」

「そうやってスッと言葉が出てくるの、お前、そういうところ強いよなって」

「だって“大人”だし」


「で、今は?」

「今はそんなに怒ってない」


―――


 オスからメスへの変態の際、稀に起こる色素異常。ひときわ目立つシュリンプピンクの髪は、その珍しさから魅力的なアイコンとして捉えられることもあり、芸能人やらモデルやらにも多い。実際、街を歩いたりバス停で待っていたりする時もそうだった。


 贔屓目を抜きにしたって、アマネはキレイだ。


 だから“大学という場所なら、オレなんかよりもっと他に――”と、そう思ってしまった。思ってしまったのだから仕方ない。そのあたりのコンプレックスは、実のところ、まだ完全に払拭しきれたわけじゃない。


 駅前を離れるバス。二人がけの後部席に、オレ達は身体をぴったりくっつけ合って座る。座高そのものはオレもアマネも大して変わらない。オレの身長が……というより、アマネの脚が長いのだ(そのへんの“変わり方”はつくづく羨ましいと思う)。

 乗客でいっぱいのバス内は暖房が効いていて、窓は外気温差で曇っている。窓枠から時おり流れ込む隙間風。ガラスの結露を袖で拭えば、イルミネーションが瞬きとなって前から後ろに流れていく。よく知ってる街並みのはずなのに、今日はなんだか別の世界みたいだ。


―――


 バスに揺られて二十分。

 降車ステップでまた躓き、オレはアマネに正面から抱きつくようなかたちになった。

「っと、悪い」

 謝って、すぐに身体を離す。

「もう次からコレ履いてくるの止めるわ」

「いいじゃない。次も履いてきてよ」

「……なんで?」

「見栄張って、慣れない足取りで歩くシマを見てるのが面白いから」

「お前なあ」


 目的地の蟹ヶ丘公園はその名の通り街から少し離れた小高い丘の上にあって、この街に住む人々の憩いの場になっている。春には桜が咲き、夏にはちょっとした祭りが催されたりする。最近では公募で選ばれたマスコットとして『かにぞうくん』とかいうゆるキャラも出てきた(見た目は二足歩行のカニそのものだが、甲羅の上に公園のスペースが広がっている)。


「ここに来るのは久しぶり。昔はよく来てたけど」

「夏祭りとかな。よく行ってたよな」

「うん。中学生の時だっけ?」

「屋台の焼きエビそばが美味かったんだよ。今考えればなんてことないんだろうけど、眺めがいいとこに座って、そこで食うっていうシチュエーションが」

「でもあそこ、蚊が多かったよね」

「多かった、多かった。二人して帰りのバスの中で掻きまくっててさ」

「そうそう」


 春、夏ときて、冬にもイルミネーション祭りが始まったのは、ほんの二年前のこと。

「思ったよりちゃんとやってる」

 飾られた木々、そして、大量の赤色LEDで形作られた『かにぞうくん』のオブジェなんかが、暗闇をカラフルに照らしている。

「最初はもっとショボかったらしいけど」

 当時、オレ達はもうオスメスの関係だった。

 けれど、どこかに出掛けたりすることはあんまり無かった。どちらかと言えばインドアな付き合いで、お互いそうしてダラダラするほうが心地良かったからだ。一昨年も去年も、存在自体は知っていたけれど、行くことはしなかった。

「来てみるもんだね。ちょっと感動した」

「近くにあるぶんだけ、余計に行かないよな」

「うん」

 あの時――こうしてイベントの日に“デート”をしていれば、今のオレ達は何かが変わっていただろうか。

 でも、まあ、それは過去の話だ。


 オレもアマネも、あえて口に出すことはしなかった。


―――


 年末。24日。

 なにが“イベント”なんだか、なんのための日なんだか、もう誰も覚えていないし、あえてルーツを顧みようなんてやつもいない。ともかくずっとその日は特別でロマンチックな日で――大事な“イベント”だという概念だけが残ってる。考えれば考えるほどおかしな話だけど、そんなことを気にするだけ野暮ってやつだ。


「あっ」

 人々が行き交うロマンチックな公園で、雰囲気に合わない素っ頓狂な声が聞こえた。


 声のした方を見ると、見知った顔のオスがいた。

「も……もしかしたら、先輩もここにいるんじゃないかと思ってましたけど」

「お前、今日はシフトじゃなかったの??」


 オレも“茶髪くん”も顔を見合わせ、そしてお互いの横に視線を移した。

 彼の横にいたのは背の低い、可愛らしいメスだ。

 オレと目があうなり、彼女は無言でぺこりとお辞儀をした。


「そのつもりだったんですけど。コイツが」

 指を差されたのが気に障ったのか、彼女はむっとした顔になって“茶髪くん”の脇腹を肘で突いた。

「いてててて、痛ぇって。……いやその、コイツ、一年ン時に同じ講義を受けてたダチだったんスよ。それからしばらく姿見せなくなって。で、一昨日いきなり電話掛けてきたと思ったら『今日、イルミネーション見たいから付き合え』って」

「へえ」

「話聞いたら、一ヶ月前にメスになったから、それで俺に――あ痛てててて! わかった、わかったから! 足踏むな! もう言わねえから!」

「それでシフトに入るのを取り止めたと。にしても、よくドタキャンできたな?」

「キャンセルの連絡したのは昨日だったし、店長からスゲー怒られるかと覚悟してたんスよ。でも、事情を話したらなんか妙な笑顔で快諾されて」

「ああ」

「ンなわけで、今日はバイトじゃなくて、ここに」

「オレ達、今度、埋め合わせでちゃんとシフト都合してやろうな……」

「ウッス」


 そんなやり取りを横に、アマネ達もまた二人で顔を見合わせ、呆れたように笑っていた。あの二人はあの二人で、何か通じ合うところがあったらしい。


「ところで先輩、なんか今日は妙にデカく見えるような――あっ」

「あっ、じゃないんだよ。何が見えた? オレがどうしたって?」

「その、普段、そういう格好してるのってみたことなかったから、つい」

「つい? つい、何?」

「なんでもないです」


 そしてオレ達は少しの間、奇妙な偶然の出逢いを楽しむ。

 やがて別れ際、最後に“茶髪くん”の腕を掴んで引き寄せ、小声で呟く。

「嬉しいだろ」

「嬉しいに決まってるじゃないスか」

「その子のこと、ぜったいに大事にしろよ」

「……ウッス」


 そうして、オレは背中を叩いて彼を送り出した。


―――


「こんな時でも屋台出てるんだね」

「アンズ飴に、チョコバナナ。焼きエビそばまである。せっかくのイルミネーションなんだからちょっとは雰囲気出そうとか思わないのかな。これじゃ夏祭りと同じじゃん」

「そんなシャレたことまで気を遣えるくらいなら、もうちょっと流行ってるでしょ」

「こんな日だし、せっかく“雰囲気のいいところ”でデートするつもりだったのに」

「別に。私達にはこれくらいがちょうどいいんじゃない? 焼きエビそば食べる?」

「いや、さすがに」

「じゃあ私、チョコバナナ食べるから」

「ええ……」


―――


「“友人と恋人は違う”って、前に言ってたよね」

「去年、な」


 ぺろりとチョコバナナを食べて、アマネは残った串をゴミ箱に放る。そのまま人通りの波から逸れて、オレ達は道から少し外れた場所に足を踏み入れる。遠目から眺める光の景色もまた、それはそれで趣があった――のはいいが、屋台の発電機がどたたたたたたと猛烈な騒音を上げているので、雰囲気としてはやっぱり台無しだ。


「あの時はオレが――オレの身体が“うまくいかなかった”って分かった後だったろ。だから、お前の希望に応えてやれなかったんじゃないかって思ってて」

「その時も言わなかったっけ。“それは結果であって目的じゃない”。誰でもいいわけないじゃん」

「覚えてるよ。でも当時のオレはけっこう真剣に悩んでた。お前は……アマネは――このままオレとツルんでるだけで満足してるのかなって。立派な大人にだってなれたわけじゃないし、そーゆーのがコンプレックスだったし、今だって完全に吹っ切ったわけじゃないし」

「知ってるよ。シマがずっと悩んでたことくらい」


―――


 雪が降ってきた。


 この数週間、降るかも、降るかも、なんて天気予報で言われてずっと降らなかったけれど、こんなタイミングでようやく降った。

 周囲の人々から、わあ、と小さく歓声が上がる。


 まあ、これでちょっとはロマンチックになっただろうか。


―――


「オスの時……シマに“食われた”時にさ」

「あ、いや、そのことは、今さらあんまり言わないでいてもらえると」

「いーや、言う。あの時、私、本当にシマが一足先に“大人”になったんだって思って、けっこう焦ったんだよ。ほんの数週間で、別人になっちゃってさ。まして“予習”までしてたわけじゃない」

「ま、まあ、それは」

「もうそれは済んだ話だし、いいけどさ」

「……大人になったら、大人らしく振る舞わなくちゃいけないって思ってたんだよ。ずっと。それは憧れじゃなくて、恐ろしくて、ワケのわからないモヤモヤみたいなものだと思ってた」

「あの時の“俺”は、関係が変わるのが怖かった。今までバカやってるような友達同士で、そんな状況で“約束”を果たすのが本当に――俺達にとって――良い方に向かうことになるのかなって。でもシマはずいぶんハッキリしてた。それが大人ってものなのかなって」

「知ってるよ。バレバレだった」

「だろうね……」

「あ、バレてたと言えば――あの後さ、変態後の定期検診で、医者にバレたんだよ。身体の変化なんてすぐ分かるみたいで」

「それ初めて聞くんだけど??」

「親には伝わらずに済んだけど、身体が変わったばかりなのに無理するなって怒られた。今考えりゃ、大人になったからって色々と“イキってた”んだろうな。ましてやこんなに早く――お前より先に変わっちゃうなんて――突然すぎたから」

「ともかく、あの時の私は、そのままシマだけ先に大人になって、何もかも変わっちゃったらどうしようって思ってた。でも幸い、シマはシマだったから、安心した」

「オレはむしろ、そっちがここまで変わると思ってなかったよ」

「やってることは同じなんだろうね。何もかも同じように繰り返してる。私も、変態した後は大人らしく振る舞おうとしたから。なまじ大学なんか行ってると余計にそういう目で見られることもあって、私はそのままこうして馴染めたけど」

「お前、そういうところは器用だよな」

「シマが不器用なだけじゃない?」


「まあ、結局」

「うん」

「オレ達はオレ達なんだよな」

「今さらじゃん」


―――


 何度も、擦れ違ったり、ケンカしたり、邪推したり、思い違いをしたりもした。

 けれどオレ達はオレ達で、何も変わらない。結局、それに落ち着く。


 でも。

 でも、こうして身体も心も関係が変化して。

 友情が愛情になって、友情でも愛情でもない何かになって。


 そのうちに、オレの中で芽生えた望みがある。


 そのことをずっと伝えたくて。

 やっと言い出すタイミングを掴んで。


 だから、今、言うべきことを言う。


 オレは――アマネと一緒に、“その先”に進みたい、と。


―――


「なあ、アマネ」

「シマに名前で呼ばれるの、すごい違和感ある」

「アマネ」

「なに?」

「“約束”を更新しよう」

「ルールその四、を追加?」

「追加してもいいんだけど、それだとルールその三と矛盾しちゃうな」

「“何があっても、ずっと友達でいること”?」

「そう。だから、それを更新する」


「友達でいることをやめる?」

「やめる」

「わかった」


 オレはアマネの肩を掴んで、引き寄せる。

 慣れない厚底の靴を使って、少しだけ背伸びして。


「で、更新したあとの“ルールその三”の中身は?」

「それは」

「ハッキリ言ってよ」

「うん」

「こっちは待ってるんだからさ」


 アマネがいたずらっぽく笑う。


「ルールその三の更新。“何があっても、ずっと――」


 アマネの耳元で内容を告げ、オレはその反応を窺う前にキスをする。

 チョコバナナの甘い香りとシュリンプピンクの毛先が、オレの鼻をくすぐった。


「もう一回」

 唇を離す。

「もう一回言ってよ」

「恥ずかしいんだからな」


 ルールその三。復唱。


 それからオレ達は、二度目、そして三度目のキスをした。

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