P.eous(7)
「ずっと“話したいことがある”って言ってたの、それ?」
「そういう、こと、だけど」
「バイトは?」
「休んだ」
「その日は他に予定があるって言ってたらどうするつもりだったの」
「それは」
「何も考えてなかったって?」
「でも、ちゃんとこうして会ってくれただろ」
「あんな神妙なトーンで言われたらね」
「……」
「一応言っておくけど、私まだ怒ってるからね」
「そうやってハッキリ言ってもらえると、オレもむしろありがたいっつーか」
「ええ……」
「いや、いや、その、外来種を見るような目でこっち見るの、止めない?」
「シマのヘンな性格なんて、今に始まったことじゃないけど」
「だから……今日はできる限り何でも言うこと聞くからさ。誘ったの、オレだから」
―――
するべきことをして、するべきではないことをしなければ、もうちょっと簡単に事が運んだんだろう。あの時、素直に言っておけば、それ以上に気後れすることもなく。
なんて――それらは済んだ話だ。
過ぎてしまったものは仕方なくて。
後は、そこからどうするかというだけの話で。
―――
夕方。日没前。さすがに24日の当日だけあって、まわりを見れば、家族、恋人、友人、それぞれが“つがい”になって幸せそうに歩いている。
「あ痛ッ」
そうして周囲ばかり見ていたら、段差に足をとられて蹴躓き、足首を挫きかけた。
「さっきから疑問に思ってたんだけど」
大丈夫、と心配するでもなく、アマネは怪訝な目でこちらを見た。
「なんでそんな底の高い靴履いてるの? シマ、そんな趣味あったっけ?」
「それは、その」
慣れないロングスカートと相まって、正直、この靴はむちゃくちゃ歩きづらい。スリムなジーンズを履いたアマネとはまったく対照的だ。
それで何故、こんな格好をしてこんな靴を履いているかというと。
「……」
「?」
オレはアマネの額あたりを凝視した。シュリンプピンクのロングヘアがビル風でなびく。普段より、少し高い目線。
「せっかく隣歩くんだから、オレもちょっとは見栄張りたいっつーか」
それでも届かない、ほんの数センチだけの小さな見栄。
むこうもヒールを履いてきたらプラマイゼロになるところだったけれど、そうはならなかった。今日のアマネはカジュアルで、動きやすそうな――それでいて、コートを着ていてもなおそのスタイルの良さが分かる――スマートな服に身を包んでいる。
それがオレ達の、数年で変わった、外見の差。
オレの零した一言に、アマネが呆れたように笑う。
今日出会ってから、はじめて見せたあいつの笑顔。
なんとなく気恥ずかしくなって、鼻がむずむずする。オレはセーターの上から羽織っていたブルゾンの襟に、鼻下をわざとらしく埋めてみせた。
―――
ネオン煌めくビルの入り口の前。
「……あのさ、やっぱり止めねえ?」
「“何でも言うこと聞く”って言ったの、シマでしょ」
「そうだけど、でもまだメシも食ってないのにいきなりこんなとこ入るなんて、その、せめてムードというか段取りというか心の準備というものが」
「普段はそっちからグイグイくるクセに、今日だけはそんな風にして怖じ気づくのってズルくない?」
「今日は、その、特別なんだよ。わかるだろ。色々考えてきたプランとかそういうのが」
「わかんない。じゃあ入るよ」
「ちょ、ちょっと待てって!」
―――
『歌って飲んで、カニ食べて!』
『本日はスペシャルデー』
「すぐご案内出来ますので、ボードに書いてお待ちくださーい」
受付のボードに“成2”と書いて、近くの椅子に座る。
「本当はもうちょっと、こう、デートらしいことしたかったというか」
「デートらしいことって?」
「お茶飲んだり、いいとこでメシ食ったり、酒……いや、酒はオレ飲めないけど」
「いつも同じようなことしてない?」
「う……」
「お待たせしましたー」
特別料金でわりと高かったので、とりあえず一時間半。
「――久しぶりだろうとなんだろうと、今日はちょっと付き合ってもらうから」
受付で指定された部屋までずんずんと歩きながら、やけに息巻いた口調でアマネが言う。
二人でカラオケに行ったのなんて、何年ぶりだろう。てっきりオレは「二人とも大人なんだから、そんな遊びはしない」んだと思い込んでいた。少なくともアマネはそう思っていた……と決めつけていた。
「よかった。『ZOEA』入ってる。私から入れていい?」
「う、うん」
「次に歌うのシマだからね。決めておいて」
そして、この前貸したばかりのアルバムに入っていた曲をアマネは見事に歌い上げてみせた。メスになったあいつがこうして歌うのを見るのは初めてで、オレは手元のタッチパッドを持ったまま、曲を選ぶこともなく、呆けたようにそれを見ていた。
「もしかして、一人で前にも来てた?」
「全然。私もシマと来た時が最後」
「じゃあ」
「そう。“こうなった”後で来るのは初めて」
「それにしては妙に歌い慣れてる」
「風呂とかで歌ってたりしたし」
「今の曲を?」
「親にはうるさいって怒られたけどね。だいたい、前によくカラオケ行ってた時なんて、お互いそんなことしてたじゃない」
「まあそうだけど。というか……じゃあ何。もしかしてずっと“カラオケに行くつもりだった”ってこと?」
「うん。シマが誘わなきゃ、今日だって一人で歌いに来るつもりだった」
「一人で?」
「……なにその表情。さっきからヘンな顔して」
どういう反応をしていいやら、オレは呆気にとられたまま固まっていた。
聞けば、試験によるストレス(と、オレのせい)でピリピリしていた頃から、試験が終わったら思い切り歌うつもりだったのだという。
「昔はほとんどオレからばっかり誘ってたから。実はお前ってあんまり歌うの好きじゃないんじゃないかって思ってたんだよ。今さらだけど」
「好きじゃなかったら好きじゃないって言うよ、普通」
「――で、シマは何を歌うの」
アマネはドリンクバーで入れてきたカニコーラで喉を潤し、アマネはオレを睨むように見据える。薄暗い部屋の中、かけていたメガネ(今日はコンタクトじゃなかった)が、ディスプレイの光に反射してきらりと光る。
「こんなことなら、前みたいに“仕込んで”来るんだった」
「別に、何でもいいんじゃない。前によく歌ってたアニソンとか」
「ええ……」
「“大人だからそんなの歌うの恥ずかしい”って?」
アマネはオレの考えを読むように言う。
「そっちが興味ないものを歌ってもな、って」
「なんで? 私だって嫌いなわけじゃない。今のはわかんないけど、前にやってたやつならよく覚えてるし」
オレは観念して、タッチパッドから曲を入力する。
こうしていると、昔を思い出す。
あの頃はお互いガキ同士みたいなもので、将来こうなるなんて考えもしなくて。
あの頃はむしろオレからグイグイ誘っていく感じで、オレが一足先に大人になった時も、そういうやり取りを忘れたくなくて。
あの頃が過ぎてオスとメスになって、それから遊び方も繋がりも変わって。
お互いに変わりたくなかった。でも、何もかも変わってしまった。
変わってしまったものはもう元には戻らない。
でも、そんな風に思い込んでいたのはオレだけだったのかもしれない。
ディスプレイに入力した曲のタイトルが表示され、再現度の低いマヌケなイントロが始まる。バックには劇中の映像。
「あ、シャコライダー」
「後期のOPだ。なんかもう懐かしすぎ」
「これなら私も覚えてる」
「よーし、んじゃ歌うぞ!」
オレはマイクを取って、ソファから立ち上がった。
―――
一時間半後。
「……声が出ねえし!」
満足げな顔のアマネと対照的に、オレは憔悴してしまっていた。
「低音のほうが出にくくなるから、そういう時はしっかりお腹に力を入れて声を出すような感じで」
「分かってはいるんだけどさあ」
「あとはまあ、歌いたい歌と、歌える歌って違うから」
「『ZOEA』が歌う曲のジャンル変えたのも分かる気がする」
「それね」
空を見ればすっかり日は落ち、駅前の通りには見事なイルミネーションが眩いていた。
「これからどうする? 食事?」
「まだ7時にもなってないしな。腹減ってる?」
「あんまり」
「じゃあちょっと、連れて行きたいところあるから」
ようやく“一応考えてきた段取り”が功を奏す番が来た。オレ達はバス停に向かう。
「もしかして、蟹ヶ丘公園?」
「そう」
オレが行き先を言う前から気付いたようだった。
「あ、ちょっと待った。そこの通りじゃなくて、裏から行こう」
「何で?」
「そこのコンビニの前、通りたくない」
「まだあそこでバイトしてるんだっけ?」
「そう。……一応、シフト入れなかった負い目とかあるし」
「ズル休みとかじゃないなら堂々としてればいいのに」
脳裏に“茶髪くん”の顔が浮かぶ。
「そこはちょっと、その、色々あって」
「へんなの」
一本横の裏通りからぐるりと周り、バス停の集まるロータリーに着く。
蟹ヶ丘公園行きは5番。もちろん同じことを考えている連中は他にもいて、バス停に並ぶ人間はいつもよりもだいぶ多い。最後列に並び、オレは履いていた靴を片方ずつ脱いで足首を揉む。
「よくヒール履いてられるなって思う。あれ辛くない?」
「辛いよ。でも慣れた。“大人の履き物はそういうもの”だからって履き続けたら、いつの間にか」
「でも今日は違う」
「だって、シマ相手に“大人っぽく”気を遣うことなんてないでしょ」
―――
オレがメスになった時、“約束”を果たす当日のことを思い出す。
その時、オレは大人らしく、メスらしく振る舞った。
服も言動も、成りきれないままに成りきろうとした。
あいつが困惑しているのはよく分かったし、オレ自身ももちろん困惑していた。
でも“約束”は果たさなければならないものだと思っていたから、オレはそうした。
二人の関係を紡ぐ上で、そうすることが本当に正しかったのかは未だに分からない。“約束”は果たされて、オレ達は次のステージに移った。
それっきり、オレは大人に成りきれなかった。
服を変えて、アクセサリを付けて、靴を変えて、“背伸び”をして――結局、オレはそこでコケてしまった。
一方で、あいつは見事に変わった。身体も心も振る舞いも立場もすっかり大人になった。オレなんかよりよっぽど上に。だからオレは、その差に焦った。
……でも。
あるいは、やっぱり、それすらもオレだけが思っていた勝手な想像だったのかもしれない。
―――
バスが来るまで、あと十分。アマネはケータイをいじるようなこともなく、姿勢良く前を向いてじっと立っている。オレはようやく靴を履き直し、その隣に寄る。
「あのさ」
「うん」
「……この前は、ごめんな」
「今それ言う? 今?」
「いや、その、本当は一番はじめに言おうとしてたんだけど」
「けど?」
「タイミングが」
「タイミングが、何?」
「……ごめん」
―――
「私があんまり人付き合い得意じゃないの、シマならよく知ってると思ってた」
「全然そんな風に見えないから。オレの前だと」
「何度でも言っておくけど、むちゃくちゃ傷付いたからね、アレ」
「ごめん」
「確かに試験中だからだいぶピリピリしてたけど、それであんなこと言われたら」
「大学がどんな場所で、どういう人間関係があるかとか、オレわかんないからさ。だから」
「ないよ人間関係なんて。作ろうとしたら失敗してずっとそのまま。あったら一人でこんな苦労してない。ノートだって他の人から見せてもらえるわけでもないし」
「……大学って面倒くさいんだな」
「面倒くさいよ。色んな人がいて色んな事があって。それに飲まれたらダメだって思うと余計に気を張って」
「でも、お前だったら――」
「だったら?」
アマネの横顔を見る。オレと違って、昔の面影は薄い。
その落差に、今でもたまに戸惑う。ずっと、戸惑いっぱなしだ。
オレの視線に気付いたのか、向こうもこちらを見返す。
「……」
その一言を呟く“タイミング”を、やっぱりオレは逃してしまった。
「まあ」
再び前に向き直り、アマネは呆れたように軽く息をつく。
「許すかどうかは、とりあえず後で」
「マジか」
「こんな日にわざわざデートだっていって誘ってきたんだから、それなりの事はしてくれるんでしょ」
「……そのつもりだけど」
「だから、こっちも“タイミング”を図ってるところ」
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