P.eous(6)

 “友人と恋人は違う”と、いつかそんなことを言ってしまった記憶がある。

 あれは確か、アマネがメスになってすぐ、色々と荒れていた頃だったか。


 その時から、ずっと心に靄がかかるような感覚が残っていた。

 あいつはあいつで人生があって、子供を残したかったんじゃないかって、オレは一人でそう思っていた。オレが出来なかったことだから、オレが叶えてやれなかったことだから、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかって。それでも、きっとオレ達はまだ友達でいられるんじゃないかって。


 自分勝手に、そんなことを考えていたわけだ。


―――


「悪い」


 バイトの終わり際、入れ替わるように(今日はいつもより妙に早く)やって来た“茶髪くん”に、オレは目の前で手を合わせて謝る。

「イベントの当日、出られなくなった」

「マジっすか」

 みるみる内に顔色が変わった。

「店長には伝えてある。一応、オレの代わりに出られるメンバーを集めてるらしいけど上手くいかなかったらスマン。この埋め合わせは今度必ずやる。酒でも何でも奢らせてくれ」

「いや」

「?」

 一転して、彼は妙に複雑そうな表情を見せる。

「そうじゃなくて」

「うん」

「シマ先輩がイベントの日に“出られなくなった”ってことは、つまり」

「……」

「“そういうこと”で?」

「……まあ“そういうこと”なんだけど」

「……マジっすか」

 先ほどよりも深い嘆息と共に“茶髪くん”は言葉を繰り返し、さらに続ける。

「シマ先輩のこと、イケると思ってたんだけどなあ」


 あー。


「なあ、率直に聞くけど」

「はい」

「お前、オレのこと狙ってた?」

「はい」

「はいじゃないが」

「いやあ……当日のシフト終わった後、また飲みに誘おうかと思ってて。去年は出来なかったから」

「去年もそうだったのかよ。あとオレ飲めないっつってんだろ。他に誘い方とかないのかよ」

「眠いとか疲れたとかいって早々に帰っちゃったじゃないスか、去年は」

「まあ、そうだった、かもしれない」

「あの、で、その……“いつから”?」

「十年以上」

「じゃあ絶対敵わないじゃないですか!」

「いや、まあ、なんつーか。それもスマン。こちらが悪かった」


 こうして“何事もハッキリ言わないとロクなことにならない”ということを、オレは今さら気付いたりする。で、そういうタイミングというのは、遅らせれば遅らせるほど言いづらくなって、追い込まれたりもする。

 言いたいこと、伝えたいこと、やるべきこと。もうちょっと早く伝えていれば、アマネとも拗れなかっただろうか。


 そこまで考えて、オレは頭を振る。


―――


 試験期間、とやら終わるまで、オレはアマネと連絡を取らないことにしていた。残りはほんの数日だったけれども、それはこれまで過ごしてきたどんな日々よりも長く感じている。

 だから、とりあえずオレはジダラクを止めてみることにした。


 いつまでもバイトばかりしているわけにはいかないな、と、バイト上がりに求人情報誌なんかも買ってみたりした(レジにいた“茶髪くん”にはだいぶ怪訝な目で見られたけれど)。環境が変われば考え方も変わって、大人らしくなれるだろうか。

 そんなことで変わるようなモノじゃないってのは分かってるけれど。


 正社員待遇。未経験者歓迎。受付オペレーター。一般事務。営業。引っ越し業者。カニ漁船。エンジニア。オレは何になりたいんだろう。どうすれば一人前になって、あいつに釣り合う存在になれるだろう?


―――


 それから――。


 カタチだけ装って振る舞っても仕方がない。そういう考えもあるけれど、一方で“まずカタチから入る”のだって、きっと悪くはないだろう。


 その日はいつにも増してずいぶん寒い日で、アパートを出るのも嫌になるくらいだったけれど、なんとか気力を振り絞って外出した。雪が降るかも、なんて、天気予報では毎日言っている。今日もきっと降らないだろう。


 駅前に向かうバスに乗る。

 カラフルに飾り付けされた灰色の街が、車窓の向こうに流れていく。


 伸びすぎた髪を美容室で整え、その足で午後は買い物をする。アクセサリばかり見がちな目線を服にも向け、店員に勧められるまま、なんだかよく分からないままに選ぶ。「小柄で可愛いですね」なんて言われても、オレは愛想笑いくらいしか出来ない(アパレル屋ってのはどうしてみんな“ああ”なんだ?)。


 ふわふわとした冬らしいインナーに、ロングスカート。

 試着室の鏡に映る、まるでオレじゃないオレみたいな誰か。


 ホントに笑っちゃうな、と思う。

 オレみたいなのがこんなになるなんて。格好つけて、大人であろうと振る舞ってみて、いつの間にか止めて、そしてまた“ちゃんとしようとしている”なんて。


 でも――あの時はオレもただのガキだったから気付かなかったけれど――今にして思えば、ボタンさんもきっとこんな感じで“格好つけて”くれていたんだろう。


 何もかもが巡り、繰り返し、また巡り、紡いで、繋いでいく。


 そうやってオレ達は廻っている。


 今度は、もう一度、オレの番だ。


―――


 メッセージアプリを開く。

 文章を打ち込み、削除し、また打ち込んでは消す。


 まだ怒ってるかな。

 今さら何を? なんて言われたら。


 このまま何もしなければ――たぶん、きっと、オレ達は、いつもみたいに、なあなあで、また自然に元に戻る。今まではそうしてきた。些細なことじゃ崩れない関係だって分かっているから、オレはずっと甘えてきていた。今からでも引き返せる。バイト先に、やっぱり出られるようになりました、って連絡して。去年みたいに、忙しく“やり過ごし”てしまえばいい。

 それでいいなら、それでいい。あいつもきっとそう思っている。


 けれど、いつからか、オレは次の一歩を踏み出したくなっていた。

 言いたいことができて、それを言いたくなった。


 ある意味それは“致命的”な一言だ。

 これまでの関係が崩れてしまうかもしれない。でも。


 ――答えなんてもう決まっている。

 ――単純な話、でしょ?


 ボタンさんの一言が脳裏によぎる。


 再びメッセージアプリを開き、指を滑らせる。


「今から、話せるか?」


 たったそれだけ。


 カラオケに誘うのも、家に誘うのも、これまで全部メッセージでやってきた。

 でもこれは自分の言葉で伝えたい。

 オレは、自分の言葉で誘いたい。


―――


「どうしたの」

「や、実はさ」

「うん」

「あ……試験、終わった?」

「……終わったよ」


「……ええと」

「……」


「今度の週末。24日の、夜」

「うん」


「――デート、しないか?」

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