P.eous(4)

 オレ達の関係は、ずっと順調だったわけじゃない。


 すれ違いもあったし、ケンカもした。価値観や生き方のズレが小さな火花を起こして、時にはそれで火がついたりすることもあった。

 家族だって友人だって恋人だって、突き詰めてしまえば“他人”だ。他人とは自分じゃない。思い通りにいかなかったり、何を考えているか分からなくなったりする。だから衝突する。関係性が身近であればあるほど、そんな当たり前のことを忘れてしまう。そして、その間を埋めるのが態度だったり言葉だったりするのだけど。


 その態度や言葉が、一方で余計な問題を招くことだってある。


 一番ひどかったのはいつだったか。

 あいつがオスだった頃、オレが“うまくやれなくて”望んだ結果が出なかった時?

 アマネが大人になってすぐ、わけもなく周囲に当たり散らすようになった時?


 ともかく、オレ達はけっこう衝突していた。

 言うべきじゃない言葉を言ってしまったこともある。


 いつまでもガキ同士じゃいられない。オレにもアマネにも人生があって、環境があって、積み重ねがある。二人はオスとメスの関係になって、それからメス同士になった。遊び方も付き合い方も変われば、ケンカのきっかけだって変わってくる。少し考えれば些細でバカらしいと思うようなことでも、そういう瞬間はお互い理由を顧みることもできなくなるし、解決しようとしたり謝ったりとかもできなくなる。オレ達は機械じゃないから、じゃあまずトラブルシューティングから入りましょうなんて、そういうスマートなアタマには出来ていないというわけだ。


 それでも、オレ達はそういう衝突を踏まえても、それなりに長く続いている。

 掛け違えたボタンを直すこともせず、ここまで来てしまった。


―――


 自分達の未来はきっとうまくいく。

 そう思って歩き出した先にこそ、ほんの数歩先に落とし穴があったりする。


 足元を見ろって言われても、意外と気付かない。

 オレもアマネも、前ばっかり見てたから。


―――


「試験、どうだった?」


 朝。ちょっとした日常会話で送ったはずのメッセージ。

 既読がついたまま返信はなく――夕方になって、ようやく来た。


「わからない」


 ようやく来た末がコレだ。

 試験は一回で終わるようなものじゃなくて、今後一週間くらいはずっと“試験期間”なんだという。だからアマネはまだ忙しいはずで、通話だってするべきじゃない。それは分かっている。けど――。


 通話ボタンを押す。

 マヌケなコール音が何回か鳴って、7コール目で繋がった。


「アマネ?」

「うん」

「疲れてる?」

「少し」

 トーンの低い声。


 それからアマネはポツポツと語り出した。さっき「わからない」と返信してきた通り、手応えはどうも芳しくなかったらしい。

「アテが外れたならまだ諦めもついたんだけど。ちゃんと分かったつもりの設問が、いざその場になるとまったく出来なくなってたっていう絶望感」

「……ああ」

「なんかね。全身の力が抜けたような感覚っていうか」


 さてどうしたものか。


「まあ、気を取り直してさ」

「それが正解なんだろうけどね。簡単にスイッチ出来るようなアタマなら、もうちょっと物事はスムースに行く、んだろう、けど」

「けど?」

「私はこのへん、うまく出来ないよ」


 昔からそうだ。アマネは落ち込んでいても、あまり感情を強く出すことがない。過度に抑制して、冷静に振る舞おうとしている。でもその内には渦巻くような想いがある。だからこういう時はその加減を読んで話をする。いつもならそうしている。


「――ずっと明日まで、そうしてるつもりじゃないだろ」

 けれど今日にかぎって、オレはその加減をはかり間違えた。

「――ちょっとは、オレを頼ってくれよ」

「――でも、じゃないんだよ」

 その結果。

「――確かに、今のオレはそうかもしれないけどさ」

「――じゃあ何だよ」

「――そんなに言うなら……オレじゃなくて」

 オレはまた“言うべきじゃない言葉”を言ってしまった。

「――……なら……すればいいだろ」


 長い沈黙。


 しまった、と思った。


 わざわざ迂闊に通話までした理由は何だったか。本当はもっと、かけるべき言葉や“するべきこと”があったはず。でもオレは“するべきじゃないこと”をしてしまった。真逆の言葉を投げてしまった。

 どうしてそんな言葉が出てしまったのか。アマネとの境遇のギャップだったり、無力感だったり、苛立ちだったり、コンプレックスだったり――あるいは、知らない誰かへの“嫉妬”か。ともかく。


「わかった」


 失言をしたなら、その場で謝ればよかったのに。


「もう寝るね。明日も早いから」


 相変わらず、アマネは感情を押し殺したようにそう応え、通話を切った。


―――


 するべきこと。

 するべきじゃないこと。

 どっちも分かってる。


 あいつが悪い、なんて言うつもりはない。悪いのは全部オレだ。今の状況がどうであれ、オレがあいつの不安を拭ってやらなくちゃいけなかった。


 そうだよ。ああ畜生。

 アタマの中じゃ全部分かってるはず――なんだけど。


―――


「じゃあ、なおのこと」

「こっちで」

「話をしてる場合じゃ」

「ないんじゃない?」


 そのすぐ後。

 アマネとは別にやり取りしていたログで、そんなメッセージが来た。


 それはそう。まったく正しい。ついでに言えばこんなのは不貞も不貞だ。こんなことがアマネにバレたらどうなるか。というわけで、オレはここでも、やっぱり“するべきじゃないこと”をやってる。


「わかった」

「じゃ、明後日ね」


 送るメッセージに悩んでいると、続けて二件のメッセージが来た。


 ……明後日?


「駅前」

「お昼でいいかな」

 駅の名前が送られてくる。オレの実家近くの駅だ。今住んでる場所からはふた駅ほど離れた場所――まさか?


「今の君に」

「言いたいことは色々あるけど」

「メッセージって打ちづらくて」

「せっかくだから」

「言葉でつたえたい」

「もちろん、その人には内緒で」

「ね」


「明後日、ですか??」

 突然饒舌になったように次々と来るメッセージに、慌ててオレは返信を差し込む。


 すぐさま既読がついて、それきり向こうからのメッセージはぱったりと途切れた。


―――


 ……いきなり?


―――


 夜番のバイト明け。ほんの二時間だけ眠って、寝ぼけ眼を擦りながら電車に乗る。


 あれから何度か「やっぱ止めましょう」とメッセージを送りかけて、削除した。


 そうしている内に当日になってしまった。

 あまりに突然のことだから、オレのアタマもうまく働いていない。


 何も“こんなこと”がしたくてメッセージを送ったわけじゃない――いや、そう言えばきっと嘘になる。正直、ちょっとは期待もしていた。でも何もこんな状況の中でそうなることを望んだわけじゃない。まず心の準備が出来ていない。


 一方、向こうはどうなのか。

 きっと冗談でもからかうつもりでもなく、本当に心配してくれているんだろう。

 あの人のことだから――。


「あ」


 オレからの目印は草色のポーチ。出掛ける前に送ったメッセ―ジを読んでくれたのか、彼女はこちらの姿に気付いたらしい。


 待ち合わせ場所に行き交う人々の中で、あの人は泰然とそこに立っていた。

 見間違えようがない高身長は、相変わらず人混みの中で飛び抜けて目立っている。


 最後に見た時よりも細く、色白になった体躯。

 最後に見た時には持っていなかった、左手の杖。

 最後に見た時とは違う、腰まで伸びた黒髪。

 最後に見た時と同じ、憂いと力強さの両方を湛えた瞳。


「呼び方はどうしようか。シマ“さん”でいいかな?」

「や、なんかくすぐったいんで」

「わかった。……久しぶりだね、シマくん」


「――お久しぶりです、ボタンさん」

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