P.eous(3)

 いつかもこんな日があった。デジャヴなんかじゃなくて、本当にあった。


 部屋の片隅で温もりを分かち合い、触れ合い、夜を過ごし、朝を迎え、憩う日。

 どこかで見た景色。どこかで聞いた囁き。どこかで感じた体温。


 場所を変え、人を変え、それらは繰り返していく。そうして繰り返しているうちに、なんとなく、その記憶はおぼろげに、緩やかに混ざっていく。


 ――オレは今、どこにいるんだっけ?


―――


 翌朝。


 部屋から一歩出ると、あいつは――アマネは、再び外向きの装いに戻る。


 メガネをコンタクトに変え、化粧をして、シュリンプピンクの髪がよく映えるライトグレーのコートを着て、ヒールの洒落た靴を履き、姿勢よく歩いていく。あいつは昔からそんな感じだった。なんだかんだコマメな性格で、そうあろうと努力するのを惜しまない。

 一方のオレはどうか。以前は化粧やらなんやら“大人らしくある”コツみたいなのは教わったけれど、結局、面倒になってしまった。美容室の人からは「素材はいいのにね」なんて言われるけど、お世辞ってやつだろう。ちなみにアマネ本人はもう何も言ってこない。たぶんとっくに諦めている。


「来週は?」

「しばらく止めとく。さすがにもう、試験に入るから」

「そっか。頑張れよ」

「うん」


 オレの前で見せる顔。外向きの、あんまりオレに見せない(であろう)顔。


 どっちが本当の顔なのか。


―――


 週が明けて月曜日。夜。

 バイト先に行くと、店内はすっかり飾り付けが済んでいた。

 赤、白、緑。POPから棚の装飾まで。


「店長、季節商品は?」

「来週だね。今年もいつものようにクラブケーキが来る予定。ただ、カニコーラはもう季節ラベルのものが来てるから、今日からそっちを優先して出して」

「わかりました」

「ああ、あとシマさん」

「はい?」

「年末の“イベント”の日、今年もシフトに入れる?」

「あー……」

 店長の問いに、オレは少し間を置いて答える。

「……入れます」

「わかった。助かるよ。毎年、この日は皆あまり入りたがらないからさ」


 今年も終わりの月に入り、気付けば駅前のデパートや商店街も年末恒例の“イベント”の装いに変わり始めている。早いところなんて、もうイルミネーションを下げているくらいだ。

 恋人、家族で浮かれるカラフルな街並み。そうして皆が浮かれれば、世の中だって大きく動く。オレみたいなフリーターにとってもこの時期は稼ぎ時で、去年も一昨年もずっとそうしてきた。

 だから今年もシフトを入れた。いつもならそれで良かったし、迷うこともなかった。毎年のことだからもちろん誰も文句は言わない。店長は安堵するし、バイト代はたくさん出るし、欲しかったCDや自転車なんかを買う余裕もできる。良いことずくめで豪華な年末。

 でも今年は違った。それでいいのか? と迷いながらシフトを入れた。


 ――この前のメッセージ、何を言おうとしてたの?


 昨日の夜に聞いたアマネの声が、頭の中でリフレインする。


 何のことはない。他人から見れば呆れるくらい単純なことで、迷う理由なんてないと言われるだろう。オレはただ、その単純な一言が言えていない……と、それだけなわけだ。


―――


「おはよう」

「おやすみ」

「ご飯食べた?」

「今から寝る」

「テレビ見てた」

「寝坊しないで」

「じゃあ、また」


 毎日、とりとめも無いメッセージで紡がれる、オレ達二人の関係。


 昔みたいに、突発的にカラオケに行ったりゲーセンに行たっりすることは少なくなった。それでもオレ達はオレ達で変わらないし、こうして繋がっている。そうやってずっと続くものだと思っている。あるいは、そう思っているのは自分だけかもしれない……という不安も同時にある。


 片や大学生のアマネ。

 片やその日暮らしで日々を過ごすフリーターのオレ。


 先に大人になったのはオレだ。でも、後から来たあいつはそんなオレを軽やかに追い抜いて、毎日を忙しく過ごしている。


 といっても、アマネが大学で何をやっているのかは知らない。ジダラクモードになったあいつはあんまりそこを喋らないから、こっちもあえて聞き出すようなことはない。そもそも大学というのがどんな場所なのか……前に教えてもらったような気もするが、大半は忘れてしまった。

 それでもひとつ覚えていることはある。オスもメスも一緒に、てんでバラバラな連中が“学生”という立場の元に揃って、勉強をしたり、ケンキュウをしたり、スポーツに勤しんだりするようなところだと。そんな中で、アマネはアマネなりに上手くやっているらしい。あいつに相応しい場所で。


 だからこそ。

 時折、オレは不穏で、自分勝手で、どうしようもない不安を抱いたりする。


「調子は?」

 そんな気分になるたび、オレは適当なメッセージを送ってみたりする。


 しばらく既読はつかず――翌朝、返信が来た。


「なんとかなってるよ」


―――


 ――そういや、ヤツも一応“大学生”だったか。


「お前さ、大学に行って普段は何してんの」

「何って、まあ、食堂でダベってたり、サークル棟でダラダラしたり」

「あとは?」

「授業出て……ダラダラしたり」

「……」

「その“どうしようもないヤツを見るような目”は何なんスか」

「ような、じゃなくて、“どうしようもないヤツ”だと思ってるんだよ」

「そりゃ、確かに去年サボりすぎて一浪してますけど、そこまでじゃないですよ。今日だって一応、必修科目の講義は出ましたし。寝てましたけど」


 非番の日の夕方、たまたま近所のスーパーで出くわした“茶髪くん”(いい加減、オレはこいつの名前を覚えてやるべきなんだろう)に訊ねると、相変わらず参考にならない答えが返ってきた。アマネのように真面目な学生もいれば、こいつのように不真面目な学生もいる。思った以上に大学という場所は混沌としているらしい。


 互いに自分の買い物を済ませ、駅までの道のりをブラブラと歩く。途中で缶コーヒーをふたつ買って、ひとつを投げ渡す。

「あぢぢぢ」

 空はどんよりと曇っていて、まだ16時過ぎだというのにもう暗くなり始めている。

「今夜、雪降るかもっつってましたね」

「寒いわけだ」

 空を見上げ、オレも手元のコーヒーのプルタブを折る。

「ひとつ、ヘンな事聞くけどさ」

「はい」

「その、大学に、友達とかはいるの?」

「いまずよ。サークルのメンバーとか、講義でよく隣になるやつとか。だいたいそいつらとメシ食ってます」

「……それ、メス?」

「いや、オス」

「あっそ」

「何スか。そんな“コイツはモテそうにないからなとか思ってそうな目”しなくても」

「“コイツはモテそうにないからな”って思ってんだよ」

「ひっでぇ」

「ちょっとは、こう、真面目になって大人ウケするようになればモテるんじゃないの。知らないけど」

 どの口が言うかと思いつつ、オレはそんなことを呟いてコーヒーに口をつけ、白く息を吐く。

「そういうシマ先輩だって」

「オレがなんだって?」

 睨む。

「何でもないです」

「言わないほうが良いこともあるんだよ。覚えとけ」

「ウス。……ああ、そういえば」

「?」

「“イベント”の日、今年もシフト入ります?」

「……入るよ」

 口の中に残る甘ったるいコーヒーの残滓を飲み込んでから、オレは答える。

「あ、オレも入るんですよ、夜に」

「マジか」

「クラブケーキの店頭販売で人手がいるからって、店長から。どうせその日はもう授業もないし、オレも稼ぎたいんで」


―――


 結局、夜になっても小雨がパラついただけで、雪もみぞれも降らなかった。ただ寒いだけの夜だ。そんな中、暖房の効ききらない部屋で、オレは手早に夕食を済ませ、テレビを点けるでもなくケータイを片手に横になっていた。


 シフトのない日の夜は、静かで、暇だ。

 暇になると、余計なことを考える。今日みたいな日なら、なおさら。


 普段ならアマネと会ったり通話したりするところだけれど、明日が試験らしく、さすがに邪魔はできない。無為に長い時間だけがダラダラと過ぎていく。結局、オレだって同じようなことをしているというわけだ。

 夕方、レンタルビデオ屋にも寄ってはみたものの。特に観たい映画があるわけでもない。こんな日は毛布でも被ってとっとと寝てしまえば良いんだろうが、生活サイクルの微妙なズレはなんとも矯正しがたく、それも出来ない。酒を飲むようなやつは、きっとこんな時に酔っ払うんだろう。


 暇にあかせてケータイのニュースアプリを開く。政治、タレントのスキャンダル、野球の結果、そして“天敵”との戦いのことも。北の戦況が悪く、多数の死者が出たらしい。娯楽から情勢まで、あらゆるニュースが同じタブに乗って流れていく。

 それから――『ファイトクラブ』の新作が出たなんてニュースも。もう四作目らしく、使えるカニもむちゃくちゃ増えていた(この“ホフガニ”って何だ?)。

 あのゲームはオレ達にとってちょっと特別だ。オス同士だった頃、よくゲーセンで対戦してた。オレがタカアシガニで、アマネがケガニ。最後にプレイしたのはいつだったか……ああ、“あの日”か。もうずいぶんと、遠い日のように思える。


 ニュースを閉じて、メッセージアプリを開く。何をするでもなく、アマネとの会話ログをぼうっと眺める。お互いあまり文章を打つのは慣れていないから、交わされる会話は短いものばかりだ。その間に、たまに通話記録が混じる。チャット欄の横にある通話ボタンを押そうかと思って、何とか止める。さすがに今それは出来ない。


 ――結局、オレはあいつに言うタイミングをずっと逸したままだ。


 ふとした弾みにホームボタンに指が触れ、トップ画面へうつる。

 会話をするのはアマネか、あとはバイト先への連絡か、たまに親とするくらい。それらのログの下方に、数年前の段階で会話が終わっているログが見えた。


 ログを開く。

 覚えている。この相手をオレはよく覚えている。“彼女”と何があったかも。そして、最後に何を言われたのかも。


 今さら連絡して何になるのか。そんなことは分かっている。それでも――オレはただ“話相手が欲しかった”。

 アマネの顔が脳裏によぎる。こればかりはダメだろうと思いつつ……その時のオレは、タップする指を止められなかった。


「お久しぶりです」


 送信。


 送ってからしばらく、オレはもう一度シャワーを浴びたり、送ったメッセージをもう一度眺めたりした。とにかく落ち着かなかった。メッセージを消してしまおうかとも思った。それほどに長い時間だった。


 果たして――既読マークがついたのは、それから三十分ほど後のことだった。

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