P.eous(2)

 オレ達が遂げる“成長”は身体の変化で、同時に心の変化でもある。


 社会的にも大人扱いされて、それを受け入れる形で自分から変わるヤツもいれば、表面的には変わったようでも中身はあんまり変わらないオレみたいなヤツもいる。


 ちょっと違うか。

 変わってみようとはした。憧れとか、使命感とか、あとはあいつの為だとか……そんなこんなで、とりあえず一度は大人になってみようとした。


 でも色々あって、それは長く続かなかった。

 オレは大人になりきれなかった。

 いつか出会った、あの人と同じように。


―――


「相っ変わらず、汚い部屋」

「これでも少し片付けたんだっつーの」

「これで?」

「これで」

「普段からちゃんとしようって」

「うーん」

「“私達”、もう大人なんだから」


―――


部屋に着くなり、アマネはバッグの中からコンタクトケースを出し、慣れた手つきでコンタクトからメガネに変える。

「この前置いていった着替えは?」

「そこ」

 オレは部屋の隅の衣類ケースを指す。アマネは目の前でぽいぽいと衣服を脱ぎ、ケースから取り出したジャージに着替える。これが彼女の「ジダラクモード」だ。玄関を開けた時に見た“おカタい”表情は和らいで、いくらかリラックスした顔に戻る。


「大学、今だと試験とかなんとかで忙しいんじゃないの」

「めっちゃくちゃ忙しいよ」

「そっちに集中するもんかと思ってたんだけど」

「でも、あるじゃん」

「何が?」

「頭カラッポにして、ジダラクしたい時。本当はここ一番で頑張らなきゃ行けないって時に、どうしようもなくダラけたくなる誘惑」

「わかるけどさ」


 続けてアマネは髪をヘアゴムでまとめる。

 長く伸ばした髪はキメ細かく、薄桃色のシュリンプピンク。


 染めた、というわけじゃない。

 これも変化の一部だ。あるいは変異といってもいい。


 ――成長してメスになる時の“変態”は人それぞれで、特にアマネはほとんど別人に変わった。本人曰く「死ぬかと思った」ほどの劇的な変化で、一ヶ月近くも悶え苦しんだらしい。

 同時に髪の色も変わった。だいたい百人に一人くらいの割合でそういう変化が起こる。カロテノイドだかなんだか、変化が大きい人間は髪の色にもそういう色素が表れるらしい。


 ヘアゴムでツインテールにまとめた薄桃の髪が、オレの前でふりふりと揺れる。

「……何?」

「や、別に」


 オレが言うのもなんだけど、アマネはすっかり美人になった。


 ケータイのフォルダには、オス同士だった頃のオレ達の写真がある。

 たまにその写真を見せると、アマネは心底微妙な表情を浮かべたりする。

 若年同士のオレ達は、たった数年で何もかも変わった。


―――


「またカニ?」

「オレが好きなんだよ」

 昼に買ってきたパスタとレトルトのクリームソースでカニクリームパスタを作り、二人で食べる。割合はオレが1.3人分で、アマネが0.7人分。

「CD聴いたよ」

「久々の『ZOEA』新アルバム、どうだった?」

「三年ぶりの再始動一発目、はいいんだけど……だいぶ変わったね」

「メンバーのうち半数がメスになっちゃったからな。とりあえずバラード多すぎ」

「それ」

「ファンもむちゃくちゃ荒れてる」

「そりゃそうでしょ」

「オレもどうかと思ったもん」

「でも私は好きだよ。三曲目の『背面遊泳』とか良かった」

「マジで?」

「うん。前回のアルバムの時点でだいぶマンネリ化してたし」

「まあ、ファンもけっこうメスになっちゃってるわけだし、年代に合わせてあえて変えたのかもな」

「そうそう」


「あ、片付け、私がやる」

「いいよ。オレやるから、そこ座ってて。疲れてんだろ」

「ん」


―――


 人によっては、趣味嗜好もガラッと変わるものらしい。


 食後。手早くシャワーを浴び、それから数日前に借りたレンタルビデオのうちアマネが見たがっていた邦画を見る。半年くらい前にテレビでだいぶ宣伝されていた恋愛映画だ。

 壁に背をもたれるようにしてアマネが座り、その前に、さらにもたれるようにオレが座る。体格的にはオレのほうが小さいので、二人でくっつこうとするとどうしてもこうなる。


 毛布をかぶり、部屋を暗くして再生ボタンを押す。


 話はこうだ。仲の良いオス……二人の若年がいて、時には遊んだりケンカしながら楽しく過ごす。だがそのうち一人の若年は実は難病を患っていて、長くは生きられない身体だった……とかいう、いかにもな要素を盛り込んだ青春映画。やたらに俳優の顔アップが多くて台詞も棒っぽく、何よりアクションがない。一時間半ほど終始ダルい絵面が続いていたが、アマネは真剣に見入っていたようだった。

 別に映画と現実を重ねるわけじゃないけど、オレ達もかつてはこんな風な関係だった。今にして思えばそれなりに劇的な展開? だったし……実際、色々あって、オチもついた。だけど――何度も言う、オレ達が生きているのは物語の中じゃなくて、現実だ。オチがついた後も退場なんかできなくて、まだ続いている。

 だから少なくともオレはあんまりこういう物語に没頭できない。

 途中から映画に集中するのを止め、アマネの息づかいとか鼓動とか、オレはそういうものに意識を向けていた。


 映画が終わり、デッキからビデオを取り出す。


「何でラストにああいう行動を起こしたのかがよく分からない」

 開口一番、神妙な顔でアマネはそう呟いた。

「あれはほら、親友のためを思って、とか、そういう理由じゃねえの」

「本当に親友のためを思うなら、病院に戻らない?」

「それじゃドラマチックじゃないだろ」

「そうかな」

 アマネはアニメとか特撮ではなく、恋愛映画なんかをよく見るようになった。

 ただ、その見方は少々独特だ。泣けるからとか感動するとかではなく、妙に覚めたような分析をする。本人曰く、そうやって見るのが“楽しい”のだという。

「もしああいう状況になったら、シマ、どうする?」

「え、オレ?」

「そう。もし私が難病で、身体が弱ってて、それでも最後に海が見たい、とか言い出したら?」

「んー」

「……」

 頭上のアマネが、やけに真剣な口調でオレに問いかける。

「オレなら連れてくかなあ」

「本当?」

「“現実的には”病院に戻るのがいいんだろうけど、そいつは身体壊すのを承知で海を見たがってるんだろ。それなら、友達としては無茶を聞いてやらなくちゃなって」

「そうなんだ」

「いや、状況にもよるけどさ」

 アマネは納得がいったような、いってないような風だった。


 現実はドラマチックにはいかない。それは分かっている。

 無茶の結末が、最終的には不幸をもたらすかもしれない。でも、せっかくならやりたいことをしたい、悔いのないような行動を取りたい――とオレは思う。


「ちなみに今日の映画、10点満点中、何点?」

「4点。構成もベタだし、なにより役者の演技が下手」

「棒読み、ヤバかったよな」

「あと演出はいいんだけど、あんなに顔をアップにする必要もなかった」

「役者メインの作品だからな」

「総評。最近の邦画の悪いとこを煮たような感じ」

「辛辣~」


―――


 映画が終わり、電気を消して、オレ達は毛布にくるまったまま横になる。


「あの後、二人はどうなったと思う?」

「まだ続けんのかよ」

「せっかく見たんだから」

「……難病も快癒して、二人はまた幸せになって」

「うん」

「と言いたいとこだけど……まあ、現実ってのはドラマみたいにはいかないよな」

「うん」

「アマネの言うみたいに、あの無茶が原因で悪くなっちまうのかもしれないし」

「うん」

「都合の良い奇跡なんてそうそう起きないだろうし、きっと上手くいかない。それを考えずに、無茶しろとか、やりたいようにやれとか……なんか、オレの感想って、まだガキっぽいのかな」

「そうかもね」

「ちょっとは否定してくれよ」

「うん」


―――


「今日はどうする?」

「どうしようか」

「……」

「……」

「……まあいいか。ゆっくり寝ようぜ」

「うん」


 オレ達は軽くキスをして、身体をくっつけたまま寝る。

 解けた薄桃色の細い髪が、オレの鼻先をさらさらとくすぐる。


「この前のメッセージさ」

「うん」

「何を言おうとしてたの?」

「……」

 少し考える。

「……そっちが落ち着いてから、また今度言うわ」

「わかった」

「おやすみ」

「おやすみ」


 寒い部屋。いくらも経たずにスッと寝てしまったアマネの体温。

 そういうものを感じながら、オレは微睡みに落ちていく。


―――


 あの日、オレ達は約束を果たして、お互いに友達でいよう、と誓い合った。

 あの映画のように、それは確かにドラマチックだったかもしれない。


 それから、オレ達の関係も友情から愛情に変化していた。オスとメスで、二人でもっと一緒にいたいと望んで、何度も愛を育みあった。

 オレはオレで、なるべく大人っぽく振る舞おうとした。あいつに……アマネに大人らしいところを見せたくて、色んな努力をした(あるいは“引け目”があったのも理由かもしれない)。ともかく、その時間は楽しくて、濃密で、あっという間だった。そして――もしかしたら、オレ達の間には強い絆の“証”が生まれるんじゃないかとか、そんなことも考えていた。将来はどうするんだとか、ちゃんとやっていけるのかとか、全然考えてなんかいないまま。


 で、結論から言えば、オレは産めなかった。

 何度やっても、うまくいかなかった。

 あの時、アマネはどう思っていたのか。

 オレは? 実のところ、少しホッとしていた。


 それからすぐ、アマネの身体にも変化が訪れた。オスとメス……若年と成年の関係が終わり、成年同士の関係になった。もうちょっと長く続くかも? なんて希望的観測は、ほんの一年で見事にさっぱりと終わってしまった。つまり友情が愛情に変わり、そしてまた変わったというわけだ。


 そして――たぶん、その頃から、オレは大人らしく振る舞うのを止めた。


―――


 オス同士からオスとメスに、そしてメス同士に。

 変質した末の関係は、果たして元通りの関係と言えるのか。

 あの約束は、まだ有効なんだろうか。


 答えなんか出ていない。


 出そうかどうしようか、オレはずっと迷っている。

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