P.latirostris(5)

 ベッドの上で、俺の上で、肢体が跳ねる。

 しなやかで、固くも柔らかくもない身体。


「ああ痛え。なんだよ、こんなに痛いのかよ。誰も教えてくれなかったじゃないか」


 その肌は汗ばみ、塩気を含んで弾力性を増していく。

 その表情は恍惚としていて、目には涙が浮かんでいる。


「ひどい顔になってるよ、お前」

 ひどい顔になったシマがこちらを見て笑う。それは強がりか嘲笑か、優越か、あるいは後悔か。俺は唇を噛む。来る衝動を必死に押しとどめようとする。潰れかけた喉から漏れ出る呻き声が、スプリングの軋みに混じって奇妙な旋律を奏でる。


 昂ぶりを増す衝動は、やがて全てを決壊させていく。


「オレ、うまく出来てるか?」

 シマは耳元で囁く。


 答える代わりに、身体が果てた。


―――


 茹で上がった肌は火傷するほどの熱を帯びていた。

 組み付かれ、絡め取られ、リズミカルな蠕動をもって奪い取られる。

「あの襲い方な。オレがあの時に“やられた”方法なんだよ。いきなり後ろから体当たりされてさ。それを手本にしたんだ。どうだ?」


 馬乗りになったまま、シマの身体がぐるりと半回転する。


「化粧も、耳に開けたピアスも、それから“こんなやり方”も。予習して、参考に出来るものは全部参考にした。どうだ?」

 飛沫をあげ波打つ背中ごしに、絞り出すような囁きが漏れる。

「どうだよ。どうだ、って聞いてるんだよ」


 再び、呪詛のように繰り返す言葉。


「オレ、うまく……出来てるか?」


―――


 そんな中、俺の心に芽生え始めたひとつの違和感があった。

 それは黒い澱みとなって、吐き気のように喉元からにじみ出てきた。


 口に出すのを止めようとした。だが止まらなかった。

 やがて二度目の衝動が襲いかかる。引き際の脱力感と共に、俺はそれを吐き出す。


「……なあ」


 シマ。


「お前……誰に向かって喋ってたんだ?」


―――


「誰でもねえよ」


 ぐしゃぐしゃに乱れたボブカットの後頭部。乱れた呼吸を整えるように上下に揺れる肩。背中ごしでは、シマの顔も、その視線の先にあるものも見えない。

 細く伸びた両手は、何かにしがみつくようにシーツを掴んでいる。


「全部、この日のために……やったんだよ」

 後ろを振り返り、シマが俺に向けて眼光鋭く睨み付ける。

 荒い呼吸音と共に、そう呟く。

「全部」

「お前のために……“約束”を果たすために、オレは」

 シーツに爪が立てられる。

「俺のために」

「そうだよ!」


 もう一度“刺さったまま”、シマは俺の方へと向きを変えた。

 異様な感覚に瞬き、お互いの身体が大きく跳ねる。


「……言いたいことがあるってのはわかってる。お前、たまにそうやってやたらカンが良くなる時があるもんな。逃げようとしたくせしやがって、こういう時だけは」

 シマの両手が、俺の首にかかる。

「でも今はダメだ。逃がさない。何も言わせない。今のオレは勝った側。約束のルールを守ってくれ。お前は立場をわかってない。今は。今だけは――」


 涙の溜まったシマの瞼が見開かれる。


「――黙っててくれ」


 ふたつの、捕食者の目があった。


―――


 あるいは何かの答え合わせをしているのか。

 あるいは何かに抗おうとしているのか。

 あるいは何かを振り切ろうとしているのか。


 あいつはもう何も喋らない。

 言葉を発さぬ捕食者は、嬌声と共にひたすらに俺の身体を貪り尽くした。


―――


「全部、お前のおかげで」


「それから、全部、お前のせいで」


―――


 そして――目覚めた時には、まず明滅する視界と脱力感があった。

 俺はベッドの上で嬲り尽くされ、抜け殻のように転がっていた。


 シマはベッドから身体を起こし、よたよたとふらつく足取りでシャワールームへ向かっていく。俺はその後ろ姿を目で追う。真っ赤になった背中と小ぶりな尻が、薄暗い部屋の中で浮き上がっていた。


 しばらくの後、ようやく動くようになった身体で俺もシャワールームに向かう。

 全身がひどく軋み、べとつき、痛む。特にさんざん叩かれた右尻が痛い。あいつ、調子にのって何度も張りやがった。


 四面がガラス張りのシャワールーム。

 出しっぱなしになったシャワーを浴びながら、シマが丸くなって泣いていた。


「……うう……ううー、ううう……」


 シャワーの音にかき消されそうなほど、か細く、小さい声で。


―――


「何でお前が先じゃなかったんだよ」

「無茶言うなよ」


「オレだって、お前との“今まで”を壊したくなんかなかった」

「でも約束があった」

「そうだよ。他の誰かに壊されるくらいならせめて自分達の手で、って。オレはそこでズルをした。あの夏、黙って“予習”して」

「それならこの前にちゃんと伝えてくれたじゃないか」

「吹っ切れたと思った。でもさっき気付いたんだ。ヤってる途中で。オレ、いつの間にかお前を相手にして自分自身の――“復讐”を果たそうとしてた」

「“予習と復讐”か」

「うまいこと言おうとしてんじゃねえよ」

「悪い」

「フェアになりきれなかった自分が嫌で。約束の最中にそんなことを考えた自分が嫌で」

「……」

「でもはっきり面と向かって聞いてこなかったお前も嫌で。それから、ここまで来て覚悟をキメなかったお前も嫌で」

「悪かったって」

「先に謝るなよ。余計に惨めな気分になるだろ」

「じゃあどうすりゃいいんだよ」

「ああ……こんなの、どっちが勝ったんだか負けたんだか、もうわかんねえじゃねえかよ」


「つか、いい加減、そこからどいてくれ。オレの前でそんなモンぶら下げっぱなしにしてんなよ」

「うるさいな、俺だってシャワー浴びたいんだよ」


―――


「あの頃な。お前のほうが先にデカくなったから、負けるのはオレなんだろうって勝手に思ってたんだよ。それならそれで気が楽だった。でも勝ったのはオレだった」


 やけにデカい湯船に湯を張り、お互い背中をくっつけた体勢になって二人で入る。なんとなく、向かい合わせになるのは憚られた。


「むちゃくちゃ熱くないか、風呂」

「先に出たほうが負けだからな」


 先ほどまで俺の前で扇情的に波打っていたシマの背中が、今は俺の背にある。


「じゃあ、はっきり聞くけど。何で“予習”したんだ?」

「お前のためだよ」

 またその台詞だ。

「自分がオスの頃に“ヤられた”時の気持ち。それが分かれば、せめてお前には優しく……なんて考えてた。そうすれば“万が一”オレが先に大人になったとしても、何となく気を使ってうまくいくかと思ってたんだ」

「シマ。お前なあ」

「もちろんお前の方が先に大人になったんなら、それがいちばん良かった。ともかく――俺達の“今まで”の関係を破壊するにしたって、何もぐちゃぐちゃになるまでブッ壊したいわけじゃなかった。“食う”にしたって、程度ってものがあるだろ」

 聞けば、シマはあの時、それはもうさんざんに“蹂躙”されたのだという。

「でも結果は? ぜんぜんダメだった。さっきのオレ、見たろ。衝動みたいなものだった。オレがオレじゃなくなってた。身体だけじゃない、いつの間にか心までが疼いて、真っ黒に塗り潰されてた」

「お前がさっき俺の耳元で呟いてた台詞、全部ここで言い返してやろうか」

「殺すぞ」


 いつの間にか、俺達は笑っていた。


「だから……その」

 触れあっていた小さな背中が、少しだけ丸まる。ぷくぷくと湯船で泡を吹く音が聞こえ、それから水を打つ音に混じって、シマの小さな呟きが漏れた。

「ごめんな」


 いわば、それは本能にも近いのだという。ヤったほうがヤられるほうになる。あるいは、ヤられたほうがヤるほうになる。俺達はそういう自然の摂理に廻る。


「ああ、もう! オレは出るからな! このままじゃ茹で上がる!」


 我慢勝負はシマの“負け”だった。


―――


 今が何時になったんだか、そんなことはどうでもよかった。


 俺達は部屋に戻り、ソファで肩を寄せ合って寝直した(さすがに大惨事になったベッドの上に戻る気にはならなかった)。親に何て言うかな、とシマは頭を掻いていた。


 やがて俺達は目を覚まし、朝日の注ぎだした窓を見ながらぼそぼそと会話する。


「結局、こうやって約束を果たしてさ。俺達、何か変わったか?」

「お前は変わったと思うか?」

「……いや」

 少し考えたが、特に浮かばなかった。目の前にいるこの小さな大人はシマであってシマではなく、しかし紛れもなくシマ本人であるとしか言いようがない。

「俺達、オス同士じゃなくて、オスメスになって」

「じゃあ、恋人?」

 二人で考え――笑う。

「バカいえ」

「だよな」

「俺達は俺達だろ」

「なんだ。結局それに落ち着くのかよ」

 俺達は唇を重ね合う。


 これからどうしようとか。

 たまにこうするのは嫌じゃないから、今度こそ“フェア”にやろうとか。

 ならこちらも「大学生らしいジダラクを楽しんでみたい」とか。

 それから――もし子供が出来たとしても、二人で育ててみようとか。


 まるで週末の遊びの計画を立てるように、俺達は話し合った。


 俺とシマは、生まれてからの半分以上を一緒に過ごしてきた仲だ。

 こんな“約束”で破壊されるような、ヤワな関係じゃない。

 フタを開けてみれば、それだけのことだった。


「腹減ったな。朝メシどうする」

「『たかあし』でいいだろ。あそこの朝定食。カニフライ定食を久々に食いたい」

 以前、カラオケでオールした後によく行った24時間営業の定食屋だ。

「お前の奢りな」

「あ?」

「こういう時はオスが奢るんだよ」

 シマはそう言って、いたずらっぽく笑った。

「それも“予習”したのか?」

「オレが今思いついたんだよ」


 それは、とても可愛らしい笑顔だった。


―――


 そして俺達は“約束”のルールをもう一つ付け足した。


 約束のルールその三。

 何があっても、ずっと友達でいること。


 やがて――俺の身体に“兆候”が出始めたのは、それから一年後のことだった。


 だからといって何も変わることはない。


 何もかもが変わって、それでも変わらないものがある。

 そんなことは、お互い、もうとっくにわかっているのだから。

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