P.latirostris(4)

 俺達はいつまでもオス同士ではいられない。

 いつかは変わる。いつかは大人になる。


 わかってる。


 わかってはいる。


―――


 復唱。約束のルールその二。

 勝った方は、負けた方を“食う”こと。


 勝ったのはシマで、負けたのは俺。

 食う方がシマで、食われる方が俺。


―――


 春うららかな日差しの注ぐ土曜の午後。

 駅前広場(なんかウネウネとした銀色のオブジェがある。『海老の舞い』というらしい)で待ち合わせ。だいたいお互いろくに時間を守らない。ただ、いつも先に来るのはシマのほうだった。

 ところが今日は、五分過ぎに着いてもシマはいなかった。メッセージも入っていない。急かして良いものかとケータイを開こうとしたところで、ちょうどあいつはやってきた。


「悪いな」


 驚いた。

 伸ばしはじめた髪はショートボブになっていて、その顔は薄く化粧をしていた。耳には控えめなピアスが一組。妙に洒落たカーディガンとショートパンツ。脚にはタイツ。


 どうしたんだよ、といつもの調子で声をかけようとして、飲み込む。

 どうしたもこうしたもない。シマはもう成年なのだ。

「笑っちゃうだろ? これ」

 だが自らの格好に言及したのはシマの方からだった。カーディガンの裾を軽く引っ張り、はにかむように笑う。

「親が、どうしても着せたかったんだって。出かけるなら、大人らしい格好をしなさいって。今朝もああしろこうしろって言われて、それで遅くなった」


―――


「なあ」

「ん」

「今日、親に何て言って出かけたんだよ」

「いや別に。友達と駅前に遊びに行くからって」

「それだけか?」

「それだけだよ」


 少し前まであれだけ熱心に通っていたカラオケも今日は行かなかった。

 少し前まで憂さ晴らしに行っていたバッティングセンターも今日は行かなかった。

 少し前まで二人で特大サイズのカニバーガーを食べていたファストフード店も今日はシマだけが控えめな量に収めていた。


 じゃあ何処へ行こうか、とさっそくノープランになり、結局ゲームセンターに入った。

「身体を大事にしなくちゃならないんだってさ」

 小銭を両替しながらシマはぼやく。


 二人で向かい合わせの筐体に座る。『ファイトクラブ』の続編が出たのが半年前。久々に対戦しに行こうぜ、なんて言っていて、それきりになってしまった。それがまさかオスメスの間柄になるなんて、あの時はこれっぽっちも思わなかったのだ。

 コインを入れ、画面はタイトルからキャラクター選択になる。シマのカーソルはリーチに優れるタカアシガニに動いた。俺はケガニ。お互いゲームの手癖も戦法も変わっていない。ああ。筐体の向こうにいるのは、確かにシマ本人だ。なんだか嬉しくなる。


 ガヤガヤと喧しいゲーセンの片隅で、俺とシマはしばらく無言で対戦に興じた。

 こうして遊んでいる間だけ、俺達は変わらない二人に戻る。


 それで小一時間は続けただろうか。

 ゲーセンから出て最寄りの喫茶店で一息つく。


 対戦を終えてから、どこか思い詰めたような表情のシマにコーヒーを渡す。

 その一挙一動に、俺の気持ちはもどかしく揺れる。

「なんだよ」

「……」

 シマは無言でコーヒーをすする。薄く引いた眉がぴくりと動く。

「横振りのモーションが、少し変わったような気がする」

「はあ?」

 思わず、俺の手からコーヒーカップが落ちそうになる。


「いや体感でさ、体感。前は差し込めたはずの強攻撃が出来なくなってる。パッチノートで項目はなかったんだけど、修正されたのかそれとも思い違いなのか、ずっと気になってた」


―――


 ――いっそのこと“約束”なんて忘れてしまえば良かった。


 いつまでもこのままでいたかった。何となく時が過ぎて、何となく過ごして、何となくふたりで大人になる。そうして関係を変えないまま、ずっと続けられているならば、どんなに良かっただろうか。俺はそんなことを考えてしまった。じゃあ今日は止めておくか、なんて、言ってしまえばどれほど楽になるか。でも。


「――じゃあ、そろそろ行くか」

 シマはそう言って、飲みきったコーヒーカップのふちを指で軽くなぞる。


「夕飯どうする?」

「オレ、まだあんまり腹減ってないから」

「そうか」


 日が沈み、ビル風も薄寒い街中を二人で歩く。先ほどまでとは打って変わって、俺達の口数は減っていた。


「家、連絡しなくていいのか?」

「遅くなるかもしれないってのは伝えてある」

「そうか」


 それ以上、目的地に着くまで俺達は何も言わなかった。

 街並みはいつも通りに喧しく、カラオケも、ゲーセンも、世の中もいつも通り。


 俺達だけが、いつも通りじゃない。


―――


 こんな時間だから、ホテルはどこも空室ばかりだった。


 チェックインを済ませ、先に部屋に入る。

 入った瞬間、くらり、と目眩がした。


「本当はさ、いつも通りの格好で行こうとしたんだよ、オレ」

 背後で、小さくシマが呟く。

「親に言われても、今日は友達と遊ぶから別にいいんだよ、って断ることも出来た。でもそれじゃいつまで経ってもオレ達は“いつも通り”だ。だからオレは吹っ切った。大人らしい格好をして、大人らしく化粧して、全部、大人らしく」

「……」

「わかるだろ?」


 俺は首を横にも縦にも振らなかった。


「全部、約束のためだ」


 俺は後ろを振り向けない。


「全部、お前のためだよ」


 突然、背中に衝撃。

 強い力で後ろからぐいぐいぐいと押され、俺達はそのままもつれ合うようにベッドに倒れ込む。


「約束なんて忘れていればいいって、お前、ずっと思ってたろ」


 仰向けに転がる。

 目の前に、一人の大人の顔があった。

「わかるよ。オレだって思ってた。でもダメだ。それじゃダメで」


 ベッドの上で、身体が軽く跳ねる。二人で重なり合う。会ったばかりの時に薫った薄い香水の香り。どちらのものなのか、どくんどくんと脈打つ鼓動。俺がさっきまで目を背けようとしていた全てが、今、そこにある。

 問答無用で、見せつけられる。


「オレ達は変わる。いつまでもオス同士ではいられない。いつかは崩れてしまう。だから――どうせ変わるなら――“自分達の手で破壊したい”」


 唇が塞がる。


 唇が離れる。


「それがきっとこの“約束”の正体なんだって、オレは気付いたんだ」


―――


 お前は誰だ? と言いたかった。


「誰でもない。オレはオレだよ。信じたくなかったけど」

 口に出しかけた台詞を見透かすようにシマは言う。

「身体だけじゃない。心も。自分が自分じゃなくなっていく。最初は必死に否定しようと思った。面倒くさい、まだオスのままでいたかったって。でもどんどん変わっていくんだ」

 俺に馬乗りになり、シマは頭を押さえつけてくる。振り払おうと思えば出来るくらいあいつの力は弱くなっていた。だが振り払うことはできなかった。

「“勝っちゃった”からには、せめてフェアに行こうって、けっこう色々考えたんだ。隠し事もナシにして、なるべく普段通りに振る舞って。オレ達、友達だからさ」

 襟首を掴まれ、着ていた服が無理やり剥かれる。

 一枚ずつ、力任せに、しかし丁寧に。

「で、お前は? オレのことを受け入れようとするフリをして、なんとなく目を背け続けてたよな。それがちょっと嫌だったんだよ、図星だろ?」

 ベルトのバックルを外しにかかる手が震えていた。

「だから決心した。約束をきちんと果たしてもらおうって。オス同士の――いや“オレ達”の約束を」


 互いに見つめ合う。動物的な、芳しい香りが俺の脳を焼く。


「ここで終わりだ。ここで変わるんだよ。覚悟キメようぜ。お互いにさ」


―――


「――身体、まだしっかり出来てないんだってさ。正直“こんなこと”が出来るのもギリギリで、本当はもうちょっと安静にしてなくちゃいけない。でもオレは早く約束を果たしたかったんだ。有耶無耶になってしまう前に」


―――


 あれだけ俺の服を威勢良く剥いておいて、シマは自分の服を脱ぐのに苦戦しているようだった。俺に馬乗りになりながら、待ってろよ、ちょっと待ってろ、と言いながら脱いでいく。特に薄手のタイツがうまく脱げなかったらしく、最終的に爪を立ててびりびりと裂いてしまった。


 そうしてたっぷり数分ほど経っただろうか、俺の目の前に、剥き身の肌があった。


 自由のきく俺の右腕が、導かれるようにシマの身体へと動いていく。触った瞬間、さらりと冷たい感触。

 大人になると筋力が一時的に大きく落ちる。今のシマはその状態だ。ほどよく身のしまった、といえば聞こえはいいが、実際は固いとも柔らかいともいえない中途半端な身体。あるはずのものはすでになく、しかし完全に大人とも言い切れない、境界の曖昧な肉体。

 それでも――ひとたび触っただけで分かった。それだけで俺の身体は反応した。纏った空気は、触れた感触は、間違いなく“メス”のそれだった。


自らの意思と関係なく、俺の指は自然と蠢く。水気を含んだ、いつまでも触っていたくなるような、薄桃色に透き通る肌。

「違うだろ」

 だがシマはそれを振り払い、手首を掴んでベッドの上に押さえつける。

「お前は立場を分かってない」


 上気立った表情のシマが、再び顔をぐっと近づけ、そして囁く。


「――オレが“食う”方なんだよ」

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