短編 近けれど遠き場所
るいは少し変わっている、と美空は思う。
それは何故かと問われれば、思い当たることはいくつかある。
まず、彼には不思議な雰囲気がある。
陰祷師という特殊な陰陽師だから、というのはあるかもしれないが、それだけでは説明できない何かを、彼は持っている。
そして、もうひとつ。
るいの常識的感覚は、美空の知る現代人のそれと、何かが異なっていると、そう感じることがあるのだ――
「えっと、あと買うものは……と」
学校からの帰り道、美空は買い出しのため、近所の商店街に立ち寄っていた。
今日はアルバイトもなく、いつもは仕事で遅くなりがちな母も、夕方には帰るといっていた。
そんな日はつい美空も、嬉しさから夕飯の献立を奮発しがちになる。
ちなみに今夜は、鍋の予定だ。
そのため後は、鍋の具材となる野菜を、スーパーで調達するだけなのだが――
「あれ……?」
すると、不意にあるものが目に止まり、美空は脚を止めた。
そこは立ち寄る予定のない、別のスーパーマーケット。その入り口では、見覚えのある少年が、陳列された野菜を見ながら、何やら考え込んでいる。
墨のような黒髪に、何処か幼さが残る、不思議な雰囲気の少年。
先日友人になった陰祷師の少年、るいだ。
――るい君、あんなところで何をしているんだろう……?
良く見ると買い物カゴを持っているので、恐らく彼も、夕飯の買い出しをしているのだろう。
しかし、なぜあのような場所で、ひとり考え込んでいるのだろうか。
――ひょっとして、夕飯の献立が決まらずに、悩んでいるとか?
などと考えてもみたが、まるで何かを疑うように野菜を見つめるその視線は、とても献立で悩んでいるという雰囲気ではない。
では、一体何が、彼をあそこまで悩ませているのだろうか。
その理由が気になった美空は、結局るいに声を掛けることにした。
「何してるの? こんなところで」
「あ、美空さん。もしかして、学校の帰り?」
「そうだよ。ついでに、夕飯の買い出しも兼ねてね」
そう言って、美空は右手に持っていた買い物袋を、るいに見せる。
「ところで、さっきからずっと野菜を見つめているけれど、どうかしたの?」
「あ、うん。実は、あれなんだけ……」
と、るいが向けた視線の先にあったもの。
そこには、野菜の種類と価格が書かれた値札がひとつ。
左上には『中国産』と、産地が記載されている。
どうみても、特に変哲のない、普通の値札だ。
これが、どうかしたのだろうか。
すると、るいの口からもたらされたのは、思わぬ一言だった。
「これって、本当に
「……へ?」
予想外の発言に、美空は一瞬耳を疑った。
つまり彼は、今眼の前に並んでいる野菜が、本当に中国で作られたものなのか、という素朴な疑問に対して、あれ程考え込んでいたというのだ。
これには、さすがの美空も眼を丸くした。
とはいえ、るいからすれば、考え込むほどの重要な問題なのかもしれない。
ならば、今は突っ込むよりも、一先ずその疑問に答えを提示すべきだろう。
「……流石に、嘘じゃないと思うよ。産地の偽装なんてしたら、犯罪になっちゃうから」
「……だよね」
その返答に安堵したのか、るいは苦笑い混じりの笑みを浮かべると、棚に置かれた野菜をひとつ、そのまま買い物カゴの中へと入れるのだった。
その後無事に買い物を終えた二人は、近くの自販機で飲み物を買いながら、ひと心地をついていた。
「それにしても、まさか値札に書かれた産地を疑う人がいるなんて。私驚いちゃった」
「わかっているつもりではあるんだけど、まだ少し慣れなくて。剛濫にも、『いい加減慣れろ』って、よく呆れられるんだ」
「ふふっ。そうなんだ」
るいから、話は聞いているものの、美空は剛濫と直接会話をしたことがない。
けれど、その剛濫という鬼が、彼ととても深い絆があるということは、楽しそうに話するいの姿から、容易に察することができた。
るいに呆れている時、彼は一体どんな顔をしているのだろう。
姿はわからないけれど、なぜだかその表情が、容易に想像できそうな気がした。
「でも、どうして産地を疑ったりなんてしたの?」
「そうだね。……やっぱり僕にとって外つ国は、今でも変わらず遠い場所だから、かな」
「……というと?」
るいの言葉の意味が分からず、美空は首を傾げる。
するとそれを察したるいが、話を切り出した。
「ねえ。美空さんは、外つ国に行ったことはある?」
「ううん。海外には、まだ行ったことはないかな」
「なら、外つ国で生産された品物が市場に並ぶ。それに違和感を感じたことは?」
「それもないかな」
食品や日用品といった、日頃自分達の生活には欠かせない様々な品。今ではその多くが海外で生産され、この国へ輸入されている。
そしてそれは、美空を含め現代で生きる誰もにとって自然なことであり、当たり前のことだと認知されている。
当然美空も、そのことに違和感を感じたことはない。
しかし――
「ねえ。改めて考えると、これってすごく不思議なことじゃない?」
「……というと?」
「美空さんが行ったことがないように、外つ国は誰でも簡単にはいけない、地理的、つまり物理的にはとても遠い場所。けれど、そんな遠い場所で作られた品物が、日常に、自分の眼の前にああやって並ぶことには、疑問を持ったり、違和感を抱いたりしない。それは、感覚的にいつも身近に感じているからなんだ」
そこでようやく、美空はるいの示す意図を理解した。
「そっか! つまり、るい君にとっての外国は、物理的にも感覚的にも遠い場所っていう認知だから、海外産の産地表記に違和感を感じたってことだね」
「そういうこと」
そういって、るいは恥ずかしそうに笑う。
「逆に私たちが普段違和感を感じないのは、物理的な距離はかわらないのに、いつも外国を身近に感じている。だから、感覚的に近い場所っていう認知になっているからってことか……。確かに改めて考えると、それってすごく不思議なことだね」
「ひと昔前――それこそ江戸時代までだけど、それまではたとえ近隣の国々であっても、外つ国へ行くことは正に命懸けの旅だった。けれど命懸けだったからこそ、そこで手にした品々には、高い価値がついたんだよ」
「でも今は、逆に溢れすぎているせいで、そこまで高い価値はつかない、か。そう思うと、少し悲しいね」
「それも移ろい。誰も逆らえない、世の摂理だからね。時代が変われば、価値も認識も変わるものだよ。……何だってね」
るいは、手にしていた缶ジュースを飲み干すと、そう、静かに呟いた。
るい君は、少し変わっている。
それはなぜかと問われると、思いつくことはいくつかある。
彼の持つ認識は、時折現代を生きる私達のそれとは、どこか違っているのだ。
まるで現代ではない、古い時代の人のような、そんな感じが。
けれどその視点は、時々こうして、私の世界に新たな視点を広げてくれる。
彼はあまり、自身のことを語らない。もし今、この認識の由来を尋ねても、彼はあの時のようにただ笑うだけで、きっと答えてはくれないだろう。
私も、今はそれで良いと思っている。
それでも、いつかは――
いつの日か、彼がそれに応えてくれる日が来ることを、私は信じている。
だって私とるい君は、友達なのだから――
「そうだるい君。良いことを教えてもらえたお礼に、今日は夕飯家で食べていきなよ」
「え、 美空さんのところで!?」
「うん。今日は家、鍋の予定なんだ。るい君も、ひとりで食べるより、人と食べた方が楽しいでしょ?」
「それは、そうかもだけど。でも……」
るいは口籠もった。
突然とはいえ、美空の提案や気持ちは素直に嬉しい。
しかしるいの記憶が正しければ、美空は母親と二人暮らしであり、その母親も仕事で帰りが遅くなる日が多かったはず。
たとえ美空の提案とはいえ、年頃の女の子が一人しかいないところへ自分が訪ねるのは、果たして大丈夫なのだろうか。倫理的に。
すると美空はるいの懸念を察したのか、口籠るるいにクスリと笑った。
「大丈夫だよ。今日はお母さん、取引先から直帰だから。夕方には帰るっていっていたから、もう家にいるんじゃないかな」
「そ、そうなんだ……」
赤面しながらも、ホッと安堵するるい。
『……よかったな、坊主』
――……うるさいよ、剛濫!
そんなるいに、わざと揶揄う口調で話しかける剛濫を内心で叱りつつ、彼は改めてクスクス笑う美空へと視線を向けた。
「……そういうことなら、お言葉に甘えようか」
「それじゃあ決まりね! お母さん、あの事件のことで、るい君には一度、ちゃんとお礼を言いたいって言っていたから、きっと喜ぶよ」
「そ、それは大袈裟じゃあ……」
「だって、真実はどうあれ、るい君が命の恩人だってことには、変わりないでしょ? さ、行こう!」
飲み終えた缶ジュースを屑籠に捨て、会話を弾ませながら、夕暮れの商店街を歩き始めた二人。
そんな彼らの後ろ姿を、ひとつの影が静かに見つめるのだった。
「あれは、美空……?」
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