初めての――
美空が駅前に姿を現したのは、それから十分後のことだった。
「ごめんるい君、遅くなっちゃった」
「大丈夫だよ。僕も来てから、それほど経っていないから」
「なら良いんだけど……。どうしてこういう日に限って、バスが渋滞に巻き込まれるのかなあ」
がっくりと肩を落とす美空の姿に、るいは思わず笑みが溢れる。
すると美空は、るいの肩に掛けられた、竹刀袋の存在に気がついた。
「るい君、それは?」
「あ、これは、その……」
そう言って言葉を濁するい。
何か、見つかると良くないものでも入っているのだろうか。そう考えかけたところで、ふと気づく。
そうだ、るいはそういった類の物を、ひとつ持っていたではないか。
「……もしかして、あの刀?」
美空に問われ、るいは苦笑いを返す。どうやら、当たりらしい。
「霊的なモノを相手にする仕事だから、どんな状況でもすぐに対処ができるように、最低限の道具は、なるべく持ち歩くようにしているんだ。それに……」
るいは一呼吸置いて、言葉を続ける。
「この刀は、僕の命と同じくらい、大切な愛刀なんだ。だから、手元に無いと、なんだか落ち着かなくて」
「……そっか、大事なものなんだね」
「うん……」
「でも、刀って刃物だよね? 大丈夫なの、その銃刀法違反とか」
「んー……、多分大丈夫じゃないかな」
――え、そんなにあっさり認めちゃって大丈夫なの?!
と、一瞬盛大なツッコミを入れてしまった美空だったが、表情を通じてその意図は伝わったらしい。
るいは唖然とする美空にクスリと笑うと、補足するように説明を続けた。
「心配しないで。鞘に呪を掛けているから、僕以外の人が刀を抜くことはできないようになっているし、それに協会を通じて、一応特例許可は貰っているから。見つかったからと言って、捕まるようなことはないよ」
「そ、そうなんだ……」
「一昔前だったら、帯刀していても特に問題なかったんだけど。本当、時代も変わったよね」
いやるい君。それは一昔前といっても、百年以上前のことでは……。と、美空は内心で更なるツッコミを入れてしまう。
天然、というわけではないのだろうが、るいは何処か、自分の知る一般人とは異なる感覚を持っているようだ。
「仕事道具一つでも、色々なしがらみがあるんだね」
「特に今はこんなご時世だからね。僕みたいな礼装を扱う陰陽師も昔はたくさんいたんだけど、今ではかなり少ないんだ」
けれどこんなご時世にも関わらず、るいは敢えて刀を使い続けている。
彼にとってあの刀、彼岸流艶は、それほど価値のある大切なものなのだろう。
そう考えると、先程の『命と同じくらい大切なもの』だという表現も、あながち間違いではないのかもしれない。そう思った。
「さてと。それじゃあ、そろそろ行こっか。いつまでここにいても、時間が勿体無いわ。今日はよろしくね、るい君」
「こちらこそ、よろしく」
それから二人は、雑談を交えながら、しばらく街を歩いた。
その道中では、何軒かお店に立ち寄った。その度に、るいの表情が百面相のように次々と変化していく様が、なんだか可愛く思えてしまったのは、美空だけの秘密だ。
雑貨屋では、立ち並ぶ小物を珍しそうに眺めたり、かと思えば、次に立ち寄った和菓子屋では、陳列されたおはぎに眼を輝かせてみたり。さらには立ち寄ったゲーセンで、初めてのアーケードゲームに悪戦苦闘してみたり。
終いには、クレープを食べた時の表情で、行き交う女性たちの視線を集めてしまう始末だ。
昨日のクッキーの件でもそうだったが、彼は甘いものを食べる際、まるで溶けると言わんばかりに、幸せそうな表情をする。
あの表情を最初に見た時、美空自身も戦慄が走ったくらいだ。周囲の女性陣から視線を集めるのは、正直納得がいく。
現にクレープを食べていた際、所々で「可愛い」と歓声が上がっていた程だ。
それにも関わらず、当の本人は向けられる視線に対し、不思議そうに首を傾げるだけで、無自覚と来ている。
おまけにその表情が、更なる女性受けを誘う結果となっているのだから、これはある意味、一種の破壊兵器と化しているかもしれない。
全く、彼は恐ろしい人物である。
その一方で、美空には気になることもあった。
るいは自身の事を、あまり話さない。
美空が何気なく出した話題ですら、あまり多くを語ろうとはしてくれなかった。
「へえ。るい君のお父さんも、陰陽師なんだ」
「うん。普段は実家の神社で神主をしているだ」
「確か、神泉町の秋葉神社だっけ? 秋葉祭りで有名な」
「美空さん、知ってたんだ。秋葉祭りのこと」
「歴史あるお祭りだから、名前くらいはね」
るいの実家、秋葉神社で年二回、春分と秋分に行われる秋葉祭り。その起源は江戸時代初期にまで遡るとされており、小規模の祭りながら、周辺地域ではそれなりに有名だった。
「そういうわけだから、祭りの時期が近づくと、僕もよく手伝いに行っているんだ。俊彦さんだけだと、手が足りないからね」
「お姉さんも手伝いを?」
「生活面ではお世話になりっぱなしになるけど、祭事面に関しては、お使いをお願いする程度かな。鈴香さんは、術者ではないから」
るいによると、陰陽師の才を持たない者でも、修行を積むことで、巫女や神主といった祈祷師になることはできるという。
しかし普通の道を歩んで欲しいという俊彦の意向で、鈴香にはそういった修行をさせなかったのだそうだ。
「なら、どうしてるい君は陰祷師を、陰陽師を志したの?」
「え!? それは、その……、色々あって」
そういって、誤魔化すようにるいは笑う。まるで、その先に触れて欲しくないという本心を、隠すかのように。
「……結果的に陰陽師としてでなく、陰祷師としてこの道を歩む結果にはなったけれど、それ自体に後悔はないよ。何より、剛濫と出会えたからね」
その後るいは、剛濫の話をすることで、話題をさり気なく切り替えてしまい、結局美空の疑問に答えてくれることはなかった。
よく、こんな言葉を耳にする
『人は誰しも、語りたくない過去をひとつや二つは持っているものだ』と。
るいは、無意識に他者と距離を置こうとするところがあると、昨日鈴香は言っていた。
彼は素直で、とても純粋な少年だ。もしかしたら、るいが自身についてあまり語りたがらない理由と、何か関係があるのかもしれない。
とはいえ――
美空とるいが出会って、まだ数日だ。互いのことも、あまり知らない。
それでも、るいは自身についてあまり語らない、ということが今日分かったのだ。
それならば、今は彼が話したがらなそうな話題を、なるべく避けて接していけば良いだけのこと。
本人の嫌がる事を、無理に語らせる必要などないのだから。それでも――
――いつかは、話してくれる日が来ると良いな。
るいとの会話を弾ませながらも、美空は心の中でそう思うのだった。
「ふう……」
時刻がお昼を過ぎた頃、るいはひとり、公園のベンチで休息を取っていた。
美空はというと、近くに美味しい露店があるからと、その店へ昼食を買いに席を外している。
流石に申し訳ないと思い、同行を申し出たるいだったが、彼女から待っているように言われてしまったのだ。
『珍しくお疲れだな、坊主』
「色々回ったからね。正直、僕も驚いたよ」
るいも普段は、仕事や用事で出かけることが少なくない。妖怪を相手にする仕事柄、体力もそれなりにあると自負していたのだが、半日でこれほど多くの店を回ったことは正直初めてだった。
恐らく、慣れないことをしたせいで、疲れが出たのかもしれない。
『だがま。その割には、良い顔をしておるがな』
「そう?」
『何というか、今この時間を心から楽しんでいるような、そんな感じだ。これは明日、雨でも降るかも知れんぞ?」
「……それ、まるで普段は心から楽しんでいないみたいに聞こえるけど?」
『さあ、どうだかな』
るいが不満気に抗議するも、肝心な剛濫は我関さずと、しらばっくれたかのように口笛を吹いている。
確かに昔から、こういった賑やかな行事が苦手であることは、素直に認めるが……。
そんなるいの心情を察したのか、剛濫は口笛をやめると、静かに語り出した。
『……昔はよ、宴の催しに参加しても、「俺に楽しめ」とかいって、坊主は殆ど内に篭っていたではないか』
「あれは、剛濫が『好きなだけ酒盛りができる』って、楽しみにしていたから。それに――」
『……言わんでも良い。あの頃の坊主のことは、俺にも分かっとる』
そう。あの頃のるいは、本人も気づかぬ程憔悴し切っていた。
宴の席で向けられる、様々な視線。そこに込められた、様々な感情。
その視線から逃れたい。その一心で、彼は無意識の内に、最もな理由を付けては、剛濫の気の良さを利用していたのだ。
剛濫も、それを理解した上で交代していたのだから。
「……やっぱり、怒っていたりする?」
『いや。むしろ、坊主の立場を考えたら、当然の行動であっただろう。あの頃は、妖怪の俺から見ても、色々とヤバかったからな。坊主も、周りも』
「うん……」
『それにだ。理由はどうあれ、俺にとっては周りを気にせず豪快に酒が飲める、数少ない機会だったからな。むしろ感謝をしておったくらいだ』
『ガッハッハ!』と大笑いしてみせる剛濫に、るいは笑う。
あの頃と比べて、二人を取り巻く環境はガラリと変わった。
るいは今でも、変化した環境に慣れないこともあるというのに。
――本当に変わらないな、剛濫は。
それがるいにとって、どれ程の救いとなっているのか。互いに口にすることはないけれど、きっと剛濫は、そんなこともお見通しなのだろう。
一見考えなしに見えても、相手の気持ちを誰よりも組む、楽しいことが大好きな変わった鬼。それが彼だから。
『だが、今回は坊主も楽しいだろう?』
そう、いつも、こんな風に。
だからこそ僕も、素直にこう言えるのだ。
「……うん。楽しいよ、本当に」
それからしばらくして、美空が昼食を手に戻ってきた。
「お待たせ、るい君。いやー、思っていた以上に並んでいたから、買うのに時間が掛かっちゃった」
「やっぱり、僕が買いに行った方が良かったんじゃあ……」
「良いの良いの! これは今日強引に連れ回したお詫びも兼ねているんだから、るい君が買いに行ったら意味がないでしょ。はい」
そういって差し出された昼食を、るいは苦笑いで受け取る。
具材を挟み込まれたパンからは、こんがり焼けた肉の香りが漂ってくる。どうやら彼女が買ってきたのは、ホットドッグだったようだ。
「今日は、誘ってくれてありがとう。美空さんのおかげで、たくさん勉強ができたよ」
「同年代の人とこうして過ごしたことがほとんどないって話だったけれど、これまでも、こうして出歩いたことはなかったの?」
「鈴香さんに付き添うことはあったけれど、自分から出歩いたのは初めてかな。いつもは小売店とか協会とか、決まった場所にしか行かないから」
生活に必要なもの、仕事に必要なもの、修行に必要なもの。これまでのるいにとって、生きる為にはそれだけの行動で十分だった。
必要なこと以上のものを、求める理由がなかったのだ。
「なら、どうだった? 初めて色々経験してみた感想は」
「うん……。楽しかった」
嘘偽りのない、心からの素直な感想がそこにはあった。
こんな気持ちになったのは、果たしていつ以来だっただろうか。
そう告げるるいの顔には、小さくも清々しい笑みが灯る。
それを見た美空も、満足そうに笑みを浮かべた。
「それじゃあ、これで私たちも友達だね」
「え?」
突然の言葉に、るいは驚いた表情を、美空に向ける。
今のは聞き間違い、だったのだろうか。
「友達……? 僕と、美空さんが?」
「そ、友達!」
今度の言葉は、しっかりとるいの内に響いた。
友達、対等の存在として接し、交流を持つ人の関係。
時折耳にはする、けれどこれまでのるいには、縁のなかったもの。
僕の、初めての、友達――
『よかったな、坊主』
そう、耳元で小さく剛濫が囁いた気がした。
「うん……。よろしく、美空さん!」
代わり映えのなかった日常に起こる、一粒の変化。
変化のない日常に意味はなく、ただ過ぎゆくだけだった日々に、ある日一石は投じられる。
その変化は幸か不幸か、喜びか悲しみか、はたまた希望か絶望か。
そこに立ち会うまで、誰にもわからない。
けれどその一石は、誰にでも投じられるものなのだと、
僕は今日、初めて知ることができた気がする。
「さて! 午後からはバッセンに行くからね! お楽しみは、これからだよ!!」
「あはは……」
楽しくも目紛しい一日は、まだまだ続きそうだ。
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