第2話 忠実な副官
会場を出てすぐ、人気のない中庭へと急いだ。舞踏会の参加者が密会に使うための東屋に身を潜めて、肌身離さず持ち歩いている魔導具を取り出した。
ソラの祖国であるリフタリア王国は、魔法の国だ。あらゆるところに魔法が溢れ、誰もがその恩恵を享受している。
勝手に湯を沸かすポット、人の姿や風景を写し取る写真機、自在に色を変えられる宝石、魔力に反応して光る糸や布。
それらの多くは王国内でしか手に入れることができず、他国ではかなりの値段で取引されている。
ソラが持っているのもその内の一つで、遠く離れた場所にメッセージを送ることができる通信機だ。とはいえ、文字を送ることはまだできない。数種類の色を組み合わせて、相手におおまかな状況を伝えるためのものだ。
『問題発生。任務続行に影響なし。ただし懸念事項あり』
見た目はただの手鏡である通信機に指を滑らせて、魔力を通す。鏡面に当たる部分に、魔導回路が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
本来、人は生まれ持った
だが、王国で開発された
この技術こそ、帝国が欲し、虎視眈々と狙い続けているものだ。
通信機の鏡面がチカチカと光り、いくつかの色が点滅する。
『任務続行。追って詳細求む』
詳細な報告は、帝国の外に待機している繋ぎの人間に接触する必要がある。今できる報告はここまでだ。
通信機を仕舞い込んだところで、東屋の外から声を掛けられた。
「ソラ隊長! こちらですか?」
蔦のカーテンの向こうで、影が動く。ソラは浅く息を吐いて返事をした。
東屋の入り口でこちらを覗き込んでいるのは、帝国軍での副官であるヴァル。髪も瞳も艶のある黒で、見ていると吸い込まれそうだ。端正な顔立ちをしていて、ソラの目にはエルン皇子よりも好ましく映る。
「ご苦労、ヴァル」
「お早いですね。何かあったんですか?」
東屋を出て、宿舎に戻るために歩き出した。半歩後ろを着いてくるヴァルは、どこか心配そうな顔をしている。ソラは肩をすくめて、昼食のメニューを発表するような口ぶりで答えた。
「婚約破棄をされただけだ」
「……は?」
ぽかんとしたヴァルの顔が、少し笑える。ソラは意識して吊り上げていた目元を和らげて、歩く速度を落とした。
「わたしのようないち兵士が、第三皇子殿下の婚約者であったことが、そもそも間違いなのだ。ようやくちゃんとした相手を見つけてくださって、安心した」
常識的に考えて、そう思うのが当然だろう。ソラだって、祖国の王子が同じことをすれば国の将来を心配する。
今のソラは、皇子に命令されれば断ることのできない立場だ。だから、嫌味を言われることはあっても、婚約を辞退しろと言ってくる者はいなかった。エルン皇子を知る誰もが、それは不可能だと分かっていたからだ。
それが、エルン皇子の心変わりで婚約の話が消えた。ありがたい限りだ。ソラからしてみれば、願ってもない展開だ。
皇子の婚約者という立場は、帝国内部の情報を探るのにはうってつけだった。だが、そもそもの身分が爵位も持たぬ兵士である以上、あまり深く潜りすぎても怪しまれる。使える範囲で立場を使い尽くした後は、どのようにして下りるかを考えなければならなかった。
だから、この婚約破棄自体はなんの問題もない。
(問題なのは、むしろ)
最後に聞こえた、リープ嬢の言葉だ。
出自を疑われていた。もともと女遊びの激しい貴族の私生児として潜り込んだから、「本当にあれの娘なのか」と揶揄されることは多かったが。
なんとなく、胸騒ぎがする。本格的に疑われて、調査されるような事態は避けたい。
父親として選んだ貴族は既に故人で、今は正妻との一人息子が爵位を継いでいる。その現伯爵が、ソラの協力者だ。だからこれまでは、彼がソラの身分を保証してくれていた。
だが、もしエルン皇子がリープの言葉を真に受けて、皇族の権力を動かしたならば。場合によっては現伯爵もろとも破滅しかねない。
(警戒は怠らずに……。まだ任務を完遂していないんだから)
「隊長?」
考え込んでいたソラは、ヴァルの案じるような呼びかけに引き戻された。
「大丈夫ですか、隊長。やはりさっきのパーティーで……」
「いや、気にするな。すぐに出てきたから、せっかくの高い酒を飲み損ねてしまったと思ってな」
「……それだけなら、いいですけど」
話しながら宮殿を出る。既に深夜近い時間帯だ。頭上に広がる空には、見事な星が瞬いている。無感動に夜空を見上げるソラの隣で、ヴァルは小さく笑い声を上げた。
「だけど、良かったじゃないですか。あのバカ皇子と結婚せずにすんで」
「……ヴァル。今のは聞かなかったことにしておくからな」
「いいじゃないですか。皆そう思ってますよ」
横目で盗み見たヴァルは妙に機嫌がいい。基本的に彼は、実力はあるのにやる気がない。何に対しても無気力で、仕事も最低限しかこなさないタイプだ。
だから、こうして浮かれているのは珍しい。
「あの皇子に、ソラ隊長はもったいないです」
「逆だ、逆。わたしが殿下と釣り合うわけがないだろう」
「隊長はご自分を過小評価しすぎですよ」
やる気はないが、この男は何故かソラに懐いている。きっかけは知らないが、いつからか後ろをついて回るようになった。
「身分を脱ぎ捨てれば一目瞭然です。隊長はすごい人だから」
そう言って、何故だか自慢げにするヴァル。
帝国軍の兵士が常に隣にいるのは、ソラにとって死神が得物を構えているのに等しい。それでもヴァルを傍に置いているのは、彼が潜入任務において鍵を握る人物だからだ。
「では、お前の期待に応えられるようにならねばな」
「本当、隊長は分かってませんね」
ヴァルは呆れたような顔をした。何がだ、と反射的に返すと、忠実な副官はその場で足を止めた。
つられてソラも立ち止まる。振り返るとヴァルは、「言っときますがね」と口を尖らせた。
「俺はどこまでも隊長について行きますよ。俺が忠誠を捧げるのはあんただけだ」
「仮にも帝国軍の兵士が、バカなことを言うものじゃない」
「本気です。もし隊長が軍を辞めるんなら、絶対に俺も連れて行ってくださいね」
少しだけドキリとする。まるでソラが帝国からいなくなることを、分かっているかのような。
もし正体を勘付かれるとしたら、その相手はヴァルだろうと思っている。それくらい同じ時間を共に過ごした。
そうなった時、この男はどんな未来を選ぶのだろうか。
「……では、退役した時には田舎で農作業でも手伝ってもらおうか」
「えぇー、重労働は勘弁ですよ」
こうやって冗談めいて言葉を交わす日々は、きっともうすぐ終わりを告げるだろう。そんな確信めいた予感があった。
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