第3話 ソラの任務

 ソーレリア・リフテン・クリーグ。それがソラの本当の名前だ。リフタリア王族の流れを汲む、由緒正しい公爵家の出身だ。


 クリーグ公爵家は建国当時より軍事面で王国の発展を支えてきた。クリーグの者は魔法戦術に優れ、それぞれが卓越した実力を持つ魔導士でもある。


 それ故に、公爵家に生まれたものは男女の境なく全員が戦うための教育を受ける。ソラも例外なく、王国騎士になるための教えを叩きこまれた。


 公爵令嬢でありながら、王国に忠誠を誓う騎士。同世代の貴族たちからは尊敬を集める一方で、騎士団の内部からはソラを揶揄する言葉も多く聞こえた。


 クリーグ公爵家の七光り、実力の足りないお飾り騎士、怪しい血統の公爵令嬢。奇しくも、帝国で言われているのと同じような嫌味ばかり。



(分かってる……。わたしは、父様や兄様のようにはなれないわ)



 騎士として華々しく活躍する二人の背中を、ずっと追い続けてきた。王国のために身を尽くす二人を、ずっと尊敬していた。けれど、ソラには足りないものが多すぎる。


 体格や力では、男に勝てない。魔法も、優秀だとは言われたが兄には及ばず。戦略立案は到底父に敵わない。


 ソラは、自分が王国騎士であると、胸を張って言うことができない。


 そんな時、帝国での潜入任務の話が出た。


 世界各国で、子供の誘拐事件が起きている。リフタリア王国でも何件か被害が出ているが、攫われた子供たちが帝国軍に囚われているという情報が最近になってもたらされたのだ。


 リフタリア王国から誘拐された子供の中には貴族の子息もいた。そのため、子供たちの捜索、可能であれば奪還という勅令が下された。


 その任務に立候補したのは、父や兄のように国の役に立ちたいという使命感だろうか。それとも、クリーグ公爵家の一員であるという矜持か。はたまた、自暴自棄な心の表れか。


 なんにせよソラは、気づいた時には立候補していたし、国王もそれをあっさりと了承した。


 ならば、任務を遂行するのみだ。


 帝国に潜入し、協力者の口利きで軍に入隊し。私生児の女だからと舐められるのは、むしろソラにとって都合が良かった。誰もソラを警戒しない。さらに皇子の婚約者という立場を得て、目的の情報に一歩近づくことができた。


 帝国は、かつての古代魔法を掘り起こしたのだという。


 今や現代の人間には扱えない古代魔法がどんなものであるのか、「掘り起こした」とはどういうことなのか、そこまでは分からない。ただ、帝国軍内部で、古代魔法を扱うための研究が行われている。


 子供たちは、その研究のために攫われた。


 だが、研究所の所在も分からず、まだ子供たちの行方も掴めていない。――ヴァルを除いては。


 ヴァルは唯一の手掛かりだ。軍が運営している孤児院の出身だと言っていた。物心つく前から帝国軍に育てられたのだと。


 研究の詳細な資料が手に入れば、他の子供たちがどこにいるのか分かるかもしれない。ヴァルを、元の居場所に返すことだって、もしかしたら。



(それがわたしの任務。……きっとヴァルにも、愛してくれる親がいたはずなんだから)



 リフタリア王国を出る前、攫われた子供たちの親と顔を合わせた。幼い子供を失って、悲しみから抜け出せないままの侯爵夫人が、我が子の無事を祈って縫い上げたのだという刺繍を見せてくれた。繊細な金の縁取りは息を呑むほど美しく、しかしハンカチを持つ手は痛々しいまでに細かった。


 リフタリア王国だけではない。ほかの国々にも同じ思いをしている人たちがいる。



(もっと深いところへ……、研究所そのものに、潜り込まないと)



 副官であるヴァルをきっかけに、隠された研究所へ。


 古代魔法研究の第一人者である、ルフト・シュロスに接触しなければ。






 舞踏会の次の日、当然のことながら軍内の話題はソラの婚約破棄についてだった。誰もが当然だと思っていたし、中には「正しい判断をした」と褒めてくる上官までいた。


 ヴァルも隣で上機嫌だし、今日は周囲からの嫌味も少ない。婚約破棄された方が扱いがいいとは、それこそが皮肉なのだが。


 しかし、ある意味で快適な時間はすぐに終わった。



「休憩中に失礼する。ソラはここか?」



 ソラの所属する特殊魔導部隊。その休憩室を訪れる男がいた。


 レヒルベル・ナイグ伯爵。潜入任務の協力者で、帝国内での後見人も務めてくれている男だ。


 生粋の帝国貴族でありながら、リフタリア王国に情報を流してくるレヒルベル。情報のすべてを寄越している訳ではないだろう。こちらも完全には信用していない。


 それでもこの男を協力者としているのは、アーベンス帝国への明確な憎悪を感じられるからだ。



「レヒルベル様」



 ソラは座っていた椅子から立ち上がり、頭を下げた。設定上は腹違いの兄だ。仲良くもなければ険悪でもない。それくらいの距離感を保っている。


 だから、わざわざレヒルベルがソラを訪ねて来たことは今までなかった。



「エルン殿下との婚約が白紙になったそうだな」


「……はい」



 殊勝な顔を作る。『ナイグ伯爵』の立場としては、面白くないのは確かだろう。レヒルベルの真意は、知る由もないが。



「まあ、それはいい。お前は所詮、我がナイグ家の人間ではない」



 当然のように傍に控えているヴァルが、ムッとした顔をした。少し口を閉じていろ、と目配せをする。



「それは分かっております」


「ならば、お前のせいで痛くもない腹を探られる面倒も、理解しているな?」



 微かにこめかみが引きつった。



「……承知して、おります」


「ならばいい。私は尻拭いをする気はないのでな。せいぜい言動に気を付けろ」



 言うだけ言って、レヒルベルはさっさと休憩室を出ていく。その後ろ姿を見送って、扉が閉まった瞬間にヴァルが盛大に舌打ちをした。



「あの七三銀髪野郎……。隊長は何も悪くないのに」


「ヴァル、お前昨日から不敬がすぎるぞ。あと銀髪はわたしも同じだ」


「大丈夫です、隊長には敬意を払ってます」


「何も大丈夫じゃないな」



 そう、大丈夫じゃない。レヒルベルがわざわざ警告しに来るくらい、状況は悪いらしい。


 ナイグ伯爵家に対して調査が入っている。おそらくはソラの情報を探るために。


 そしてレヒルベルは、もしソラの素性が割れた場合、容赦なく切り捨てると宣言していった。


 この局面に来て自己保身に走った。ソラにそれを責める権利はない。もともと、こうなることも想定してレヒルベルと協力関係を結んだのだ。むしろ、探られている段階で売られないだけ温情を掛けられている方だろう。



「まったく、どうしてヴァルはそう極端なんだ? わたしではなく、国に尻尾を振ることを覚えろ」



 頭の中では考えを巡らせながらも、口ではいつものように軽口を叩く。するとヴァルは、いかにも心外だという顔で両手を振った。



「俺ほど帝国に貢献してるやつもいませんよ。子供の頃からずっと軍にいたんですから」


「ああ……、そうだったな」


「俺がいた軍の孤児院は入れ替わりが激しかったんで、最初から一緒だった奴はほとんど残ってません。里親にもらわれていったり、軍に合わなくて別の院に移ったり。正式に配属された後も、怪我でやめたり……。なんで、もう一生分は軍のために働いたと言ってもいいです」



 その孤児院にいた子供たちは、全員が本当の孤児だったのだろうか。人員の入れ替わりが、古代魔法の研究によるものだったとしたら。


 もう時間はない。だが、今持っている情報だけでは国に帰ることはできない。



(賭けに出るか。ルフト・シュロス研究主任に接触を試みる? それか……、一か八か、ヴァルを尾けるか)



 どちらの方が勝算が高いか。あるいは、リスクが低いのは……。


 じっとヴァルの顔を見つめる。きょとんとして見返してきたヴァルは、どこか嬉しそうに微笑んだ。



「なんですか、隊長」


「……」


「……え、本当になんですか? 食べかすでもついてますか?」


「……」


「な、何か言ってくださいよ隊長!」



 慌てふためく様が面白かったので小さく忍び笑いを漏らすと、ヴァルは耳を赤くして拳を握りしめた。



「からかうのも程々にしてくださいよ……!」


「すまない、まるで乙女のようで可愛かったから」


「それはさすがに酷くないですかね!?」



 残念ながら事実だ。ヴァルは整った顔をしているし、中性的と言うほどでもないが目が大きく、表情や振る舞いによっては大変可愛らしい。それでいて真剣な時はハッとするほど鋭い顔をするから、宮殿のメイドたちに黄色い声で騒がれるのだ。


 そういえば、「第三皇子とヴァルの二人を侍らせている」とかいうとんでもない言いがかりでメイドに水を掛けられたことがあったな、と思い出していると。



「可愛いってんなら」



 顔に影がかかって、見上げるとヴァルがすぐ近くに立っていた。結い上げたソラの銀髪を手に取って、恭しく唇を寄せる。



「昨日の着飾った隊長の方が、俺なんかより数十倍可愛かったですよ」



 黒い瞳が、どこか懇願するような色を帯びて伏せられる。髪に触れた薄い唇が、一瞬だけ震えて、強く引き結ばれた。節くれだった指からさらりと髪を零して、ヴァルは一歩下がる。



「それじゃ、休憩上がりますんで」



 ぽかんとするソラを置いて、ヴァルはひらりと踵を返した。



(びっ……くりした……、けど)



 キスをされた髪を思わず握りしめて、去っていったヴァルの後姿を思い出す。


 たったあれだけのことで首まで真っ赤にしていては、何をどう転んでも可愛いだけだった。

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