高層マンション
塩水アサリ
高層マンション
高層マンション。その中でも最上階――ワンフロアに一室の特別仕様の部屋に男はいた。
「ほら見てごらん、この景色が全て私のものになったようだ」
男は夜景を一望できる窓の前に立ち、シャンパングラスをあおった。
壁際に控えていた俺は一歩前へ進み出る。
「失礼ですが、まだ軽杉様のものではないかと」
「ああ……たしかにそうだね」
俺の言葉に気を悪くした様子もなく、男――軽杉様は、高らかに声を上げた。
「なんていっても私はまだ、ここに引っ越してきてないからね!」
軽杉様は言動は軽いのに、財布の紐は異常に堅い。
今日はこの物件十二回目になる内見の最中だ。
シャンパングラスをワイングラスのように回す男に注意する。
「軽杉様、内見の際にはシャンパンは止めてくださいとお願いしたはずですが」
「ああ、これはシャンパンじゃないよ。サイダーさ、サイダー」
「シャンパンでもサイダーでもいいんですが、こぼすかもしれないのでペットボトルにしてください」
「次回はそうするよ」
「その件なのですが、弊社では次回以降の軽杉様の内見を断らせてもらおうかと話が出ています」
「どうしてだい?!」
「どうしても何も……軽杉様から内見を十二回してなお、購入意思が見られないからですよ!」
思わず叫んだ俺に、顎に手をあて考える素振りを見せる軽杉様。
「と言ってもね、君もペットショップで気に入った犬がいたら足繁く通うだろう?」
「それ結局買わないやつですよね」
「ちょっと君ぃ、生き物の命を軽々しく買うなんて」
「じゃあこのマンションは生き物じゃないので購入してください」
「内見も毎月一回、一年通ったおかげか君も打ち解けてくれたようだね」
物件を買えなんて脅しのような嫌味。一瞬言い過ぎかと口を押さえたが、ものすごく前向きな捉え方をしてくれて助かった。
チラリと手元の資料に目をやる。
「軽杉様は毎月六日に内見を希望していますね」
「ふふ、なんの数字か分かるかい」
「悪魔の数字ですね」
「六六六じゃないけどねぇ」
そこまで言うと、軽杉様は視線を夜景に戻した。窓に映った顔はどこか暗い。
「実は毎月六日はね、妻が――」
「え、奥様が」
(もしかして奥様が亡くなられたとか?)
たしかに資料には入居希望は軽杉様一人。内見も毎回一人で来ている。
だけど奥様の死と内見になんの関係が――。
「――家から出て行った日なんだよね」
溜息をつきながら窓に触れる。
指紋が付くからやめてほしい。
「いやあ、『もう! あなたとは一緒に住めないわ!』なんて言ってね」
会ったことのない奥様の気持ちがなんとなく分かる。
十二回しか会っていないが、この人と一緒にいるのは絶対疲れるだろう。
「だから私はその最悪の日をハッピーで塗り替えるために、毎月六日に内見をさせてもらっているってわけさ」
「それは無料開放の展望台にでも行ってくれませんかね」
「いやいや! ここからの夜景がいいんだよ」
「それが売りですからねえ!」
イライラで少し端が歪んだ紙とボールペンを軽杉様に向ける。
「とにかく今日購入を決めて頂かない場合、次回以降は他の物件へのご案内になります」
「次も夜景が美しいと嬉しいなあ」
「少しくらい悩む素振りを見せてほしかったです」
出した紙をすぐにバインダーに戻す。
そのまま出口へと歩き出す。
「そろそろ帰りましょう」
「ちょっと待って」
制止の声に出口へ向かう廊下のドアを開けて振り向くと、シャンパングラスが目の前に差し出された。
「内見一周年だ! 君も一緒にサイダーを飲もうじゃないか!」
「早く部屋から出てください!」
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高層マンション 塩水アサリ @asari-s
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