瀕死飯 -HP1、MP1からでも美味しいご飯が作れるってマジですか!?-

三本八打点

瀕死飯 -HP1、MP1からでも美味しいご飯が作れるってマジですか!?-

 細かく砕かれた石灰石によって形成された大地。遠くには地平線が見える。無限に続くかと思われる平坦な大地からはどこか幻想的な雰囲気を感じ取ることができた。

 だが、白亜の大地を駆ける青年、アズナ・エイクは、美しい風景に対して好意的な印象を抱いていなかった。

(こうも遮蔽物がない場所じゃ、身を隠すことができないじゃないか!)

 アズナは心中で悪態をついた。

 体力は少なく、魔力量も少ない。ある程度経験を経た冒険者であれば、魔物と遭遇する前に撤退の判断を下すだろう。

 そしてアズナは運に見放されていた。冒険者としての仕事を終え、撤退しようとしていた正にその時、形となった不運に命を狙われることとなった。

(この地に巣食う魔物の生態調査。冒険者ギルドからの、駆け出し冒険者向けの簡単な依頼だったのに。それがどうしてこうなる!)

 速度を弛めることなく後方に目をやる。

 白亜の大地を力強く踏み締める存在が視界に映った。

 一戸建ての家屋程もある巨大な体躯。胴体からは両翼が伸びている。面長の頭部に備わった窪みの中で、巨大な真珠を思わせる眼球が忙しなく動いている。頭部には大きな角が無数に生え揃っている。

 その生物の名前はガダロック。冒険者ギルドが最上級レベルの討伐難易度に指定する魔物であった。

 ガダロックは何の前触れもなく空から降って来た。そして、問答無用と言わんばかりにいきなりアズナに襲いかかったのであった。

 ガダロックは龍に似た特徴を有するが、実際には鳥族に分類される魔物である。好戦的な性格で、自分以外の魔物との戦闘は日常茶飯事。普段は標高の高い山の頂上付近を塒にしている為、地上で目撃することはまずない、筈であった。

 眼前のガダロックが地上に降りて来たのは不可抗力であるとアズナは推測していた。

 巨大な両翼には大きな穴が空いており、右の翼に至っては半分近くが消し飛んでいる。飛ぶことなく足でもって追いかけてくる理由は、翼の負傷故であろう。更にはまだ乾き切っていない角の先端の血。恐らくは空中で別の魔物と戦っている最中に負傷し、地上に落下したのであろう。

 つまるところ、ガダロックが落下した場所に偶然アズナ・エイクがいたということになる。

(運がない!)

 己の不運を嘆かずにはいられなかった。

 元より好戦的な性格のガダロックは、手負いということもあってか激情を露わにしていた。この世界における魔物と呼ばれる種族の主食は人間である。そして魔物は、人間を捕食することで傷を回復させられる特殊な性質を備えていた。生きた人間が持つ生命力を回復力へと変化させる特殊な臓器を備えている為である。

 手負いのガダロックは自らの傷を癒す為に人間、アズナを捕食対象としたのだ。

 魔力も体力も少ない。更に、相手は駆け出し冒険者の手に負える魔物ではない。

 それであって尚、アズナは逃走から戦闘へと思考を切り替えた。

 怪我で飛行能力を失ったとは言え、地上を走るガダロックの動きは躍動的で素早い。逃げ切ることはできないだろう。

 逃走と戦闘を天秤に賭けた結果、後者の方が生存確率が高いとアズナは判断した。

 視界の端に石灰棚を捉えたアズナは、全速力でその場所へと向かった。腰に構えた剣がベルトと擦れ合い、金属音をかき鳴らす。ベルトに差している無数の革袋とホルスターが激しく揺れた。

 間断なく続く地響きと咆哮。背後から純度の高い殺意を向けられて尚、振り向くことなく走り続ける。

 鼓膜を叩く殺意がより一層大きくなった瞬間、アズナは仕掛けた。

 眼前に迫った石灰棚に向かって跳躍。白亜の壁に右足が付いた瞬間、全力で壁面を蹴り付け、後方に向かって大きく跳躍した。

 進行方向を急激に変更させたアズナは、口を大きく開いた状態のガダロックの姿を眼前に捉えた。

「特技。風を刃に転ず。真空斬!」

 アズナは鞘から剣を抜いた。

 鞘から剣が抜かれた瞬間、その刀身に変化が生じた。

 刀身を纏う形で小さな竜巻が発生した。

 真空の刃を纏った刃による攻撃。アズナが会得する特技の1つ。真空斬であった。

 神秘の風を纏った剣がガダロックの喉首に迫る。

 だが、ガダロックは首を下げた。

 一瞬前まで喉首があった空間に、突如として振り下ろされた角が現れた。

 風を纏った剣は角にぶつかる形で静止した。耳障りな鈍い音が響き渡る。

 手応えはなかった。

 不意の一撃は角の表面を傷付けるだけに終わった。剣は弾かれ、その刀身はひどく刃毀れするに至った。

(特技じゃ倒せない。やはり魔法を使わなきゃ駄目か)

 自然の力を剣や拳に乗せること放つ特殊な技を特技と呼ぶ。魔力を用いずに攻撃力を増加させることができるのだが、その増加量は少な目である。加えて特技はその攻撃を向ける相手が存在する状況、つまり魔物との戦闘中でないと使えないという欠点があった。

 そのような使い勝手の悪さも相成り、近年では特技よりも魔法の会得に臨む冒険者が増えていた。

 そしてアズナもまた、魔法の会得に力を注ぐ冒険者の1人であった。

 着地とほぼ時を同じくして、ガダロックの大口が迫った。鋭い牙が生え揃った口腔が頭上より落ちて来る。

 アズナは前方に勢い良く飛んだ。ガダロックの複の下に潜り込み、攻撃をやり過ごす。

(あった)

 弾力のある腹部を眼前にしたアズナは目的のものを発見した。

 走って逃げる際にガダロックの身体を一瞥していた。その際、脇腹の一部に大きな傷跡を発見していた。斜めに走る傷は硬い鱗を破っており、血の滲んだ肉の部分が垣間見えている。

 近々の戦闘にて負った傷。それが突破口であった。

 アズナは身体中の魔力を掌に集中させた。

「火撃!」

 短い詠唱呪文を口にした瞬間、アズナの掌より巨大な火柱が出現した。

 火炎の塊がガダロックの脇腹の傷に直撃した。

 大地を貫く咆哮が大地に響き渡った。

「この魔法なら------]

 手応えにを口にしたアズナであったが、その言葉が完結することはなかった。

 不意に視界が暗くなったかと思った矢先、全身を強い衝撃が襲った。

 衝撃の正体が翼による攻撃であることを理解した次の瞬間、新たな衝撃を感じた。

 勢いよく横に弾き飛ばされた身体が石灰の壁に激突したのである。

 灼熱が身体中を駆け巡り、視界が激しく明滅した。

「……ッ……」

 肺の中から全ての空気が強制的に吐き出され、声にならない叫びが零れる。

 数秒程うずくまった後、アズナは石灰の壁を背にした状態で座り直した。

 攻撃によってボロボロになった上着を脱ぎ、痛みのひどい右脇腹を確認する。

「まずいねぇ……これは」

 露わになった右脇腹には深い傷が走っていた。肉の一部が抉り取られており、流れ出た血が大腿部を深紅色に染め上げていた。

 アズナはホルスターに収納してあった包帯を取り出し、何重にも重ねる形で傷口に巻き付けた。

 アズナは治癒魔法を会得していない。常備してあった治癒薬も既に使い切っている。包帯で傷口を覆うこと、それが今現在できる精一杯の応急処置であった。

(冒険者になりたての俺が、これ程までに強い魔物と戦うことになるとはね。こんなことになるなら剣の修行をもっと頑張っておくんだったかな……)

 アズナの父は剣術道場を運営しており、アズナもまた幼少期より剣の技を磨いてきた。

 だが、魔法が全盛のこの時代、剣による技、特技を覚えることにアズナは疑問を抱き続けていた。家族に隠れて魔法の練習に励むようになったアズナは、家督相続する直前に出奔。かねてより興味のあった冒険者となる為、冒険者ギルドの門を叩いた。

 そして今、冒険者アズナはヘマをして窮地に陥っている。

 微動だにしないガダロックが視界に映る。駆け出しの冒険者であるアズナからしてみればガダロックを撃破できたことは大金星である。この事実が冒険者達の間で流布されれば、アズナ・エイクの名前にも箔が付くであろう。もっとも、その願望は生きて街に戻ることができればの話であるが。

「体力はほとんど残ってない、か」

 ある種の予感に突き動かされたアズナは指先に魔力を集中させた。

「火……」

 身体中の魔力が指先に集まるのと時を同じくして、視界が歪んだ。

 精神の混濁を察したアズナは詠唱を中断した。

 指先で蝋燭の炎程の火柱が上がり、すぐに消えた。

「……魔力も尽きかけか」

 精神の混濁は魔力切れ一歩手前の時に見られる症状である。魔力とは人間の精神力をエネルギーに変換したものである為、魔力を使用すれば当事者の精神力もまた消費されることになる。そして、精神力を使い果たした人間は思考能力を失い、やがて意識を失うに至る。

 体力も魔力もほとんど残ってない

 その事実は、アズナ・エイクの死が近いことを示していた。

(もうすぐ日が沈む。この怪我の状態では明るい内に街に戻ることは難しいだろう)

 暫しの休息で回復を図る手もあるが、そちらも得策とは言い難い。この付近では夜になると魔物の活動が活発化する。手傷を負った人間が何事もなく朝日を拝める可能性は、ほぼ皆無であろう。

「となると、俺が取れる手は1つしかない」

 アズナはゆっくりと立ち上がった。

 近くに落ちていた剣を拾い上げ、ガダロックの側へと近寄る。

「あったな」

 無数に生えそろった角の内、唯一白く光る角を発見した。太さも長さも剣の柄程の細長い角である。

 角の根元に軽く切り込みを入れる。その後に手を当てると、ほとんど抵抗なく折ることができた。

 アズナは剣を鞘に収めた後、近くの平たい岩の上に角を置いた。そして、ホルスターに入れてあった無数の革袋を取り出し、岩の上に並べた。

「それじゃあ生き残る為に始めますか、料理を」

 アズナは薄れゆく意識に喝を入れる為、両手で頬を叩いた。

 この世界の冒険者には求められる能力が2つあった。1つは魔物と戦う為の純然たる戦闘力。そしてもう1つは料理力であった。

 冒険者に料理力が求められる理由は、この国における治癒の特異性が関係していた。この国に生まれ落ちた者は例外なく体内に魔力を有しており、鍛錬を積めば如何なる者でも人智を超えた神秘の術、魔法を駆使することができる。

 しかしながら、なぜか治癒魔法を使用できる者はほとんど誕生しなかった。治癒魔法を使用できる者は希少であり、結果として国によって保護され、国選治癒魔法師としてその地位を向上させることなった。

 冒険者は危険と隣り合わせの職業であり、回復役は重要な地位を占める。しかし、国選治癒魔法師は多忙であり、希少価値が高いこともあって派遣依頼料も高額であった。その為、財力のあるパーティでなければ回復役の人間を冒険に連れていくことはできなかった。

 そして一般的な冒険者は回復手段として市販の治癒薬を購入するのだが、それ自体が高額な代物であった。というのも、市場に流通する治癒薬は全て国営直下の工場で生産されており、値段、流通量に至るまで徹底的に管理されている為であった。

 この国にとって「治癒」は貴重な財源なのであった。

 そんな治癒を国が独占する状態に一石を投じたのが冒険者ギルドであった。

 冒険者ギルドは長年に渡る術式研究の末、経口摂取可能な食材に回復効果を付加する術式を開発した。この術式により、冒険中に携行する全ての食材を治癒薬の代用品として使用することが可能になったのである。

 当然、国がこの状況を傍観することはなかった。国家の財源を脅かすこの術式の使用に対し、国は重税を課すことで対抗した。

 そして、国のやり方に対し冒険者ギルドも対抗した。

「この術式は治癒ではなく、摂取者の滋養強壮効果を高めるもの。従って課税対象には該当しない」

 人間本来が持つ回復機能を促進させるものであり、治癒を目的としたものではない。その主張にて冒険者ギルドは国と徹底的に争った。

 数年に渡る裁判の末、国は条件を定めた上で術式の使用許可を出した。

 食材そのものに術式を行使することは禁止。加熱、加工等の下ごしらえを施した後に形成された「料理」にのみ術式の使用が許諾されることとなった。

 これらの経緯から、冒険者達にとって料理能力は回復手段として必須のものとなった。この術式は作る料理の種類や使用する食材で回復量が大幅に変化することに特徴がある。その為、冒険者達は戦闘技能と共に、料理人としての腕も日々磨いているのであった。

 アズナもまた、料理に対する学を積む冒険者であった。

 腰回りのホルスターには日持ちする食材や香辛料が入っており、如何なる場所であっても料理ができる準備を整えていた。

 平たい岩をテーブルに見立て、ホルスターの中から料理に必要となる保存食材を取り出す。

 一通りの食材を展開した後、アズナは懐から青色の鉱石を取り出した。

 鉱石の名前は料理石といい、高度な術式が組み込まれた魔法道具である。この鉱石こそが料理に治癒能力、冒険者ギルドが言うところの滋養強壮効果促進、を与えるものであった。料理石は持ち主の精神に感応する性質がある。作り上げた料理に対し、作り手自身が納得していない場合は術式が発動しないのである。その為、冒険者は持てる術を尽くして料理に挑む必要があった。

 アズナは岩の上に革の端切れを敷き、その上に小麦粉で作られた薄焼きのパンを置いた。

 瓶から取り出したバターを円形のパンの上に置き、均等になるようにスプーンで伸ばしていく。続いて乾燥状態の葉野菜の葉を敷き、その上に大量のチーズをまぶしていった。

 不意にアズナの鼓膜が震えた。

 反射的に音の方向に身体を向ける。

 倒れた状態のガダロックが視界に入ったが、それだけだった。黙したまま地に伏している。先程までの荒々しさは見る影もない。

(幻聴が聞こえるようになれば……いよいよかな)

 額に浮かんだ脂汗を拭う。

(早く料理を完成させないと、本当に死ぬな、これは)

 脇腹に巻いた包帯が赤黒く変色していた。呼吸の度にじわじわと包帯に血が滲んでいき、意識に靄がかかってくる。気を失わないでいられるのは、傷口が絶え間なく激痛の自己主張を続けるからであった。

(高級食材が降って来たと考えれば今の状況は不幸中の幸い……と言えるのかな)

 そもそも論としてガダロックが降ってこなければこのような事態にはなっていないのだが、今更言っても詮ないことであった。大事なのは今の状況を打開する為に、アズナ・エイクは料理をする必要があるということである。

 携帯可能なパンや香辛料、香草等を用いて料理を作ることはも可能であるが、その状態で作る料理では戦闘中に生じた傷を癒すことはできない。治癒魔法師が用いるような回復魔法、即効性のある治癒術同等の効能を有する為には、料理の食材に魔物の一部を使用する必要があった。魔物が持つ驚異的な回復力を術式によって抽出し、その回復力を料理に付加させている為であった。

 ガダロックは全身が鱗に覆われている為に加工が難しい。苦労して可食部である肉の部分に辿り着いたとしても、その肉は臭みが強く、尚且つ岩のように固いという特徴がある。食べる為には肉の部分を数日間塩と香草に漬け、更に数日間天日干しを行う。そうすることでようやく可食の準備が整う。味自体は鶏肉と大きな差がないというのが一般的な評価であり、ガダロックの肉は苦労してまで食べる程の食材ではないというのが通念であった。

 だが唯一人気が高く、高価な値段で取引される部位があった。

 アズナは先程切って取った角をパンの中央に横たわらせた。

「料理の名前は……そうだな、ガダロックの隠れ角焼きパンってところかな」

 角と聞くと硬質な印象が浮かび上がるが、ガダロックに備わる無数の角の内、その印象とは異なる性質を持つ角が1本だけ存在する。それが隠れ角であった。

 隠れ角は突起状の見た目故にそう呼ばれているが、実際は骨の軟骨部分であり、食用可能な柔らかさを有する部位である。隠れ角自体は1本で形成されている訳ではなく、複数の軟骨が層の状態で重なり合っている。軟骨部分を繋ぎ合わせる肉部分には油が乗っており、骨部分と一緒に食べることでその旨味を何倍にも増大させることができた。

 そして、ガダロックの隠し角は「火のみ食材」の異名で呼ばれていた。これは、香辛料を用いず、火を用いるだけで味付けが完了する性質から名付けられた呼び名である。

 ガダロックは冬季になると約1ヵ月の間、洞窟の奥で冬眠する習性があった。その際、角の先から特殊な酵素が分泌される。酵素には多種多様な有機化合物が内在しており、1度の冬眠期間で角全体を覆う程に分泌される。数度の冬眠を経ることで、酵素の膜が何層にも渡って角を覆う形となる。古い層に閉じ込められた有機化合物が時間経過と共に発酵し、独特の風味と香味が付加される。通常であれば料理人が行う味付けを、ガダロック自身が行ってくれるという訳である。

 自然と味付けが完了しているガダロックの隠し角は、火で炙ることで真の美味を獲得する。火で炙ることで溶けだした積層の風味、香味が軟骨と肉に染み込む。その香ばしさと程好い弾力がもたらす食感に魅了される者は多く、個体毎に1本しか収穫できない希少部位であるということから高値で取引される高級食材であった。

「後はこの角を炎で炙れば……」

 火起こしの準備をしようと、革袋を手に取ったアズナはしかし、違和感を感じた。

 普段であれば火起こし用の器具の凹凸が革越しにも伝わってくるのだが、その感触がいつもと異なっていた。

 嫌な予感を覚えつつも革袋を開くと、中にあった火起こし用の器具は粉々に砕け散っていた。

 ガダロックの攻撃が革袋を捉えていたのだ。火打石も火打金も砕片と化し、一目見て使い物にならないことがわかった。

 火が起こせない。

 その事実を理解した瞬間、アズナは片膝をついた。

 ここまで騙し騙しで動かしていた身体が遂に悲鳴を上げたのである。

「これは……まいったね……」

 この料理は火を用いなければ完成しない。火起こし器具は失われた。魔法で火を起こそうにも、それだけの魔力はもう残っていない。

 詰みであった。

 座った状態で岩肌にもたれかかったアズナは、持っていた料理石を前方に放った。

 岩のテーブルを滑った料理石はパンに当たる形で停止した。

(何が起きる訳もなし、か)

 完成した料理に料理石をかざすと、料理石に刻まれた術式が自動的に展開される。石から発せられた光が料理へと伸び、治癒の効能が付加される。

 今、料理石に反応はなかった。それはつまり、眼前の料理がまだ未完成であることを意味していた。

 もちろん、料理が未完成であることはアズナもわかっていた。料理石が反応しないことも重々承知していた。

(それでも、奇跡ってやつがあれば……もしかしたら何か起きるかもって思ったんだけどね)

 叶わぬ願いに思いを馳せたアズナは自嘲と共に天を仰いだ。

 運悪く強い魔物と遭遇し、命を落とす。何とも情けない話だとも思ったが、危険と隣り合わせの冒険者らしい死に方でもあるなとも思った。もう少し長く生きていたかった気もしたが、今更言っても詮無いことである。

(やるだけやっても駄目な時は駄目。人生は諦めが肝心……だものな)

 何事においても諦めが早いのがアズナ・エイクという男であった。

 自身の死が間近に迫った事実に対し、どこか達観した感想を抱く自分をアズナは可笑しく感じた。性格というものは死んでも治らないという言葉を耳にしたことがあったが、どうやらその言葉は真理らしいと獏に思った。

 不意に耳が異変を捉えた。

 最初は幻聴かとも思ったが、違った。何か重いものが引きずられるような音。更には荒い息づかいが鼓膜を叩く。

 アズナは顔を上げた。

 視線の先、食材が置かれた岩のテーブルの向かいにガダロックの姿を捉えた。

 両翼は力なく地面に垂れており、腹部に受けた傷からは大量の血が零れ落ちている。

 重傷でありながらも、ガダロックは這いずる形でアズナへと近付きつつあった。

(どうして俺に向かってくる? 放っておいても俺は死んでいくのに)

 霞掛かった脳内に疑問が浮かぶ。

 そしてガダロックの瞳を直視した瞬間、その疑問は融解した。

 瞳の奥にはぎらついた光があった。

 それは生きることを諦めない渇望の光であり、死を拒絶する抵抗の光であった。

 人間を捕食することで魔物は自らの傷を癒すことができる。だが、それには条件が存在する。それは、人間を生きている内に捕食する必要があるということである。人間が宿す生命力を治癒力へと変換できる臓器を魔物は備えている。生命活動が停止すると同時に生命力も喪失する為、ガダロックは眼前の人間が生きている間に捕食しようとしているのだ。

 死の縁に立った状態であって尚、ガダロックは生への希望を失っていない。

 アズナはその姿勢に対し1つの感情を覚えた。

 敬意であった。

「お前は凄いな」

 最後の最後まで希望を失うことなく、生へとしがみ付くガダロックに対し、アズナは純然たる敬意の感情を覚えた。

 死を直前にして、アズナは自身の価値観と向き合う機会を得た。

 アズナ・エイクは自身のプライドを守る為に「性格」という言葉に逃避していたのだ。

 諦めが早い。粘り弱い。自分はそういう「性格」なのだと思い込むことで、何事に対しても結果を残せない自分を正当化した。全力を出すことで自分の限界を悟り、惨めな気持ちになるのが嫌だったから。

「ださいな……俺は」

 安いプライドを守る為に自らを偽る自分。生きる為に全力を尽くすガダロック。

 アズナは今の自分がたまらなく惨めであると感じた。

 同時にアズナは思った。惨めな自分の価値観を変える機会は今しかないと。

(叶うのであれば……俺はお前みたいになりたい)

 アズナは立ち上がった。

(生き残ることだけを考えるんだ)

 満身創痍の現状を打開できる手段を模索した。

 視界が霞み、身体を支える足が震えた。体力も魔力も限界をとうに超えていたが、不思議と心中が透き通っていくのがわかった。思考の針が生存へと向き変わったことで、神経が研ぎ澄まされていく感覚があった。

 そしてアズナは1つの策を思い付いた。それは多分に希望的観測の強い賭けであったが、一縷の望みであることに間違いはなかった。

(ガダロックと俺の位置関係を考慮すれば……可能性はある筈だ)

 アズナは剣を鞘に収めた。そして剣の柄を持った状態で静止した。

 岩のテーブルを挟む形でガダロックと対峙する。

 沈黙が落ちた。

 互いに微動だにしない時間が続く。

 2撃目を放つ余力は双方共に残っていない。言葉が通じ合わずとも、死線を共にした1人の人間と1匹の魔物はその事実を理解していた。

 先に動いたのはガダロックだった。

 先程までの動きが嘘のような鋭い突進が繰り出される。

 ガダロックの攻撃から一呼吸遅れる形でアズナが剣を抜いた。

「特技。炎を刃に転ず。火炎斬!」

 鞘から剣が引き抜かれた瞬間、変化が起きた。

 刀身に炎が走ったのである。

 燃え盛る火炎を纏った剣を手にしたアズナは、引き抜いた勢いそのままに柄を掴む手を離した。

 地面を舐めるような低空飛行で火剣が疾駆する。

 岩のテーブル上を通過し、そのままガダロックに向かって一直線に剣が飛んだ。

 ガダロックの左目に投擲された火剣が突き刺さった。突進の勢いと投擲の勢いが加わり、刀身の半分以上が頭部にめり込む形となった。

 ガダロックは断末魔の呻き声を漏らし、その場に崩れ落ちた。

 今度こそ本当に動かなくなったガダロックを見たアズナは、大きく息を吐いた。極限まで集中していたことで誤魔化していた痛みが身体中に戻ってくる。

 耐え切れず倒れそうになる身体を精神力で押さえつけた。

「火炎斬……いや、剣を投げたから、どちらかと言えば火炎投擲かな」

 攻撃の威力こそ劣るものの、魔法と違い、特技は基本的には魔力を消費しない。ただし、攻撃用の特技は戦闘中でしか使用できないという弱点がある。

 このタイミングで特技を使用できたのは、ガダロックが襲いかかってきてくれたおかげであった。ガダロックが生きることに全力の姿勢を見せてくれたからこそ、昔取った杵柄を披露することができたのである。

 そしてアズナはテーブル上に置かれた食材を目にし、自分が賭けに勝ったことを知った。

 先程まで生の状態であったガダロックの隠し角にははっきりとした焦げ目が付いていた。軟骨の部分にも、骨と骨を繋ぎ合わせる筋肉の部分にも炙り跡がある。肉の部分からは油が滴り落ちており、肉汁と溶けたチーズの香ばしい香りが鼻孔を通り抜けていく。

 火炎斬による加熱を用いた調理。それがアズナが思い付いた策であった。火炎の規模も、そもそも上手く発動するかもわからなかった。そのような状態での特技を料理手段に転用する試みは、策と呼ぶよりも賭けに近いものであった。だが、幸いにもアズナはその賭けに勝つことができた。

 アズナはパンの端に両手を当て、そのまま具材を包み込む形でパンをクルクルと巻いた。

 パンを筒状に巻いたところで手を止める。葉野菜、チーズ、軟骨、肉が渦を巻いた状態で巻かれている様子が確認できた。

 心中で完成の単語を紡いだアズナは、近くに置いたままの料理石をパンに当てた。

 瞬間、料理石から青い光が発せられた。光の軌跡はやがて空中に魔方陣を出現させるに至った。どこの国の言語ともわからない文字が刻まれた魔方陣が、吸い込まれるようにして料理の中へと消えていった。

 料理石に刻み込まれた治癒術式が正しく発動したことを確認したアズナは、筒状に巻いたパンに齧り付いた。

 一口食べた瞬間、口一杯に香ばしい風味が広がった。軟骨特有の弾力ある食感と、肉部分の柔らかさ。濃厚で刺激的な味の連鎖が口の中で発生し、チーズの香りと葉野菜の苦味がアクセントとなって美味しさを引き立てている。香辛料をまぶすことなく、火で炙るだけでここまで奥行きのある味になることにアズナは驚いた。

「美味しい!」

 食べ進める内に、体内に温かい感触が広がっていくのがわかった。ふらついていた両足に力が戻っていき、朦朧としていた意識がはっきりしていく。

 脇腹の痛みが消えたことに気付いたアズナは、腹に巻いていた包帯を解いた。血まみれの包帯の下から現れた脇腹には傷1つなかった。傷口は塞がり、健康的な色の柔肌を確認することができた。

「何とか今日も生き残ることができたという訳だ」

 術式が正しく発動したことに安堵したアズナは最後のパンの欠片を口に頬張った。

 今から急いで戻れば、日が落ちるまでに街の近くまでは行くことができるだろう。

 去り際、アズナはガダロックへと近付き、刺さっていた剣を引き抜いた。

 刀身に付着していた血液を拭き取り、鞘へとしまった。

「生き残らせてくれてありがとう」

 それは自然と口に出た言葉であった。

 アズナはガダロックに対し小さく頭を垂れた後、帰路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瀕死飯 -HP1、MP1からでも美味しいご飯が作れるってマジですか!?- 三本八打点 @submarine031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ