第91話 アイアンフィストVS小さな巨人

 マイクは戸惑っていた。


 ボクシングの世界に身を置く彼にとって、体重制は慣れ親しんだもの。


 そして知っている。


 ヘビー級は聖域だと。


 軽量級や中量級の選手が、徐々に筋力を増やしてウェイトを上げて登って来ることはある。


 時々三階級制覇とかいう言葉を聞くのがそれだ。


 その階級のチャンピオンになるたびに体重を増やして、階級を一つ上げる。


 だがそうした連中が、ヘビー級に上がって来ることはない。

 みんなウェルター級止まりだ。


 だと言うのになんだこの男は。

 ウェルター級でもミドル級でもない。ましてフェザー級でも。

 よりにもよってミニマム級。


 だというのに……響く。


 顔では平静を装うが、内心冷静ではいられない。

 体重三分の一未満の幼児がごとく相手の拳がガードの上からでも響く。


 ボディで受ければ激痛が走る。


 その威力は、完全にヘビー級のそれだ。


 確かに、伸二は軽い。

 たったの四七キロしかない。


 でも、伸二は体重以外の全てが完成されていた。


 運動エネルギーはスピード×スピード×質量。

 質量こそ軽いが、伸二の拳はボクシング界最速。


 押し込むパワーも、パット見は細くても発達した後背筋、ヒッティングマッスルは拳を力強く相手の体に押し込む。


 基本的なことだが、強いパンチを打つ方法。

 正確に真っ直ぐ、そして体重を乗せてパンチを打っている。


 たった四七キロしかないからこそ、伸二の体重を拳に乗せる技術は高い。


 羅刹の鬼山には及ばないが、それでも体重の多くを拳に乗せるのに成功している。


 重さ数十キロの質量を持った、拳大の鉄球が高速でマイクにブチ当たる。


 そう考えれば、マイクの焦りも当然だった。


「ミニマム級が、ヘビー級に勝てるか!」


 右ストレートで伸二の胸板を吹っ飛ばす。

 たまらず背後へ倒れ、ダウンする伸二。

 追撃はしない。

 これはNVTだが自分も相手もボクサー。

 倒れた相手には攻撃しない。

 ボクサーのスピリットが自然とそうさせる。


『伸二選手ダウン! おーっとですがすぐ立ち上がったぁ!』

「すぐに沈めてやる!」


 伸二との殴り合いは、ヘビー級の試合を彷彿とさせる。

 パンチ力は完全にヘビー級のソレだ。


 巨人選手であるマイクは元から自分より小さい選手と戦ってきた。

 今日は、それをいつも以上にはっきりしているだけだ。


 とはいえ負けるわけにはいかない。


 パンチ力に関係無く、世間的にはミニマム級だ。


 ヘビー級がミニマム級に負けるようなことがあっては、プロボクシングそのものの神話崩壊と言っても良い。


 マイクの左ジャブ。


 伸二はガードしてもなお背後へとタタラを踏み、すかさず右ストレートで伸二の顔面を潰した。


 終わった。

 ヘビー級の右ストレートを顔面に受ければ、同じヘビー級選手でさえKO必死だ。

 伸二は鼻からおびただしい血を流しながら仰向けに倒れる。

 でも、


『伸二選手、また立ち上がりました!』


 ――何故だ!?


 伸二はフラつきながらもグローブを顔の位置まで持ちあげて、ファイティングポーズを取る。


 ――くっ。


「しぶとい男だ!」


 伸二が左ストレートを放ってくる。右でガードして、左フックで伸二の体勢を崩し、右ジャブで完全にガードを崩壊させてから、


 ――トドメの左ボディブロウだ!


 体重を乗せた剛腕を伸二のストマックに叩きこんで、腹筋を貫き内臓に到達する感触を実感した。


 ――キマった。


 この感触は、今までに何度も味わった勝利の感触だ。

 いつも試合でこの感じになると、相手は血を吐いてKOだった。

 伸二も鼻からだけではなく、口からも大量の血を吐いて倒れる。


 ――これで……


 伸二の腕が動いた。


『立ち上がるのか!? まだ立てるのか伸二選手!?』


 観客席から伸二を応援する声が聞こえる。

 伸二は笑う膝で、フラつく頭で、懸命に床を踏みしめ、曲がった腰を立たせて膝を伸ばす。


『立ったー! 伸二選手立ち上がりましたー!』


 ――何故だ……何故こいつは立てるんだ!?


 マイクは両目を見開きながら自問して、そしてすぐに気付いた。


 ――オレはなんて馬鹿なんだ。


 伸二が倒れても倒れてもすぐ立ち上がる理由。


 それは、


 ボクサーだから。


 力士は消して屈しない人種だ。


 対してボクサーは、何度屈してもすぐに立ち上がる人種なのだ。


 屈していい、膝を折っていい、倒れていい、ダウンしていい。


 だが、屈したならばすぐに起きなくてはならない。


 屈する事はあっても、屈したままであることは許されぬ格闘技なのだから。


 立ち続けるのがボクサーなのだから。


 だから伸二は立つ。


 例え体重一五五キロのヘビー級チャンピオンの右ストレートを受けようと、ボディブロウを受けようと、彼は立つ。彼がボクサーであるが故に。


 だからこそマイクは伸二を糾弾したかった。


「伸二、どうしてフットワークを使わない?」

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