第87話 レベル1で経験値9999億9999万9999EXP

 森岡五兵衛は明治後半に、高校教師の家の五男として生まれた。

 いかに男子と言っても、五男にもなると自由を許された。

 五兵衛は武道が好きで、五歳の頃、家の近くの柔術道場に通っていた。

 勉強好きの兄達とは違い、五兵衛だけが武の道を歩み続けた。


 だが、


 五兵衛は絶望的に壊滅的に武の才能が無かった。

 武の才能が無いというよりも、武術ができない才能があると言っても良かった。


 才能のなさは言いようがない。


 武術が出来ない星の元にうまれているというか、

 見えない力が働いていると言うか、


 もはや八百万の神々が総出で五兵衛を邪魔していると言っても誰ひとり異論が無いほどに五兵衛は武術が上手く無かった。


 元々高校教師の父も、その妻である母も運動が得意ではないし、四人の兄も全員運動が苦手だった。


 だが五兵衛はそれに輪をかけて運動ができなかった。

 運動音痴の森岡家でもっとも運動音痴な五兵衛が、一番武道に興味が合ったというのはなんという皮肉なことだろう。


 五兵衛は小学校も、

 中学校も、

 高校も、

 親のおかげで大学まで行くことが出来た。

 遊ばず、

 怠けず、

 怠惰な生活とは一切無縁で、

 お盆もお正月もなく、

 時間の許す限り五兵衛は柔術に打ちこんだ。


 でも二十歳の時、柔術歴一五年で今年一六年目になる五兵衛は、柔術を初めて一年の中学生と道場で組み合い、秒殺された。


 開始五秒投げ飛ばされたのだ。

 五兵衛については、師範も匙を投げていた。

 同時に、不憫に思っていた。


 誰よりも早く起きて、

 誰よりも遅くまで起きて、

 誰よりも真面目に、

 誰よりも過酷な修業を積んでいる。


 なのに弱い。


 五歳のあの日、入門してきた日からまるで成長していない。

 身体能力すら、特別な向上がみられない。

 一五年も武の世界に身を置きながら、技術は入門数カ月レベル。

 身体能力は一般人よりはマシだが格闘家としては三流。

 まるで筋肉が成長しない、まるで脳味噌が学習しない。


 病院の検査では問題なし。

 ご飯もちゃんと食べている。


 でも、それでもなお、五兵衛は弱かった。


 千回以上も皮膚がズル剥けた手で箸と椀を持ち、ご飯を食べる五兵衛を、家族は晴れモノのように気づかった。


 家族なら武道をやめるよう言いたいも、

 日々夜叉のような顔で、取り憑かれたように修練する息子弟にやめろとは言えなかった。


 五兵衛はとある大きな柔術組織の事務員として働くようになっていた。


 毎日柔術のあらゆる基本型や技を千本ずつ行った。


 許される限りあらゆる人と戦った。


 組織の人達、出げいこ先の人達。

 遠征先の人達。

 お金が貯まるたびに海外へ行って、外国の選手と戦った。


 四〇歳の時、まだ柔術をやっていた。町中から変わり者の馬鹿者として嘲笑されていた。

 五〇歳の時、まだ柔術をやっていた。町中のから呆れられて、諦められていた。

 六〇歳の時、未だ未婚者。彼の日常は柔術をするか事務の仕事をするかの二卓だった。

 七〇歳の時、まだ柔術をやっていた。

 八〇歳の時、まだ柔術を諦めていなかった。だが弱いのは老齢の為だと弱さで非難されなくなった。

 九〇歳の時、柔術歴最長の素人として業界一の有名人になる。


 とある少年に聞かれた。

 どうして柔術をやめないのか。

 五兵衛は言った。


 『それはね、私が柔術が好きだからだよ』


 一〇〇歳の時、格闘家としては三流の身体能力は成長しなかったが、衰えもしなかった。二〇代の時の体力をそのまま残していた。体力年齢が二十歳の人間として、一時期テレビで取り上げられる。 


 一〇五歳の時、格闘技を始めてから一〇〇年。もっとも長く格闘技をしてきた者として、ギネスブックに載る。


 ちょうど一〇〇年目の節目で、五兵衛は不思議な体験をする。

 初めてであった空手家に対して、自然と口が動いた。


「? 貴方、上段蹴り苦手ですか?」


 当たっていた。

 五兵衛もよく解っていなかった。

 ただなんとなくそんな気がした。

 森岡五兵衛。


 一一〇歳。完成。


 身体能力は格闘家としては三流。

 技術も、格闘貸しては三流。


 ただ、


 知らない流派の知らない人を服の上から見ただけで、

 その人の出来る事と出来ない事、

 戦法と対処方法、

 戦う最中の一秒から最大一分先までの未来が見える。

 相手の動きとその対応方法が本能的にわかるし、わかった通りに体が自然と動いた。


 森岡五兵衛は才能が無かった。


 いくら体を鍛えても筋肉は強くならなかった。

 いくら技を磨いても精度が上がらなかった。


 でも、記憶力はちゃんとあった。


 いろんな業界で人は言う、


 私はこの道一〇年、または二〇年のベテランだと自慢げに言う。

 ものによっては、この道一筋三〇年とか四〇年と言う職人もいる。


 だが五兵衛のような人がいるだろうか?


 彼のような者がいるだろうか?


 一〇年二〇年、三〇四〇年や半世紀の五〇年どころの話では無い。

 キャリア一〇〇年森岡五兵衛。

 柔術一筋一〇〇年。


 まるまる一世紀を柔術にかけて来た狂人の到達点。


 一〇〇年間試合を見続けた。

 一〇〇年間戦い続けた。


 日本中のあらゆる柔術家と、柔道家と、空手家と、合気道家と、時にも剣道家や刀道家とも戦った。


 海外でボクサーとやレスラー、サバットにパンクラチオン、ボクサーでもミニマム級からヘビー級まで、


 同じ流派でも軽量級から重量級、


 パワータイプもスピードタイプもテクニックタイプとも全ても見た聞いた戦った。


 人類史上最強密度最強量最強情熱の経験値一〇〇年分。


 森岡五兵衛を邪魔していた神々全員が折れた。

 まとわりつく不幸の女神をひきずり殺して、五兵衛が辿り着いた世界。


 才能無き、ただの武術好き少年の武術愛の、完全勝利だった。

  

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