第88話 永遠の少年
五兵衛は攻撃をやめて、速太を見下ろしながら言う。
「柔術を初めて今年で一一六年目。私には相手の全てが見えるんだ。そう、全てね」
「そんなことが……あるわけねえだろうがぁああああああああああああああ!」
跳び起きた速太が一二〇歳の老人を殺しにかかる。
だが相手はキャリア一一五年の超ベテラン。
たかだからキャリア一〇年のド素人がどうこうできる相手ではない。
身の程の弁えないケツの青い未熟者の速太はムキになって達人に殴りかかって蹴りかかて、全てかわされてあしらわれて手玉に取られて遊ばれる。
「あああああああああああああああああああああああああ!」
速太が大ぶりな一撃を放とうと、必要以上に右拳を後ろに引いた時、そうなることを知っていた五兵衛は右手首をつかんで一緒に速太の後ろへ行っていた。
「は!?」
背中合わせの状態からの一本背負い。
柔道の元になった柔術は、本来戦場格闘技である。
甲冑を着た敵武将を殺す為に、戦国時代に武士達が使っていた殺人技術。
安全な柔道にするさい、殺人技を全て殺す技から倒す技に変えたわけだが、代表的なものが一本背負いだ。
柔道の一本背負いは相手と同じ方向を向いて、胴体前面を背中に乗せ、相手の背中を地面に叩きつける。
だが本来の一本背負いは違う。
相手と背中合わせの状態で相手の手首をつかみ一本背負いをして、相手を頭から真下に落とす。
するとどうなるか、自分で腕を上から後ろへ、無理矢理回すとわかりやすい。
肩と背骨を破壊した上で相手の脳天を地面に叩きつけ、頭蓋骨と首を砕く。
金属甲冑で全身を覆った敵を殺す為の殺人奥義。
それが本来の一本背負いだ。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
速太の右肩が崩壊。
背骨が軋む。
そしてそのまま真っ逆さまに五兵衛の足下に落とされ、床にヒビが入った。
◆
「………………」
垂直ではなく、やや斜めに落とされたため、速太は脳天ではなく、首の付け根を叩きつけられる形になった。
自分が生きている事を実感する速太。
五兵衛は溜息を付きながら残念そうに、
「まともな柔術家なら誰でもできる普通の一本背負い。それを相手が死なないように斜めに落とす。一一五年も柔術やって、これが私にできる一番難しい技だよ」
上体を起こした速太は呆然としながら、ゆっくりと頭を下げた。
「負けました」
「勝ちました」
『決着ぅうううううううううう! Cブロック最終試合は森岡五兵衛選手の勝利です!』
世界でもっとも偉大な達人の中の達人に、
そして世界で一番格闘技を愛するファンに、
誰もが惜しみない拍手を送った。
「とりあえず、まずは一〇〇年、キックボクシングをやってみなさい。話はそれからだ。そうしたら、きっと私に勝てるさ」
世界で一番才能の無い、ただの武術の好きの元五歳児は、嬉しそうに笑った。
◆
五兵衛が選手入場口から廊下へ戻ると、今度はさっきとは逆に、寸止め空手の達人、小山次郎四〇歳が立って待っていた。
「おや次郎さん、どうしました?」
一二〇歳の老人に、小山は嬉しそうに笑って言う。
「五兵衛さん。三〇年前、私がまだ少年だった頃、私は『どうして柔術をやめないのか』と。失礼だが、子供の私には、八〇年も柔術をやって上手くならないならやめればいいのに、そんな風に思いました。でも、貴方はいいましたね」
『それはね、私が柔術が好きだからだよ』
「私は寸止め空手が好きです。だから」
小山は歯を見せた。
「私も、寸止め空手を一〇〇年やりますよ」
「やりなさい。君なら、私より強くなれるさ」
五兵衛にとって、小山は今でも少年だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます