第81話 非暴力空手家VSヘラクレス

『それでは皆様、Cブロック第二試合はこの二人! まずは一回戦の圧倒的な力で勝ち上がったお人! ギリシャ企業! ミラ・タクスィズィ代表! 身長一九七センチ! 体重一一〇キロ! ヘラクレス! アドニウス・ラエル選手ぅ!』

「みんなありがとうー!」


 パンクラチオンのユニフォームであるエンディマを脱ぎ捨て、レスリングパンツ一枚になった長身の美男子が登場。


 相変わらず無駄にキレイかつ爽やかな笑顔を観客に振りまいている。


 ギリシャ彫刻のような肉体美と甘いマスクに、女性ファンが大歓声を上げる。


   ◆


「モンスターが来たわね……」


 アドニウスの登場に、礼奈の顔に緊張が走る。


「ミオスタチン関連筋肉肥大の龍崎とか、品種改良された人種の忍者服部半蔵も異常だけど、生まれつき全身がピンク色筋なんて、龍崎や半蔵並の反則じゃない」


 好美も頷く。


「この三人で誰が一番強いかって聞かれたら困っちゃうね。あ、せっちゃん、ちなみに今回のオッズはアドニウス選手が一・三倍で相手の小山次郎っていう人は三・七倍だよ」


 礼奈が眉を寄せた。


「それだけ? あのピンクモンスターが相手ならもっと差がついていると思ったんだけど」

「まぁ相手があの寸止め空手の達人だからな」


 羅刹の説明に、礼奈と好美は顔を見合わせる。


「せっちゃん、寸止め空手ってそれ」

「当てないなんちゃって空手よね? そんなのでどうやって」


 羅刹はにやりと笑った。


「だから達人なんだよ。本物のな」


   ◆


『対するはシード選手の超達人! 人を殴った事無し! 人を傷つけた事無し! それでなお最強の究極達人! 日本企業! 大東京銀行代表! 身長一七二センチ体重六四キロ! 非暴力空手家! 小山次郎選手ぅ!』


 三十代ぐらいの、温和な顔立ちの男性が入場。

 宇佐美の言葉に、アドニウスのスマイルは強張っていた。


「あー、質問をよろしいでしょうか小山さん?」

「ええ、どうぞ」


 柔和な笑顔で頷く次郎。

 いぶかしみながらアドニウスは問う。


「私の聞き間違いでなければ、今あの素敵な彼女は、貴方は人を殴ったことも傷つけたこともないと……それはつまり……どういうことでしょうか?」

「言葉のままの意味です。私は、生まれてこのかた、ただの一度も誰かを殴ったり蹴ったり叩いたり、傷つけたことが一切ないのです」

「…………」


 アドニウスは無言のまま何度も頷いてから手で両目を隠してから溜息をつく。


「失礼だが、ここはダンスホールではなく格闘技状だ。早く本物を連れて来て下さい」

「私が選手ですよ。私は今まで誰も殴らず達人になり、誰も殴らず連勝記録を作っているのです」

「それはないでしょう?」


 アドニウスはおどけるように笑いながら、いやいや、と手を振った。


「小山さん小山さん、それはおかしい。格闘技とは相手を倒す技だ。倒すには相手を傷つけなくてはならない。貴方が言っているのは食べずに料理を完食するとか、筆を持たずに書道をするとかそういうことですよ? もしも相手を巧みな説得術で降伏させるのであればそれは格闘技ではなくネゴシエーションです」


 でも小山次郎は笑顔を崩さない。


「倒せますし勝てますよ。相手を一切殴らず、傷つけずに、それが私の『寸止め空手』ですから」


 アドニウスは苦笑する。


「…………こんなのがマスタークラスなんて、日本のNVTは変わっていますね。宇佐美さん、始めてください」

『はい、では両者構えてください♪ それでは試合、始めぇ♪』


 試合開始。

 と、同時に跳び出すアドニウス。

 相手に触れずに倒す。

 当てるフリだけで勝負が決する。

 ノリは軽くても、アドニウスとてギリシャ最強の戦士。

 戦士の聖なる戦いを汚すなと、珍しい事だが相手選手に憤りを覚えながら走って、


「!?」


 小山の一メートル手前でブレーキをかけた。


 ――なんだ、これは……?


 仏様のような顔をした小山から、異形の空気を感じる。

 アドニウスの戦闘本能が近づくなと悲鳴を上げる。

 まるでティラノサウルスにでも勝負を挑もうとしているかのような。

 あるいは、本物のデビルを前にしているような。


「来ないんですか?」


 小山の一言で、抜き身の剣の切っ先を喉元に突きつけられているような感覚に襲われるアドニウス。


 ――何を恐れるアドニウス。私はギリシャの英雄ヘラクレスだ。何も恐れることなど、ないんだ!


「ハッ!」


 アドニウスの右ストレート。

 を、首をひねるだけでかわして、アドニウスの視界を右拳で隠す小山。


「ッ」


 左ハイキック。

 小山は僅かに身をかがめるだけでかわして、左拳でアドニウスの視界を隠す。

 視界に突然現れる拳。

 寸止め空手の名前通り、アドニウスの鼻に触れるギリギリのところで拳は止まっている。


「手加減しませんよ!」


 アドニウスが打つ、小山がかわして顔面に寸止め打ち。

 アドニウスが蹴る、小山がかわして喉元に寸止め打ち。

 アドニウスがつかみかかる、小山がかわしてこめかみに寸止め打ち。

 アドニウスがタックルをする、小山がかわして、アドニウスが振り返ると目の前に拳が添えられている。


『凄い! これは凄い! 達人小山次郎! ギリシャの英雄の攻撃をまるで問題にしていない! そして余裕すらある! この状態でなお相手を気づかう達人! なお当てない小山次郎! これが寸止め空手! これが非暴力格闘技なのです!』


「そんなはずがありません!」


 アドニウスが跳躍。

 重たく鋭い跳び蹴りを顔ではなく、面積が広くかわしにくい胴体へ放つ。

 足が小山の体をすり抜ける。


「!?」

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