第82話 偉大なる戦士

 アドニウスが跳躍。

 重たく鋭い跳び蹴りを顔ではなく、面積が広くかわしにくい胴体へ放つ。

 足が小山の体をすり抜ける。


「!?」


 かわされたのではなく、アドニウスには自分の足が体を通り抜けたように見えた。


「まぼ……ろし? !?」



 気配に気づいて振り返ると、そこには…………


「そろそろ降参してもらえますか?」


 ただ突っ立っている小山がいた。


「~~~~~~…………!?」


 背後からいくらでも攻撃できただろう。

 なのに何もしない。

 寸止め打ちすらしない。

 遊ばれている。

 手の上で転がされている。

 自分を敵としてすら認識くれていない。

 そんな考えがアドニウスの中でドロドロと巡る。

 アドニウスは殺意の混ざった闘志で獣の咆哮を上げた。


「ハァアアアアアアアアッ!」


 彼らしくない、余裕のない全力攻撃。

 アドニウスの超高速ラッシュ。


 それでも小山の笑顔は変わらない。


 常人は愚か、並の格闘家でさえ必殺の威力を持つ、アドニウスの突きと蹴り。


 人間は瞬間的な運動には白筋を、持続的な運動には赤筋を使っている為、見た目の筋肉の半分で運動している。


 全身が赤筋と白筋、両方の性能を持つピンク筋で構成されるアドニウスの肉体。


 彼の運動は常に各関節の全筋肉細胞を使ったものになり、その性能は人間の二倍である。


 なのに、それなのに、その人智を超えた超撃の嵐がただの一発も届かない。


 小山は全ての攻撃をバックステップで回避し続けた。


 人間は後退するより前進するほうが早い。


 その為、ただ後ろに逃げてはすぐ追い付かれる。


 だから小山は空手の基本にのっとって、斜め後ろに逃げる。


 こうすると相手選手からすれば、自分が前ではなく斜めにいるため、二撃目を打つのに方向転換しなくてはならない。


 その分、逃げる時間が稼げるというわけだ。


 それにこうすることで壁に追い詰められることもない。


 小山は巧く逃げて、壁には近寄らない。


 観客席から見ると、二人はリングの中央辺りを仲良く踊っているようにしか見えない。


 生まれながらの超人を手玉に取る。


 それが寸止め空手の達人、小山次郎だ。


「クゥッ!」

「どうでしょう? ここらへんでもうやめにしては」

「何を言っているんですか!? 私はノ―ダメージですよ」

「ですが疲れるでしょう?」

「スタミナには自信があります。体力切れを起こすのは小山さんのほうだ。疲れ切ってかわす事ができなくなったら私の」

「では終わらせましょう」


 温和な表情の小山が、にっこりと大きくほほ笑んだ。


「!?」


 アドニウスの視界が拳で覆われる。

 小山は逃げない。

 下がらない

 バックステップを使わない。

 首や腰をひねり身をかがめ、体を逸らし、その場から動かずにアドニウスの攻撃をかわして、かわしながらアドニスの顔面に寸止め打ちをする。


「いきますよ」


 アドニウスの攻撃をかわしながら、小山が本領を発揮する。

 顔だけじゃない、

 アドニウスの、


 眉間。

 鼻。

 人中。

 アゴ。

 喉。

 心臓。

 みぞおち。

 肝臓。


 全てに次々寸止め打ち。

 だけにとどまらない。


 アドニウスが打とうと引いた拳に、


 蹴りあげようとした足の太ももに、


 攻撃前の四肢に寸止め打ちをされて、されたアドニウスは硬直して四肢が動かなくなった。


 攻撃をかわしもしない。

 かわす必要が無い。

 全ての攻撃を、発動前に寸止め打ちで潰している。

 身体能力なんて関係無い。

 アドニウスは、完全に小山の手の中だった。

 一度も人を殴ったことのない拳で撃たれてもダメージがあるとは思えない。

 寸止めしなかったら、というたらればには意味が無い。

 それでも、アドニウスは戦士だった。

 両手を下ろして、アドニウスは抵抗をやめた。


「……あ、まだ続けます?」


 戦士の魂が、この非暴力格闘家に最大限の敬意を払った。

 アドニウスはその場に膝を屈して、こうべを垂れた。


「私の負けです。偉大なる戦士よ」

『決着ぅうううううううううううう! この勝負! 小山次郎選手の勝利です!』


 観客も大歓声を送る。

 初日から全ての試合が大激闘だった。

 敗者は必ず大けがをした。

 だがここに、もっとも美しい試合が行われた。


『これが非暴力空手家! 相手を傷つけず勝利する! 決して話し合いではありません! 空手を! 格闘技の技を使い、だが傷つけず、触れることすらせず相手に勝利してしまう。実戦から離れ、格闘技はスポーツ化し、いつしか厳格なルールと防具に守られてきました。そしてついには寸止め空手、格闘技なのに相手を殴ってはいけないというものが生まれました!』


 宇佐美は熱意を込め観客に訴える。


『多くの人がいいました! ただのスポーツ! ただのお遊び! ダンス空手! お遊戯! まねごと! 格闘技じゃない! みせかけだけのハッタリ空手! デスが違います! 彼の、小山次郎の勝利こそが、勝利に流血は必要ないという平和の象徴。現代人への明確なアンチテーゼでしょう! 皆様、寸止め空手の達人小山次郎に大きな拍手をお願いします!』


 会場が割れんばかりの拍手大喝采。

 その拍手を浴びながら、小山は満ち足りた顔で選手入場口へと戻って行った。

 小山がリングからいなくなっても、その拍手はしばらくの間、鳴りやむことはなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 以前も説明しましたが、本作のピンク筋の設定は間違っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る