第14話 魔獣
『続きまして! 魔界のコキュートスからやってきたサタンの愛犬! 主食はヘラジカとホッキョクグマ。カナダ企業! フューリャー・ファクトリー社! 今大会最大体格!』
「?」
李羽は、入場口の奥で蠢くソレに気が付いた。
『身長三〇〇センチ! 体重六〇〇キロ! 魔獣! ファング選手の入場です!』
『■■■■■■■■■■‼‼』
声ではなく、咆哮だった。
姿を現したのは、人ではなく、人型の、異形の怪物だった。
会場が悲鳴と絶叫に包まれる。
羅刹の隣で好美も悲鳴をあげる。
「せっちゃん! あれ、あれだよあたした見たのは!」
「へぇ……でかいな」
「感想それだけ!?」
「あらあらぁ」
華奈は冷静に手を頬にあてて、礼奈は口から魂が抜けていた。
フューリャー・ファクトリー代表、ファング。
三メートルという規格外の身長は分厚い筋肉に覆われ、丸太のような太さの腕が異常に長かった。
白人らしく足は長いが、それでも四足歩行ができそうな程に腕が長く、手は人間の頭をトマトのように握りつぶせそうなサイズだ。
無造作に伸びた金色の髪は真後ろに逆立ちライオンのようだ。
切れ長の目は黒くにごり、口には人間の歯ではなく、明確な肉食獣牙がズラリと並んでいる。
手足の爪は、人のように指先を守るためのネイルではなく、熊や虎のように獣の腹をかっさばくクローのようだ。
服はボクシングパンツ一枚で、露出した肌は細かい傷痕で埋め尽くされている。
李羽は一言。
「なるほど、これは面妖な……カナダにはこんな生き物がいるのか? だが」
彼の不敵な笑みは崩れない。
「背が高ければ勝てる。重ければ勝てる。筋肉があれば勝てる。貴様らのその歪んだ思想を、私が粉々に打ち砕いてあげよう」
『それでは両者構えて!』
セクシーなバニーガールが手を上げると、李羽が構え、ファングが咆哮を轟かせる。
『始めぇ!』
バニーガールが手を下ろす。
李羽は、すかさず熊の構えを取った。
「喰らえ、これが熊の力強さをまとったッッ」
掃除道具の熊手サイズの手が、李羽を弾き飛ばした。
観客が言葉を失った。
李羽の七〇キロの体が、まるで車に撥ね飛ばされたようにして吹っ飛んだのだ。
一瞬で二〇メートル後ろの壁に激突。
李羽は血を噴いた。
バニーガールも唖然としてしまう。
NVT観戦者は、日頃からNVT選手達の闘争を見ている。
だから知っている。
人間のパンチ力やキック力で人がどれだけ飛ぶか。
マンガの世界では人形のように人が飛ぶが、人は七〇キロもの肉の塊だ。
放り投げるならともかく、手足の衝突力だけで一〇メートル以上も飛ばすなど不可能。
の、はずだった。
この時、一部の観客や、テレビの視聴者が思いだしたのはあの映像だ。
象に襲われる飼育員。
暴れる象から逃げる飼育員が、突進してくる象の鼻に突き飛ばされて、数メートルも吹っ飛んで地面に落ちたあとも勢いが止まらず滑り続けた。
でもそれが今、ホモ・サピエンスの手で行われている。
『■■■■■■■■‼‼』
ファングがサイのように突進。
その速度は明らかに車並で、巨躯もあいまってトラックの暴走を想起させる。
「くっ」
李羽は横に跳び転がってかわす。
ファングが壁に衝突して、特殊複合素材が割れ、蜘蛛の巣のようにヒビが入って大きく変形してしまう。
その上で戦いを見ていたVIPが卒倒寸前だった。
大型猫型獣のように喉を鳴らして、ファングの首が李羽へ回った。
口からヨダレを垂らし、牙を鳴らす魔獣ファング。
李羽は再び、
「これが虎の勢いをまとった、虎の構えだ!」
『■■■■‼』
ファングが腕を横に薙ぎ払い、李羽は人形のように吹き飛んで床を何度も転がされた。
「がはっ、な、なんというスピードだ……」
李羽が弱いのではない。
今、彼が言ったように、ファングはその巨体からは想像もつかない程に速いのだ。
巨人巨漢選手は普通、スピードに難がある。
ヘビー級ボクサーよりも、フェザー級ボクサーのパンチのほうが速い。
なのにこの魔獣は、ヘビー級ボクサーの六倍以上の体重とパワーを誇りながら、その速度はフェザー級どころか最速最初のミニマム級ボクサー並だ。
李羽の傲岸不遜な表情が崩れた。
――勝てない……熊の力が、虎の力が…………
VIP席で、一人の幼女が妖艶にほほ笑む。
「うふふ、バカな人。熊? 虎? あたしの可愛いファングをその程度と同列にして欲しくないわね。だって熊も、そして虎もファングの捕食対象でしかないんだもん」
フューリャー・ファクトリー社、社長令嬢。イリス八歳。
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