5章―① 青年とお嬢様、超頑張る。
5月の最終週。
千尋の結婚騒動により、来たるべき決戦までは仕事がなくなり暇な日々を送れるのではないかと期待していた公太だったがそうもいかなかった。
室井と共に天月邸に忍び込み、千尋の決意を確かめた翌日には昭仁氏直々から辞令が下った。
【花巻公太 この社員についてはしばらくの間天月邸の掃除係を命ずる】
まるで練習に大幅な遅刻をした部員に対する仕打ちである。
そんな訳で公太は使用人やプロの業者の方々にこき使われる日々を送っていた。
そして、仕事を終えて社宅である無駄に大きな自宅に戻ってから、日課のトレーニング後の風呂から出て晩御飯の準備をしていると、丸テーブルに放り投げてあったスマホが振動を繰り返していることに気が付いた。
それを手に取って、画面を見てみると最近登録されたばかりの名前がそこに表示されている。ひとつ小さく深呼吸をしてから電話に出る。
「はい」
『やあ、花巻君。綾瀬です。今大丈夫かな?』
やはり綾瀬雄大からだった。相変わらずの爽やかボイスである。
「ああ、大丈夫だ。日程決まったのか?」
『うん、そんなところ。早速だけど、今週の日曜日の13時はどうかな?』
随分と急だが、幸か不幸か公太にはサッカーを観る以外に休みの日の過ごし方はない。だが、ちょっとした見栄から手帳を確認する動作を挟み込んでから答えることにする。
「ちょっと待ってくれ……いや、大丈夫だ。全く問題ない」
『それは良かった。場所は
公太が脳内データベースで検索をかけるとすぐに引っかかった。公太は自身に石を投げつけてきたインテリっぽいガキを思い出し、その悪印象そのままに解答する。
「ああ。あのいけ好かないブルジョアなガキンチョ共が通っている私立の小学校だろ。分かるぜ」
すると綾瀬の戸惑いが電話越しに伝わってくる。
『……まあ、一応合ってるかな。僕や千尋さんの母校なんだけどね』
「……あ、そうなの?」
――シマッタ! まさか母校だったとは! しかも千尋もかよ! やっべー!
「ま、まあその学校で対決すんだな。了解したぜ」
自身の失言によって一気に気まずくなった公太は早口で捲し立てる。
『う、うん。その当日はお手柔らかに……それじゃあ、当日は動きやすい服装でってことらしいから……』
公太同様、不自然に早口になった綾瀬はそう矢継ぎ早に言うと電話を切った。
*
約束の日曜日。
雲ひとつない快晴の空。かと言って、そこまで気温も高くならずに空気もカラッとしている。絶好の運動日和である。
公太は鐘餅小学校のグラウンドに約束の30分前に到着していた。若干早過ぎるような気もするが、図太い割には緊張しいな公太は試合とかがある日には早めにその会場に行き、気持ちを整えるタイプである。
一応、天月コーポレーションの制服を身につけている。ただ今までと違うのはあったかくなってきたことからジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツになっていることだ。下手なジャージより動きやすい代物である。
他に持ち物も特に言われていなかったので、スマホと財布とハンカチをランニング用ポーチに入れて持ってきたのみという軽装そのもの。
しかし、指定された場所といえど小学校に立ち入るのは何となく気が咎める。最近は取り締まりも厳しくなってきていると聞く。通報されないかしらんと不安に襲われてなかなか正門を潜ることができない。
「やあ、花巻君。随分早いね」
立ち往生していた公太に対して挨拶をしてきたのは、なんと公太がこんな場所に出向くハメになった原因とも言える天月昭仁氏。その横には室井、そして少し下がったところに千尋がいる。2人ともその表情には緊張感が走っている。
「こんにちは。まあ当然ですよ。今日は勝つつもりなんでね」
公太がそう返すと昭仁氏の表情にも僅かに敵意のようなものが浮かぶ。
「ふむ、キミにはつくづく驚かれているよ。だが、その前にキミには今後のことについて話しておくことがある。今から少し大丈夫かね?」
昭仁氏はそう言いながら、室井と千尋へと順番に目をやる。2人で話したいことがあるらしい。
「構いませんが、まさか長々と話して僕を遅刻させて不戦敗扱いにする気ではありませんよね?」
「そんなことするか! 仮にも社長の言うことをもう少し素直に受け止めたらどうかね!」
「……分かりました」
「おい、全然分かってないだろ。なんでファイティングポーズ取ろうとしてるんだ。人気のないとこで闇討ちとかしないから安心しろ!」
なんと、この昭仁氏は人の心が読めるらしい。まあ仮に公太に何かあったら昭仁氏が怪しまれるような状況で何かしてくるはずもないか。
「分かりました」
そう言って、公太は先導する昭仁氏について行く。
中年の男に呼び出されるという全くトキメキを感じない状況で公太は一体昭仁氏が何の用だろうかとふと考える。
昭仁氏は歩みを止めて、そこの景色をぼうっと眺める。公太がその視線の先を見ると、そこはプール。
流石私立のエリート小学校なだけあって、公太の通っていた小学校とは段違いの設備である。小学生のプールの授業でジャグジーなど使うことがあるのだろうか?
昭仁氏はそこから足を動かそうとはしない。どうやらここにて話があるらしい。小学校のプール付近で成人男性が話す……なんだか犯罪の匂いが拭いきれない気がするのは自分の心が汚れているからだろうか?――は、待てよ!?
「あの、盗撮とか考えてるなら手伝いませんし、辞めた方がいいですよ……」
公太が遠慮がちに右手を差し出して距離を取りながら言うと昭仁氏は「は?」と一瞬目をパチクリ。しかし、すぐに顔をタコのように真っ赤にする。
「バカ! そういうことじゃない!」
「やあ、そうなんですね、それは良かった。……ホッ」
「ホッ、じゃない! キミは一体人のことなんだと思ってるんだ! 私がここに来たのは人目に付かない場所に来たかったからだ!」
地団駄を踏みながら不満を露わにする昭仁氏。ははーん、なるほど、それでこのチョイスか。……ん、人目に付かない?……はッ!?
「あ、あのですね……。こういう場所でそういうアレをするのはあまり良いことでないと思いますよ」
公太の背中には大量の冷や汗が流れている。体内では警戒レベル最大級のアラートが響き渡っている。
「おい、なんでまた距離を取ってるんだ?」
「ま、まあ? 社長も人間ですしね。性的欲求があること自体は悪いことではありません。ただ、こういったことは互いの合意の上で行わないと後々問題に――」
「だ・か・ら! 違うってーの! 大体何で私がキミに欲情してる前提なんだ! 私は妻以外眼中にない!」
「これは失礼しました。それじゃあ話っていうのは? 今後のことって?」
というかその奥さん――つまり千尋の母――は社長の想像上の人物ではありませんよね? 俺会ったことないんですけど? というまたも要らない言葉が出掛けたが本気で怒らせそうだったので公太は自重。
すでに充分に怒っている昭仁氏も流石に百戦錬磨の社長だけあってふぅとため息をつくと落ち着きを見せる。
「……今回、キミは本当に千尋と結婚したいと思っているのかね?」
その試すような視線にたじろぎそうになるものの、しっかりその目を見据える。
「いやあ、したくな――し、したいですよ」
こういう時咄嗟に本音が出そうになるのは馬鹿――もとい正直者の辛いところである。
「……そうか、それならお願いだ。今回は引いてくれ」
なんと驚いたことに昭仁氏はそう言うと深々と公太に向かって頭を下げる。ここまで真摯な態度に驚きはしたものの、薄々この話題だとは思ってはいた。
「それは千尋を守る為ですか?」
公太がそう言うと昭仁氏は頭を上げると驚きを隠さずに目を見開く。
「聞いたのか」
「ええ、お屋敷の人や業者の人に」
「……そうか」
公太はこの1週間程度、天月邸にてありとあらゆる雑用をこなしながら、密かに情報集めをしていた。
「天月コーポレーションも今は世界でも有数の大企業ですけど、苦境に喘いでいたこともあった。それが先代――つまり、社長のお父さんの時ですね」
「……」
「社長のお父さん――
「ああ、その通りだ。父も母も私が気付かないようにと気を回してはいたが、子供心ながらに色々と察してはいたよ。休日に遊びに連れて行ってもらったことは少ないが、私はそんな両親が大好きだったし、尊敬していた」
昭仁氏は唇を噛む。
「だからこそ、私はそんな両親を騙したり、陥れようとしてきた者達を、世間を許せなかった。いくら2人とも笑っていても私は許せなかった。……それにやっぱり寂しかったんだ。だから、私は会社を継いだ時、結婚した時、そして千尋が生まれた時に強く誓った。――完璧にこなしてみせると。千尋は守ってみせると」
「だからずっと自分の目が行き届くようにしていたと? そしてこの先自分が年老いてからも心配ないように、自分が信用できる家柄の者と結婚させると?」
「キミからすれば馬鹿らしいかもしれないがね。……ほら、どうせ親バカとか子離れできないバカ親父とか陰口叩いてるんだろ?」
今までのマジトーンから急にしょんぼりと勢いをなくす昭仁氏。どうやら親バカだのバカ親父等と陰口叩かれているのを聞いてしまったことがあるらしい。
「まあ、正直ちょっとキモいなとは思います」
ここで手を差し伸べないのが花巻公太である。彼は女性が泣いていれば手を差し伸べるが、逆に女性以外には極めて淡白なのである。
「でも、まあそれをどう感じるかは人によって違うでしょ。その話、千尋にしたことないんでしょ?」
「こんな話できる訳ないだろ。千尋にはこんな話知ってほしくない」
「それは何故ですか?」
「千尋には明るいことのみを知ってほしいんだ。こんな苦労話したところであの子に良い影響を与えるとは思えない」
「…………」
そう言われた瞬間、公太の中では1つの大きな感情が動いた。それは怒りである。
「千尋を舐めんな」
そう低い声で言った公太の方を昭仁氏は唖然とした様子で見る。
「個人を完全な管理下におけると思うな。アンタは千尋のこと知らなすぎる」
捲し立てる公太に対し、昭仁氏も流石に怒りを露わにする。
「な、何だと! キミがあの子の何を知っているんだ!」
「ふん、少なくともアンタより知ってるさ!」
売り言葉に買い言葉。昭仁氏に釣られ、公太もヒートアップしていく。
「そうか、なら言ってみろ! 千尋の誕生日は?」
「……」……えーと。
「千尋の血液型は?」
「……」あいつ自己中だしBか?(完全な偏見)
「千尋の初恋の人は?」
「……」………………
「ほらみろ、何も知らないじゃないか!1月1日と、AB型、そして初恋の人は私だあッ!」
――いや、3問目は流石にウソだろ!
公太はツッコミを入れかけたが、話の本筋から逸れかねない。ゆっくり首を振る。
「僕が言っているのはそう言うことじゃない。もっと本質的なところだ」
我ながら曖昧な言い方だと思ったが、一定の効果はあるらしい。昭仁氏は明らかに狼狽している。
「どういうことだ?」
「それは……僕の口から言うことじゃない」
そう言うと公太は踵を返す。
「一度受けた以上はこの勝負は全力で戦わせてもらいます。ただ、僕が勝ったら、ちゃんとまずは千尋と話してください」
結局この親子はコミュニケーションが不足しているのだ。だからこうもすれ違う。
「……キミは何がしたいんだ?」
「そうですね、ここまで偉そうなこと言っておいて僕だけ誤魔化しているのはフェアじゃないですね。僕は別に千尋と結婚したいわけじゃない。ただ人がすれ違っているのに気付いていながら見過ごしたくないだけです」
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